第6話 入学式 その2

入学式 その2


 明くる日。学園の中央部に位置する体育館。

 入学式の式場となったそこには、朝から例年を超える大勢の参加者が詰め寄せていた。

 彼らが目的としているのは、ひとえに今日、この学園に入学するとされるアストニア王家の第三王子アルブレヒトである。

 数ヶ月前、突如として王家に加えられた渦中の王子の姿をを一目見ようと、式場には普段ならば参加しない在校生の姿も多数存在した。

 急遽用意された在校生席にも収まりきらず、体育館は使用する予定のなかった二階席までも開放したが、それでもなお、立ち見の生徒が多く発生していた。


「――そう。なら臨時の椅子はもう出せないから、立ち見で対応して。

 でも人数制限はしっかり。二階席が崩れ落ちるなんてなったら、洒落にもならないから。

 必要なら先生達の手も借りて、お願い」


 そんな式場の裏側で中心となって式の運行を行っているのは、エリュズネル学園の生徒会である。

 天幕の裏側に設置された臨時の指揮所には、ひっきりなしに今日のために動員された手伝いの生徒達からの報告が届けられている。

 この学園の入学式には、学園都市アゲルカムイの居住区に住む親たち以外は基本的に参加しないことになっている。

 各国の王族や、その親族が参加するという事はほとんどあり得ないことだが、例外的に学園にそれらに類する生徒が所属している場合のみ、参列することが過去にはあった。

 本来の在校生席とはそういう物なのだが――この騒ぎである。


「トイレが足りない?

 却下。イベント行事じゃないのよ?

 今から臨時のトイレなんか増やす手段なんてないんだから、各自で対応させて」


 想定外の騒動の中、報告を受け取り、素早く判断し、矢継ぎ早に指示を飛ばしているのが学園生徒会長――ルキア・ディ・ユグライアであった。


「なに――先生がごねてる?

 誰がそんな変なことしているのよ――て、待った。

 わかったわ。錬金科のファビアン教授ね。

 多分近くに賢石シュヴァイゼンが落ちているはずだから、賢術ヴァイズ起動してそっちに話しかけて。

 ――そう、ヴァイゼンたん。なんだ知ってるんじゃない。

 大丈夫よ、変人だけど噛み付いたりはしないわ」


 プラチナブロンドのとても長い髪をツインテールに結い上げた姿は、遠目に見ても鮮明で、鮮烈な可憐さに満ちあふれている。

 式典という事もあって母国の特徴的な着物に身を包んだ彼女の姿は、式場裏方という地味な場所にあっても一際、輝いている。

 指示を出しながら感情が高ぶっているのか、ハイエルフ特有の長い耳はピクピクと先ほどから痙攣しっぱなしだ。

 淡々と業務をこなしては居るが、この想定外の忙しさは流石に生徒会長として優秀な彼女をしてキャパを超えつつあった。


「――姉さん。はい、差し入れ」

「あ、テレサ。ありがと」


 そこに、ドリンクを片手に現れたのはルキアとよく似た顔つきの彼女の妹だ。

 違いと言えば、ルキアと同じ色合いの髪をポニーテールに結い上げていること。

 それに加えて、少し実直そうで――あけすけな言い方をすると、どことなく冷徹なイメージを周囲に与える表情であること。

 ルキアとうり二つの少女の名を――テレサ・ディ・ユグライアという。

 


「周囲の様子はどうだった?

