第7話 それは誰もが避けていたこと その1

それは誰もが避けていたこと その1



 さて、入学式が終わってから暫く。

 部屋で精神的ダメージの回復に努めていたザカリアが、正気を取り戻し始めた夕暮れ時。

 従者の兄妹が夕食の準備を始めようと言う頃合いになって、その音は鳴り響いた。


 ――ピンポーン


 軽快なその音に、室内にいた三人はピタリと動きを止める。


「――ヘイズルーン。来客の予定は?」

「いえ、今日は何もうかがってっていませんよ」


 そのはず、そのはずー? と瞳だけで右上を眺めながら記憶を探るヘイズルーン。

 来客を告げるチャイムの音に、住民である三人はどうしても身構えざるを得ない。


「ふむ――とりあえず、私が応対します。アルブレヒト殿下は仮面マスクを」


 ハーゲンが外部の映像を映し出すインターホンへと向かう中、俺は言われたとおりに顔に再び例の仮面マスクを着用した。

 くちばしを口の部分に当ててスイッチを押せば、一瞬で頭全体を覆い隠し、すぐさま仮面の王子アルブレヒトに早変わりだ。

 深く腰掛けていたソファーから身を起こし、その場でヘイズルーンに着衣を確認して貰う。

 行儀の悪いことだが、着替える気がおきず、そのままの姿でくつろいでいたのが功を奏した形だ。


「はーい、ちょっとホコリ取っちゃいますねー」


 と、どこから取り出したのか、ローラーでコロコロと。

 衣服に取りついた細かな汚れを、ヘイズルーンが取り除いていくのに身を任せる。


「でもどなたでしょう? 殿下、なにか通販でもお頼みになりました?」


 問いかけにゆっくりと首を横に振る。

 引っ越してこの方、この部屋を送り先にして通販など頼んだ覚えもない。

 ――というか、そんな迂闊うかつな真似、怖すぎて思いつきすらしなかった。

 インターホン越しに、不意の来客へと対応をするハーゲンの様子を後ろから眺めつつ、俺はとても嫌な予感がしていた。

 冷たい汗が背筋をつたう。


 ああ、そういえば確かに。

 あのスピーチの後だからこそ、訪ねてきそうな人物に心当たりがあるな、と。

 今更ながら心当たりを思い出していたのだ。


 短い応答を重ねてから、ハーゲンは彼にしては珍しいほどに慌てふためいた様子で、こちらへと近づいてきた。

 彼は俺の前で直立不動に姿勢を正すと、内心の焦りを誤魔化すように一つ咳をしてから、俺に顔を寄せつつ告げた。


「――ユグライア樹王国の姫君、ルキア様とテレサ様がおいでです」

「あー、なるほどぉ――そりゃあ、来ますよね、挨拶」


 ヘイズルーンの呑気のんきな声を耳にしながら俺は、ここ数日という短い時間ではたして何度めかという、頭を抱えたくなる気持ちに襲われた。

 本来であれば王族や貴族間の来訪は事前に連絡を入れるのが慣例だ。

 双方に入念な準備が必要になるし、なにか失礼があればそれが一発で外交問題に発展しかねないデリケートさをはらむからだ。

 それは公式非公式を問わない、いわば常識的な約束ルールなのだが――今日に限っては、少々、例外的イレギュラーな事情がある。


「俺たちはすぐに帰らなきゃダメだったから、それでか」

「はい、おそらくは。

 ――本来であれば、あの場で簡単な面通しと挨拶をすませる予定でしたから」


 入学式のスピーチ後、式典が終わった後にアルブレヒトはあの二人に挨拶へと向かう予定があった。

 式場での簡単な面通しであるから、それに関しては事前の連絡も双方で一切に入れていない。

 ただお互いに、暗黙の了解と言った領域レベルではあるが、挨拶をする、というのは既定路線だった。

 その予定が、予想以上に盛り上がりすぎたアルブレヒトに対する注目のせいでお流れになった。


「ぬかりました。であれば、こちらから連絡を入れるべきだった。

 アルブレヒト殿下、申し訳ありません――この従者、一生の不覚です」

「俺も思いつかなかった。少々怠けすぎだな。

 ――今は、現況をどう乗り越えるかに努めよう、ハーゲン。

 これは、お互いの失点だ」

「――は」


 ハーゲンは深々と頭を下げる。

 だが、俺たちにはどちらの責任かとやり合っている暇はなかった。

 本人達はすぐそこまで来ているのだから。


「とりあえず、彼女たちを迎え入れてくれ。

 応対は、リビングではなく応接室を使おう」


 このリビングには、数日とは既に生活の痕跡がそこかしこに残されている。

 それは汚れと言うよりは、この部屋を使用している当人の記憶に残る痕跡だ。

 生活空間では自覚がなくとも、緊張が緩んでしまう。


 ――ここは、気持ちを切り替えるためにも応接間を使おう。


 従者の二人は、ザカリアの指示に静かに頷いた。





「ねえ、テレサ? 後ろおかしくなってないかしら?」

「大丈夫。帯もちゃんと合ってる」


 ザカリア――こと、アルブレヒトの自室に不意の来客が訪れるほんの十分ほど前。

 フェンサリル宮殿の九階にある自室で、ユグライア樹王国の双子の姉妹は最後の入念な服装チェックを行っていた。

 入学式の騒動が一段落してから、二人は会場の後片付けを他の生徒会役員達に任せて一足先に学生寮へと戻ってきたのだ。


「あんなに人が入るなんて――盛大に予定が狂ったわ」


 理由は単純な話、王族として簡単な挨拶を交わす予定だったアルブレヒトが、余りの注目度から、早々に学生寮へと引き返してしまったから。

 面通し程度の予定だったとは言え、王族間の挨拶は挨拶。

