第8話 それは誰もが避けていたこと その2

それは誰もが避けていたこと その2



 ルキアがテーブルの上にあるカップを手に取り、ゆっくりと口に運ぶのを眺めながらアルブレヒトは考えをまとめていた。

 無論、彼女の口にした爆弾発言目を背けていたこと――婚約についてである。





 そもそもの発端は、現在の北方大陸ニヴルベルグを巡る国際情勢にある。

 アルブレヒトの母国である大陸最大領土を誇るアストニド諸王国連合。

 対して、大陸北部に位置するもう一つの大国、帝政ルキアリア及び藩王国連盟――通称、帝国。

 大陸を南北に分断する両国はお互いにライバル視しながらも、その歴史上、決して戦争に至ることなく、にらみ合いを続けてきた。

 時の趨勢によってはお互いにパワーバランスの差が出来ることもあったが、その際には援助をし合うなど近すぎず、遠すぎずの関係を保ってきた両国。

 しかし、近年に入り植民地を拡大し、軍国主義の色合いを強めた帝国がもたらした周辺諸国との軋轢が、長年維持されてきた王国との間に不穏な空気をもたらし始めていた。

 それが爆発したのは、大陸東端に位置するガラシア共和国――通称、共和国に対して帝国が宣戦を布告した一年ほど前のことである。

 これを機に王国と帝国の両国はお互いに矛を交えることはないまでも、経済を始めとする間接的なやりとりから、周辺諸国への同盟による勢力固めを始め、お互いに対立姿勢を色濃くした。

 王国が支援する共和国とそれを侵略する帝国という代理戦争が大陸東端で行われる中、各地でも様々な火種が生まれた。

 その内の一つが、ユグライアじゅ王国であった。

 聖樹教と呼ばれる北方大陸に広まる二大宗教の一つを信仰する宗教都市であるユグライア樹王国は、各国から不文律ふぶんりつとして中立地帯と見なされてきた。

 しかし、半年ほど前からユグライア樹王国周辺での軍事行為が盛んになりいつ先端が開かれてもおかしくない状況となる。

 状況の悪化を重く見たユグライア樹王国はそこで、一つの決断を下した。

 宗教国家の象徴として君臨し、本来は他国へとつぐことのない存在――ユグライア樹王国に存在する大樹を奉る「巫女」。その次代の候補者たる姫を、婚約者として差し出すことにしたのだ。

 申し出を受けたアストニド諸王国連合の宗主国であるアストニア王国は当初、それを固辞こじした。

 本来、不可触アンタッチャブルであるはずのユグライア樹王国との関係強化は周辺国家との調和をいちじるしく損なうためだ。

 同時に、当時の王家には婚約を結ぶのに丁度良い男児がいなかったこともある。

 第一王子であるエッケハルトとの婚約は、王国と樹王国、双方の継承権争いに繋がりかねないのでまっさきに外された。

 続く第二王子であるジモンは既に王国と親交の深い和樹泉いずみ皇国の姫君との婚約が既に結ばれていた。

 さりとて、大貴族や構成国の王族からユグライア樹王国の巫女姫と婚約を結ばせるには格が釣り合わない。

 固辞する王国に対して、ユグライア樹王国が再三の申し入れを行った時のことである。

 アストニア王室で一つの事件スキャンダルが発覚した。


 ――何を隠そう、現国王の落としだね、アルブレヒトの存在発覚である。

 

