12.銃声

 (作者注:今回は少しばかり血が流れます。苦手な方はごめんなさい)


 ステファンの願いが通じたのかどうか、正午を待たずに空は曇ってきた。

 気まぐれな雨が降ったり止んだりはいつものことで誰も気にしないが、雷の音を聞くと、家畜の心配をせねばならない。祭りも小休止だ。

 

 芝居の練習からやっと解放されたステファンは、箒でオーリの家に向かっていた。

 森の上空には鉛色の雲がかかっている。そういえば今朝がた女の子たちがサンザシの小枝を集めていたな、とぼんやり思い出していたところへ、突然、鋭い銃声が響いた。と同時に真っ赤な血のイメージが頭に飛び込んできて、ステファンは危うく箒から落ちそうになった。

 森の小鳥たちが一斉に飛び立つ。

 僅かな火薬の臭いがする。

 考えるよりも早く前傾姿勢をとって、ステファンは箒を音の方向へと急がせた。


 ◇  ◇  ◇


 森の入り口まで飛んだステファンの目に飛び込んできたのは、燃えるような紅い竜――ではなく、オーリの守護者でもある竜人エレインだ。見知らぬ男を押さえ、腕をひねり上げている。


「狙いは良かったんだけどね。禁猟区で発砲しちゃだめだろ。狩猟期でもないし」

 やけにのんびりとしたオーリの声だ。

 誰も撃たれてない――安心すると同時に、ステファンは気が抜けて、尻もちをつくように箒から落ちた。

 

 いや待て。肝をつぶして駆けつけたというのに、この師匠ったら何をしているのだ何を。ステファンは頭を振って身を起こした。ローブも着ず、スケッチブックを小脇に抱えてのほほんと立つオーリは、どう見たって魔法使いらしくない。緊迫感もない。

 むしろ切羽詰まっているのは、エレインに抑えられた男だ。関節をキメられて、うめき声が悲鳴っぽくなった。

 足元でまだ薄煙をあげている猟銃をエレインが蹴る。


 オーリはそいつを拾い上げ、まだ熱の残る銃身をつくづく眺めた。

「良い装飾だなあ。前世紀のこういう職人技って好きなんだよな……君ね、貴重なアンティーク銃で実射するんじゃない。今時こんな口径の銃なんて手に入らないよ?」

 オーリはそう言うと、スッ、と男の額に指を向けた。

 さっきまで腕の痛みにうめいていた男が別の悲鳴をあげる。


「帰って雇い主に伝えなさい。お遊びなら時と場所を選べと。それに魔法使いはキツネじゃない。貴族様の狩りの獲物となるにはゆえ辞退申し上げる、とね」

 オーリはわざとらしく大声でしゃべっている。その声に反応したように、背後の茂みを揺らして何者かが走り去った。


領主様、忘れ物だよ」 

 オーリは走り去った者につぶやき、男の額から指を離すと、エレインに手を引くよう合図した。そして紫色に腫れた手首に向けてパチッと金色の火花を散らす。男は呆けたような表情で口を開けたままだ。

「痛みは引いたかい?」

「はあ」

「それは結構」

 オーリは残りの弾を捨てて口の端を上げた。

「悪いね、弾も高いんだろうけど。これ以上悪さされると別の災いを呼びかねない」

 愛想良く言っているが、オーリの周囲には青白い火花が散っている。ステファンの背中に、ぞわりとしたものが走った。


 猟銃を返された男は、ぽかんと口を開けたまま人形のようにぎこちない足取りで歩き出した。

「あ、しまった。関節を確かめるのを忘れてた……ま、いいか。おかえりステファン」

 明るい水色の目は何事もなかったようにおだやかだ。火花もすでに消えている。オーリはエレインの肩を抱いて歩み出す。


 その途端。

 

 予期せぬ方向からの衝撃を受けたように銀髪が跳ね、大きな背が姿勢を崩した。

 足元の草に鮮血が散る。

「オーリ!」

「先生!」

 駆け寄ろうとしたステファンをとどめて、エレインが噛みつくように言った。

「走りなさい。脇道に入るの、早く!」


 声に促されるまま、ステファンは草深い森の脇道へ走った。

 ほどなく、ハンノキに囲まれて円形に開けた場所に出た。振り向くと、オーリを担いだエレインが赤い矢のように飛び込んできたところだ。油断なく辺りを見回し、柔らかい草の上にオーリを下ろす。

 木々の間から半透明ながわらわらと集まり、不思議そうに三人を囲んだ。


「大丈夫よ、この子たちは何もしない。この一角はオーリの魔法で護られた領域だからね」

「ぷ。フ、ククク」

 背を丸めてうずくまりながら、オーリは右足を押さえ、可笑しそうに笑っている。

「馬鹿オーリ! 笑ってる暇があったら早く血を止めなさい!」

「とっくに止めたよ。ああステファン、大丈夫かい。驚かせたな」


 血の気が引きかけていたステファンは、我に帰ってオーリを支えた。

「なんで……何が起こったんですか」

「なんだろうね、撃たれた? うわ、真っ赤だ」

 他人事のように呑気にしゃべっているが、右膝から下は赤黒い血に染まっている――さっき不意に頭に飛び込んで来た、あのイメージ通りだ。ステファンは思わず口を覆った。


「吐くなよ? 言っただろう、魔法使いを恐がる奴も居るって。恐いものは排除したくなるのが人の常さ。ああしまった、スケッチブックを落として来ちゃったな」

「黙って、怪我人」

 エレインは一気に布を裂いて傷を見、厳しい顔をした。


「これは……ガートルードの助けがいるわね」

「いらないよ、散弾銃じゃなかったし。いや、銃ですらなかったな。音がしなかったろう」

「音どころか、気配も感じなかったわよ。ステフ、先に帰ってマーシャにお湯を沸かしてもらって。あと魔女たちを起こして。オーリはあたしが運ぶから」


 箒に飛び乗ったステファンが一直線に飛び去った。それを見届けた後、押さえていた激痛が一気に押し寄せてきたようにオーリは顔を歪めてうめいた。

「バカ、やっぱりステフの前で格好つけてたね! 血が止められるのに、痛みは止められないの?」

「無理! 一分以上は無理! やっぱり杖を持ってくるべきだったよ!」 

 地面を転がって苦しむ様子に、ああ面倒くさい、と舌打ちしながら、エレインは長身のオーリを軽々と肩に担いだ。


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