14.招かざる客
――だぁれだ誰だ、十三番目の子――
――羽根を生やして飛んでった、
誰が歌っているのだろう
前にも聞いたことがある。ひどくいやな歌だ。
灰色の濃い霧の中にステファンは立っていた。
目の前には小さなおもちゃの兵隊が。
なんとなくそうしなければいけない気がして、人差し指を向け、バーンと銃声の口真似をしてみる。
弾け飛ぶ木製の兵隊人形。
右足を撃ち抜かれ、壊れたかに見えた。が、倒れた場所でそれはむくむくと膨れ上がり、見る間に生きた人間の姿になる。
足元にみるみる血だまりが拡がる。
地面に倒れてうめくその人の顔を見ないようにして、ステファンは顔を背けた――
これは夢だ。自分でもわかっている。夢ならば目を開ければ終わる。なのに瞼は開かず、手も足も何かに縛り付けられたように動かない。
呼吸さえしづらかったが、無理やり何度かうなっていると、急に
その反動で、毛布ごとベッドから転げ落ちてしまった。
「痛ったぁ……」
床にぶつけた頭をさすりながら起き上がると、昨日の嵐が嘘のように明るい日の光が部屋に満ちている。
その光の中にいながら、身体はまるで冷たい水の中を潜ってきたように震えている。なんという夢をみてしまったのか。まだ生々しい血の色が瞼の裏にこびりついている。
昨夜、大魔女のガートルードは、オーリの治療を終えるや否や、マーシャに指示して大鍋いっぱいの薬草茶を淹れさせた。
そして、オーリの傷を目にしてしまった者は魔力があろうとなかろうと全員で輪になり、大鍋の湯気に当たりながらジグラーシ語で「忘れ草の韻文」を詠唱するように言った。もちろんステファンにはわからない言語だから、一音節ずつ口伝えだ。
魔法というよりは大昔から伝わる民間治療のひとつだ。血や傷が怖いのは、感染症はもちろんだが、心を患わせる悪い力を引き寄せてしまうところだと、魔女はいう。
どうやら『忘れ草』は自分には効かなかったようだ、だからあんな嫌な夢をみてしまったのかなと、ステファンは重い気持ちになった。
「ほら、そっち手すりを持って。しっかり歩きなさいよ」
一階ではエレインに支えられてオーリが歩いている。右脚の包帯が痛々しい。ステファンは慌てて駆け寄った。
「先生、動いて大丈夫なんですか? 傷口が開いちゃうよ」
「お早う。どうってことないよこんな傷は。ただ、思うように動けなくてさ。ゆうべは居間で寝る羽目になっちまった」
ステファンはエレインの反対側からオーリを支えようとして驚いた。
熱い。おまけに重い。
「いいよステフ。気持ちはありがたいけど、かえって歩きづらいよ」
オーリは笑って手を振った。たしかに。エレインだって頭一つ分、オーリとの身長差があるのだ。ましてステファンみたいなチビでは、支えどころか歩行の邪魔になるだろう。
それでは、とダイニングに飛んで行き、椅子を引いて座るのを手伝う。
「いいね、たまにはケガしてみるのも。皆が優しくしてくれて、王侯貴族になった気分だ」
ケラケラと笑う声が、いつもよりかすれている。
「なに子供みたいなこと言ってんの。それより傷、本当にちゃんとくっついたの? 人間って体力ないんだから」
「うーん、組織はちゃんと再生したはずなんだけどなあ。なんで歩けないんだろ」
「熱があるからに決まってるじゃありませんか!」
思いがけず、マーシャの厳しい声が飛んできた。
「普通の人間なら何日も寝込む傷ですよ、いくらオーリ様の魔力が強くたって、一晩で起き上がろうなんて無茶にもほどがあります!」
「そう怒るなよ、マーシャ。ガートルード伯母にさんざん絞られたところだ」
そのガートルードは今朝早くに大鷲に化身してどこかへ飛んで行ったという。
ユーリアン一家も早くから隣町に出かけたらしい。幼い子らが騒いで傷に障ってはいけないという彼らなりの気遣いだろう。
人数が減ったにもかかわらず、食卓には大量の朝食が用意してある。