 王室は当初、そのアルブレヒトの扱いをどうするべきか判断しかねていた。

 もとより、生まれてから平民として育ってきた庶子しょしを王室に正式に迎え入れるかという段階から議論は始まった。

 結果として、紆余曲折の後にアルブレヒトは王室の一員として正式に認められ、第三王子となるわけだが――そこで、再び、ユグライア樹王国との婚姻問題が持ち上がる。

 この問題に対して悪魔的な閃きを思いついたのが、現アストニア王妃ロスウィータである。


「アルブレヒトを学校へ行かせたいから、身分を二つ作りましょう」


 幼い頃に母親を亡くしたため、学業を修めたことのないアルブレヒトを学園へ通わせる。

 しかし、王室の一員としての教育を満足に受けてないアルブレヒトに気苦労をさせないため、普段は「ザカリア」という下級貴族として学園に通わせる。

 そして、公的な場でだけ「アルブレヒト」として活動させ、その姿は頭を覆う漆黒の仮面マスクとローブで隠してしまう。

 この閃きは、アルブレヒトを単に学園へ通わせたいためのものだったが、同時に仮面マスクの王子、アルブレヒトという謎の人物を作り上げるに至った。


 正体の掴めない王子と、そこまで懇意になる事はないだろう――。


 念には念を入れ、アルブレヒトは幼い頃から疱瘡ほうそうが全身に出来る病を患い、生死の境にあったという事。

 それ故に、王室の一員として永らく認められてこなかった、という設定が付け加えられた。

 そして、アルブレヒトという降って湧いて出た第三王子訳あり物件でなら、辛うじて婚約関係を結ぶことは出来る、と王国側は樹王国へと提示したのである。


 それから一月後。

 学園にいよいよ入学したアルブレヒトは未だ、両国内で秘密裏にしか認められていない婚約者と対面することとなった。

 これが公の情報として公開されるのは一週間後が予定されている。



 ◆



「我々のユグライア樹王国の状況は既にご存知の通り、逼迫ひっぱくしております。

 今までは宗教国としての権威のみで中立を維持して参りましたが、帝国という巨大な軍視力を前にして、その力によりいつ国土が戦火と包まれるのか予断を許しません。

 それを防ぐ手立てとして、我が国はアルブレヒト殿下のアストニア王家との関係を深め、共に、帝国に抗うために力を合わせようと――そういう考えなのです」


 珈琲を置いてから、ルキアは一息に考えを述べた。

 ルキア達の母国が置かれている状況と、この婚約の意義についての率直な説明である。

 概ね、両者共に周知の事実ではあったが、こうした国際的な情勢が複雑に絡む事柄は齟齬そごが出ないよう、念入りに前提条件を確認していく必要がある。

 アルブレヒトもそのむねは理解しているから、ルキアの言葉に一つ、頷いた。


「こちらとしても、両姫殿下と仲良くできればと考えている。

 帝国の日に日に増していく脅威に抗う貴国を守る為の防波堤。

 その役割を負うことに王国としても依存はない」


 これはユグライア樹王国の姫君達と会話する上で、あらかじめ示しても良いと伝えられている外交上の王国にとっての判断だ。

 玉虫色に近い回答ではあるものの、対抗する力が現時点で決定的に足りていない国の人間としては心強いものがあるのだろう。

 まずこの言葉を引き出せたことに、ルキアとテレサは目に見えて安堵の表情を浮かべている。


「加えて、こちらとしても関係強化のために婚約を結ぶ事に依存はない。

 ユグライア樹王国の姫君と息子の婚姻によって、確かなを結べるのであれば。

 これに勝る栄誉はないと国王陛下も仰せだ」


 そして、これはもう一歩踏み込んだ情報になる。

 婚約の受諾について国家間でのやりとりはしていたが、当事者間で明確な意志表示は行われてなかった。

 無論、顔もあわせず結婚式当日を迎える政略の世界において、当人の意思が婚姻に介入しない場面の方が多いのは重々承知だ。

