2-02

 冷たく鋭い、紛れもない殺気だった。


 背筋が震えた。十七年の人生で、初めて感じる死の恐怖。悪意を超越する、明確な殺意。頰を一筋の汗が伝う。


 楽観視なんてしていないつもりだった。それでも目の当たりにすると、私はどこか甘く考えていたのだと実感する。降参してくれるのではないかとか、戦いが終われば手を取り合えるのではとか。だけど、違う。これはそんな域にない。殺し合いだ。そう思い至って、足が竦んだ。


 不意打ちがないのは幸いだった。黒衣の魔法少女は動かない。その佇まいは武人然としていて、素人目に見ても隙がない。


 フードを深々被っているから、顔が判別できない。ただ、ねっとりした視線を感じる。こちらを観察しているらしい。


 半壊した教室と絵に描いたような魔法少女。困惑しているのかもしれない。あるいは、見定めているのかも。


「あ、あの、どちら様ですか?」


 震えないよう努めて、届かせるために声を張る。黒衣の魔法少女は反応しない。息を呑む。感覚強化の向きを相手に集中させる。


「フウジン」


 黒衣の魔法少女が呟いたのを、強化された聴覚フィルターが拾った。魔法少女は右手をなにか握るように丸めた。いや、視えないけれどなにかを握っている。そこの空気が揺れている。魔法だ、右手になにかある。


 フウジンと聴こえた。風神? 違うな、空気の揺れ具合からして風刃の可能性が高い。ムーンライトに似た、剣型の攻撃魔法かもしれない。


 どうする。スターライトを握る力が強くなる。そうだ、向かってくるなら迎撃しなくちゃいけない。


 躊躇うな。迷うな。あれは敵だ。


「シューティングスター」


 なるべく響かないように口にする。


 黒衣の魔法少女は、一歩踏み出した。来る!


「カマイタチ」


 そうして、振り下ろされる右手。迅となにかが向かってくる!


「うわっ」


 しゃがんで避ける、頭上を過ぎていく見えない攻撃。その隙を相手は見逃してくれない。


「突風」


 見れば相手はローブをはためかせ、すごい速度で突っ込んでくる。


 しゃがんだままで全力で後ろに跳ぶ。


「カマイタチ」


 迫る追撃。瞬間、飛行機能で天井へ身体の軌道を変えて回避。急速に浮き上がる。


 どうにか体勢を整えて、背中を打ち付けないよう左手で天井を押して後方に急降下。スターライトを構えるけど相手は落下地点に向けて加速。


 ダメだ、狙いをつけられない。


「ムーンライト!」


 着地とともに踏ん張って、振り下ろされる見えない刃と斬り結ぶ。轟と弾ける魔力。力一杯振り抜いたからか、相手が一瞬よろめいた。だけどそのまま身体を捻った勢いで二の太刀がやってくる。


 唸る風の刃。踏み込んで、ムーンライトを軌道に合わせて斬りつける。


 弾ける。黒衣の魔法少女は流れるように体勢を戻して、洗練された最小の動作で刃を振るってくる。一撃、二撃、三撃、力任せに太刀筋を合わせるけれど、私はやや遅れ気味でついていくのがやっとだった。


 強い! 心のうちで叫ぶ。


 動き自体はそれほど速くない。視える。ついていけている。でも、力任せに合わせているだけ。このままじゃまずい。


「このっ!」


 刃が交わる瞬間に、力を込めて押し込む。


 相手からくぐもった声が漏れた。力はこちらの方が強い。一息に風の刃に向けてスターライトを振り上げ、開いた胴に力一杯ヤクザキック。


「突風」


 蹴りの衝撃が伝わる直前、黒衣の魔法少女は突き飛ばされたみたいに急速後退。風の加速だ、移動系の魔法か!


