秋風が吹いたら

朝田さやか

【序章】一日に一回は嘘をつくね

 秋葉、君は僕の最後の嘘を見抜いているのだろうか。僕が君に本当に伝えたかったことは何か。毎日僕が君に嘘をつく理由を知ったとき、どう思ったのか。できることなら、僕はその時の君の反応を目の前で見たかったな―—。


 僕は瞼を閉じて、眠りにつく。いつものように夢を見て、そしてまた君への嘘を考える。そう、この習慣は、あのときから始まったんだ。


✴︎


「秋葉の苦手な人ってどんな人?」


 僕は秋葉との帰り道に、何の気なしに問いかけた。どういう流れからこんな話になったんだっけ。


 あの頃はランドセルを背負う肩が重くて、一歩の歩幅も小さくて、たった一キロにも満たない帰り道を異様に長く感じていたな。


「うーん」


 秋葉は少し考えながら、手に持っていたハンカチで鼻の上に溜まっていた汗を拭いた。そのハンカチは、僕が去年秋葉に誕生日プレゼントとして渡したものだった。こうしてよく使っているところを見ると、気に入ってもらえているようで嬉しかった。


 九月に入って数日経つが、涼しくなる気配は微塵も感じられない。この時刻に辺りが橙色に染まっているのを見ると、着実に冬至に向かって季節が移り変わっているのを感じられるが、暑さの方は全くだ。


 確か日本人が秋の訪れを感じるのは、肌を撫でるような心地良い秋風が吹く音を聞いた時だったっけ。今なら先人が残した句を思い出せるが、小学生の僕にそんな知識はなかった。


「嘘をつく人は嫌いかな」


 秋葉は僕の質問に少し時間を空けて答えた。よく考えて導き出したであろう秋葉の答えに、僕は内心ホッとしていた。


 僕が当てはまっていないから安堵したんだろうって? 違うよ。秋葉の嫌いな人物に、案外簡単になれそうだと思ったからだ。


 猛烈に暑かった空間に突然、異質な涼しい空気が入り込んできた。その二つの異なる空気は混ざり合うことはなく、互いに存在感を醸し出していた。


 温度の全く違う空気を同時に感じるその空間は、ひどく気持ち悪く、不愉快だった。そうして僕の耳に風の音が聞こえてきたその時、僕は決心した。


「それなら明日から、一日に一回は秋葉に嘘をつくね」


 と。僕は少し見上げるようにして、秋葉の目を真っ直ぐに見つめた。僕より身長が五センチも高い秋葉が僕を見下げる目は大きく見開いていた。


 僕は秋葉に嫌われたかったのかと聞かれると、答えはノーだ。むしろ、秋葉にはとにかく好かれたかった。この時も今も、その気持ちは永遠に変わらない。


 僕は秋葉との距離がどの男子よりも近いと思っていたし、他の奴が秋葉と仲良げに話しているのを見るとイライラした。秋葉に抱いていた特別な感情。僕はこの時から秋葉に恋をしていたのだと思う。


 かといって僕は、好きな子をからかってその子の気を引くような回りくどい性格ではなかったはずだ。それならばどうしてそんな決意をしたんだ、と聞かれると非常に厄介だ。


 まあ、この時は実際に毎日嘘をつくことが秋葉に話しかける一つのきっかけになっていたのだから、十分面倒くさい性格だったのかもしれない。


「どうして?」


 僕の返答に、秋葉が困惑したのは当然だ。自分からどんな人が嫌いかを問いかけておいて、その答えを聞いた途端自分からそうなると言い出したのだから。


 どうして、と言った秋葉の顔は不思議そうにしていて、同時に悲しそうにしていた。秋葉は僕に嫌われていると、もっともな勘違いをしたのかもしれない。


 しかし、そんなに複雑な表情で僕の目を真っ直ぐに見ないで欲しかった。理解不能だと呆れているようで、困っているようで、そして少し泣きそうで。


 僕が嘘をつく理由はまだ教えられないのに、秋葉をそんな表情にさせたくないが為に本当の事を全て言ってしまいそうになった。いつのまにか、突然変なことを言われた秋葉よりも僕の方が困惑してしまっていたんだ。


「どうしてだろうね」


 結局、僕の口から飛び出したのはこんなあやふやな言葉だった。どうせはぐらかすのなら、どうして適当な理由でもなんでもつけてもう少し上手くできなかったのか。本当の僕はとにかく嘘をつくのが苦手で、秋葉に微塵でも嫌われたくなかったんだ。


 それでも僕は、秋葉の勘違いを訂正しなかった。それが今日の嘘だと思われたら、たまったものじゃない。僕の考えが矛盾していたというのは自分でも自覚している。


「どの言葉が嘘か、当ててみてよ」


 僕に興味を持ってもらえるように。秋葉が僕のことを本当に嫌いになってしまわないように。


 僕はわざと挑戦的な目で、秋葉を揶揄っているんだとでも言うように言った。秋葉には何も悟られてはいけない。


 僕の行動が理解出来ずに不服そうにしていた秋葉は僕の言葉を聞いて、さっぱり訳が分からないと言いたげに長い溜め息を吐いた。


「わかった」


 その嘘にしょうがなく付き合ってあげるよ、と言ったところだろうか。僕は秋葉の言葉の裏にある気持ちを考えて、出来るだけ汲み取ろうとしていた。


 秋葉は、僕の意味不明な発言について本当のところはどう思っていたのだろう。もしかすると、どうせすぐに自然消滅するだろうと楽観的に考えていたのかもしれない。


 でも僕は、この時から何年も経った今も毎日嘘をつき続けているよ。今では、嘘をつく事が僕たちの当たり前の日常の一部と化してさえいるんだ。


「明日から、どんな嘘をつこうかな」


 嘘をつくのが苦手な僕は、毎日その事ばかり考えている。嘘を考えているのと同時に秋葉の事を考えてしまうのはおかしいことではなくて、当然のことだと思うんだ。


 ……君が大嘘つきの僕を好きになるときは、きっと僕が君を拒絶する振りをした後で、君に全てを告げるときだろう。


 僕たちが小さな足で歩く帰り道は、まだ長い。明日からの事を悲しく、そして必死に考える僕と、それを横目に見ながら複雑な表情をしている秋葉。


 あの時、この道にいたのは僕達だけだった。ただコンクリートの道を歩く、ザッという音だけが聞こえていた。そんな僕たちの間を明確に隔てるように、ほんのりと涼しい秋風が通り抜けていった。

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