1-03

 青空は夕暮れへ。


 色が抜けていくように、リノリウムの床、机と椅子、黒板と掲示板、天井や扉、私の手も足も、視界に映る何もかもが褪せていく。


 さぁっと広がる異質な空間。


 肌を刺す剣呑な空気。


 なにより違和感があるのは、耳鳴りがするほど異常な静寂。いや、これはもう無音と言うべきだろう。この教室だけじゃない、外からもあらゆる音が聞こえない。


「なに、これ」


 世界に孤立する錯覚。異常性に圧倒される。心臓が痛いと思うほど、強く鼓動を打っている。息が浅くなるのは恐怖心からだろうか。じんわりと嫌な汗が背中を伝う。首筋に熱がこもる。胃が締めつけられる。身体はアラートを鳴らし続けている。


 それなのに、どこが落ち着いた私がいる。情報過多なのだ、処理しきれない。頭はクリア、混乱し過ぎて一周回っているらしい。


「キミには驚かされてばかりだよ、ここにきて動じないとはさすがに予想外だ。ボクとしてはありがたいけど、少々不安にもなる」


 静寂のなかにあって、クロの透き通る声音に安心感を覚えた。クロに向き直る。


「混乱はしてるよ。フリーズしてるだけ。て言うか、ここはなに?」


「魔法で作られた空間だよ。範囲はこの高校の敷地内。それより外は現実の世界が見えているだけで実在はしていない」


「作られた空間、ね。パラレルワールドに近いってこと?」


「まあ、そう考えてくれても良い。厳密に言うとある時点での情報を基に構築された結界の内側なんだ。この結界内では何をしても現実に影響を与えないし、結界内の情報は更新されない。例えばこの机を破壊しても黒板に落書きしても、翌日にはこの状態に復元される」


「ゲームみたいだね」


「そうだね、言い得て妙だ。むしろゲームそのものと言ってもいい」


「なら、なにをしたらクリアになるの? クロは関わっているの?」


 ゲームと言うなら明確な目的があるはず。クロは言った、悪い魔法使いが現れた、と。その魔法使いの目的はなんだろう。そもそもクロは味方なのかどうかさえ怪しい。もし味方だとして、どうして自分で解決しないのか。


 疑問が疑問を呼ぶ。私にはあまりにも情報が少なかった。


「順番に行こう。魔法の有無、ボクたちの存在、このゲームについて、ボクの目的、最後に質問があれば受け付ける」


 椅子がひとりでに引かれた。何をしたとは、いちいち訊くまい。促されるまま席につく。


 どうぞと促し返すと、尻尾の形が器用に「1」の形になった。クロは続ける。


「見てのとおり、魔法は存在する。とりあえずこれはいいかな」


 渋々、首肯する。さすがにこの空間を目の当たりにして、否定するほどの材料がない。魔法の存在を認めるしかない。


「重畳だよ。魔法はね、本来は誰にでも使える能力なんだ。それでも、キミたちが行使できないのは、忘却し封印されている状態だから。物理的なものではなく、認識を阻害されてるのサ」


 クロが右手を持ち上げると、手の先に野球ボールサイズの光球が現れる。浮遊する光球は光度が抑えられているらしく、直視しても眩しくなかった。


「常識的な価値観とでも言おうか、認識の共有とも言えるかな。キミがボクの存在を妄想と断定したように、超常的な現象はありえない、存在しないと思考する。キミたちはそう社会に育てられているんだ」


 古代ならいざ知らず、ある程度の文明が発展してくると、必要のない力になってくるのだろう。超常の力を悪用されると面倒なことこの上なく、メリットよりもデメリットが目立ってきたのかもしれない。


 誰かがそう思ったからか、実際にそうなったからか、とにかく魔法は忘れられていったらしい。


 そして連綿と続く歴史のなかで、科学が発達し様々な物理法則が発見された。それらは大多数の人々に浸透して常識となり、私たちは魔法を扱えなくなったと。


 だとしたら、クロや魔法使いはどうして魔法を使えるのか。


 私の疑問と連動するように、クロは光球を消して尻尾を「2」の形にした。


「ボクたち所謂魔法使いは、魔法を捨てなかった古代文明の末裔なんだ。魔法を残すべき、と考えた国家があった。しかも統治者は筋金入りの善人で、自分たちは表舞台に立つべきじゃないと考えた。そして、ここよりもっと大規模な結界を作り、引きこもりながら現代まで継承してきたんだ。笑えるだろう、天地創造だよ? いやはや先人の発想力と行動力には驚かされる」


