2-03

 黄色の混じった街路樹の葉が揺れている。


 改札を抜けるとそこは、鮮やかに輝いていた。あちらこちらのビルが薄雲に透かされた陽光を、きらきら反射しているからだろうか。とにかく、眩しくて、私は俯き加減に足を進める。


 高校最寄りの駅前は、通勤通学の雑踏と車で溢れていた。アスファルトを打つ靴音が耳に届く。車のエンジン音がいくつも通り過ぎていく。排ガスが流れていき、後を追うようにフローラルな香水。誰かが笑うと、どこかでため息が聞こえた。


 見慣れた光景から、必要以上に情報を掬ってしまうのが煩わしい。気を紛らわそうと見上げれば、青空がいつもより青く見える。太陽を透かす薄雲は、レースのカーテンみたいだ。なんて、余計な思考が巡る。こんなこと、いままで考えたこともないのに。


 ため息がもれた。疲れる。


 結界内はなにもかもが不足していた。音がない。匂いがない。風もなければ、暑さも寒さもなかった。無菌室だってもう少し、五感に訴えかけてくるはずだ。結界内の変化は魔法少女によるもので、破壊行為の付随物でしかない。


 だけど、悪い空間でもないのかもしれない。たしかに、初めこそ違和感はあった。ただ、集中するにはいい空間らしい。思っていたより濃密な時間を過ごしたせいか、どうにも昨日から感覚がおかしかった。匂いや音に過敏になっているせいで、精神的な酔いが抜けない。


 結界に初めて入ったときとは真逆の感覚だ。急な変化の連続に身体がついていけてないのだろう。結界の外は情報過多だ。そう思う私は、見事に魔法の虜だった。


 正直、攻撃魔法よりも補助魔法が魅力的だ。一度使ってしまえば、ないことが不便と思えてしまうほどに。この感覚過敏も、魔法があれば抑えられるのだ。移動だって、こんなにのろのろ動かなくたっていい。


 結界内に戻りたい。あちらはなんでもありだ。できないことなんてない、なんて錯覚だけど。でも、妄想を現実にできる。絵本のような空間。この感覚は、初めてゲームをしたときに似ている。高揚と快楽。万能感に酩酊感。自分が特別になれたような感覚が脳裏にこびりついていた。


 どこまでも常識的な延長にある現実は退屈だ。その感覚は誤っていると言われても、こればかりは私の感覚なのだから仕方がない。

 結界から出ると魔力を回収されるのは、悪用されないためにだろう。うん、我慢できそうにないもんね。そりゃ、取り上げるよ。


 そうは言っても、しんどい。身体が重い。肉体強化したい。


 クロに相談してみようか。ただ、昨夜から見てないんだよなぁ。用があるらしいし、クロはクロで忙しいみたいだった。残念ながら、いい返事はもらえなさそうだ。


 ため息がもれた。歩く。いつもどおりの通学路が、いつもより遠く感じた。



 だらだら歩いて正門が見えてきた頃、学生じゃない姿がいくつかちらちらと視界に入る。パッと目に入るだけで十人前後。ラフな格好をしているその大人たちはメモ帳を片手に、通学途中の生徒に声をかけてはあしらわれていた。


 新興宗教の勧誘、とか? いや、さすがに学校前ではないか。ナンパの雰囲気でもない。平日の朝に暇を持て余してる人たちには見えなかった。


 まあいいや。わざわざ面倒なことに関わりたくないし。


 なんて、フラグを立てたのが良くなかった。


「おはよう。先日のビル崩落事件で話を聞きたいんだけど、少しいいかしら」


 友だちに声をかけるように、努めて弾んだ声音。振り向くと、二十代半ばぐらいの女性が笑顔をにこにこ貼り付けていた。学生の流れから離れて立ち止まる。


「ど、どちら様、ですか?」


 肩口で切り揃えられた黒髪。整った顔立ち。丁寧に仕上げられた化粧から滲む品の良さ。顔つきにできる女感がありありと出ていて、それなのにピンクのパーカーとライトブラウンのワイドパンツで合わせた、作り物めいたカジュアルな出で立ちが絶望的に似合っていなかった。


 端的に言って、めちゃくちゃ不審者だった。


「あっ、怪しい者じゃないよ。佐倉佳奈、週刊誌の記者ね。はい名刺」


 矢継ぎ早に答えて差し出してきた名刺には、知らない出版社と、見たことのないゴシップ誌の名前が書いてあった。さすがに無視をする勇気はないので、一応受け取ってブレザーのポケットにしまう。


