第5話 入学式 その1

入学式 その1


 ザカリア・エーデルトラウト・フォン・サロニカ、という人物の来歴は少々特殊である。

 年齢は16歳。

 身長は179cmと少々大柄。

 髪型は主に黒髪を掻き上げ、オールバックに近いものにまとめ上げている。

 相貌は年齢の割に大人っぽく、線の細いところもあるが、どことなく野生動物のような野趣と鋭さがある。

 瞳は黒瞳。ただし、光の当たる加減によってはまるで夜空のようなきらめきを宿す。

 生家は平民の出ながら、数ヶ月前、とある騒動に巻き込まれた結果、貴族の家に所属することになった。

 家の名はサロニカ家。

 かつて、アストニド諸王国連合――通称、王国の領土であるテルマ・サロニカ州に所領を持って居たという古き名門。

 現在でこそ法服貴族として領地も城も持ち合わせない家柄ながら、由緒正しき歴史と格式を持ち合わせる知る人ぞ知る名家。

 ザカリアは、そのサロニカ家の長男として養子に近い形で拾い上げられ、今年から貴族に相応しい学識を手に入れるため、エリュズネル学園に入学する。

 数ヶ月前までは平民として暮らしていたため、未だ貴族社会のしきたりや価値観になれることが出来ず、戸惑いばかりの生活に少々疲れ気味。

 周囲からは、そうした貴族ながらに貧乏性な所をからかわれつつも、不器用でおごらない態度が、やがて認められていく。



 ――そういう事になっている。



 ◆



 実技試験から数日後。

 入学式の前日。

 ザカリアは学園敷地内に存在する学生寮の自室にいた。

 正確には、その内のリビングに、だ。

 学生寮に用意されたザカリアの部屋は非常に大きい。

 今くつろいでいるリビングが一つに、自分用の寝室が一つ。

 従者のための寝室が二つ。客室が三部屋ある。

 リビングを除いたそれぞれの部屋にはバスルームが備え付けてあるし、客室とて簡易かんいながらリビングと寝室が分かれた、それ自体がホテルルームの様な豪華さだ。

 このほかに簡単な書斎に加え、ビジネスな客を迎えるための応接間にシェフが使うことを前提とした本格的なキッチンも存在する。

 上階には、決して外からは見られないように配慮されたプールやジムと言った設備も備え付けられているに至っては、些かやり過ぎの嫌いがある。


 学園には大別して三種類の学生寮が存在する。

 一般の学生へ向けた、複数人がシェアハウスをして過ごすタイプの学生寮。

 富裕層や貴族へ向けた、ワンルームを貸し切るマンションタイプの学生寮。

 そして王族や広大な所領を持つなど、母国において重要な位置を占める王侯貴族へ向けて貸し出される宮殿のごとき学生寮である。


 特に王侯貴族向けの学生寮はその豪華さと煌びやかさ。そして住居とする住民達のたっとさから「フェンサリル宮殿」と呼ばれている。

 フェンサリル宮殿はその一階と二階部分は大広間となっており、それぞれ小規模から中規模のパーティーが開けるようになっている。

 王侯貴族という事もあり、社交の場を定期的に開かなければならないという、ハイソサエティ故の、のっぴきならない事情からもうけられた施設だ。

 建物全体としては十階建てと特別に高い高層建築とは言えないものの、その横幅たるや、実に学園の一校舎に匹敵するほどの広さである。


 さて、そんなフェンサリル宮殿の最上階。最も貴き御仁のみが利用するのを許される、ワンフロア全てを使用したスイート中のスイートルーム。

 その部屋こそが、ザカリアに与えられた自室だった。

 リビングの窓際に設置された一人用ソファーに腰掛け、ザカリアは珈琲を飲んでいた。

 時刻は昼下がり。窓から望む太陽は、高い位置を取っている。

 ザカリアの前のテーブル上には数枚の原稿用紙が散らばっている。

 その全てにザカリア自身の筆跡でスピーチの草稿そうこうが記されており、所々、修正が加えられた跡がある。修正は赤いペンで行われており、それだけはザカリアとは異なる筆跡の物だった。

