1-04

 瞼が重い。


 思考の底に粘度のある情報が絡みつき、うまく動いてくれない。気を抜くと昨日の光景が瞼の裏に蘇り、ぼうっと思考のリソースを持っていかれる気がした。結界、魔法少女、そして魔法。非現実と非常識が綯い交ぜになって、側頭部を殴りかかってくる。


 山内先生の持つチョークがカツっと折れた。ぼんやりしていた視界が澄み、授業中だったと思い出す。力を入れすぎたのだろう、白いチョークは教壇に落ちて軽い音ともに砕けた。示唆的な光景に見えるのは、私の内側にある問題と繋げてしまうから。


 詰まっていない頭を一晩ぶんぶん回して、結局答えは出てこなかった。関わるべきではない、なんて初日に考えたのが馬鹿らしくなる。考えた時点で関わっているのだ。関わらないつもりなら、最初からクロの言葉を真に受けないだろう。


 認めるしかない。私はクロの登場に興奮していた。常識や現実的な判断から拒んでみたものの、その実非日常を望んでいた。もし、昨日の説明がなくて、ゴリ押しされていたら最終的には快諾していたと思う。


 でも、現実的な非現実の問題を知ってしまった。クロは私に責任を負わせるつもりはないと言う。そりゃ責任なんてとれるはすがないのだから、押しつけられても困る。じゃあ無責任になれるかと言えば、それもまた無理な相談だった。


 巻き込まれた人たちを救えなかったとして、キミは良くやったよ、なんて慰められても納得できるはずがない。仕方がないと諦められるはずがない。


 断ったとして、誰かが失敗したときに後悔しないはずがない。


 八方塞がりなのだ。知ってしまった以上、責任を感じずに生きていけるほど、私は強くない。関係ないと切り捨てられるほど合理的でもない。


 そうやって色々考えるあたりは大人になった。それでも魔法への憧れを捨てきれていない私は子供のまま。


 どうする。


 自問をしても、やっぱり答えは返ってこない。


 チャイムが鳴った。立ち止まっていても時間は進む。


 授業が終わり、昼休みが始まるように。


 静寂は喧騒へ。


 授業が終わって昼休みに入ると、堰が切れたようににぎやかになる。そのギャップは、結界から戻ってきた瞬間を思い出す。浮ついているらしい。過敏になり過ぎているのかもしれない。


 自分の椅子を持ってやってきた杏ちゃんと、私の机を挟む。杏ちゃんはコンビニ袋を机に放った。中身はホットドッグとメロンパンだった。羨ましい。私は代わり映えしない弁当を広げた。作ってくれるのは有り難いけど、正直飽きた感は否めない。


 でも、これが日常だ。そう意識することがもう、非日常に片足を突っ込んでいる証拠だった。


「杏ちゃんは、どうしてバスケをしようと思ったの?」


 思わず口にしたけれど、唐突過ぎた。向かいに座る杏ちゃんは、ホットドッグを咥えたままきょとんとしていた。それから二、三度瞬きをして首を傾げられた。


「どしたの急に」


 考えてわからないなら、他人の意見を聞こう。なんて、考えたのはいいけれど、事情を説明できないのが難点だ。


 しどろもどろに言葉を紡ぐ。


「あぁっとね、ほら、バスケって痛そうだし怖そうだし……いや、悪いってわけじゃなくてね。純粋な疑問として、きっかけって言うのかな、バスケをしようと思った理由、教えてほしいなぁって」


 言ってから半分に切られたコロッケを頬張る。考えすぎると食事が止まるので、気をつけなければ。


「やってみたかった、以外の理由ってあんまりない気がするけど」


「うーん、でもスポーツって他にもあるじゃん? どうしてバスケだったのかなって」


「ああ、そういうこと。最初は漫画の影響だったかな。元々運動好きだったのもあるけど。そしたらぐんぐん背伸びてさ、クラブ紹介されて入ったんだよ。そこで才能がある、なんておだてられてね、今日に至るわけ」


「辞めようとは思わなかった?」


「そりゃ思うよ。ていうか、辞めたい。練習しんどいし、時間とられるし、それに……」


「それに?」


「いや、なんでもない。……正直、才能あるって思ってたんだよね。そしたら私より上手い奴なんてそこらにいるんだよ。なんか腹立つじゃん、鼻を明かしてやりたい。それまでは辞めたくない、かな」


 照れているのだろう。杏ちゃんは、ははっと短く笑ってホットドッグをむしゃむしゃ食べ始めた。あっという間に食べ終えて、メロンパンの袋を開けていた。


 しかし、その理由に感心する私がいる。だって自分よりもうまい人がいて、それでも頑張ろうと思えるのはすごいじゃないか。理由を見つけて努力しているのだ、決めるための理由を探す私とは雲泥の差がある。


「突き詰めると、やっぱり才能があるって言われたからかな。それまでは遊び感覚だったけど、そこから真剣になった気がする。やりたいこととできることが合致したんだよ。これって結構ラッキーなことだと思うんだよね。すごい才能はないかもしれないけど、折角だからさ」