 内心、返事をしてしまったことに後悔。こういうときは早く立ち去るに限る。


「はぁ、じゃあ登校するんで。失礼します」


「ちょっとちょっと」


 けれど、佐倉さんは焦ったように立ちはだかってくる。心強いなこの人。


「あなたの名前教えてくれない? あと簡単な質問に答えて欲しいんだよね」


「えっと、時間ないんで」


「お願い! ちょっとでいいからさ、崩落に巻き込まれた女子高生がここの生徒って話、聞いたことない?」


「さぁ……」


「クラスに一週間ぐらい休んでる子とか、他のクラスの噂でも聞いたことないかな?」


「いやぁ、ないですね」


「それなら、最近変わったことなかった?」


 と、警戒してしまった。その質問はずるい。いや、この人は知らないのだから悪くない。まさか、私が魔法少女になったなんて、思いもしないだろう。


 佐倉さんの眼が鈍く光る。獲物を見つけた眼だった。


 どうしよう、絶対勘違いしてるよ。


「なにか心当たりがあるって顔だね。時間もないだろうから簡単に、なんでもいいから教えてくれないかな」


 ずずいと距離を詰めてくる佐倉さん。このままじゃ放課後も待ち伏せされかねない。適当な嘘でも言っておくか。


 そう思ったとき、


「なにやってんだよ。遅れるぞ」


 日村さんに肩を叩かれた。わざとらしく大きな欠伸を交えて、ほらと促してくる。助け船を出してくれたらしい。


「うん、じゃあそう言うことで」


 ありがたく受け入れて、並んで歩きだす。


「友だちかな? あなたも聞いたことないかな崩落事件の話」


 佐倉さんは諦め悪くついてきて、日村さんにターゲットを変えた。対して、日村さんは興味なさそうに一瞥するに留めた。実際興味はないのだろう。


「もし知ってても答えねぇよ。いい加減目障りだからどっかいけ」


「知らないのね。可愛らしいあなた、もしそれらしい話を聞いたら教えてくれると嬉しいな。連絡先は名刺に書いてあるから。引き留めてごめんね。じゃあ行ってらっしゃい」


 悪態も気に留めていない様子で、佐倉さんは朗らかに手を振り、足早に去っていった。嵐のような人だ。背中を眺めながら思う。


 日村さんは苛立ちを隠さず、しかめっ面で舌打ちをしていた。気持ちはちょっとわかる。とにかく強引で話を聞いてくれない、その態度が妙に演技くさくてむかついた。


 きっと彼女のやり口なのだろう。ちぐはぐな装いも、馴れ馴れしく声をかけてきたのも無視させないため。矢継ぎ早に質問するのは、こちらに考える余裕を与えず、情報を引き出そうとしていたように思う。


 実際、警戒してしまったわけだし。日村さんがこなければ面倒なことになってだはずだ。魔法のことなんて説明できないのだから。


「ありがとう、おかげで追い返せたよ」


「べつにお前を助けたわけじゃあねぇよ。お前が意味深な反応を示すと、またやってくるだろあいつ。鬱陶しい奴にうろちょろされたくないだけだ」


「でも、私は助かったんだよ。感謝してもおかしくはないでしょ」


「だったら謝れ。面倒な奴に目をつけられたことをな」


「えぇ、それは理不尽じゃないかな」


「まあ、余計なことを喋らなかったのは褒めてやるよ」


 にやっと口角を上げる日村さん。


「知らないことなんて答えようがないけどな。実際、あいつのほうが詳しそうだったし」


「巻き込まれたのが女子ってこともいま知ったもんね。被害生徒のこと調べにきたんじゃない?」


「さあどうだろうな、案外犯人の手がかりを調べてるのかも」


「テロ組織が関わってるかも、みたいなあれ? 高校生に話を聞いて意味あるのかな」


 今朝のニュースで爆薬が運び込まれた可能性が指摘されていた。東京爆破テロ未遂、なんてキャッチーなタイトルが踊っていたのを思い出す。なるほど、たしかに週刊誌向けの話題だ。


