7.魔女来る

 今日はいつになく鳥の数が多い。それも大小さまざま、種族ごちゃまぜで森の上を飛んでくる。

 それらはオーリの家に近づくと不意に姿を消した。代わりに黒い衣裳の魔女たちが次々と前庭に降り立つ。


「てっふ(ステフ)にぃたぁん!」

 いきなりステファンに飛びついてきたのは、ユーリアンの長女アンナプルナだ。三歳になったばかりだというのに、いっちょまえに黒い魔女服を着ている。褐色の丸いおでこに黒い巻き毛が跳ね、黒ブドウのような瞳を輝かせる。相変わらずチョコレート菓子みたいなオチビだなと、ステファンは思った。


 エレインは玄関ポーチに膝を屈めて小さな来客を迎えた。

「いらっしゃいアーニャ、小さい魔女さん。ベビーちゃんも一緒ね、ええと」

「ヴィクトーリアよ。ヴィーカって呼んでやって」

 黒髪の魔女が腕の中の赤子を見せて微笑んだ。彼女もまた黒いドレス、そして尖った魔女帽子で正装している。


「ステファンは初めてだったわね?」

 言われて、ステファンは申し訳なさ半分でうなずいた。一月にこの赤子が生まれた時、ステファンは風邪をひいてしまい、オーリたちと一緒にお祝いに行けなかったのだ。看病に残ってくれたマーシャにも悪いことをしたと思う。


「トーニャ、従姉どの。見事にお腹が引っ込んでる」

 迎えに出たオーリが目を丸くした。口にこそ出さなかったが、ステファンも同じことを考えた。なにしろ昨年末に会った時のトーニャは、はち切れんばかりの丸いお腹を魔女服に包んでいたのだ。それがいまや赤ん坊と二人にして、すっきりとウエストを絞った黒ドレス姿だ。なんたる不思議。魔法以上に神秘じゃないか。


「当然でしょ。魔女集会に間に合わせるために努力したもの」

 誇らしげに眉をそびやかすトーニャの傍らで、夫のユーリアンが褐色の顔をデレッと崩した。


 四月最後の夜は、魔女たちにとって特別な夜だ。土地によってしきたりは違うが、この地方の魔女は、古から住む者も他国から移住した者も区別なく、ここリル・アレイの森深くに隠された『王者の樹』の許に集い、年に一度の交流儀式をするのだという。一月に生まれたばかりのトーニャの娘もそこで魔女デビューとなるわけだ。


「まあーまあまあ、なんと可愛らしい。もう首は座っていらっしゃいますわね」

 居間にお茶を運んだマーシャが目を細めた。盆を置く間ももどかしそうに手を差し伸べる。と、赤子はおくるみを纏ったまま、ふわーっと浮き上がった。

「と、飛んでる!」

 仰天するステファンの視界を遮って、トーニャは素早く我が子を引き戻した。

「ふう、油断するとすぐこれ」

 

「すごいわねえ。魔女ってこんな小さいうちから飛べるんだ」

 感じ入ったようなエレインの横で、トーニャが首を振った。

「この子は特別に早すぎよ。お腹の中にいるうちから飛びたがって大変だったもの」

「アーニャもとぶよ。いっぱいとべるもん!」

 負けん気を出したアーニャが椅子ごと飛ぼうとするのを、ユーリアンが慌てて押さえた。

 

「ほほほ、わかっておりますよ。アントニーナお嬢様の血を引いていらっしゃるんです。お二人とも立派に飛べますとも」

 赤子を受け取ってマーシャは愛おしそうにあやしはじめた。

「そうそう、優秀な魔女アントニーナ~」

「その呼び方やめなさいオーリ」

 茫然とやりとりを聞いていたステファンは、我に返って首を振った。


いやいやいやいやいや。

おかしいだろう、この会話は。

いくら魔女だって、まだおくるみを着た赤ん坊のうちから飛ぶだと?

箒もなしに? 生まれつき、いや生まれる前から飛ぶ力を持っていたとでも?

それって、少しばかり――ずるくないか!

 

 ステファンの戸惑いをよそに、黒い正装の魔女たちはぞろぞろと狭い居間に集合する。互いに挨拶を交わし、お茶を飲み、幼い魔女姉妹に声をかけ、ついでにステファンをからかう。

 最後に姿を見せたのは、オーリと背丈が変わらないほど大柄な大魔女ガートルードだ。彼女が現れると、場の空気がピリリと引き締まる。


「皆、揃いましたね。では参りましょう。オーリャ、『扉』を開きなさい」

 重々しい魔女の声に応え、オーリが胸に手を当ててジグラーシ流のお辞儀をした。次いでエレインが剣を携えて裏庭に向かう。魔女たちは無言で続く。

 どこに行くのかと思う間もなく、オーリがジグラーシ語で韻文のようなものを詠唱し始めた。と、魔女たちの姿は砂地に水が沁み込むように消えていく。


「帰りは明朝です。夜明けに遅れぬよう」

 そう言い置いて、ガートルードが最後に姿を消した。

 自分があの巨大樹に初めて会ったときもあんな消え方をしたのだろうかと思うと、なんだかぞわぞわする。ステファンは思わず両腕をさすった。



「ああー、疲れた。お茶まだあるかな」

 脱力したようにどっかりと腰を下ろし、オーリが額の汗をぬぐった。

「ご苦労さん、初めて見たよ。毎年これやってんの?」

 ユーリアンは面白がっているようだ。慣れた手つきでお茶を入れて、ニヤニヤと親友の表情を伺う。オーリは手だけ伸ばしてお茶を取り、ぬるいと文句を言った。


「先生、扉って? エレインと二人であの樹を隠してるって言ってたよね」

 ステファンの問いかけに、やっとオーリは顔を上げてみせた。

「そうだよ。王者の樹を隠すための、目に見えない扉。少しばかり面倒な術式でね、どうしても竜人の力が必要なんだ。明日の朝、また頑張って開かなくちゃ。まったくガートルード伯母も人使いが荒いよ」


 いつからそこに居たのか、妖精たちが顔を覗かせて虫みたいな声で笑っている。どうやらオーリを冷やかしているようだ。

「うるさいな、そんなに笑うなよ。誰だって魔女は怖いだろ」

 ぶすくれた顔でお茶を飲み干し、オーリはついでのように指を弾いた。


「オーリ様、何をなさいました! 冬でもないのにこの子たちのミルクが凍ってるじゃありませんか」

 子どもをたしなめるようなマーシャの声がキッチンから聞こえる。


「やりやがった。相変わらず大人げないことするなコイツは」

 呆れたように顔をしかめて、ユーリアンが呟いた。


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