 だが、そうであっても、最低限通すべき義理はある。

 こちらの言葉に対して、双子の姉妹はピクリと反応を見せた。

 身体にも表情にも感情を表立たせていないが、ハイエルフ特有の長い耳はかすかな心の動きにも敏感に反応してしまうあたり、可愛らしい種族であるとアルブレヒトは思う。

 同時に、こうした外交の場では中々苦労しそうだな、とも。


「これ以上なく、頼もしいお言葉――有り難く存じます、殿下」


 今度は、ルキアに変わりテレサが頭を下げた。

 先ほどから発言は姉に譲っていたが、当事者として一言も喋らないのはまずいと思ったのだろう。

 姉よりも少しばかり体温を感じさせない落ち着いた声音。

 もしかすると、姉が動揺したのを敏感に感じ取っての所作かも知れない。

 だとするならば――姉をかばうようにして、テレサは言葉を繋いだ。


「婚姻の発表については、明日の日程でお互いに了承していると、こちらでは考えております」

「その事に異論はない。こちらとしても、そのように聞いている」

「有難うございます。

 であれば、殿下におかれましては畏れ多くも、一つお願いがございます」

「――聞こう」


 来たな、と。アルブレヒトは内心感じた。

 ここまでは当人達が前もって持ち寄っていた情報のやりとりだ。

 ここからは直接会って話すからこそ出来る一歩進んだやりとりとなる。


「であれば、式典などは考えていないまでも。

 ――我々、ユグライア樹王国のわたくし、テレサ。

 そして、姉のルキアの二人共々、殿下と親しげにしている様子を周囲に知らせること。

 その許可を頂きたく思います」

「なるほど」


 その言葉に、アルブレヒトは、そうきたか、という思いでいた。

 本来であれば王族間の婚約の発表というものは国を挙げて盛大に行うものである。

 それが本来国の表に出てこない、ユグライア樹王国の巫女姫の婚約であるならばなおのことだ。

 しかし、今回は「仮面マスクの王子アルブレヒト」という特異な偽の経歴カバープロフィールを纏った王子として、彼女たちと婚約を結ぶ事となっている。

 アルブレヒトの特別な事情から表沙汰にしたくないという王国の意向が、消極的な婚約の発表という形へ誘導しているのだ。

 だがユグライア樹王国としては婚約を正式に妥結したという、周囲に対する明確な証明が欲しい。

 どの程度までの強度を持った婚約で、どの程度まで王家間は親密な間柄にあるのか。

 各国が探りを入れてくるであろう疑いについて、こちらから払拭ふっしょくするための証拠アピールをユグライア樹王国は欲しているのだ。

 だがこの件に関して言うならば、アルブレヒトの権限の範疇であっても答えは決まっている。


「それはいささか難しい。ご存知かも知れないが、私はごらんの通りの身体だ。

 今日は入学式での、栄誉あるスピーチという場を任されたが故にの光の下へと足を運んだ。

 しかし、普段から表立って活動するのは非常に難しいと言わざるを得ない。

 貴女方の要望の通り、衆目の前で仲良くすることは困難だと告げるほかない無礼、どうか許して欲しい」


 言いながら、アルブレヒトは二人に対して頭を下げた。

 後ろでハーゲンがピクリと反応した気配を感じる。

 だが、最も慌てたのはユグライア樹王国の二人である。


「あ、頭をお上げ下さいアルブレヒト殿下!

 なにも、謝られるようなことではございません!

 こちらこそ、殿下のお身体の事情をかんがみぬ提案、申し訳ございませんでした」


 提案を口にしたテレサが真っ先に頭を下げ、ルキアもそれに続く。

 正直なところ、アルブレヒトが頭を下げたのは彼女たちに素性を偽っている申し訳なさが立っているので、頭を下げ返されると立つ瀬が更にないのだが――それはアルブレヒト個人の事情である。

