2-04
楽しみにしているのは、私のほうかもしれない。
不安がないと言えば嘘になる。ただ、魔法について語れる相手がいるのは嬉しい。秘匿するのは仕方がないにしても、ひとりで抱えるには大きな秘密。その秘密を共有できる。考えれば、どこか荷が軽くなるような安心感がある。相手が敵というのは、なんとも皮肉な話だけど。
殺伐とした関係でも、関係には違いない。それに日村さんは、現状話が通じる相手だ。友だちみたいに盛り上がらなくとも、有意義な話はできるはず。
もちろん、すべてを話すわけにはいかない。これは駆け引きのゲームだ。不用意に手の内を晒さないよう気をつけないと。浮かれる意識を落ち着かせるために、心の裡で呟いて気を引き締める。
強く、風が吹き込んできた。乱された髪が顔を打ちつける。思考が現実に引き戻される。扉を越えると、明るさに一瞬目が眩む。目を強く瞑ってから、ゆっくり瞼を開いた。
屋上は寂れていた。
昨日は気づかなかった、いや、気づく余裕がなかったというべきか。
コンクリートは埃っぽく、足をつくと若干滑る気がした。私より背の高い、屋上を囲う緑の金網も劣化が目立つ。繋ぎ目の金具が錆びているし、コーティングが剥げて露出した金属部も錆びて茶色い。寄っかかったら壊れそうで怖い。気をつけよう。
静かに扉を閉めた日村さんは、すぐにしゃがんだ。私も同様にし、こっちと促されて、中腰で移動する背中についていく。
移動はわずかだった。出入り口が少し前にせり出しているおかげで、向かいの校舎からは死角になるらしい。
日村さんはおもむろに、ブレザーの右ポケットからミネラルウォーターの小さなペットボトルを取り出した。キャップを開けたかと思うと、側溝に転がる雑巾を拾い、濡らして絞る。それから慣れた手つきで縁を拭いて、再び雑巾を無雑作に側溝へと放った。埃がなくなったのを確認した日村さんは、逆のポケットからポケットティッシュとビニール袋を取りだした。ティッシュを数枚引き抜くと縁の水気を拭き取り、満足気によしと呟く。濡れたティシュを袋に入れてポケットにしまい、残った水で手を洗う。その姿は想像していたよりずっと常識的に見えて、それなのに当たり前みたいに規則を破るギャップがなんだかおかしかった。
綺麗になった緑の、金網の手前に並んで腰を下ろす。給水タンクの足下のほうが死角になるんじゃないか。そんな疑問を口にすると、人が多いうちは梯子を上るのは目立つから気をつけろよ、と忠告してくれた。鍵持ってないけどね、なんて野暮を口にしない私は冷静だった。
柔い風に頰を撫でられる。心地良い。喧騒が遠く、落ち着く。けど、これからの内容を想像して、緊張感もしっかり持てているのだから、思考のコンディションは良い。
オーケーオーケー。場外の情報戦といこうじゃないか。
「……どうして鍵持ってるの」
意気込んだものの、日和る私。緊張感が表情にも出ていたらしい。一度は真面目な表情になった日村さんも、質問を聞いた瞬間ずっこけそうになっていた。
「……いや、うん、お前がゆるいのを忘れてたあたしが悪かったよ」
「や、気になることから訊いていこうと思って……」
まずは簡単な質問から。雑誌の恋愛テクニックコーナーに、タイプを聞きだすときは段階を踏むと効果的とあった。要は駆け引きのテクニックなのだし、たぶん使えるだろう。と、誰にも聞こえない言い訳を口の中に転がした。
そんな無様な私を目の当たりにして、日村さんは大仰なため息をついていた。どうやら真面目な空気を作るのは諦めたご様子。出鼻を挫いたという意味では、駆け引きに勝ったのかもしれない。嬉しくはないけど。
「映研の伝統らしい。前の代表が卒業するとき押しつけられたんだよ」
「映画研究会? ちょっと意外かも」
「まあ、柄じゃあないだろうよ。でも、暇つぶしには便利なんだわ。なにせあたししかいないからな、なにしてても文句を言われない。それに、部員いないのに部室がある研究会なんて他にないしな」
「へぇ、めずらしいね。そういう研究会ってすぐ廃部になると思ってた」
「教頭がOBらしい。人数揃わないから昇格はしないけど、実質部扱いされてるんだわ。その代わり文化祭で部誌配布しないといけないけどな」
「形だけ作ればいいんだね」
そ、気楽だろ。日村さんはからっと笑う。