 交流のきっかけを作っておくのは、大切な王族の仕事の一つである。


「ともあれ、事前連絡なしでの訪問。大丈夫だろうか」


 あらかたのチェックを既に終えているテレサがぽつりと呟きを漏らす。

 自分達は当然のように挨拶をしなければならない、という考えで動いてはいるが連絡を入れていないのは確かだ。

 おそらく、向こうも会場で挨拶を交わすのは暗黙の了解として承知していただろうが、部屋を訪ねられることまで果たして想定しているかどうか。

 連絡を入れずに王族の元を訪ねるのは本来であれば御法度ごはっとの一つだ。 


「んー、すこしまずいかも知れないけれど連絡を入れようにも、ね?」


 ルキアの言いたいことは、テレサも承知している。


「連絡先を知らない、か」


 無論、連絡する手段はあるが、それはまた非常に面倒な手順が必要になる。

 いわゆる公的なルートというものを頼ることになるから、母国であるユグライア樹王国からアストニア王国へ連絡を取り、そこから間接的にアルブレヒトに伝えて貰うという国を跨いだ大仕事になるのだ。

 面通しだけの軽い挨拶ですませたいところが、これでは非公式会談レベルの国家案件である。


「なので、私達はあくまでも同じ学園に通う学生として、アルブレヒト殿下を訪ねるの」

「強引な論法だけど、仕方ないか」


 あくまでこじつけの理論武装だが、無いよりはましである。

 もとより、これ以上の大義名分がもう一つだけルキアとテレサには存在していた。

 二人は、暗にそれに触れたくないがため、他の理由を探しているのだ。


「姫様、こちらも準備が整いました」

「そ、ありがとう二人とも」


 ルキアとテレサの前に現れたのは双子にそれぞれ従っている、二人の従者だ。

 金髪のショートヘアのよく似た姉妹が双子姫の従者として配置されている。

 彼女たちは二人にとって、母国であるユグライア樹王国にいた頃からの付き合いだ。

 一定の距離感のある関係だが、互いに、互いの機微きびについてある程度通じ合っているという信頼感がこの四人の間にはあった。


「よし――じゃあ、行きましょうか!」


 だからこそ、この決戦とも言える戦場へ赴くため。

 必要となるオシャレ武装の一端を彼女たちにも委ねたのだ。

 頷いたテレサと一緒に、従者の二人が用意した武具を履き、二人は直上にあるアルブレヒトの部屋へとエレベーターで移動した。

 わずか上下一階の移動。

 感慨を得るだけの時間もなく開かれた扉をあとにして、アルブレヒトの部屋のあるフロアへと降り立つ。

 あとはチャイムを鳴らすだけ。

 決戦のゴングは自分で鳴らす――そんな気構えで、ルキアは玄関のチャイムを鳴らした。





 さて、スイートルームの応接間と言ってもそれほど広いわけではない。

 主人が座るソファが一つに、来客が座る二人掛けのソファーが一つ。

 間にはシンプルながら意匠いしょうの凝らされたテーブルが置かれ、その上にはコーヒーが三人分置かれている。

 お互いの従者はソファの後ろに控えさせ、アルブレヒトとユグライアの双子姫はテーブルを挟んで向かい合って座っている。

 お互いに、立ち上がって手を伸ばせば触れられる距離。

 窮屈とまでは感じないが、さりとて相手の息づかいをうかがい知ることの出来る接近戦。


「ようこそ――ユグライアのお二方」


 しっかりと漆黒の仮面マスクを被り、アルブレヒトとなったザカリアが二人を歓待する。


「急な訪問に応じていただき、まずは感謝を――アルブレヒト殿下」


 ホストの歓待の言葉に対し、まずは急な訪問をわびるルキア。

 テレサと二人、示し合わせることなくまったく同じ動きで静かに、軽く黙礼する。


「お気になさらず。思えば、こちらからまずは連絡先をお教えしておくべきでした」


 二人の真摯な態度に、アルブレヒトも非礼を気にしていないむねを伝える。

 それを受けて、双子は姿勢を正し、お互いに改めて背筋を伸ばして向かい合う。

 ここまでが一つのいわゆるお約束テンプレートだ。

 挨拶の場としての本番はここからである。


「さて、聡明なアルブレヒト殿下におかれましては既に自明かとは思いますが、本日ご挨拶にお伺いした用件について、お話しさせて頂きます」


 ルキアは、口にしながら両の手を膝の上でぎゅっと握りしめた。

 隣に座るテレサも同じように身体を強ばらせている。

 アルブレヒトは、胃の底から込み上げてくる不快感を必死でこらえながら、軽く頷くことで先を促した。

 それに応じる形で、ルキアは――ひと息をついてから、挑むような視線でそれを告げた。


「お互いの――婚約についてのお話です」

「――、――――。」


 お互いの間に、沈黙が流れる。

 誰もが何かを口にしなければと思いながら、誰もが口を開こうとしない、水中のような重苦しさ。

 唯一、上等なコーヒーの香りだけが、その部屋にいる人間の鼻孔をくゆらしている。

 本来であれば心安らぐ匂いであるが、今この場において、コーヒーの匂いに安らぎを感じられる余裕のある人間は一人もいない。


 ――この匂いの元が、砂糖もミルクも含まれていない真っ黒で苦い液体であることを考えると、なるほど、表面だけを取り繕っているこの場所には相応しい香りなのかも知れないと、場違いのような感想がアルブレヒトの脳裏をよぎった。


 無論、現実逃避である。


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