 外交の場において、婚約者という関係では同格だが、今回は頼んだ側、頼まれた側という明確なヒエラルキーが存在する。

 ヒエラルキーが上の側から謝られた場合、下にいる側としては途端に、失礼な言葉を発した気分にさせられる。

 それは、ただ単に断りを入れる以上に強力な力を持つ。

 ルキアとテレサからしてみれば、ドライに割り切った形で断られた方がよほど楽だったのだ。

 同時に、これはアルブレヒトにとって次から続く質問を通しやすくするための布石だった。

 相手が弱ったのを見て、アルブレヒトは畳みかけるようにして下手から話しかけた。


「不躾に申し出を断ったついでに、もう一つ無礼を重ねるようで恐縮ではあるが。

 一つ、こちらから確認したいことがある。

 良いだろうか?」

「はい、なんでしょうか」


 テレサが応じざるを得なかったのを見て取ってから、予め、国王から尋ねるようにと含められていた問いかけをアルブレヒトは持ち出した。


「今回の婚約について、私の身体は一つに対してユグライアからは双子。

 つまり、私一人が貴女方二人と婚約を結ぶ、と言う話を持ちかけられていたと聞く。

 率直に、なぜ二人であったのか、その理由を聞きたいのだ」


 良いだろうか、というアルブレヒトの問いかけに、ルキアとテレサの双子姫は顔を見合わせた。

 こうして横顔を見るとこの二人は本当によく似ているとアルブレヒトは感じる。

 言葉遣いや、声音の高さ、低さについては差異があるもの、その顔つきは本当に瓜二つだ。

 だが、だからといって二人共を婚約という政争のにする必要はない。

 まるで別つことが出来ない存在であると言わんばかりに、双子を一人の王子に宛がう必要などないのである。

 申し出を出された当初は、ユグライア樹王国の宗教国家としてのローカルな縛りに由来する事情かとも推察され、王国の宗教学者や歴史学者が情報確認に奔走する羽目になった。

 結果として、そのような風習はないという結論が得られると、今度は王族を含む関係閣僚がユグライア樹王国の提案に首を傾げる事となったのである。


 ここに何らかの思惑があるのであれば、王国の人間として、それは正しておきたい。

 しかし、双子姫から返ってきた返答は意外なものだった。


「それに関しては――大変申し訳ないのですが」


 告げたのはルキアだ。

 一度、言葉を途切れさせると真っ直ぐにこちらの漆黒の仮面マスクを見つめて答えた。


「私達は、出来る事ならば別たれたくはなかったのです」

「それは――」


 どのように受け止めるべき言葉なのか、アルブレヒトは逡巡した。


「婚約するにしても二人で。

 とつぐにしても二人で。

 出来うることならば、と考えておりました。

 無論、アルブレヒト殿下のお考えにそぐわないのであれば、私達の片方のみを選ばれても結構です。

 その場合、殿下のお考えに従う覚悟で二人ともおります。

 大変、本当に恐縮ではあるのですが――これは、二人の我がままなのです」


 告げながら、ルキアとテレサはソファの上で右手と左手を重ね合わせた。

 絶対的な姉妹仲とも呼べる信頼関係が二人の中にはあるのだろう。

 もしかすると人間よりも永く生きるというハイエルフという種族の特性が関係しているのかも知れない。

 その年月が、果たしてどれ程のものか――寡聞にして、アルブレヒトは把握してなかったが想像できない程の時間を二人で生きてきたものと、その様子から想像出来た。

 であるならば、彼女の言うとおり、結婚するときも二人で一緒に同じ人のところへ。

 政略結婚がまかり通る世界でならば、こうした重婚のような例外事例イレギュラーとて許容される。

 そもそも王侯貴族においては妻を複数娶ることは、あり得ない話ではない。

 それが貴族が権力にまかせて風紀紊乱ふうきびんらんをなすような思惑ではなく、女性側からのたっとい願いであるというのならば、絶対に不可能という話ではなくなるだろう。

 娘を結婚に出す側が政略結婚を行うための駒として惜しまない限りは。

 または、受け入れる側が好色という噂が立つことをいとわない限りは。

 アルブレヒトの目から見て、ルキアの言葉に嘘はないように思われた。

 真っ直ぐに、先ほどとは違い耳を揺らすこともなく漆黒の仮面マスクを見つめる強い意志。

 隣に座る妹のテレサも同じ瞳をしている。


「――了解した。その言葉、信じさせて貰おう。

 いや、不躾ぶしつけなことを聞いて申し訳なかった」


 なのでアルブレヒトはその言を信じるという判断を下した。

 ほっと、ルキアとテレサは安堵の息を吐き出している。


「さて、その上でだが」


 アルブレヒトにはもう一つ、双子姫に対して告げねばならないことがあった。

 いや、先ほど公の場で親しくするのを避けたときから種はまいていたのだ。

 そもそも、この言葉を彼女たちに告げるための仮面の王子カバープロフィールという立場でもある。


「二人に対して、大変失礼かも知れないが、こちらからも我がままを告げねばならない」


 改まった様子に、ルキアとテレサは身を固くしてこちらの一言一句に耳を傾けている。

 ピクリ、と。

 彼女たちの耳が動いたのを見てから、アルブレヒトは言葉を続けた。


「ご存知の通り、私はこの身体である。

 婚約を結び、最終的に結婚する運びになったとしてもまともな夫としては機能しないだろう。

 で、あるにも関わらず美姫を二人も娶ったとあっては――世間に対しての申し訳なさ。

 そして、なにより貴女たちに対する申し訳なさが先立つ」


 嫌な予感を感じたのだろう、双子姫の内、姉のルキアが若干、前のめりに身体を乗り出した。


「幸いなことに、我々の婚約は非常にドライなものだ。貴女方は長寿でもある。

 この度の帝国に対する脅威という荒波を、国と国が手をたずさえて乗り越える。

 そのためのよすがとなりさえすればよいのであって、荒波が過ぎ去った後も継続する必要はないのだ」

「つ、つまり――?」


 動揺によって震えるルキアの声に、アルブレヒトはちょっとした興味を覚える。

 先ほどから事務的な応答に終始していたが、もしかすると、いまこぼれている彼女の感情は、彼女の隠れた素顔に思われたからだ。

 隣、テレサも冷静を装いながら口元をヒクつかせている。


 ――こと、ここまで話を進めておいてなんだが、アルブレヒトの考えは最初から決まっていた。


 彼女たちの「漆黒の仮面マスクの男と仲良くしなければならない」、といった覚悟だとか、そういったものは、アルブレヒトという役を演じている以上は一顧いっこだにする訳にもいかない。

