第37話

アイヌのエカシ(長老)のところに来た江畑は目前の光景に息を呑んだ。

アイヌ伝統の服を着たエカシが地面に手をついて泣いているのだ。

しばらくは声を掛けられなかった。

しばらくしてエカシは立ち上がった。

「あの男に会わせてくれ」

「佐倉はまだ見つかっていないのです」

「彼は札幌に住んでいると言っていた」

「北海道犬の繁殖家の家で修行をしていたのですが、そこから姿を消してしまって、行方知らずになっています」

「では東京じゃ。東京には悪い奴がおると言っておった」

「どんな悪い奴ですか」

「馬橋たちの犬を処分してしまえと言う奴がおるということじゃ」

江畑と岡本は顔を見合わせた。

「それは伝統日本犬保存協会の奥村という人物ですか」

「名前は知らん。だが、アイヌ犬の正統な我々の犬をこの世から抹殺しようとしていると言っていた」

「あなたがどうにかしろと佐倉に指示したわけではありませんね」

「どうにかとはどういう意味じゃ」

「例えば脅かして抹殺する行為を止めさせるとか」

「そんなことは言っていない。第一、わしは佐倉という男をそこまで信用していない」

「何回くらいここに来たのですか」

「一回だけじゃ。二日間泊まっていった」

「それはどんな目的で来たのですか」

「いや、ただアイヌ犬のことを知りたいというだけだ。自分もアイヌの子孫として、アイヌである自分自身の心を持ちたいといったからじゃ」

「犬の話だけでしたか」

「昔の生活のことや、祭りごと、祈りのことなどじゃ」

「馬橋さんを守れという指示はしたのですか」

「指示なんてしていない。あんたにアイヌの血が流れているなら、馬橋たちとアイヌ犬を守ってやってくれないかと頼んだだけじゃ」

「北海道議員の方が殺された事件は知っていますか」

「ここには新聞もテレビもない。世間で何が起こっているかなどということは知らん」

江畑との連絡はどうしていたのですか。

「連絡はここへ来ることじゃ」

「では最近ここに来たのはいつですか」

「泊まってからは来ていない」

「家のなかを見せてもらってよろしいですか」


江畑たちは小屋のなかに入った。

アイヌの伝統的な家屋のことはまったく知らなかったが、まず入り口をはいると、大きな部屋がひとうだけであった。

ござが敷かれてそこだけで生活しているようだった。

大きな壷に水が入っており、煮炊きをするのは部屋の中央にある囲炉裏のようなところで火をおこしすのだという。

ともかく隠れるようなところはない。

火は夏でも絶やさないようにすることが、虫や動物の侵入を阻むことになるとエカシは答えた。

「ここにいる形跡はありませんね」

岡本は小屋の外にでたあと、江畑に向かって言った。

「しばらく所轄にここの監視を頼もう。長老の言っていることは本当だろう。佐倉は馬橋を遠くから監視をして、近づいてくる敵を見ていたのだろう。そこに白岩が現れた。そこで犯行に及んだ。奥村の件はあらかじめ計画された犯行のような気がする」

「わたしもそう思います」


所轄に長老の監視を頼んで、その日のうちに江畑たちは札幌に戻った。






#39に続く。





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