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「そんな顔をしないで欲しいな」


 部屋の中央、円いミニテーブルに鎮座するクロは、手持ち無沙汰といった感じでゆらゆら尻尾を揺らしている。高く澄んだ声音が不自然なぐらい耳心地が良い。揺れる尻尾のせいか声音のせいか、頭がくらくらしてきた。


 なにかの使いが迎えにくる。自分が特別だと思っていたとき、憧れた光景そのものだ。それなのに、いざ直面すると思考が停止してしまうのは、私自身が特別ではないと知ってしまったから。


 つまり影絵のような猫は、妄想の権化。


 テスト前だからかもしれない。ストレスのせいで、夢見がちな幻聴と幻覚が現れたのかも。だとしたら、私はまだ魔法少女に憧れていることになる。十七になって魔法少女になりたいなんて、笑えない。


「とにかく入ったらどうだい? ボクの存在を疑うのはわかるけど、どちらにしても話を聞いてから判断してもらいたいんだ」


 図々しいクロは、猫の姿らしく手を招く。ちょっと可愛いのがずるい。固まってても仕方ないので、言葉に従ってミニテーブルの前に腰を下ろした。


「さて、プリティコメット」


「それやめてよ! あああ、もう思い出しくないのに!」


 黒歴史。それは一生背負う業で、同時に時折深く強烈な痛みを伴う傷だ。できるなら忘れたい歴史だし、……ほんと勘弁して欲しい。


「そうかい? なら、星野唯。これでいいかな」


「唯でいいよ……いや良くないけど、そもそもどういう状況なのかなこれ」


「ふむ、思っていたより冷静だね。騒ぎもしないし逃げもしない。暴力に訴えるわけでも恐怖に震えるわけでもない。やっぱり、キミには素質があるよ」


 会話が成り立たない。いや、会話を成立させようとする行為自体、そもそも間違えているのかも。とは言え、無視するには存在感がありすぎる。なんだか受け入れつつある私がいた。


「素質ってなに? わからないことだらけなんだけど」


「魔法少女の素質サ」


「ありきたりだなぁ」


「キミの望むべく展開だろう? もちろん、嘘やお世辞というわけじゃあないよ。いやなに、魔法を扱うには柔軟性と冷静さは必須でね、優れた力も使う側が優れてないと使い物にならないからね」


「魔法って……私の妄想にしても展開がチープと言うか、想像力がないと言うか」


 まあ黒歴史の焼き直しなのだから、こんなものかもしれない。ここで超能力を持ち出されてもあまり変化はない気がするし。


 納得する私を前に、納得がいかなそうなクロはふむと言葉を紡いだ。


「なるほど、キミの言葉は独白で、ボクは妄想の産物か。確かにボクはボクの存在をキミに証明できない。キミの知覚する世界において、なにが現実でなにが妄想かなんてキミにしか判断できないからね」


「この中二病じみた言い回し!!」


 まさに妄想のそれだった。


「なら、試してみようか」


 クロの尻尾がピンっと垂直に伸びる。そして、どこからか一冊のノートがふわふわ浮かんで私の前に現れる。


 忘れたくても忘れられないそのノートは、


「捨てるに捨てられない黒歴史ノート!?」


 漆黒の表紙に銀のラメペンで描かれたmagicalのタイトル。さぁっと血の気が引いていく。たしかに封印したはず。でも、こうして目の前にある。これは偽物? もし本物なら……。


 狂乱に陥りかけた私の隙を、クロは見逃さなかった。


「無尽蔵に無際限な力を無制限に行使する魔法少女の記されたこのノートは」


「やめて!! 詳細を語らないで!!!」


「実在しないかもしれない。このノートをキミの母親の前に差し出すとする。彼女はこのノートを読んで憐れむか悲しむか、それはわからない。だけど、実の娘の痛々しい妄想を目の当たりにして少なくとも喜びはしないだろう」


「まって痛々しいとか言わないで!!! 自覚してるから指摘しないで!!」


「だけど、キミの母親の目にしたものが、キミの考えた痛々しく頭のネジの緩んだ妄想だと、どうして言える?」


「ひどい!」


「ここに書かれた文章とイラストこそ妄想の産物で、実は愛しい彼に宛てたポエムかも知れないじゃないか」


「どちらにしろ痛々しい!」


「あるいは〇点の答案とかね。そもそもノートすらなく、キミの母親は手にすら取らないかも知れない」


「それはそれでやばい!」


「確認してみても無駄だ。母親の口にしている言葉と、キミの耳にしている言葉が同一である証明はできない。つまり妄想であるか否かは重要じゃないんだよ」


 怒涛の口撃に私は両手を挙げて降参。勝ち目はない。黒歴史ノートの破壊力を前にして、私の防御力なんて紙みたいなものなのだ。


「わかった、わからないけどわかった」


「話が早くて助かるよ。それじゃあこれは」ノートはクロの身体に、水に落としたようにゆっくり沈み込んでいった。突っ込みどころ満載だけど、重要なのはノートが人質のままということ。「閉まっておくネ」


「ふぁい」


 ため息と虚しさと羞恥心の混ざった返事が、なんとも情けない声となって漏れ出た。いっそ埋まりたい。ただ、話はここからがスタートなのだろう。クロはさて、と仕切り直した。


「いい加減本題に入ろう」


「嫌な予感しかしないんだけど」


「ボクと契約して魔法少女になってよ」


「堂々とパクリ!!」


「オマージュ、あるいはパロディと言って欲しいな。研究してきたんだ」


 わかりやすいだろう? 首を傾げるクロ。顔がないのにドヤ顔をしているように見えた。なんだろう、この人間味あふれる真っ黒な猫もどき。


 そしてある種の決まり文句。正直予想はしていた。しかし、ここまでどストレートでくるとは予想外だ。


「そこまで言われるともう、テンプレートな展開しか思いつかないんだけど」


「お察しの通り、悪い魔法使いが現れたんだ。まあ、テンプレートなのは認めるよ。ただ、それだけ起こり得る展開ということなのサ。実際問題、考えることは大体同じなんだよ。良くも悪くもね」


 言いたいことはわかる。わかるけど、陳腐な展開は陳腐な結末を迎えるはずだ。しかもこの場合、ハッピーエンドにならないだろう。結末は展開の積み重ねの先にある。ありきたりな展開そのものが悪いのではなく、その行先が問題で、当事者の立場からすると、レールが途切れて横転するような列車には乗りたくないだろう。


 わかりきっているならなおさら。


 関わってはいけない。


「頭痛くなってきた。もう寝ます。お願いだから静かにして」


「そうだね、こちらとしても込み入った事情がある。詳しくは明日話そう」


 そう言い残して、次の瞬間には消えていた。


 厄介なことになった。気が重くなる。そう思う私は少しだけ、黒歴史を歩み大人になったようだ。


 ベッドに入ると瞼が重くなっていった。

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