 素性を偽っているのだから、当然である。

 そのため、アルブレヒトは彼女たちの心情を斟酌しんしゃくすることなく、予め想定していた結論を彼女たちに告げなければならない。

  そして、これから告げる言葉が、彼女たちの覚悟プライドをいたく傷つける言葉であってもだ。

 この言葉がどれほどきつい物であるのかを、アルブレヒトは知っている。

 なにしろ、「これを言いなさい」と義母と義妹に提案されたときにアルブレヒトのみならず、同席していた国王や義兄たちをして、相手の体面を気にして止めに入ったくらいである。

 だが悲しいかな、か弱い男性陣の声は女性陣の確たる意思をひるがえすには力足らずであった。

 彼女たちのいう「一切の勘違いの余地を与えてはならない」という一声によって、提案は国家の意思として決定された。


 こうして顔を合わせてみれば二人とも外見のみならず内面も美しい、魅力的な少女たちだったという事実が、アルブレヒトの心を早くも罪悪感で締め付けている。

 本音を言えば口にしたくはない、だが言わなければならない。

 だから、せめて、彼女たちからどのような罵倒、罵声が浴びせられようとも甘んじて受けよう。

 悲愴ひそうな覚悟を胸にアルブレヒトは予定調和にして、決定的な言葉を口にした。

 

「――お友達でいましょう。」


 少なくとも、婚約という関係だけは維持したままで。

 脅威が去ったらその時にはすぱっと解消出来るように。

 学園生としての友人関係に留めておきましょう、という提案。


 つまるところ――貴女方には結婚したい、と思えるほどの女性的魅力を感じません、という意味だ。

 この言葉にルキアは何を言われたのか分からない、といった呆然とした表情を浮かべた。

 そして、瞬きするほどの時間が経つと、今度は分かりやすく肩をふるわせ始めた。

 何かを口にしようとしては、閉じるという行為を繰り返すこと数回。

 その間に、長い耳はその先端まで真っ赤に染まっている。

 無論、羞恥よってではない。

 顔も身体も真っ赤ではあるが、断じて可愛らしい理由からはほど遠い――どちらかというと、溶岩流とか、そんな感じのどす黒さで。


「屈辱――ッ!!」


 ダンッ、とルキアの両腕がテーブルに振り下ろされた。

 テレサが必死にルキアの腰にしがみついている。


「止めないで、テレサ!

 私、コイツに一発ぶち込まないと気が済まないわ――!」

「待って、姉さん!

 その気持ちはよく分かるけれど、ここは抑えて!

 その気持ちは分かるけれど!」


 重ねて二回も言っている辺り、なかなか妹の方も怒髪天である。

 アルブレヒトは、今、仮面マスクを着用していることに初めて感謝した。

 目の前で美人、美少女が怒っているときくらい恐ろしいものはないのである。

 それが、自分に対するものであるならば、なおのこと。

 表情に恐怖の色を出さない自信はまったくないのである。

 現に、結構、顔が引きつっている感触が頬にある。

 この表情が双子に晒されていたらおそらく、妹の方も止める側ではなく、殴る側に回っていただろう。


「絶対、絶対許さないわよ、アルブレヒト――ォ!!

 いいこと? ――その判断、絶対後悔させてあげるんだからね!」


 その後、彼女たちの従者も加わり三人係で取り押さえられたルキアは暴言の数々をまき散らしながら、アルブレヒトの部屋を跡にした。

 残されたのは、暴風雨が過ぎ去った跡の静けさに呆然とするアルブレヒト達三人である。

 彼女たちがエレベーターにしっかり乗るのを見送ってから、玄関をくぐり部屋へと戻ったアルブレヒト達は、三人とも崩れ落ちるようにしてソファに座り込んだ。

 慇懃無礼にして実直なハーゲンですらそのような有様なのだから疲労の度合いがうかがえる。


「アルブレヒト様、酷いです」


 ぽつり、とヘイズルーンが呟いた言葉がグサリとアルブレヒトの心に突き刺さる。

 だが、義母と義妹が楽しくアルブレヒトにこの言葉を教え込んでいたとき。

 ちゃっかりとヘイズルーンも混ざり込んでいたことをアルブレヒトは覚えている。

 あの時の彼女は意気揚々とあーでもない、こーでもないと更に辛辣な意見を並べていたではないか。

 その無責任さを咎める気にもなれず、ソファに深々と身体を預けながら、アルブレヒトは天を仰いだ。

 そして、最近口癖になりつつある言葉をぽつねんと口にしたのであった。


「――憂鬱だ」


 その後、アルブレヒト達が夕食の支度をすませ、食事にありついたのは夜の九時を大きく回った後だった。

 三人が気力を回復するまで、実に数時間を要したのである。

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