そうかな。帰宅部な私は首を傾げた。部誌を作る手間と部室を天秤に掛けても、残念ながら部室には傾かない。部室といっても、学校なのだ。できることはそれほど多くないし、ひとりで残ってもそれこそ退屈なだけに思う。自室こそパラダイスであり、ユートピアである。
とは、私の意見だが、実際特に活動があるわけでもなさそうだし、なにをしているのだろう。あれか、喫煙所代わりとか? 煙草と日村さん、正直とても似合う。それならわからないでもない。
紫煙を燻らせている姿を想像していると、視界の隅で拳がチラついた。悪辣な笑顔で拳を掲げる日村さんも、やっぱり似合っていた。なぜバレたし。
「お前はアレだ、頭がアレだ」
「言いがかりだよ。映画を観て部誌作りに勤しむ日村さんを想像してたんだよ」
棒読みだった。三白眼にじとっと睨まれたが、下手くそな口笛でやり過ごす。やり過ごせたかはわからないけれど、気にしては負けだ。この話題を掘り下げると負けそうだから、それでと本題へ。
「話ってなにかな?」
「露骨に話題変えたな……いや、いいけど」
「無駄話は嫌いじゃなかったっけ」
「無駄はねぇよ。魔法戦は舌戦でもある、ってのがあたしの認識だ。前哨戦なんだよ、いまこの場でのやりとりはさ」
「前哨戦ね、だとしたら私が優勢な気がするけど」
戯ける。てっきり、売り言葉に買い言葉になると予想したが、日村さんは真面目な表情を崩さなかった。どうやら、私の認識とは違うらしい。
「どうだろうな、こればっかりは始まってみないとわからない。ただ、分が悪いとも思ってないぞ。星野、あたしの印象良くなってるだろ?」
「ん? そりゃあ、まあ、スタートがマイナスだったし」
プラスがマイナスかの変化で答えるなら、間違いなくプラスだ。今朝助けてもらったこともその一因。気兼ねのない冗談が通じるのもいい。
他に理由を考えるなら、他人から知人に変化した、が正直なところかもしれない。ピントが合ったと言ってもいい。いままで遠くにあった存在が、途端に身近になった。身近になれば親近感も湧くし、良い面も見えてくるものだ。同時に、それは私の心の働きによるものも大きく、善人であって欲しいという願望がどこかに隠れているのだろう。
日村さんは言外に、そういう気持ちが影響を与えると言うのだ。攻撃しにくくなるだろうと。ないとは言わない。やっぱり顔が見えるのはやりにくさがある。でも、じゃあ無抵抗にやられるのかと問われれば否だ。
「良くなってるよ、いまはね。でも、戦いとはべつ。そうでしょ?」
日村さんは不敵な笑みを浮かべた。
「あたしもそう思ってた。相手が誰だろうと敵は倒すってな。だけど、道徳とか倫理ってのは無意識に刷り込まれてるんだよ。昨日、お前の攻撃が当たらなかった理由、考えてみたか?」
「……それはまだ、私が慣れてないから」
「そう、他人を傷つけることに慣れてねぇんだよ。あたしたちはそういう社会で育てられてきた。いざナイフを持って振り回すことはできても、人を刺すとなれば躊躇が生まれるようにな。意識的にも、無意識的にもだ」
納得できる話だ。昨日はいっぱいいっぱいで、それこそ考える余裕なんてなかった。
スターライトを振り回し、どうにか風の魔法少女と日村さんにやられないように立ち回るのが精一杯だった。だけど、だ。もし、無意識に攻撃を躊躇していたのだとしたら。
技術的な問題をクリアしたとしても、倒せない可能性がでてくる。
私が思考に耽りかけると、日村さんは気づいたか? とこちらを見据えてくる。これが狙いだったのだろう。思考に浮かんだ、可能性。攻撃が効かないイメージは、インクが染みていくようにじわじわ広がっていく。
日村さんは追撃を緩めない。その毒を滴らせ続けてくる。
「魔法は想像を現実にする能力だ。だが、この想像を現実にまで引き上げるのは容易じゃあない。想像しやすいものに置き換えて、どうにか発現しているのが実際のところだ。あたしが火を振りまくように、あいつが風で刻むように、お前がちんちくりんなコスチュームを纏うように。
重要なのは、それだけ想像力を自由に働かせるのは難しいってことだ。物理とか化学の知識が空想に水を差すんだろう。わかりやすい例を挙げるなら、あの結界だ。少なくとも、あたしには作れない。たぶん、本来はできてもおかしくないはずなのに。
無意識の影響を受けてるわけだ、あたしたちの魔法は。さっきも言ったとおり、他人を傷つけることもそう。覚悟を決めて攻撃したつもりでも、無意識のうちに威力を抑えてるんだよ」
