第36話
江畑と岡本と、所轄の刑事が日高山脈の山奥にある、アイヌの長老の家に向かっていた。
アイヌ語で長老のことを「エカシ」という。
アイヌの集団は、エカシを大切にして敬う。
文字を持たないアイヌにとって、言葉での伝承が文化や暮らし方の伝承がすべてだ。だから、長い年月の経過と先祖の様々なことを知っているエカシは、単に年寄りを大事にするというより、「生きるため」にどうしても必要な人物だとも言える。
そのエカシが住んでいるのは、国道を山の中腹まで昇り、そのあと林道に入って、険しい道を登っていく。
林道が行き止まり、さらに獣道のようなところを数百メートル分け入ったところにあった。
うっそうとした原生林のなかに、野球のグランドくらいの広さの開かれた土地があり、木造の掘っ立て小屋があった。
屋根から突き出した煙突から煙が上がっている。
母屋の隣には柵に囲まれた場所があり、そのなかに犬舎があり、白い犬や黒い犬などがいて、江畑たちを発見するとものすごい勢いで吠え付けた。
小屋のなかからアイヌの装束を着た、顔中髭だらけの男が姿を現した。
手には猟銃を持っている。
江畑たちは緊張した。拳銃は持っていかなかった。
PAを運転してきたのが制服警官だったので、腰の拳銃に手を掛けてホルスターのボタンを外して銃を抜く準備をしていた。
「青木さんですか」
エカシ(長老)は制服警官を見て、こちらに向けようとしていた銃を下げた。
「警察の人か」
「そうです、安心してください」
「ここらは熊もでるから銃は必要なんじゃ」
「分かっています。お話を伺いたいだけですから」
エカシ(長老)は落ち着いたようだった。
江畑たちはエカシに近づいていった。制服警官は銃のホックを外したままだった。銃を持った相手には絶えず警戒は怠らないのが警察官の基本だ。
「あなたは正統なアイヌ犬の血統を残そうとしていると聞いているのですが、本当ですか」エカシは表情を強張らした。
「とりあえず、銃は置いてきていただけますか」
エカシは銃を家の中において出てきた。
粗末なドアのある建物のなかを少しだけ覗けた。中は真っ暗だった。気が付けば窓らしきものがない。
「この家には窓が無いのですか」
「これはアイヌの伝統の家じゃ。ガラスの窓はない。電気もない」
まさに原始的な生活をしていた。そのことに江畑たちは驚いたのだが、そのことより佐倉のことを聞かなければならない。
江畑は佐倉の写真をエカシに見せた。
エカシはしばらく考えていた。顔には苦渋の表情が浮かんだ。
「この男が何かしたのか」
「ではご存知なのですね」
「だから何をしたのか聞いているのだ」
「殺人事件に関係している可能性があります」
エカシはその場に座り込んだ。明らかに動揺している。
「わしはそのようなことは知らない。あの青年には馬橋君たちを守ってくれと頼んだだけなのじゃ」
「詳しくお話していただけますか」
エカシは両手で顔を包み泣いているようだった。
#38に続く。
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