「売れりゃあいいんだろ。それらしく書いてあれば読者は邪推するし、話題になれば儲けもんてな」


「まあ、そう思うような現場だってニュースで言ってたしね。それに、そんなこともないとは言えない気分だし」


「たしかに」


 乾いた笑い声は重なった。どんなに荒唐無稽で、非現実的な憶測だとしても、いま私たちが置かれている状況よりは現実的だろう。


 昇降口に入ってすぐ、隅に誘導されて立ち止まる。どうやら本題らしい。


「昼休み、屋上の踊り場にこい。話がある」


「いや、それはちょっと」


 魔法なしの肉弾戦で勝てる気がしない。絶対にお断りだ。


 露骨に表情に出たのか、日村さんは呆れたように肩を竦めた。


「あたしをなんだと思ってるんだよ」


「因縁つけて校舎裏で拳にものを言わせる人種」


「おーけー歯を食いしばれ」


「冗談冗談」本気だったけど、握りしめられた拳が怖いので冗談にしておこう。「で、話ってなに?」


「んー、大した話じゃあんだけどな。もちろんこっちで殴り合うつもりはない」


「ふうん、わかったいいよ。訊きたいこともあるしね」


「じゃあ、昼休みに」


 ひらひら手を振って立ち去る日村さん。ほとんど話をしたことはなかったけど、思っていたよりは落ち着いた性格だ。悪評もぶっきらぼうな口調が原因かもしれない。このあたりも昼休みに訊いてみたら面白そうだ。


 上履きに履き替えて、私は人波に流されるように教室へ向かう。廊下と教室が壊れていたらどうしよう、なんて不安な気持ちがあったけれど、穴が空いているわけでも瓦礫が転がっているわけでもなく、廊下と教室は綺麗なままだった。



 昼休みを迎えると、クラスはいつにも増して落ち着きがなくなった。


 どうやら今朝の記者が話題の中心らしい。被害生徒がうちの高校だと噂になってはいたが、みんなどこか半信半疑だった。しかし記者が現れたことで真実味を帯び、忍び寄る破滅の足音が聴こえてしまったのだろう。仄暗い淀んだ雰囲気が教室に漂っていた。


 恐怖と焦燥。画面の向こう側で起こる悲劇が、身近に迫る恐ろしさ。平穏な日常が侵食されていく焦り。


 無関係だって言えれば、それで済む話。でも、本当に無関係だと思えるかはべつの話だ。悲劇は多かれ少なかれ無意識に陰を落とす。心に気持ちに価値観に。みんな気づいているのだ。素知らぬ顔ができないことに。


 だから怖いし焦る。自己中心的なのかもしれない。でも、そんなものだろう。被害生徒と友人だったとか、友人が被害生徒と友人で落ち込んでいるとか、ある程度関係性がなければ、やっぱり関係があるとは言えない。同じ高校の生徒というだけで泣ける人は、よほどの善人か偽善者かのどちらかだ。


 そして大半は善人ではなく、また偽善者でもない。私たちの正体は、我が身可愛さで怯える小市民。


 だから、気持ちはわかる。非日常に関わりたくない、そう悩んだ私と同じだから。


 中途半端なのだ。関係はない、ただ無関係とも思えない。矛盾した気持ちがわだかまり続ける。


 でも小市民はいつだっていっぱいいっぱいで、目の前のことを考えるのに精一杯なのだ。だから、そのうち落ち着くだろう。テストが迫っている。終わればまた授業が始まる。そうやって日常に戻っていくように思う。


 人は目の前の出来事を過大評価する生き物だと、SF小説で読んだことがある。たしかに、ビル崩落のニュースはセンセーショナルでショッキングな事件だ。ただ大半の生徒にとって、直接的な関わりがあるものでもない。いまは恐怖して焦燥感に駆られているけれど、当人にとって重要な出来事が積み重なっていけば、相対的に価値が小さくなっていくはずだ。


 私がいま、魔法と日村さんのことを考えているように。


 浮つくクラスメイトを眺めながら考える。温度差半端ない。あまり落ち着いているのも目立ちそうだから、気をつけないと。


 さて、どうやって杏ちゃんの誘いを断るか。私にとってビル崩落事件より、こっちのほうが問題だ。まさか日村さんに会いにいくとも言えないし疑われるよなぁ。


 関わりがない人種と、その人種に突如会いに行く私。さすがに不自然すぎる。それも理由を説明できない。真偽は別として、日村さんは評判が悪い。杏ちゃんのなかで導かれる結論は、脅されてるとかカツアゲとか、とにかくネガティブなワードが並んでもおかしくない。


