最終話

佐倉は江畑の熟達な話術により犯行をすらすらと払った。

まず東京で行われた伝統日本犬保存協会副会長の奥村の事件については次の通りであった。

北海道犬保存協会の旭川支部の人間から、北海道犬の変種がいるという話を聞いた奥村は、調査会社を使って馬橋たちの存在を突き止めた。

かねてから北海道犬の団体に敵意を抱いていた奥村は、北海道犬の変種が存在するなら、そちらを正統な犬種として認め、北海道犬の団体の力を分散させて弱めようとしていた。

佐倉はその話を修行させてもらっていた北海道犬の繁殖家の菅野から聞いて、馬橋たちを守らなければならないと思い、奥村と何回か接触するうちに殺意を抱き、計画的に殺人を実行した。

犯行に使うクルマが欲しかった佐倉は、以前から交流があった会社の社長のデスクのなかにクルマの合鍵が入っていたことを思い出し、雨の日に事務所に忍び込みクルマを盗んだ。

前日に殺しておいた奥村の死体を洗足池公園まで運んで遺棄したのである。

そののち北海道に戻り、馬橋の監視を続けていると、ある日馬橋に話かけている男ふたりを見た。

そのうちの一人を尾行して、その男は北海道議会議員の白岩だと知り、白岩も何らかの利権があって馬橋の犬を世に出そうとしていると妄想して、襲って殺したということだった。

「我々アイヌは、シサム(日本人)がアイヌシモリ(北海道)に来てから、土地を取り上げられ、言葉を取り上げられ、伝統文化を否定され、最後にはアイヌ犬も国の天然記念物にしたことを理由に北海道犬と名前を変えられたんです。まさに千年の恨みがあるのです。だが、私は政治的にアイヌの国を作りたいとか、民族独立だとか主張したいのではありません。世間に隠れながら、先祖から受け継いできたアイヌ犬を守りたいだけです。もう正統なアイヌ語を話せる人もほとんどいないという状況のなかで、これだけは守りたかったのです」


それが佐倉の主張のすべてであった。

送検が終わって、内部に出す捜査報告書を書くために残業していた江畑のもとに北千束署の岡本が訪ねてきた。

「お疲れ様です」

「君は報告書を書いたのか」

「さっき終わりました。明日から3日間の休暇をもらったので、今夜は江畑さんと飲みたいと思いまして」

「ありがとうな。もうちょっと待ってくれ。終わるから」

江畑と岡本は有楽町のガード下の飲み屋でビールで乾杯した。

「今回のことで犬のことが詳しくなりましたね」

「そうだな、ああいう人たちがいることを知らなかったものな」

「繁殖家の人っていうのはやはりどこか普通の社会の人と少し違う人種だなと思いました」

「基本的に人間より動物のほうが好きだから繁殖家になったのかと思ったが、意外に人と人との関係が密接で、人間嫌いではとてもやっていけない世界だと思ったね」

「そうですね、協会のなかであんなにどろどろとした人間関係があるのかと驚きました」

「人間のいるところ、必ず派閥やグループがあり、利害でもめる。だから俺たち警察官が必要なんだろうよ」

「それにしても馬橋さんの犬は可愛かったです。うちの親も小型犬を飼っているのですが、日本土着の犬というのが何とも思い入れがあります」

「そうだな。だが、北海道犬は明らかにアイヌ犬なんだよ。俺はアイヌ犬と呼びたい」

「そうですね」


江畑は岡本としこたま飲み歩いた。

事件が終わっての開放感が爆発した。



江畑はその夜夢を見た。

広大な台地を白いアイヌ犬が駆けている。

それも何頭もだ。

耳を倒して風の抵抗を避けてものすごい速さで大地を走っていく。


その先には沈もうとしている真っ赤な太陽があった。






終わり








  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

幻の犬 egochann @egochann

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る