8.女の子じゃない!
「それより見てくれないか。これをどう思う」
オーリが飲み終えたティーカップをいきなり放り投げた。
「え、ええっ?」
カップはテーブルをかすめて飛び、真っ直ぐ落ちる。が、床で砕け散る音を予測してステファンが目をつぶろうとした途端、優雅に一度浮かび上がり、そのまま静かに床に降り立った。
「ほう。制御、いや『
ユーリアンが黒く大きな目を見開いた。
「ええ? ぼくなにもしてない」
「いや君の力だって。懐かしいな、オーリも師匠の家でよくやってたよなあ?」
オーリは真顔でうなずいている。
「やっぱり『
問われて、ステファンは小さい頃の記憶を手繰った。最初に浮かせたといえば――あれだ。
「『ククゥ』かな。お父さんが作った切り紙のハト。『ククゥ、捕まえた!』と言ったら手元に飛んでくるようになって。魔法とかぜんぜん知らなくて、そういう遊びなんだと思ってた」
「手元に飛んでくる、か。なるほど。他には?」
「学校で、いじめっ子に盗られたノート取り返す時とか」
「捕まえた! と言ったら手元に飛んで来た?」
「そう」
ヒュゥ、とユーリアンが口笛を吹いた。
「やるなあ。それもオスカーが?」
「ううん、お父さんは知らないと思う。自分で思いついたんです」
答えながら、ステファンの胸になんだか嫌なものが広がってきた。なんだろう、何か重大なことを忘れている気がするのだが。学校のことはあまり思い出したくない。
「なるほどね。わかった、じゃあしばらくその力を集中的に磨くことにしようか」
オーリはポンポンと頭を軽く叩いてくる。ステファンの不安を解く時のお約束のようなものだ。
が、安心したのもつかの間、ステファンはまたぎょっとする羽目になった。
オーリが砂糖壺を手に、意味ありげな笑いを浮かべている。
「投げないよね先生!」
ステファンは思わず立ち上がって盆を手に持ち、盾のように構えた。
「まさか。予測される動きじゃ修行にならないだろ。君が油断した頃を見計らわなきゃね」
しれっと言いながら、オーリは角砂糖を一つ摘まむと、キッチンまで歩いて妖精たちのミルク壷に放り込んだ。たちまち、凍っていたはずのミルクがとぷんと音をたてる。あー勿体ない、とユーリアンが呟いた。
「さて、散歩がてら我が親友に村を案内するかな。五月祭の打ち合わせもしなくちゃいけないし。ステフも来るだろ?」
「それがいいですよ」
マーシャが声をかけてきた。
「片付けなんていいですから、坊ちゃんもオーリ様たちと行ってらっしゃいまし。お祭りの準備で広場はにぎやかでしょ」
そうか五月祭か、とステファンの心がちょっと浮き立った隙に。
「ほい、キャッチ!」
デザート皿が目の前を飛んだ。今度はまともに床に落ち、派手に砕け散る。
ステファンはキッチンを振り返った。余計な仕事を増やされた妖精たちが、早く行っちまえ、という手振りで顔をしかめている。首をすくめて退散するしかなかった。
◇ ◇ ◇
森を抜けると、一面の緑が広がる。
遠くの木陰で山羊や羊たちがのんびりと草を食む姿を見て、ユーリアンは歓声をあげた。ステファンには見慣れたどうということのない田園風景だが、街から来た彼には新鮮に映るのだろう。吹く風さえ楽しむように目を細めて「いいねえ」と呟き、鼻歌を歌っている。
畑の間を進むと、集落が見えてきた。その集落を横切るように広い道が通る。道の古い敷石には、馬車の
「この『馬車通り』が村で一番広い道かな。今日から数日は地元の人より観光客が多いかもしれないね。なにせこの村の五月祭はちょっと変わっているし、山の上に古城もあるし」
しゃべりながらも、オーリは人と行き交う度に挨拶を欠かさない。
「お前、ここの住人全部と知り合いなの?」
ユーリアンが呆れたように聞く。
「全部ってことはない。でも狭い村だしね。いまだに魔法使いを恐がる人も居るから、こっちからわざと声を掛けてやるんだ。面白いよ」
「なるほどね、やぼったいローブを着てきた甲斐があるってもんだ」
良い年齢をした魔法使い二人は、なにやら悪童の顔になって目配せしている。嫌な予感がして、ステファンはため息をついた。
広場に来ると、既に舞台の準備が始まっている。
道沿いのティールームから、賑やかに数人の少女が出てきた。その中の一人が、オーリに気付いて嬉しそうに叫んだ。