 まだ余裕ありそう?」

「全然。

 これ以上はどうやっても無理だと思うわ」


 彼女もまた生徒会に勤めるメンバーの一員である。役職としては生徒会副会長。

 会長とその他役員や教授達との折衝役を務める彼女は、入学式会場の様子をぐるっと見て回ってきた、その帰りだった。


「そっか――なら、残りの生徒達には悪けれどこれ以上は立ち入り禁止ね。

 でなければ、二階席が崩れ落ちかねないわ。

 残念なことに、この体育館には学園生と全員を収納するだけのキャパは存在しないのよ」


 彼女たちこそは、ユグライア樹王国の美姫として名にしおう双子の巫女姫である。

 妹の報告を受けた姉は、ギリギリまで調整していた入場者の制限をすっぱりと諦め、これ以後は、完全な入場禁止へと対応を切り替える決定を下した。

 すぐさま近くにいた手伝いの生徒達にその意志を伝え、体育館の各部署へと指示を行き渡らせる。


「ふー、これで入学式まで一息つけそうね」

「お疲れ様、姉さん」


 粗末な簡易椅子の上でルキアは猫のように背伸びをした。

 かれこれ早朝の6時から2時間余り。

 事前設営から入場者誘導の静寂で、ルキアはこの椅子の上でひたすらに指示を飛ばし続けていた。

 疲労に凝り固まった肩を、最低限の行儀を保ちながら荒くもみほぐすと、心地よかったのだろう。ルキアはうっとりと目を細めた。

 姉のそんな様子を見て、テレサは後ろに回り込むと両肩に手を当てて揉み手を代わる。


「あー、助かるわー」

「姉さん、素が出てる」

「良いのよ、丁度みんな出張でばってるから」


 普段は優等生として最低限の猫を被っているルキアだったが、素は普段よりも大胆で、大ざっぱで、甘えたがりな性格をしている。

 妹の前でだけ見せる、そんな姉の様子をテレサも愛おしく思っていた。

 しばらく、そんなまったりとした休憩を楽しんでから、不意に、テレサの手を止めるとルキアは周囲の様子を更に注意深く窺ってから、にわかに呟いた


「それで、は見た?」


 姉の問いかけに、テレサはゆっくりと首を横に振る。


「やっぱり、はスピーチの直前まで式場に来ないみたい」

「そっか。

 まぁ、今来られてもこちらが困るから助かってるんだけど」


 二人のいう、とは会場に詰めかけている全学園生徒注目の的、アルブレヒトのことである。

 本来であれば入学式に参加する生徒は既に入場し、各々が指定された座席に着席している時刻だがアルブレヒトだけは例外的に、入場を遅らせていたのだ。

 彼の入場に関して、事前に遅れてくるようにとの連絡が間に合ったのは本日最大のファインプレーだったとルキアは自負している。

 彼がもし、他の生徒と同じように会場へ詰めかけていたら今どころではない大混乱に式場は陥っていただろう。

 その場合、どのような惨劇が広がっていたかは想像に難くない。


「やっぱ、噂通りの風貌なのかしらね、は」


 ルキアの何の気なしに呟かれた問いかけに、テレサは一瞬だけ答えを飲んだ。

 即座に答えるには、少しばかり躊躇われる物だったからだ。

 しかし、躊躇いの様子を姉に見せる前にテレサは答えを口にした。


「わからない。私も見ていないから」


 姉妹の間を、重たい空気が流れる。

 彼女たちにとっても、ミーハーとはまた別の理由からアルブレヒト王子については気になる所だった。

 ユグライアじゅ王国の王族としての立場もあるが、それ以外にも、極々個人的な理由から。


「数日内には発表されることになるだろうけど、案外、落ち着かないものね」

「そう、ね」


 頷きながら、テレサの手は無意識のうちに強ばっていた。

 姉であるルキアは、そっと自分の肩に置かれた手に己のものを重ねる。

 しばらくの間、姉妹はそうしてお互いのぬくもりを感じていた。





 学園都市アゲルカムイ所属エリュズネル学園の入学式が始まった。

 当初予定されていた数倍以上という、想定外の在校生の参列を数える中。