 そう思い込んだとき、「突風」その魔法によって私の身体も突き飛ばされる。


 常時展開シールドが衝撃を消す。しかし、普段は膜のように包んでいるこのシールドは、プリティコメットに付随している。私に届く衝撃は消せても、シールドごと衝撃を加えられると慣性は消せないらしい。


 踏ん張って勢いを殺し、視線を戻す。距離は最初と同じ。相手も体勢を整え終えたようだ。


「シューティングスター」


 黒衣の魔法少女に向けて構える。頭のなかが冷えていく。やらなきゃやられる。


「カマイタチ三連」


 相手は素早く左右の袈裟斬りに真っ直ぐ振り下ろした。バツ字の中心に一本加えた不可視の斬撃が迫り来る。


「ショット、ショットショットショット。ムーンライト」


 四発の光弾を黒衣の魔法少女に向けて連射。すぐさまムーンライトを展開、両手でスターライトを握り、斬撃に向けて振り下ろす。


 轟と交わり、そしてほつれるように風が吹き荒れた。


 駆ける。シューティングスターを避けて、構えが解けた黒衣の魔法少女へと瞬時に詰める。間に合う、そう思った瞬間。


「爆殺!!」


 私と黒衣の魔法少女の僅かな距離に、轟音とともに爆炎が広がる。


 とまれないと判断して上に跳ぶ。そして飛行機能で全力で後方に、熱波から逃れるため身体を投げるように後退。急激な速度の変化がきつい。集中力が途切れたせいで、後退するまま廊下に墜落し転がった。


 怪我はない。起き上がる。熱と焦げ臭さが廊下に残っていた。それもすぐに割れた窓から抜けていく。


 なにが起こった? 飛散した瓦礫がぱちぱち燃えている。視線をやると、私の訓練していた教室の壁が半分以上吹き飛んでいた。


 増援!? 最悪の展開じゃないかこれ!!


「ちっ、どっちも死んでねぇのかよ」


 崩れた壁を踏みつけ、新たな魔法少女が私と風の魔法少女の間に現れた。黒衣を纏っているけど、フードは被っていない。髪型とも言えない散切りを揺らした彼女は、三白眼をこちらに向けていた。


「日村明里、さん……?」


 素行不良の代名詞とも言える日村さんが魔法少女? いや、それより。昨日の戦闘はおそらくこのふたりのものだ。最悪の展開は免れたのかもしれない。


「おいおい、なんだよそのふざけた格好は。いい歳して恥ずかしくねぇの?」


 呆れた様子の日村さん。ハスキーボイスで改めて指摘されると、羞恥心が込み上げてくる。考えないようにしてたのに!


「い、いいじゃん! 戦闘服なんだよ!」


「まさか星野唯に妄想癖があったとは知らなかったね。頭お花畑とは思ってだけど、ここまでくると引くわ」


 日村さんはケラケラと気怠げに笑う。ちょっと待って、戦ってたときよりダメージ大きいんだけど。


「いい歳して反抗期拗らせてる日村さんに言われたくないよ」


「……助けてやったのに、言うじゃねえか」


「どういう意味」


 風の魔法少女に視線を向ける。あちらもうまく回避したようで、距離をとって警戒している様子だった。


「説明してやる義理はねぇな。それより」


 日村さんは私に背を向けた。状況が飲み込めず困惑する。でも、剣呑な空気が漂っていて、とても質問できる雰囲気じゃなかった。


「どういうつもりだよ、散々逃げ回ってたくせに。このお花畑がそんなに怖いのか?」


 日村さんは両の掌を開き、構えこそしないものの、いまにも魔法を発動しそうな勢いで凄む。


「……指示だ」


 凛とした声音には抑揚がなかった。声を抑えていることからも、風の魔法少女は素性を隠したいらしい。逆に、日村さんはどうして素顔を晒しているんだろうか。


 ついていけない、けど、クロの予想どおり私の存在は筒抜けになってるらしいことがわかった。そして、私を倒すように指示がでてることも。ついでに日村さんは従う気がないことも。


 ああ、情報が多い。私の目的を考えれば、正直状況は変わらない。全員を倒すしかないのだから。


 問題は徒党を組まれること。七人が四人になったとは言え、風の魔法少女ひとりに苦戦しているのだ。こんなのを四人も同時に相手をできる気がしない。


 不意打ち、いくか? いまなら日村さんを確実に仕留められる。そう思ったけど、無防備に背中を見せるわけがないと気づく。ここは大人しく情報収集に努めたほうが良さそうだ。


