2.青天のヘキレキ

 それよりも、とステファンは期待を込めて聞いてみた。

「先生、前より『見える』ようになるとどうなるの? 使える魔法が増えるとかは」

「ないね」

 オーリはあっさりと否定した。

「力を持つことと、その力を魔法として使えるかどうかは別の問題だもの。でもつくづく惜しいなあ、その眼。魔法はもちろん教えるけど、絵のほうは? 今からでも学ぶ気はないか?」

 またその話か。去年も聞いたよ、とステファンは肩をすくめて

「んー、ないです」

 とだけ答えた。


 ◇  ◇  ◇


「さて諸君! あらためて報告がある」


 居間に戻るやいなや、オーリが芝居がかった仕草で手を広げた。

 諸君といったってオーリ以外は三人しかいないじゃないか、とステファンは部屋を見回して驚いた。さっき台所にいた妖精や庭にいたやつらまでが、いつのまにか部屋に勢ぞろいしている。


「エレイン、こちらへ」

 オーリはなにやら緊張した顔でエレインの手を取り、高く掲げた。

「皆も知っての通り、我が有能なる守護者、美しき竜人フィスス族の最後の娘、エレイン・ベ・ラ・フィススはわたし個人のみならず我が家の守護を……」

「めーんどくさい言い方するんじゃないのオーリ。家事妖精たちは日が昇ってる間しか動けないんだから、さっさとわかりやすく話して」

 エレインに叱られて咳払いすると、オーリは一息に言った。


「この度、わたしオーリローリ・ガルバイヤンとエレインは、竜人フィスス族の儀式に則り、お互いに伴侶となる誓いを立てた!」


 ヒューとかキュウとか意味のわからない声をあげて、妖精たちが一斉に飛び跳ねた。スコップを振り回す奴がいる。布巾を放り投げるものも。どうやら喜んでいるらしい。しかめっ面なのでわかりにくいが。

「ほほほ、ようやくでございますねえ」

 マーシャも満面の笑みで手を叩いている。

 ひとり、オーリの言葉の意味がうまく呑み込めずにぽかんとしてしまったステファンも、数秒遅れで理解した。

「ハンリョになるって……結婚てこと? ええ、先生たちが? 結婚ーっ」


 晴天のヘキレキだ。

 いやステファンだってオーリたちはいつか結婚するんだろう、くらいは思っていた。昨年の秋は二人が引き離されないように他の魔法使いや魔女やラジオ局まで巻き込んですったもんだして、そのためにステファンの命が危うくなる事態まであったのだし。

 けれど「この度」っていつだ。

 花嫁さんとかパーティとか、そういうところはすっ飛ばして報告だけとはどういうことだ。

 この二人を結び付けた最大の功労者は自分なのに、肝心のところで蚊帳の外とはどういうことだ。

 ステファンは足を踏み鳴らした。


「ひどいよ、絵がどうのよりそっちを先に言って! まさかぼくやマーシャが冬休みの間に先生たちだけで結婚式とか? ずるいっ、ぼくもお祝いしたかった!」

 猛然と抗議するステファンに、オーリが大慌てで両手を振った。

「いやまてステフ、人間界の結婚式はまだだ。敢えて言うならこれは婚約というか、いやほとんど結婚と同等だけど竜人の価値観は人間とは違うから、つまりええと」

「ごめんねステフ、あたしの都合なんだ。新月の日じゃないと伴侶を選べないし」

 エレインが割って入り、ふわりとステファンの頭を抱きしめた。もうすっかり人間流だ、怪力でつぶされる心配はない。ステファンは腕の隙間から壁のカレンダーを見た。


 1953年。年が開けたばかりの真新しいカレンダーに、数字と合わせて月の満ち欠けが描かれている。エレインは月の魔力に影響される竜人だ。満月には竜由来の魔力が最大になり、逆に新月になると魔力が消えて「人」らしくなる。彼女の一族が人として伴侶を選ぶのは新月の夜だけ、とは以前に聞かされていた。


「……ううん謝らなくていいけどさ。おめでと、エレイン」

 照れ隠しに軽くハグを返して、ステファンは素早く離れた。

「でもぼく困るよ。先生と結婚しちゃったら、エレインのことなんて呼べばいいかわかんないもの。ミセスって付けなくちゃだめ?」

「まさか。そういうのは人間だけでやって」

 赤毛を掻きあげて、エレインが快活に笑った。

「ただのエレインでいいよ。オーリと誓いを立てたからってあたしはあたし、何も変わんない。いままで通り、この家や森を護っていくんだから」


 ああ、きっとそうだ。エレインはなにも変わらないだろう。

 けれどちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、胸の中に塩辛いちくちくとするものがある。そのちくちくの正体がわからず、ステファンはぷっと口を尖らせた。


「つまり、改めて人間の流儀でお式をあげることも、これからできますわね?」

 マーシャがうきうきと言い、何度もおめでとうございますを繰り返している。

「うん、まあそういうことだ。ありがとう、マーシャ」

 オーリはうなづくと、ステファンに近づいて頭に手を置いた。

「驚かせてごめんよステフ、そんなに憤慨されるとは思わなかった。仲間外れにされたとでも思ったかな? 込み入った事情はいずれ説明するが……これだけは言っておこう。わたしたちは変わらないよ、これからも」

「うん、わかってるから」

 ステファンはまだ胸のちくちくを気にしながら床を睨んだ。


 三人できょうだいみたいに過ごす時間が多かったから。

 楽しいことや辛い事件まで共有してきたから。

 いつの間にか、自分もオーリたちと対等な地に立っているみたいに思っていた。けれど、大人と子どもは違う。家や学校なら、生活も立場もハッキリ区別されたはずだ。ここではいろいろと自由すぎて、忘れていた。

 オーリは兄ではなく師匠。

 エレインは姉ではなくオーリの守護者。(おまけにこの度はハンリョとやらになったのだし)

 これまでと変わらないと、彼らは言う。けど同じじゃない。

 

 ステファンは頭をひとつ振った。

 オーリから一歩離れ、姿勢を正して笑顔を作る。

「おめでとう……ございます、先生。ぼくもう部屋に行きます。二週間離れてたから、杖や箒の練習をしなくちゃ」

 水色の目がちょっと驚いたようにこっちを見ている。師匠が何か答えるのを待たず、ステファンは二階に駆け上がった。

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