 一応今朝に助けられた身だ、悪評を立てたくない。ついでに私自身も悪目立ちは避けたいところ。


 言い訳を考えても、うまく纏まらなかった。そうこうしているうちに、杏ちゃんがやってくる。何故か、ばつが悪そうな表情を浮かべていた。


「ごめん、急なミーティングで呼び出しかかっちゃった」


 よくわからないけど、渡りに船だ。顔に出さないように努めて、気にしてないと胸の前で手を振る。


「ううん、大丈夫。いってらっしゃい」


「ありがと。ごめんね」


 杏ちゃんが教室を出ていくのを見送って、立ち上がる。これで日村さんに会う障害はなくなった。


「バスケ部員が被害者って本当だったんだ……」


「佐々木たちあれから休んでるらしいぜ」


「あいつらあの辺で遊んでたしなぁ」


 いざ教室を出ようとしたとき、ドア付近でそんな会話が聞こえた。


 ちょっと待って。引き返す。


「ごめん、それほんと?」


 会話に割り込む形になったけど、それどころじゃない。会話の主である檜山くんと国広くんは、私の顔を見て驚いた様子だった。


「安藤から聞いてないの?」と檜山くん。


「聞いてない……」


 ばつが悪そうだったのは、訊かれたくなかったのもあるのだろう。正直、考え至らなかったけれど。


「バカ、星野に心配かけたくなかったんだろ」諌める国広くん。整った容姿だけでなく、きっとこういう気遣いがモテる一因だ。


「あぁごめん。いや、噂といえば噂なんだけど……。佐々木って知ってる? 二組のギャルっぽい感じの」


 いまいち名前と顔が一致しない。私の表情から察したらしい、檜山くんは説明を足してくれた。


「あんまり真面目じゃない奴だ。その佐々木が中心のグループがあって、部活サボってよくゲーセンとかカラオケで遊んでたらしい」


「当日も遊びに出てて、それ以来休んでるってこと?」


「そう言うこと。捜索願いもでてるって話だ。まあ、実際に遺体も見つかってないし、実際はどうかわからないけどな」


「俺たちも昨日部活の先輩に聞いたんだよ。だから、確認したわけじゃないんだ。ただ安藤が呼び出されたのを見るとな」


 無関係とも思えない。大丈夫だろうか。言いかたは悪いけど、正直、顔も思い出せない佐々木さんたちより、そのことで悩む杏ちゃんのほうが心配だ。


 きっと表情に出たのだろう。国広くんは私の気持ちを察して、バスケ部内の事情を説明してくれた。


 曰く、佐々木さんたちと杏ちゃんは、特別仲が良かったわけではないらしい。むしろ佐々木さんたちはサボっているのもあって、バスケ部のなかで浮いていたのだとか。


 あくまで憶測だけど。そう前置きした国広くんは微笑んでくれた。爽やかな、優しい笑顔だった。


「星野が心配するほどは、安藤も落ち込まないと思う。星野もあまり心配しないほうがいいよ。気を遣われるのも疲れるだろ?」


「ありがとう。うん、なるべくいつもどおり接するよ」


 そう言って方針を固めた。解決したわけではない。でもいまできることはないし、そもそも私には傍にいるぐらいしかできないだろう。助けを求めてくれるなら応える。それまでは自分の問題に向き合おう。


 ふたりにお礼を告げて、教室をあとにした。思ったより話し込んでしまい、時間がない。しかしあまり目立つと密会の意味がないので、廊下の隅を早歩き。階段を一段飛ばしで上っていく。


 屋上へと続く踊り場は薄暗かった。仏頂面で仁王立ちしている日村さんに迎えられた。三白眼が鋭くなる。人を殺したと言われても疑えない圧だった。


「遅い」


「ごめん、ちょっと今朝のことで色々あって」


「んなの無視しろよ。どうしようもないんだから」


 日村さんは背中を向けた。屋上の扉に向いて、なにか手元を動かしている様子。そして、金属の軽い音が響き、日村さんは慣れたように屋上へ続く扉を開けた。


「は?」


 間抜けな声が漏れる。髪がなびく。射し込む陽光が眩しい。逆光になってよく見えなかったけれど、日村さんは口角を上げた気がした。


「さあ、愉しい話に花でも咲かせようぜ」

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