 恥ずかしそうにしてたけど、真剣に向き合う杏ちゃんは格好良かった。


 しかし、ラッキー。その言葉に引っかかる。やりたくてもできない、素質がない。そういうことは往々にして起こり得る。クロは私に素質、才能があると言った。できるのなら、やってみても良いんじゃないか。気持ちが傾く。だって、私にはできることが少ないから。


「唯がなにを悩んでるのか知らないし、訊かないけど、やってみてもいいと思うならやってみればいいんじゃないの」


「そうかもしれないんだけど……」


「ふうん。まあ、色々事情はあるんだろうけどさ。やらない理由は簡単に見つかるんだよ。面倒くさいとか無駄だからとか、理由はいくらでもつけられる。デメリットとリスクだってあったりする。でも私が思うに、そうやって悩むのは先延ばしにしたいだけなんだよ。本当に嫌なら悩まずにやらないんじゃないかな。悩むってことは、多分答はもう出てる。それを自分で決めたくないか、決められないから悩むんだと思う。メリットがあるならやるべきだし、じゃなかったらスパッと諦めたほうが自分のためになるよ、きっとね」


 まあ言うは易く行うは難し、だけど。そう締めた杏ちゃん。


 私は、頭の中の靄が晴れた気がした。


「ありがとう」




 昨日と同じ要領で、放課後の教室を訪れた。


 教室の中央に立って、周囲を見渡す。誰もいない。でも、そんなことはないだろう。


「クロ、いるんでしょ」


 どこに声をかけるか迷ったけれど、とりあえず黒板の方に向けて呼びかけてみた。こんな姿を誰かに見られたら赤面ものだ。早く出てきてほしい。けど、予想とは裏腹に、待てど暮らせどクロは出てこなかった。


「えっいないの!?」


「まあ、いるんだけどね」


 すうっと教卓の上に現れるクロ。楽しそうな声音が腹立つ。ほんと性格悪いなこいつ。


 そんな私を無視して、クロは白々しく言った。


「答えは決まったかい?」


 息を深く吸う。うだうだ悩むのはやめた。バカだから、これ以上考えても仕方がない。騙されているならもっと騙されてやろう。


「うん、やるよ。上手くいくかはわからないけど、知らない。他人に任せるのなんて勿体ないもん。私はね、魔法少女になりたかったんだ」


 きっとハッピーエンドにはならない。どちらにしたって。なら、少しでも良くなる可能性を選ぼう。私にできることがあると言うクロの言葉に乗せられて。


「ありがとう。大丈夫、上手くいくよ。ボクたちふたりならね」


「それで、どうするの?」


「結界に侵入して、キミに魔法を発現してもらう。ただ、まだ開始時刻まで少しあるから先に補足するね。


 ゲームは一日二時間行われる。最初の一時間は準備時間、その後戦闘に一時間だ。侵入後、キミにはこの一時間で魔法を習得してもらう。ボクはその間に結界の機能をキミに適用させる。この時点でキミはプレイヤーだ、昨日とは違ってリタイアできなくなるから覚悟してほしい。


 初日だからどうなるかはわからないけど、昨日の様子見で捕捉されてるから、まあ襲ってくるだろう。正直、今日は戦いたくない。覚えたてのキミと、いくらか戦闘を経験している彼女たちとじゃかなり厳しい戦いになるからね」


 昨日の光景を思い出す。黒衣の魔法少女たちは魔法を使いこなしていた。それが七人。


「もし七人全員で襲ってきたら勝ち目ないねこれ……」


「ああ、いや、それはないよ。というか、もう三人敗退してるから敵は四人だ。三人は別の空間で訓練してるのだろうね。使いこなせていないから、今回投入されることはないと思う」


 まるで見てきたかのような言葉に、違和感を覚える。黒幕説、強ち間違いとは言えないんじゃないか。


 警戒感が伝わったらしい、クロはそうかと呟いた。


「説明が足りなかった。このゲームはね、少なくとも今日で十日が経ってるんだ。十日前、ボクは結界に気づいた。そこで悟らせないように侵入、調査をしつつ観察を始めたのサ」


「調査と監察、ね。黒幕の手がかりはあったの?」


「その場で捕捉できてれば苦労はなかったんだけどね。結界ってのは相手に有利に作られてるんだ。姿を隠すぐらいお茶の子さいさい、だよ。もしボクたち向けに作られてたら侵入さえ不可能なぐらいだ。ただそうじゃなかったから結界を解析する必要があったし、対応を考える必要があったから静観するしかなかったのサ」


 そして自分では対処が難しいと考えて、私を頼ったらしい。


「十日前の時点ではまだ、七人は魔法の習得に向けて訓練してたよ。三日が経過して全員が魔法を発現させた。そこからゲームが始まり、二日目、四日目、八日目に脱落者が出た、って感じだ。このあたりの説明は追々するよ」