「見て、魔法使いよ。オーリローリ先生よ!」
「きゃあ本当、ここで会えるなんて素敵だわ、せんせーい!」
ハッカキャンディを溶かしたみたいな声を聞いてステファンは逃げ出したくなった。だがオーリたちはにこやかに手を振っている。その間にも少女らがスカートを翻しながら駆け寄り、三人は囲まれてしまった――最悪だ。
「なに?この村じゃ魔法使いってモテるの?」
相好を崩すユーリアンに、ステファンは慌てて説明した。この冬、女学校の美術教師が凍った道で転んで骨折したこと、代わりにオーリが週に一度、臨時講師として美術を教えていること。その間にもオーリは愛想良く少女たちに話しかけている。
「君たち、寮生だっけ。お祭り休みなのに帰省しなかったのかな」
「ちゃんと帰りました。今日はスケッチ旅行なんでぇす」
「旅行といっても、日帰りなの。ここの村の五月祭は有名だし。あ、こちら先生のお友達ですかぁ?」
なんで女の子ってのはこういうしゃべり方をするのか。ステファンはオーリの後ろに隠れるようにしながら、早くあっち行け、あっち行け、と心の中で念じた。
「ああ、彼は僕の親友で炎使いのユーリアンというんだ」
「よろしく。魔法使いだけど、建築士でもあるんだよ」
普段聞かないようなダンディーな声でユーリアンは挨拶した。
「で、この子は弟子のステファン。どうしたステフ、挨拶は?」
「こっ、こんちはっ」
ほとんど石と化したまま口を開くと、声が裏返ってしまった。が、そんなステファンの声などかき消すように、少女たちはいっせいに笑い出した。
「ステフだって! やだそれ、女の子の愛称」
「でも可愛いから似合うかもー」
なんてこった。
なんてこった。
ステファンの頭の中はハッカキャンディーと泥と辛子でねじり飴をこね合わせたみたいに固まってしまった。
オーリが何か気の利いたジョークを言ったらしいが、ステファンにはもはやどうでもいい。少女たちがますます笑いながら遠ざかるのを、岩石像のようになって待つばかりだ。
にぎやかな声が去ってしまうと、ようやく呪いが解けたようにステファンは息を吐き、足を踏み鳴らしながら猛然と文句を言った。
「だから嫌だったんだ、ステフなんて! あのちっちゃいアーニャにまで『てっふにいたん』とか言われるし、最悪だ、最悪!」
「まあまあ、そう怒るなよ。そうだな、オーリは酷いよなあ」
ユーリアンが笑いをこらえたような顔でなだめてくる。カチンときたステファンはこの男にも文句を言った。
「ユーリアンさんもだよ! なんだい女の子相手にカッコつけちゃって。トーニャさんに言いつけてやるから!」
「おいおい、そりゃ勘弁。言いつけられるような悪い事をしたか?」
やり込められる親友の隣で、オーリは全く反省のない顔をしている。
「かわいい生徒たちに挨拶しただけさ。それに味方は多いほうがいいだろ?」
「あんなのが味方? きゃぁきゃぁ笑ってうるさいだけだ! とにかくもう二度とステフって呼ばないで。ぼくは女の子じゃない!」
「ふむ?」
オーリは面白そうにステファンの表情を見た。
「君が女の子に対してシャイなのは良くわかった。だが世界の半分は女性だし、魔法使いの半分は魔女から生まれる。嫌うメリットは無いと思うが?」
「ぼくのお母さんは魔女じゃないから!」
思わず口をついて出た言葉に、ステファンはまた何か引っかかりを感じた。
『お母さんは魔女じゃない』
そうだ、母ミレイユは魔女じゃない。魔力なんてカケラもないし、魔法を嫌ってさえいる。でもなんだろう、何か大事なことを忘れている。
冷静になって、はたとステファンは周りを見回した。通りを行く人がじろじろと見ていく。しまった、黒いローブの魔法使いが三人なんてただでさえ目立つのに、広場で大声でわめくなんて。
「と、とにかくどこか座らないか? いやー暑くなってきたなあ」
ユーリアンが取り繕うように言ってローブの襟をばたばたさせた。
「ステフという愛称が嫌いならしばらく止めよう。でもね、別に君をからかってこう呼んだわけじゃない。いずれわかるよ」
オーリが再び頭に手を置こうとするのを、ステファンは断固として避けた。
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