第11話

明治34年に施行された「北海道旧土人保護法」は、戦後しばらく経っていてもまだ見直されず続けられた法律だった。

「土人」という言葉で分かるように、アイヌの人たちを、「未開の人」「野蛮な人」「文明からはるかに遅れた人」という含みを持った意味合いが強いものだった。

そのために、長い間アイヌの人たちは、さまざまな差別を受けてきたのである。


保護法という一見福祉的な響きを感じるが、実際は、北海道の各地に「アイヌ民族館を作りアイヌの伝統文化を継承する」「出産祝い金」「教育援助」などが盛り込まれてはいるものの、「土人」という言葉は、北海道に暮らすアイヌ人以外の人たちからすれば、「自分たちとは違う人間」というイメージを植え付ける結果となって、それが差別の温床となったのである。


白岩一誠は、北海道に暮らす人にとってアイヌの人たちを同じ日本人ながら、違う文化を持った先住民であることを正しく理解して、尊重するべきだという考えを持ち、アイヌの人たちの民族的な自尊心の回復に役にたちたいという思いで道議会議員になった。

出来れば、国有地を無償でアイヌの人たちに譲り、そこに共同体を作っていわば自治区のようなものが出来ることを願っていた。


白岩は初議会を終えて、駐車場に停めた車に乗るとタバコに火をつけた。

議会場をはじめ、道庁のすべてが禁煙になってしまって、タバコを楽しめる場所は車のなかだけになってしまった。

厳密に言えば、道庁の敷地のなかすべてが禁煙なのだが、自分の車のなかだけは黙認のようなかたちになっていて、愛煙家はタバコが吸いたいためだけに車通勤をしているものもいるほどだった。

たてつづけに2本吸ってひとごごちついたら車を発信させた。

その日は、帯広の近くまで行かなければならない。

アイヌ文化研究家のある大学教授の家を訪問するためだった。

その教授は69歳で、現在は教授職から退いていて、個人的にアイヌ文化を研究をしている人物であったが、白岩のフェイスブックをつうじて知り合ったなかであった。

彼の名前は丸山克己、元北海道大学の文学部教授である。

アイヌ文化研究では第一人者ではあるが、いわゆる御用学者にならずに、独自の研究をしている学会内では変わり者とされていた人物である。

白岩はツィッターでは表向きの政治活動、地域振興について書くことが多いが、フェイスブックではアイヌのことについて記事を載せることがある。

丸山は、若い政治家には珍しくアイヌのことにかかわりを持っていることに興味を持ち、交流をはじめたのである。

一週間前に、丸山から突然電話がかかってきた。

「ちょっと興味深い話があるんだけどこちらに来ないか」とうう誘いだった。

議会が始まっている時期なので、忙しいのだが、札幌から帯広まで高速道路で一時間半くらいで着けるので、議会が終わってから半日をつぶして行くことにしたのである。

午後二時に札幌を出発して、帯広に着いたのは午後3時40分だった。

帯広のインターチェンジで降りてから延々と続く道を30分くらい走るとはるかに山が見える丘のうえに一軒のヨーロッパの農家風の家が見えた。

それが丸山の家だった。大学に在籍をしていた当時札幌の自宅のほかに別荘として使っていた住まいを今は生活の場としていた。

家の広大な敷地に入って、母屋まで数十メートルはあり、家の前に車を停めた。四輪駆動のレンジローバーという大型車がガレージに停まっていた。

玄関から丸山が出てきて白岩を迎えた。顔は白い髭でおおわれており、髪もみごとなロマンスグレーのなかなか渋いおじいさんという風貌だった。

「わざわざすいませんね」

「そんなことないですよ。先生もお元気そうです」

「いやいや体のなかはボロボロですけど」

ふたりは家に入った。





#13に続く。




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