昨年の夏もそうだった。いつもよりエネルギーを必要とするとき、オーリは大食して魔力と体力に換えるのだ。
彼は静かに目を閉じた。食前の祈りでもしているかに見えたが、ふーっと息をついて再び開いた目は明らかに視線が泳いでいる。
「先生……めまい、してない?」
小声で聞いたステファンに、口の端だけ上げて反応したオーリは、おもむろにスプーンを手にした。
「さあ、食べなきゃ……血を、魔力を、作らなきゃ」
それからは口を利かず、黙々とスプーンを運ぶ。どう見ても食事を楽しむ顔ではない。むしろ戦場に向かような表情だ。
見ているほうが辛くなる。ステファンは早々に朝食を切り上げると、キッチンから裏庭に向かった。木の階段にエレインが腰掛けている。
「あー。守護者失格だな、あたし……」
いつも元気いっぱいの彼女が頬杖をついて落ち込む姿なんて珍しい。
解錠魔法がうまくいかなくてため息をついていた自分と同じだ、とステファンは胸が痛くなった。
口では厳しめのことを言っているけど、本当は彼女こそ、オーリの怪我が辛いはずだ。かなりのショックを受けたに違いない。
「あのさ、エレイン。聞いていい? いっぱいわかんないことがあるんだけど」
「誰がオーリを撃ったか、なんて聞かないでよ。あたしだってわかんないんだから」
先手を打たれて戸惑いながら、ステファンは昨日のことを懸命に思い出した。
「ナントカいう、もと領主の人じゃないの?」
「あいつはすぐ逃げたわよ。猟銃男も違う。だいたい音も気配も無しで傷だけ与えるなんて芸当、誰ができる? もう、わけわかんなーい」
エレインが赤毛をくしゃくしゃとやっている目の前に、慌てた様子の手伝い妖精がやって来た。手を振り回し、例の金属音のような声で早口に何か訴えている。
「え、何……わかった。ステフ、中に入って!」
険しい顔でエレインが腕を引っ張る。妖精の言葉がわかるのか、と聞こうとしたステファンの頭の上で、呑気な声がした。
「それより二階からわたしの杖を持ってきてくれないかな」
「先生!」
いつの間に食事を終えたのか、窓にもたれる姿勢でオーリが立っている。
「オーリ、座ってなさいよ。お客はあたしが追っ払うから」
「追っ払うとかえって面倒なことになるよ。ベッド脇の小机に置いてあるのは知ってるね? 早く頼むよ、ダー……」
「気色悪い呼び方禁止。わかった、杖ね」
階段を駆け上がるエレインを見送って、ステファンはちょっとだけオーリに同情した。落ち込んだからといって、エレインの気質は変わらない。結婚した人間の大人たちが良く口にする、ダーリンだの奥様だのという甘ったるい呼び方など、竜人には無用なのだろう。
それにしてもエレインが追い払いたがるなんてどんな客人が来たのだろう。
玄関でベルが鳴った。マーシャがいつものおっとりとした口調で応対に出る。
と同時に、赤いつむじ風のようにエレインが飛んできて、オーリの手に杖を押し付けた。
「エレインは外で待機。頼むからわたしが呼ぶまでは過激な行動をしないでくれよ」
オーリは自分の胸に、次に脚に杖を向けた。金色の火花と共に包帯を消し、服装を直して、両足を屈伸させる。
「よし、これで三十分は持つな。ステフ、君は部屋に居なさい」
水色の目が大丈夫だよ、という様に光る。しっかりと焦点の合った目だ。とてもさっきまで熱があった怪我人には見えない。長い銀髪をさっと手で整え、不自然さのない足取りで玄関に向かう。
「やあ、お巡りさん。見慣れない顔だね、五月祭のあいだの応援かな?」
オーリが愛想よく呼びかけた先で、真新しい制服の巡査が敬礼を決めた。
「ルイス・キースリーです。前任の巡査退職により赴任いたしました。ところで、早速お伺いしたいことがあるんですがね、ガルバイヤン先生」
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