 生徒会メンバーと、入学式の手伝いとして駆り出されていた各委員会のメンバーの尽力により、式は大きな混乱を迎えることなく、滞りなく開催された。

 入学式の当事者である新入生達がただならぬ雰囲気に気圧される中、その主原因たる大勢の学園生達は血眼になって新入生の中に目的の人物を捜していた。

 アストニア王国の第三王子、アルブレヒトの姿である。


 曰く、仮面を被ったローブの人物。

 曰く、相貌そうぼう醜く、前身にはかつての激しい闘病を思わせる疱瘡ほうそうが刻まれている。

 曰く、それは噂に過ぎず、実際の仮面の下には見る者を魅了して止まない美貌が隠されている。


 様々な憶測に次ぐ憶測。推測に次ぐ推測が流れては立ち消える中、遂に誰一人として新入生の中にくだんの人物を見つけることが出来ぬまま、入学式の行程は進んでいった。

 入学者の氏名の呼び上げと、証書の授与。


「才能に溢れた、貴方たちが当学園の門をくぐることを望外の喜びに感じると同時。

 貴方たちがその才能に相応しい学生生活を送れるよう、当学園は歓迎します。

 ――おめでとう、みなさん。今日から貴方たちは、エリュズネル学園の生徒です」


 学園長サルビア=ルピナスからの新入生へ向けた祝辞。

 大陸各地から入学を祝して届けられた電報の紹介。


 ――そして、遂に、多くの人々にとって待望の時が訪れる。


 もっとも、当人にとっては地獄に等しい苦行に他ならないが。





「それでは、次は新入生の挨拶です。

 ――新入生代表アルブレヒト・アーデルトラウト・フォン・アストニア」


 生徒会長であるルキアの声が場内に響き渡ると、来場者達は一斉に静まりかえった。

 しわぶき一つ立たない異様な静けさが体育館という密閉された空間を包み込む。

 観客の視線は会場内をくまなく巡った。

 どこから出てくる。

 壇上の舞台袖か、それとも新入生の一団の中からか。

 しかし、一向に姿を見せない様子に、会場にはざわつきが伝播でんぱするようにして広がって行く。

 はじめは小声だったそれは、時間が経つにつれて騒然となり体育館の空気を震わせ始める。


 ――その、ざわめきを破るようにして、扉が大きな音を立てて開かれた。


 開かれたのは体育館で最も大きな入場口だ。

 モノクルを着用した執事服の従者と、銀髪をシニョンに纏めたメイド服の従者によって開かれたその扉。

 体育館の外から射し込む陽光を背に、濃い紺色のローブを身に纏った異形の青年が歩みを進める。

 コツコツと美しい所作と、澱みのない、一定のリズムを持って刻まれる足音。

 ここに参加している貴族達は、それだけで彼が歩法に関する訓練を受けた人間だと読み取れる。

 この場における歩法とは即ち、貴族社交界における礼儀正しく美しい歩き方のことである。

 決して急ぎすぎず、焦らず、然して、堂々と。

 顔どころか頭の全てを覆う。

 漆黒の素地を発光するラインが彩る仮面マスクを被った青年は、臆することなく壇上へとたどり着いた。

 目にするあらゆるものが息を呑み、同時に目を奪われるその異容いよう

 空想作品の産物でしか拝めないその風貌ふうぼうは、まさしく正悪さだかならざる怪物ダークヒーロ、そのものである。


 彼は中央にあるマイクの元へとたどり着くと、暫く――。

 何をするでもなく、会場を見渡した。

 暗黒の眼差しにまれ、静寂をともなう緊張が来場者の間に走る。

 その様子に満足したのか――壇上へ登ったアルブレヒトは、一つ頷きを入れてからスピーチを始めた。





 ――バンッ、というけたたましい音を立てて扉は開かれた。


 続いて聞こえてくるのは、ドスドスという荒々しい足音。

 場所は学園寮はフェンサリル宮殿の最上階。

 つまりはアルブレヒトの自室である。

 入学式の終了と同時に、生徒達に捕まる前にそそくさと抜け出してきたザカリアは、部屋へ飛び込むなりずかずかと奥へと進みソファへとローブもそのままに倒れ伏した。

