13. 治癒魔法

「――だから、ローブを着ておくべきだったのよ」

「んー」

「四六時中あたしが守護できるとは限らないんだから。聞いてる?」

「んー」

 ムッとするような薬草の匂いが満ちた居間のソファに身を預け、オーリは目を閉じている。ついさっきまで部屋中に飛び交っていた光の渦は消え、右脚の真新しい包帯がひと通りの治癒魔法が終わった事を示していた。


「まったくですよ」

 ガートルードが手を洗いながらため息をついた。

「たまたま私達がいたから良かったものの。ローブは盾にも防壁にもなることを忘れたの? 相変わらず手のかかること」

「伯母上がいなくても自分でなんとかできましたよ……あ痛っ」

 口答えするオーリの額を、エレインが容赦なくはたく。


「あの、もう入っていい?」

 泣きそうな思いで、ステファンはドアを細く開けて訊いた。

 マーシャが何かを隠すようにサッと背中を向けた。おそらく血の付いた布類や油紙を、ステファンの目に触れぬうちに手早く片付けているのだろう。


「おいでステフ。心配かけたね」

 オーリは眠そうに、それでも手を差し出してステファンを呼んだ。ステフ呼びに戻ってるじゃないか、と文句を言うのはやめにした。だってこんな弱ったオーリは初めてだ。ステファンはうつ向いて頭を振った。

「ぼく、また何もできなかった。箒で飛べばお医者さんを呼びに行けたのに、思いつかなくて……」


「それが普通というものです」

 ガートルードが表情も変えず遮った。

「こういう事態に対処するのは大人の仕事ですよ。少なくとも、仮杖を持っただけの見習い魔法使いなど、責任を感じる立場にはないわ。わきまえなさい」

 

 恐縮するステファンを見て、オーリがソファの上からフフと笑った。

「相変わらずだな伯母様。でもその通りだよステフ。君が落ち込むことはない。だいたい、魔法使いを診てやろうなんて奇特な医者はいないよ。特にこういう日はね」

 外は本格的な雷雨になっていた。真昼だとは思えないほど暗い空に、稲光が走る。


「おぃちゃま、おぃちゃま!」

 小さな雷のように、アーニャが飛び込んで来た。

「ダメよアーニャ、オーリ叔父ちゃまは怪我してるの」

 追いかけてきたトーニャの手を振りほどいて、アーニャはくろぐろとした瞳でオーリを覗きこんだ。

「おぃちゃま、たいたい痛い痛いの? アーニャ、なおしたえる治してあげる!」

「それは光栄だ」

 苦笑するオーリの顔をちっちゃい手でなでながら、アーニャはなにやら神妙な顔をした。むにゃむにゃ口の中で言っている。幼児語で呪文でも唱えているつもりか。


 小さな魔女を抱き上げて、マーシャが言い聞かせた。

「心配しなくても大丈夫ですよ、オーリ様は昔から強いお子でしたから」

「『お子』ってのはやめてくれ、マーシャ」

 笑おうとしてオーリは顔をしかめた。


「あの猟銃の人みたいにパチッとやって治せたらいいのに……」

 思わず口に出してから、何をアホなこと言ってるんだとステファンは自分を恥じた。オーリは気にするふうもなく答える。

「あれはエレインが外した関節を、素人でも治せるレベルに戻しただけ。こういう原因がわからない傷はやっかいなんだよ」

「銃で撃たれたんじゃないんですか?」


「それならもっと簡単ですけれどね」

 ガートルードが難しい顔をした。

「銃創なら、傷口に微細な火傷があるものです。けれど熱を受けた跡もなし、金属痕や火薬のような異物もなし。敢えて言うなら、銃弾ほどの速さでが通り抜けたとしか。たちの悪い呪いの類いでなければ良いけれど」


「呪いなら今さらでしょう、伯母上」

 冗談めかして言いながらオーリは手をひらひらさせた。

「大丈夫だよステフ。わが伯母の治癒魔法は完璧だ。けど、魔法使いだって生身の人間だからね。傷口は塞いでもらったけど、回復するまではちょっと時間が要るかな。君が村芝居で活躍するのを見たかったけど……」


「オーリ、怪我したって?」

 薄煙と共に、ユーリアンが姿を現した。

「今度はお前か。静かに寝かせてくれないかな、もう」

 両手で顔を押さえるオーリに構わず、ユーリアンは大声をあげた。

「傷は酷いのか、どこの誰が撃った、仇なら討ってやるぞ。え、どうなんだ!」

「いいかげんにしなさい」

「あなたはヴィーカを見てて!」

 とうとう魔女たちに襟首を掴まれて居間からつまみ出されたユーリアンは、振り向きざまに聞いた。

「何か食うか?」


「はあ……良き友と家族を持って幸せだよ僕は」

 白目をむきそうな顔で、オーリはため息をついた。


「それよりオーリ!」

 エレインは厳しい顔で自分の耳の後ろを指差した。

「この印を消しなさい」

 指先の示す左耳の後ろには、金色の小さな紋様が付いている。以前は黒とか赤とか小さな石を着けていた場所だ。


 オーリはちらと目を向けて首を振った。

「なにバカなことを言ってる。結婚指輪の代わりだぞその印は……だいいちそれを消しちまったら君はここに居られなくなるだろう。君がフリーの野良竜人じゃなく、きちんと契約して仕事をしている竜人だって証じゃないか」

「回復が先よ。これがある限り、オーリの魔力はあたしに流れ続けるんでしょう。ケガが治るまでの間、守護者契約は解除。誓いを立てた相手がケガしてるってのに、力を奪ってのうのうとしてるほどあたしは厚かましくはないわ」


 エレインは赤毛を片手で押さえながらオーリに顔を近づける。 

 キスでもされると思ったのか、オーリは嬉しそうに眼を細めたが、エレインは甘くなかった。

「解・除。しなさい」

 ただでさえ大きな瞳をさらに大きくして睨んだ。声に妙な迫力がある。


 オーリはプッと下唇を突き出すと、拗ねたように横を向いた。

「いやだね。前言撤回、こんな傷三日もあれば治してみせるよ」

「このバ…」

 馬鹿オーリ、という言葉をこの日何度エレインは口にするのだろう、とステファンが思った時、突然オーリが叫んだ。

「しまった、折角のチャンスを!」

「な、なに?」

「僕を狙った古くさい猟銃の持ち主、領主のウッドワンドジュニアめ。奴の口髭が本物か偽物か、パブの亭主と賭けてたのに。ああ、せめてエレインが押さえてた男から聞き出せばよかったなあ。惜しいことをした」

 

 唖然とした表情で、ステファンとエレインは顔を見合わせた。

「ばからし……みんな聞いた? 心配するだけ損よ、魔法使いなんてここがイカれてる奴が多いんだから」

 頭に人差し指を向けるエレインに深くうなずいて、トーニャはひと言、確かにねと呟いた。


「イカれてる、か。良い誉め言葉だな。『天上の狂気と地上の汗、これ芸術の母なり』だれの言葉だったか……」 

 ぶつぶつ言いながらオーリは眠ってしまった。


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