「そんなこともできるの!?」


「できてしまったと言うべきか。けど、そんな簡単な話じゃあないのサ、これが。ここが今回の肝だ。厳密に言えば、作るだけならそれほど難しくないんだよ。難しいけど、作れないことはない。問題は維持にあるんだ」


「維持になにかしらのエネルギーが必要で、枯渇しかけてるとか、そんな感じ?」


「前半は正解。維持に莫大なエネルギーが消費されている。当然、ひとりでは賄いきれない。となれば、みんなで支えるしかないわけだ。そのエネルギーは内側に暮らす人々から徴収される仕組みとなっている。わかりやすく言うなら常に魔力を消費している状態。正直、これは結構しんどい」


「魔力がどういうものかわからないけど、たしかに鬱陶しいかもね」


 私たちでいう税金を、体力で支払うみたいな感じなのかもしれない。慣れてしまいそうなものだけど、疲労感は拭えないか。


「能力の低い者にとっては死活問題サ。魔法を根幹にする社会で生活に回す魔力がなくなるんだから。長年問題にされてきたけど、解決策は見つからず棚上げにされてきた。そこに現れたのが革新派勢力だ。過激勢力と換言してもいい。我々がこの結界に束縛されるのは不平等である、彼らはそう表明して強引に越境した。おかげでボクらの社会は大混乱、まあみんな薄々思っていたんだろうね。ボクたちも一枚岩じゃなかったってことサ」


 その論調は歴史にもよく見る流れだ。理不尽や不平等に立ち向かう、大義を掲げて剣を取る。気持ちはわからないでもない。たしかに理不尽な境遇だろう。でも、攻撃対象は私たちの世界であって、肯定はできない。

 いや、目的次第か。革新勢力と呼ばれるグループの目的はなんだろう。まさか、世界征服なんて言うつもりなのか。


 バカなと思う反面、実行に移さないとは言い切れなかった。なまじ魔法という力がある。気が大きくなっても不思議ではない。もしそうなれば、私たちだって黙っていないはずで、最悪戦争になってもおかしくない。


「いくつかの議論の末、ボクたちは過激勢力を止めることに決めた。余計な争いに巻き込まれたくない、なんて消極的なものではあるけどね。過激勢力の目的は不明だが、いずれにせよ両世界にとっていい結果にならないのは明白だ」


「でも、こちらで魔法の存在が露見すれば、結果は同じことじゃないの」


「うん、だからなるべく穏便にいきたい。それはどうやらあちらも同じようだ。いまはまだ、と注釈が必要だけど。さすがに少数勢力でどうにかできるとは考えていないらしい。機が熟すまでは大人しくして、奇襲でもかけるつもりなのだろうサ。

 ただ、一応説明はしたけど忘れていいよ。これはこちらの事情でしかない。キミに責任を負わせるつもりもないし、あまり考える必要はないよ。あくまでボクなりの誠意の見せ方なんだ」


 忘れろ、だなんて気安く言ってくれるけど、無理に決まっている。ありきたりだけど、もうそういう問題でもない。あったら困る問題だ。


 ただクロの言うとおり、私の双肩に世界の命運がかかってるなんて、ぞっとしない話だし、背負えるはずもない。誠意というなら隠し通して欲しいところだった。知らないほうが良いこともある。


 とはいえ、クロの出自や相手の正体、事態の方向性が気にならないかと言えば嘘になるし、それを見越しての説明なのもわかる。そしてこの背景が判断材料になり得ることも。


 どうにも手の平で転がされている気がする。実際は私が空転っているだけなのかもしれないけれど。


 それに。


 思考が空転を始める寸前に、クロの尻尾が「3」になった。


「余計な情報だったかな? でもさっきの話は本当に聞き流していいんだ。ボクとキミにとって重要なのはここからだから」


「このゲームについて……」


「まず前提として、ボクや過激勢力はなるべくこちらで魔法を行使したくない。目立ちたくないのは当然として、あちらさんはボクたちに見つかりたくないから、ボクたちはこちらの人間に影響を与えたくないから。ボクたちが魔法を行使すると力場が発生するんだ。それを感知することで大まかな居場所を探れるし、伝播する魔力はキミたちを覚醒させる可能性がある。覚醒した人間を把握できれば対処もできるけど、すぐに起こるとも限らないからね。少なくとも直接的な戦闘行為はしたくない」