 原稿の一行目。タイトルの記されるべき場所には「入学式スピーチ原稿」と書かれている。


殿、珈琲のおかわりはいかがですか」


 窓際に座るザカリアをそう呼びかけた人物は、ハーフエルフの従者、ハーゲンだ。

 モノクルを右目にめた長身痩躯ちょうしんそうくのこの従者は、コーヒーが半分ほど入ったポットを持ってザカリアの側に控えている。


「もらおう」


 その様子を当然のように受け止め、ザカリアは珈琲のおかわりを貰う。

 砂糖やミルクの有無は最早聞かれない。

 コーヒーをカップに注ぎ入れると、ごく自然な素早さでハーゲンは身をひいた。

 ザカリアは、この数日で完全に自分の好みに調整されたコーヒーを再び口にしながら、内心、その、今まで飲んだことのない珈琲の上等な味に舌を巻く思いでいた。


「それで、殿。原稿の方は出来上がりましたでしょうか」

「ああ、ざっと修正を終えた――つもりだ。確認の方を頼む」

「かしこまりました」


 ハーゲンはそう告げると、テーブルの上の原稿を受け取りながらリビングから下がっていった。

 こうなると、次にハーゲンが言葉を発するまでザカリアでも気がつけない。

 従者として、主人の必要なときに現れ、必要のないときにはまるで影のように消え去っている。

 ハーゲンという従者はそういう男だ。


「あ、殿ぁー、いまよろしいですかー?」


 入れ替わり、間延びした口調で呼びかけながら現れたのはハーゲンの妹であり、もう一人の従者メイドであるヘイズルーンだ。

 光の当たる加減によってはピンクにも見える独特の色合いをした銀髪の女性は、その手に男物のローブを手にしている。

 貫頭衣に近い形状の物だが、絢爛な刺繍が施されており、生地は遠目から見ても高価な物だと判るなめらかさ。

 下地は紺色だが、複数の糸で織り上げられたそれは見る確度によって色を変える工夫がなされている。


「明日の衣装なんですけれど、ローブはこれでいいとして仮面はこれで決定ですよね?!」


 ただ、ヘイズルーンが持っていたのはローブだけではなかった。

 左手にはローブの首辺りにあうようにして、一枚の仮面マスクがもたれている。

 顔全体を覆うそれは、社交界パーティーの様式としての仮面舞踏会に使用される物などではない、無骨さに溢れた物だ。

 黒色の素地に、口や目元を彩るようにして装飾代わりのラインが描かれているのは、せめてもの飾り気なのだろう。

 しかし、そのせいか、仮面は否応なしに怪人じみた容貌ようぼうとなってしまっていた。


「ヘイズルーンにまかせる」

「わっかりましたー!」


 ザカリアの半ば、投げやり気味な返答に対して、ヘイズルーンは喜色をにじませて返事をした。

 ルンルンとご機嫌にスキップをしながら彼女はドレッサールームへと消えていく。

 その部屋にはザカリアが身に纏う予定の服が何十着と存在している。

 おそらく、今度はあの衣装に合う小物類を合わせているのだろう。

 ザカリアの外で着る衣装は、大体がヘイズルーンのチョイスによる物だった。


「――――。」


 その後、暫くの静寂。

 ザカリアはカップの珈琲をゆっくりと飲み終えると、静かにソーサーの上に置いた。

 そして、周囲に従者の二人がいないことを注意深く確認すると――その場で猛烈に頭をかきむしり始めた。


「あぁぁ――どうしてこうなったッ!」


 心境としては学生寮全てを震わせるほどの大声を出したいが、実際は小声のため、うめき声に近い。

 ここ数日、我慢し続けてきたものが遂に爆発した瞬間だった。


「なんでこんな面倒くさいことになっているんだ――!

 殿――?

 ――?

 誰だそれは――ッ?!」


 無論、それはザカリア本人にも分かっている。

 殿


 ――すなわち、アルブレヒト・ツァハリアス・アーデルトラウト・フォン・アストニア。


 それこそが、ザカリア・エーデルトラウト・フォン・サロニカが名乗るべき本来の名前フルネームである。


 ザカリアという人物の来歴は少々特殊である。

 年齢は16歳で身長は179cmと少々大柄。

 生家を平民とする黒髪黒瞳の少年は、つい数ヶ月前、自身のそれまでつちかってきた価値観全てを一転する大事件に巻き込まれた結果、事もあろうかその国の王家へと加えられることとなった。

 大陸最大の領土を誇るアストニド諸王国連合。

 その宗主国たるアストニア王家の三男として迎え入れられた少年は、それまで名乗っていた「ザカリア」という名前に加えて、王族としての「アルブレヒト」という名前を与えられる。