当たっても、ダメージにならない。それは致命的な問題で、勝ち目がないと指摘されるようなものだった。
たしかに、これは舌戦だ。相手の想像にマイナスな情報を加えて、魔法に悪影響を与える。言葉を交わさなくとも、想像が過ったり、精神的な揺さぶりによって、なにかしらの影響がでてもおかしくない。
これが熟練の使い手なら、影響を最小限に抑えることもできるだろう。だけど、私たちはまだまだ初心者の域をでない、言うなれば魔法少女見習いだ。安定性に欠け、常識的な価値観に囚われている。
なるほど。だから、黒幕は結界と認識阻害のローブを用意したのか。クロに見つからないため、昼間に争わせないためと説明されたが、攻撃させやすくし、慣れさせてタガを外させることに重点が置かれている気がする。
復元能力で怪我しませんよ。相手は黒いよくわからない奴ですよ。これは訓練ですよ。だから、気にせず全力でやりましょう。そう謳われれば、精神的な負担は激減するだろう。初めこそ恐怖と無意識の抑制もあるだろうけど、次第に麻痺してくるはず。なにせ魔法だ。その昂揚感は麻薬に近い。
自信があるのだろう。慣れた自信。倫理観や道徳から逸脱した自信。お前の攻撃は効かない。自分は容赦なく攻撃できる、と。
そうして、私の心を折ろうとした。
「なるほどね、だとしたらやりすぎもないわけだ」
でもね、それは裏目だよ。私は心のうちで呟く。たしかに効かないかもしれない。無意識に抑制して、ダメージにならないかもしれない。
ただ同時に、傷つける心配がなくなったことにもなる。当てても大したダメージにならない。だったら、全力で攻撃したっていい。そう免罪符もらったようなものだ。
倒す認識を変える。峰打ちで気絶させる、ゴム弾で気絶させる。そんな感覚で魔法を使おう。怪我をさせる心配がないのなら、ダメージそのものを無効化するような抑制は起きないはず。もちろん、簡単には倒れてくれないだろうけど、そこは倒れるまで撃ち続ければいいのだ。相手が真剣、実弾を使うのだから遠慮はしてやる必要はない、そう思う私は性格が悪い。
思考が矛盾している気もする。それなのに晴れやかな気持ちになった私がいた。悪巧みを考えるときは楽しい。自分の口許が緩むのがわかる。
私の表情はたぶん、日村さんの予想していたものではないのだろう。引いているような、困惑しているような、複雑な表情を浮かべていた。
「そう解釈するのかよ。星野、お前さてはバカだな? じゃなかったらちょっと頭おかしいだろ……」
これも舌戦か、と思ったけど、日村さんに冗談や悪口を言った雰囲気はない。むしろ裏も表もない、ただ事実を口にしただけといった様子。
自覚はしてる。してるけど、本心から馬鹿と言われて凹まない人はいないと思う。悪意のない分、切れ味抜群だった。折角優位に立てたはずなのに、動揺を隠せない。
「な、なにを言うのでありますか」
「おい、口調バグってるぞ。あっいや、バグってるのは頭か……」
「真顔! 真顔はやめて!」
「改めて考えると、あの魔法少女然とした格好もやばいな……、そうかこいつ……」
「あーあー、ほら、脱線したままだよ? 本題、本題にいこ?」
なにが悲しくて、わざわざ黒歴史を掘り下げられないといけないのか。私だって好きであの格好をしているわけではない。ないったらない。
身体を乗り出して話題転換にかかる私に、日村さんは若干引き気味にしていたけど、異論はないらしかった。大仰なため息をついて、そうだなと頷く姿はやけに疲れて見える。まるで私が原因と言わんばかりだ。
抗議したいところだったけど、時間は有限。ここはぐっと我慢して、続きを促す私は大人である。
「なんだその腹立つドヤ顔……まっ、大した話じゃねえよ」
わざとらしいぐらい軽い調子になった日村さんは、それからやっぱりなんでもない風に言う。
その言葉はある意味では予想外だったけど、予想どおりでもあった。
「放課後、あたしとお前が戦うことになった。タイマンだ。いいだろ?」
だから、私は驚かない。黙って首を振る。
悪辣な笑みを浮かべる日村さんは、心の底から楽しんでいるように見えた。
学園魔法少女大戦 白井玄 @siraigen
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