「クロたちは、ね……だから協力を頼んできたのはわかるけど、それって私がクロたちに比べて大きな魔法を使えないからでしょ? 勝てる気がしないんだけど」


「相手が過激勢力ならね。どうしてこの高校に結界が作られたと思う?」


 どうして。質問に答えるならば必要だったからだろうか。では何故、必要なのか。


 不思議と答えはすぐに出てきた。


「ここの生徒なの?」


「正解。唆されたのか、脅されたのかはわからない。いずれにせよ、生徒七名がこのゲームに参加した。相手は戦力を確保したいのだろう。そのために生徒に声をかけた。影響を抑えるためとボクへの目くらましに結界を張ったと推測できる。強度より復元に力を割いてるあたり、ボクたち魔法使いの影響を抑えるためじゃない。よく考えられてるよ。これじゃあボクは本格的な介入ができないからね」


 きっと勝つだけなら容易いのだろう。でもそれは象が蟻を踏み潰すようなもので、どうしたって足のサイズ分の地面を凹ませてしまう。同じサイズの生き物をぶつけるしか、影響を抑える方法はないということか。


「彼女たちに課されたルールは戦って勝ち残ること。これは実戦経験を積ませるためだね。同時に序列をつけることで部隊として運用する目的も見受けられる。報酬は不明だけど、恐らく待遇か簡単な願いを叶えることかな」


 クロの尻尾が「4」になる。


「そこでキミにはゲームに参加し彼女たちを倒して、勝者を出さないでほしいんだ。相手の思惑を挫きたい。それとキミが戦っている間に、ボクは結界を作り出した魔法使いを探す。見つけて捕まえられれば万々歳、そうじゃなくともこの場から追い出せればこのゲームは終わらせられる」


「もし失敗したら、勝者が出てゲームがクリアされたらどうなるの」


「恐らく、連れ去られるだろうね。もちろん好きにさせるつもりはないが、うまくいくかはわからない」


「私が参加することで逃げられる可能性は?」


「ないと思う。絶対とは言わないけど、良い対戦相手として捉えるんじゃないかな。それに、プライドが高いからね、果たし状でも出せば嬉々として襲ってくるはずだ」


 と、まあ、クロにしてみれば十分実行の価値がある作戦らしい。本当にそんなに上手くいくのか首を傾げたくなるが、そのあたりは文化の違いもあるのかもしれない。騎士の決闘みたいな、特別重要な意味合いを持っているのだとしたらたしかに逃げられることはないだろう。


 クロの言葉を鵜呑みにするならば、だけど。


「ここまではわかったよ。でもわからないことがいくつかあるんだよね。質問してもいいかな」


 クロの尻尾が猫らしい形に戻り、快活に返事をしてくれた。


「もちろん」


「まず、クロが本当のことを言ってる証明はできる? 魔法はある。これは信じられる。私たちがいま使えない理由も。でも、もしクロが過激勢力だとしたら、この結界を作ってるのがクロだとしたら」


 首筋に一筋の汗が流れた。


 もし、嘘をつくなら、目的とか所属する勢力だろう。騙して戦力にしたい、これが考え得る理由。だとして、魔法や結界内の説明に嘘はないはず。特に、戦力を減らすことにならないよう、手を尽くすのは自然な思考だ。


 結界内では情報の更新がされない。ゲームそのもの。復元に力を入れている。クロの言葉を思い出す。


 つまり、私たちはプレイヤーであり、なにかしたらプロテクトされている可能性が高い。結界内では怪我をしたり死ぬことがない、と考えれば戦闘訓練も頷ける。


 リスクのある質問も、結界内なら安全なはず。


 クロは一瞬の沈黙のち、静かに笑った。


「なるほど、ここなら口封じも平気、と。リスクがあることは理解しているんだね。うん、良いね。その甘さが良い」


「……解答は?」


「証明はできない。これは、手段はあるがキミに対して証明できないという意味だ。魔力の波長で見分けがつけられる。残念ながら唯には認知できない。だから嘘だと思ってくれていいよ。ボクは嘘つきなんだ」