 クロは教卓を降りてこちらに歩いてきた。そして私の前の机に飛び乗り、背筋を伸ばして座る。


「結界が起動した。心の準備はいいかい?」


 あっという間にその時はやってきた。話を聞いていたからか、そんなに緊張はしていなかった。もしかしたら、説明は意識を逸らす意図があったのかもしれない。


「大丈夫、お願い」


 応えると、クロは尻尾を垂直にピンと伸ばした。


 そして、さあっと色褪せていく。


 セピア色の世界が広がり、音が消えた。


 深呼吸。


「で、魔法ってどうやったら使えるの?」


 兎にも角にも魔法だ。私の好奇心もあるけれど、なにせ時間制限があるうえに、身を守るにも力が必要なのだから急いだほうがいいはず。


 顔のないクロがにやっと笑った気がした。


「ボクの魔力をキミに貸すんだ。それをキミが使って魔法を発現させる。重要なのは想像力だ。現実感のある想像力。存在しないものに実体感を与える想像力。そうして形作り、創造する。


 ただ今回は裏技を使う。本来ならキミ自身が想像して調整していくんだけど、その猶予はない。必要なのは実用性と即戦力になる魔法だ。


 つまり、キミにはマジカル・プリティコメットになってもらう」


 デデン!! と効果音がつきそうなぐらい力強く、そして最悪なことを口にするクロ。いや待てちょっと待て、勘弁してほしい。


「私にも自由に想像させてよ!! だってあの黒歴史を掘り起こすなんて……」


「そんなに簡単なことじゃあないんだよ。昨日長々と説明したのも通過儀礼の意味合いが強いんだ。一度固定観念を崩して、作り直す。たしかに、キミなら一からイメージを固めても時間内に発現できるとは思う。でも、戦うだけの力にはならないだろう。それなら設定が固まっていて、想像も容易いものを利用したほうがキミのためにもなるはずだ」


 理に適う説明だった。中学時代、本気で魔法を使おうと妄想していたのだから。


 でも、それはそれ。嫌なものは嫌だ。と言ってられないのがいまの状況だった。絶対嵌められた。


「うぅ、やりやがったな。なんだよ、格好いい魔法使いたかったのに……」


「プリティコメットになってから使ってくれれば良いよ。さあ時間がない準備に取り掛かろう」


 クロが右肩に飛び乗ってきた。


「いまから魔力を通す。感覚として掴んでほしい」


 そう言うとクロから生ぬるい油みたいな液体が身体に流れてくる感覚があった。これが魔力だろうか。意識を集中させると、血管を通り右腕から右脚に流れ、左脚を巡り左腕へ。そして最後に胸元を抜けて右半身に循環している様子だった。


「どんな感じだい?」


「血液みたい……身体のなかを循環してる」


「よし、魔力の感覚をつかめているよ。そのイメージを憶えてくれ。次にその流れをどこでも良いから一点に集中していくんだ。」


 胸元に集中させるイメージ。循環する魔力が次第に心臓あたりに溜まっていく感覚を覚える。


「できた」


「じゃあその魔力を使って、プリティコメットに必要不可欠なアイテムを創りだす。なにを創るのか、キミの口で説明してくれ」


「万能ステッキ、スターライト。プリティコメットに変身するための杖で、攻撃も防御もできるプリティコメットの要」


「そう、これがないとプリティコメットは始まらない。杖の形、重さ、機能、それらを具体的に思い浮かべてくれ」


 所謂、変身するタイプ魔法少女がもつアイテムで、先端は輪になっており、その中央にクリスマスツリーにつけるような星がひとつ浮いている。柄はピンク色で、輪との付け根に天使の羽を模した飾りが一対あしらわれている。長さは八十センチほどで、私が持つ限り重さはない。魔法を飛ばしたりシールドを展開したり、あるいは魔力を出して剣にもできる。そしてなにより、プリティコメットに変身するために必要不可欠。


 すらすらと黒歴史の設定が出てきて、恥ずかしくなってくる。でも長年妄想してきたからか色形はもちろん、スターライトの手触りまで感覚として掴める。


 魔力をスターライトの形に形成していく。初めは粘土を捏ねるようなイメージを浮かべたけれど、それでは上手くいく気がしなくて、直接目の前に呼び出す、召喚のようなイメージに切り替えた。


 目を閉じて、両手を胸の高さに握るように構える。


 胸元から魔力が抜けていく感覚。


 目を開けると、両手にスターライトが握られていた。


「はは、驚いたな……こんなに早く発現するなんて」


 呆れているのか驚いているのか、クロはよくわからないトーンで言った。


「お、おお!! できたよ! これで変身できるんだね!!」


 スターライトを強く握ってみたり、振ったりする。魔法の杖はたしかにそこにあって、それも私の身体の一部みたいに扱える感覚がある。


 そうなると試してみたいのが変身だ。


「ああ、うん変身しよう。ひとつだけスパイスを加えようか。まあ、どうせだからね、気分を高めよう」


 そしてクロは言う。


「ボクと契約して魔法少女になってくれないかい?」


 私は応える。


「もちろん!」


 眩い光に包まれて、私は魔法少女になった。

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