 その後の王宮暮らしにおいて、彼が関わったいくつかの事件については割愛するが、まぁ、上手くやった方だとだけ伝えておこう。

 実際、ザカリアは慣れない環境に放り込まれながらも懸命に努力し、彼なりの最善を尽くしたのである。

 その結果、ザカリアは現在の義理の母である王妃、ロスウィータに気に入られ、こう告げられるに至る。


「アルブレヒト、貴方、学校へ行きなさい」


 くしくも、王室に加えられて以後に行われたザカリアの身辺調査に関する追加報告が王家へともたらされたタイミングだった。

 平民の生まれだったザカリアは幼い頃に母を亡くしている。

 そのため、その日暮らしの毎日を送っていた結果、学校を満足に卒業していなかったのだ。

 学業に関する一切の履歴が見当たらなかったことに悲嘆したロスウィータは、ザカリアを最高の学園へと放り込み、一流の授業を受けさせることを決意する。

 全ては同情あわれみではなく、善意よろこびからである。

 仲良くなった妹からも兄たちからもすすめられ、外堀を固められる結果となったザカリアには抵抗する余地があろう筈もなく。

 結果として、ザカリアのエリュズネル学園への入学計画は恐ろしい速度でトントン拍子に進むこととなった。

 かくして、ザカリアこと、アストニア王国のアルブレヒト殿下はエリュズネル学園への入学が決まった訳なのだが――それだけでは終わらなかったのである。


「でも、突然王子としての身分で学園に放り込まれても大変よね。

 そうだわ。ザカリアという身分でも入学しましょう、そうしましょう!」


 王妃のこの発言には流石の現国王も頭を抱えた。ザカリアの義理の兄たちもである。

 だが妙に盛り上がったのは義理の妹たちだ。


「お兄様がそんなに面白い目に遭うのなら、わたくし、応援しますわ!」


 と、母親を強力に援護した。

 家族関係において、女性陣という物は結託したら最強である。

 国王であれ、王子であれ、誰にも抵抗出来ぬまま、あっという間に事は進んだ。

 その結果がザカリアという下級貴族の人間と、アルブレヒトという大陸切っての王族、という二重身分カバープロフィールでの入学である。

 無論、これにはここでは語り尽くせない、割愛された諸事情が多数含まれている。

 時とタイミングが来たら明かされるべきそれらを、未だ秘しておきながら、当の本人であるザカリアへと視点を戻す。


「んあ――ッ!」


 ザカリアは、頭を抱えて未だ身もだえていた。


「大体、あのマスクとローブはなんだ?

 王子としてあの服装で入学式に出るのは良いか?!」


 無論よろしくはないのだろうことは、ザカリアにも判っている。

 だが、しかし。

 王妃と義妹の主導で行われたアルブレヒト殿下という存在の履歴カバーは以下のような物だった。


 曰く、幼い頃に疱瘡ほうそうわずらい、全身に消えない痕跡が残っている。

 曰く、顔は特に酷い有様で、肉はそげ落ち、おおよそ人とは思えない顔つきとなっている。

 そのため、アストニア王家に列することが最近になるまで認められなかったが、病気を乗り越え、数々のハンディキャップを背負いながらも成長した王子の姿を見て、王室も心を改めた。

 そして、今までの罪滅ぼしとしてエリュズネル学園へと入学を工面したが、心優しい王子は学友達の心を煩わせるのを良く思わず、その顔をマスクで覆い、その身体をローブで隠すことにしたのだという。


「どこのロマンス小説だ――ッ!」


 無論、王妃と義妹が嗜んでいたロマンス小説が元ネタである。若干以上に賢石シュヴァイゼンで遊んでいた乙女向けゲームの影響もあるが。

 こうして、王妃と義妹の悪ノリと溢れんばかりの善意によって、仮面の王子アルブレヒトは誕生したのである。

 何を隠そう、ザカリア本人がその人である。

 そして、明日、あのマスクとローブを羽織って入学式に出席するのもザカリア当人である。


「それなら、隅っこで目立たないようにしているから良い。

 いや、何をしても目立つのは確実だが何もしなければ波風も立たない。

 だがな――なんで、入学者代表挨拶なんてものを任されている?!」


 先ほどまでテーブルに存在したスピーチの草稿。

 それは、入学式代表としてアルブレヒト王子が行う挨拶のために書かれた物である。

 マスクを被り、ローブを羽織り、入学生の代表として壇上に登りスピーチを行う。

 なお、慣例よれば入学式の代表として選ばれるのは「入学試験の主席最も有望な生徒」だとされる。


「――裏口入学なのになッ!」


 アッハッハッハ、と乾いた笑いをひとしきり――できる限り小さな声で――あげてから、ザカリアはソファに深々と座り直した。


「憂鬱だ」


 明日のことが、今から。


「しかも、これだけじゃないんだよ――」


 呟きながら、ザカリアは自分の賢石シュヴァイゼンへと目を向けた。

 そこにはザカリアとして交換したハンスとルドヴィガの連絡先が入っている。

 寮に戻ってからかわした幾度かの会話。

 その内の一つには、別れ際にルドヴィガに頼まれた「例の双子」に関するモノがあった。

 ユグライアじゅ王国から学園に入学し、現在魔法学部に通っている麗しき双子姫ツヴァイリン


「――ああ、何も考えたくない」


 現実逃避を決め込んだザカリアは、そこで思考を止めた。

 何はともあれ、明日、全てが始まる。

 何も決心出来ぬまま、覚悟さえもままならない内に。


「憂鬱だ」


 その日、ザカリアは三十二回にわたりこの言葉を口にした。


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