 仮面マスクがソファーと擦れるのがわずらわしい。

 開閉ボタンを押すと、頭全体を覆っていた漆黒の仮面マスクは不思議なことに、掌のサイズに自動で格納されていく。

 口元だけを覆うくちばしのようになった仮面マスクを、ザカリアはテーブルの上に放り投げた。


「あぁぁ――疲れ、た」


 肉体の疲労ではない。

 精神性の疲労が九割を占める疲労に、しわがれた猫のようなうめき声をザカリアは上げていた。


「アルブレヒト殿下、はしたなくございます」


 その様子に、従者であるハーゲンからの諫言かんげんが飛ぶ。


「いや――――――ッ! アルブレヒト殿下、もうサイっコ――でしたよ!

 入場の演出もばっちり! スピーチ前の演出もぴったり!

 私、殿下の勇姿を沢山写真に収めて王妃殿下と王女殿下にいっぱい送っちゃいました!」


 それら一切の様子を気にすることなく、入学式が終わってからこの方、ずっとテンションが高いままなのがヘイズルーンだ。

 式の直前になって不意に、


『殿下!

 入場のタイミングはお客様達が焦れて焦れて、限界に達したその時でお願いします!

 あと、歩くときは堂々と、焦らず、ゆっくり、一定のリズムで!

 スピーチ前には一度、会場を見渡して静けさを確認してからです!』


 と、演出の細やかな指示を入れてきたのが何を隠そう、彼女だ。

 その効果は、スピーチ終了後に割れんばかりの拍手が起こったことからも知れる。

 いや、逆の見方をすると効果がありすぎた。

 盛り上がりに盛り上がりすぎたため、当初の予定では会場内に予め用意された座席に戻るはずが、舞台横からはけて、こっそりと裏口から帰る羽目になったのだ。

 あの時、灯りのない舞台横を静かに誘導してくれた生徒会のメンバーらしき少女に一言。


「あの――スピーチ、かっこよかったです」


 と言って貰えたのが救いである。

 何はともあれ、ヘイズルーンが企図きとした演出は十全以上に効果を発揮した。

 その成果に彼女はいたくご満悦な様子で、ずっとテンションが高いままなのである。

 なお、自分の賢石シュヴァイゼンが、先ほどから通知音を鳴らし続けているのは意図的に無視している。

 ちらっと見た限りでは義母である王妃や、義妹からのメッセージが大量に届いていた気がしたが、今はちょっと、見る気力がない。


「しかし、この愚妹の趣味嗜好はともかく――アルブレヒト殿下のスピーチとしては、まずまずだったかと」

「――――。」


 あんまり意外な言葉に、思わず目をしばたかせる。

 大盛り上がりして居るメイドはともかく、その兄で謹厳実直を絵に描いたようなこの従者から、まさか褒められるとは思いもしなかった。

 そうか、この男が褒めてくれるのならば、まぁ、やったかいはあったのだろう。


「王室に現れた悪逆の王子としてあれ程まで、完璧なお披露目もないでしょう」


 ハーゲンは荷物の片付けをこなしながら、にこりともせずに言ってのけた。

 上げてから落とす完璧な従者っぷりに、賞賛くたばれを送りたい気持ちでいっぱいである。

 ともあれ、様々な過剰演出や間違った趣向があったにしろ。

 対外的にはあれが、アストニア王国第三王子アルブレヒトが初めて公の場に姿を現した、お披露目の場だったわけである。

 自身の感情や外見の雰囲気に対するあらゆる偏見はさておくとして。

 スピーチやその立ち振る舞いについて大きな失敗がなかったことは成功と言えるだろう。

 この従者おとこがこうしてからかってくると言う事は、そういう意味を持つのだと付き合って数ヶ月程度だが段々と理解してきた。

 悪口は悪口なので表立ってその言葉に感謝することはないものの、俺は心の中でその気遣いに礼を言うのだった。

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