 風の魔法少女は平然と応えたが、日村さんは納得していないようだった。


「お前はそれを無視してきたんだろうがよ、いままでな。第一、指示に従うならまずそのフードを外せ」


「……まずい状況になった。このままでは勝てない」


「はぁ? なに言ってるんだよお前」


「星野唯はイレギュラー。おそらく、あれにとっても」


「知るかよ、ならあたしが試してやる。次はお前だ。いい加減決着をつけるぞ」


「わかった。無理はしなくていい。私は伝えに行く」


 微妙に噛み合わない会話だが、話はまとまったらしい。日村さんはあからさまな舌打ちをするも、剣呑な雰囲気はなくなっていた。


 あれ、おかしいぞ。いつの間にか私を倒す算段になってる……。ふたりが戦うんじゃないの。


「あのさ、あれって、なに?」


 時間稼ぎを兼ねた質問だった。瞬間、風の魔法少女の圧が跳ね上がり、さぁっと魔力の風が吹き抜ける。地雷を踏み抜いたらしい。


「……そうか。これが目的か」


 しかし、風の魔法少女が襲ってくることはなかった。静かに階段に向けて歩きだし、すぐに姿が見えなくなった。


 そして取り残される私と日村さん。ゆっくり振り返った日村さんは、口許に笑みを浮かべていた。身震いするほど、悪意的な笑みだった。


「さあ、第二ラウンドといこうぜ。生憎、あたしはあいつほど優しくないんでね。手加減なんて期待すんなよ」


 途端に日村さんの姿が揺らめく。熱を纏っているのだろう。戦闘態勢だ。


「待って待って、話せばわかると言うか」


 言いながら、教室を一瞥し、自分の位置を把握する。私の後方は行き止まり。そこは昨日ふたりの戦闘を覗き見した窓がある。


「あたしはさ、無駄話が嫌いなんだよ。 炎渦!!」


 言い切られる前に、全力で後方に避け跳ぶ。爆発攻撃を使う相手に、こんな狭いところで戦うのは御免だ。


「シューティングスター」


 二度跳ねて行き止まりに。橙の炎が渦巻き熱波を撒き散らしながら廊下に広がっていく。リノリウムが溶けているらしい。異臭が漂いだしていた。


「逃がすか! 炎撃」


「ショット、ショット、ショット、ショット」


 炎の塊が放たれると同時に、私も撃ち込む。狙いが甘かったらしい、当たらない。ただ、防御に回ってくれた隙を見逃さない。炎の塊が届く前に、勢いをつけて窓を突き破り脱出。日村さんがなにか喚いていたけど、さすがに聴き取れなかった。


 飛行機能で落下速度を和らげて距離を稼ぎ、体育館のアーチ状の屋根に着地する。転ばないように気をつけながら振り向いて、いま突き破った窓の下、壁面に向けて射撃。さらに日村さんがいたあたりまで、スターライトをずらしながら二十発を撃ち込む。


 校舎は穴だらけ。警戒してすぐに追いかけてはこないだろう。


 思いっきりジャンプすると、十メートルほどの高さまであっという間に到達する。そこから飛行機能を用いてさらに高度を上げていく。外に出て見上げなければ視認できない高さを維持しながら、さっきまで戦っていた校舎の真上へと移動、集中してゆっくり降下。コンクリートと緑のフェンスしかない、殺風景な屋上へ降り立った。


 出入り口横にある鉄の梯子を登り、踊り場に設置かれた給水タンクの架台の陰に身を屈めて隠れる。顔を半分出して、向かいの校舎を覗く。死角になっていることを確認してから、架台に寄りかかる。


 安堵のため息が漏れたのと、下の階で爆発が起こったのはほぼ同時だった。轟音と共に校舎が揺れた。日村さんが動きだしたのだろう。しかし、残念、とっくに私は逃げているのです。