 おどけるようなクロに、正直困惑した。私に協力を仰いでるんじゃないのか。


「正直、この依頼はキミにメリットがない。報酬はないし、メンタル的にキツいのは確実だ。その癖失敗すれば罪悪感を抱くだろうし、責任を感じるだろう。だから、無理強いはしない。信じられないなら、断ってもいい。信じられなくても、手伝ってくれると言うならそれでもいい。あくまでボクたちの事情によって迷惑をかけてるんだ、どんな選択でも構わないんだよ」


 どこからか爆発音が響く。その衝撃の大きさは、校舎が揺れるほど。思わず私は椅子から転げ落ちていた。


「なに!?」


「始まったね、ちょっと観戦しに行こうか」


 クロは机から飛び降り、そのまま出入り口に向けて歩き出した。慣れた様子なのは、実際に慣れているからだろうか。気がつくと廊下に出たのか姿が見えない。恐る恐る立ち上がり、早足でクロを追う。こんなところでひとりにされるのは御免だ。


 廊下に出ると少し行った先で、クロは首だけ振り返った。


「そこの行き止まりの窓から見えるはずだよ」


 駆け寄って並んで歩く。クロが指定したのは廊下の端の窓。私のクラスからは大した距離じゃないのに、やけに遠く感じた。きっとそこにある非日常までの距離だ。私はまだ日常に留まっている。


 窓につくまで何度も小さな爆発音が響いた。連動するように心臓が痛いくらい強く、大きく鼓動を打つ。怖いと思った。それでも覗かないわけにはいかない。そこで何が起こっているのか、ここにいる私は見て、そして決めなくてはいけないのだから。


 窓を覗くと、ちょうど黒衣を身に纏ったふたりが距離を開けて対峙していた。その足場は体育館のアーチ状の屋根。黒衣のフードを被っているせいか、顔は判別できない。


「誰……」


「あのローブはフードを被ると認識を阻害するんだ。目の前に立たれても顔は当然、背格好も判別できないよ。昼間に争わないようにだろうね。それと、対策を立てづらくするためだろう。訓練だからね」


 ひょいっと肩に乗ってきたクロ。重さは一切ない。つくづくよくわからない存在だ。いや、ここには私以外、普通がない。


 片方の魔法少女が動いた。疾い、一気に距離を詰める。けれど、それを待っていたみたいに、動かない魔法少女は手を前にかざしていた。ふたりの隙間が爆発する。どうなった? 煙が上がってふたりの姿が隠れた。


 すぐに不自然な風が渦巻き、煙が晴れる。そして、ふたりはお互いの目の前に手をかざして、膠着状態に陥っていた。


 息を呑む。思っていたよりずっと、本格的な戦闘だった。


「どうして、私なの。はっきり言って私はバカだし、特別な才能なんて持ち合わせてないよ。運動神経だって悪いし、ゲームだって下手だよ。クロの目的はわかった。止める必要があるのも。だからこそ、私には務まる気がしないんだ」


 私は特別になりたかった。


 でも特別になれなかった。自分が一番わかっている。夢見がちなバカな女の子。それが私だ。戦って勝て、みんなを救う。そんな大それたことできるわけがない。


 それなのに、


「特別だからだよ、星野唯。キミの社会なら特別ではないかもしれない。でも、ボクたちの基準で言えば、キミは特別だ。才能に満ちている。キミならできると信じているし、キミにしかできないとも思っている」


 クロは言う。特別だなんて、当然のように言う。


 私は。


 私は、どうすればいいのだろう。


 「いま結論を出す必要はないよ。まだ少しだけ猶予がある。早いに越したことはないけどね。今日はとりあえず帰ろう。帰って、考えてほしい。それも深刻に考える必要はないんだ、気軽に気安く考えて、決めてほしい。キミが背負うものはなにもない。どちらの結論に対しても、ネ」


 私が答える間も無く、さあっと色が戻っていく。


 クラクションがどこからか響いた。


 気がつくとクロはいない。


 私は日常に戻ってきた。非日常を置き去りにして。


 青かった空は、いつの間にか茜色に染まっていた。

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