3.杖と箒と新しい魔女
杖は机の上の木箱にちんまりと納まっていた。
ステファンが休暇から帰ってくる前にオーリが用意しておいてくれたのだろうが、なにせ昨夜この家に着いたのは遅い時間だったから気づかなかった。
「ただいま」
ステファンはそう声をかけて小さな自分の杖を手にした。手の中に納まるペンのようなもの――だがひと振りすれば、白く輝く杖となる。長さは個人に合わせてちょうど肘から中指の先までと同じ、これぞジグラーシ流魔法使いの証。
オーリなんかはこの一連の動作を、指先でクルっとスマートにやってみせる。ステファンも何度か真似してみたのだが、上手くいった試しはない。
今年こそ、そう思って指先に挟み、クルクル回してみる。だが小さな杖はぶざまに指から滑り落ちる。
ステファンは諦めて普通に杖を持ち直し、呼吸を整えた。
オーリとエレインのことを考えるのはまた後だ。得体のしれない『ちくちく』なんかより、今は目の前にある楽しいことに集中しよう。なんたってこれは自分の杖だ。
昨年秋、オーリから最初に教わった杖の使い方は――小さな手持ち花火を使ったイタズラだ。見よう見まねで杖を振っただけでも面白いように飛ぶものだから、聖花火祭にかこつけてガンガン川向こうに飛ばしたっけ。
オーリが言うには、杖はあくまでも道具に過ぎず、散漫になりがちな魔力を一点に集中して方向を定めるのに役立つだけ。大切なのは『何を』『どうしたいのか』はっきりイメージすることだそうだ。集中して、集中して、一気に杖の先から魔力を放り投げるつもりで鋭く振る。
もちろん部屋の中では花火なんか飛ばせないが、オーリのようにスパークを出せるとカッコいいんじゃないか? と思い、窓の外へ向けてステファンは杖を構えた。どうせなら剣士みたいにポーズをきめて、ワン、ツー!
ところが杖の先に現れたのは、もふんとした小さな煙だけだった。
「あ、あれっ」
気を取り直してもう一度杖を構える。そうだイメージだ。もっとはっきりイメージしなければ。二週間ぶりだし、勘が鈍っているのだろう。
ステファンは目を閉じ、眩く青白い稲妻を思い浮かべた。今度こそと思い、目を開けると同時に杖を振る。
ボォン! と鈍い音を立てて、窓の外に白煙が立った。何か割れる音がする。
しまった何かに当たっちゃったか、と思ってステファンが窓に駆け寄ると、煙の中に見えたのは見覚えのある人物だった。
「聞いてくれ、我が家に新しい魔女だ!」
ローブを翻して現れたのは、褐色の肌の魔法使いだ。
「おいユーリアン、どうしたこんな急に」
迎えに出たオーリをよそに、魔法使いは空に両手を挙げて言葉を続けた。
「生まれたんだよ、しかも魔女だ、トーニャに似た美しい子だ! アーニャに続いて空を飛ぶ子だ! あああこの幸運を共に祝ってくれ、イャッフー!」
騒ぐだけ騒ぐと、再びローブを翻してユーリアンは消えた。
後には薄煙と、蹴飛ばされて割れた植木鉢が残った。スコップを振り上げて抗議する庭の妖精たちに囲まれて、オーリがつぶやいた。
「あのバカ、電話で済む要件なのに……」
「なに? トーニャに二人目のベビーが生まれたの? 見に行きたい!」
「まだですよエレイン様。人間は竜人ほど丈夫ではありませんもの、少し日を置かないと。ああでもおめでたいこと。お祝いは何にしましょうかねえ」
エレインとマーシャが手を取り合ってはしゃいでいる。
階段を下りて様子を見に来たステファンは、しばらく戸惑った。植木鉢が割れたのは自分が杖を振ったせいだと言うべきか、いやそれともオーリの親友が場所を見極めずに現れたせいなのか。
「あのう、先生……」
「あ、ステフ。聞いたかい? 我が従姉が無事に二人目を出産したそうだ、めでたい。ユーリアンはあの調子で友人知人宅に飛びまくっているんだろうな。騒がしい男だよ」
「あの、でも先生」
うん?と相変わらず明るい目を向けてくるオーリの目の下にはくろぐろと隈ができている。そういえば昨夜ステファンが部屋に入る時も、同じ二階のアトリエに灯りがついていたっけ。多分また徹夜で絵を描いていたのだろう。
見るからに寝不足顔の師匠を見ると、ステファンは思わず別のことを口に出してしまった。
「ええと、箒。箒の練習を、しようかなって」
この寒いのにと呆れながら、それでもオーリは指をパチンと弾いて、一瞬で箒を出してくれた。
「練習に付き合おうか?」
「い、いいです自分で! ほら久しぶりだし」
ステファンは冷や汗する思いで首を振った。いま庭に出たら妖精たちが腹いせに蹴飛ばしてくるかもしれない。
オーリはそうか、と言って大きなあくびをひとつ。
「さあこうしちゃいられない、お祝いの絵を描かないと」
そのまま自分の両頬に自分で気合を入れて、二階へ行ってしまった。
ステファンはしばらく手の中の箒と庭とオーリが昇って行った階段を見比べていたが、ゴメンねと心の中で呟いて、妖精たちがいない玄関側から外に出た。
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