「聞いてるんだろ!! 出てこい変態め!!」


 聞き捨てならない言葉を怒鳴り散らす日村さん。


「痛々しいコスプレして楽しそうだなぁおい!!」


 くそぅ、好き勝手言いやがって。こっちだって好きでやってるんじゃないのに。出て行って殴りつけてやりたい。やりたいけど、大人しく我慢するしかない。


「ちっ、マジで逃げやがったのかよ」


 しばらく様子を見ていたであろう日村さんは、私の反応がないことに落胆と怒気を声音に滲ませた。怒りを発散させるためか壁を殴って破壊したのだろう、瓦礫が落下して鈍い音が響く。やっと諦めたようだ。足音が遠ざかっていった。


 やはり、日村さんも肉体強化の魔法を使えるようだ。まあ、でないと、教室から現れた説明ができないし、当然か。さすがに日村さんでも、魔法なしに壁を登るなんてできないだろう。


 それにしても、落ち込む。風の魔法少女は殺意こそ本物だったけど、途中からは明らかに手を抜いていた。日村さんの言うとおりなにか切り札か、それに準ずる魔法を隠し持っていたと思う。


 日村さんも日村さんで、本気になっていればもっと魔法を連発できたはず。こちらの手を明かすためにわざと隙を作ってる様子だったし。


 なんというか、完敗だった。


 もちろん、私も手の内は隠した。隠す余裕を相手がくれた。屈辱だ。


 能力が劣っているとは思わない。だから、これは経験の差だ。さすがにこの差を埋めるのは簡単でなかったということ。


 どうしたものかなぁ。心のうちで呟く。スターライトの扱いが難しい。特に室内だと、狙いをつける前に距離を詰められるのだから泣きたくなる。


 まだ常識的な感覚が抜けてないのだ。魔法を使う私たちにとって、会話のできる距離は大した障害にならない。跳びだせば十メートルなんて、あっという間に詰められる。かと言って離れれば、魔法を目視してから避けるのだって難しくないし、そもそも素早く動き回る相手に狙いをつけること自体が困難を極める。


 多少の無茶は無茶じゃない。風の魔法少女が体勢を崩されながらも追撃に移ったように、一々確認しながら攻撃をしていたら間に合わない。


 もっと積極的に攻めよう。意識を変える。恐怖に怯めば負ける。飛び込んで、差し違えるぐらいの感覚でいかなくては。


 左手をぐーぱー開いて閉じる。クロの言葉を想起する。使う側が優れていないと使い物にならない。そのとおりだ。抑えつけるのではなく、使い熟す。私に必要なのは、力を振るう勇気なのだ。


 なんて、簡単にできたら苦労はしないけど。


 今回はこのまま身を潜めてやり過ごそう。焦りは禁物だ。


 気になることもある。風の魔法少女の言葉。イレギュラー。目的。まるで私自体は問題ないと言っているようだった。


 だとしたら、イレギュラーはクロの存在。いや、クロの目的か。このままでは勝てない。このままとはどのまま? これが目的。なにが目的? 疑問が疑問を呼ぶ。


 考えても答えはでない。もしかしたら、私が思っている以上に、事態はややこしいのかもしれない。倒して終わり。本当にそうなるのか。


 しばらくうんうん唸っているとチャイムが鳴った。


 終わりの合図だ。


 空から光の粒子が降り注ぎ、見上げればセピア色の結界が色彩を取り戻していくように崩れていく。


 私の身体を纏う衣装からも、光の粒子が溢れ、プリティコメットは女子高生に戻っていった。


「お疲れ。どうだった?」


 目の前の縁にクロが現れる。慣れたのか、それほど驚きはなかった。


「負けたよ、うん、負けた」


「次に勝てばいいよ」


「勝てるかな」


「勝てるさ」


「ありがとう。それより、屋上の鍵、開けてくれない?」


「もちろん。さあ帰ろう」


 クロを肩に乗せて梯子を下りる。


 鍵を開けてもらい、屋上を後にする。扉を閉めるとき、強く風が吹いて、鉄の扉が勢いよく閉まった。重厚な音が踊り場に響いて驚く。


 魔法のフィルターはない。


 私は日常に帰ってきた。

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