第3話 初めての学園 その3

初めての学園 その3


「で、ザカリア。お前さん、この試験について詳しいか」


 ハンスの質問に俺は首を横に振った。

 俺たちは、今、連れだってぶらぶらと会場を歩いている所だ。

 

「寧ろ、ハンスこそなにか聞いてないか?」

「いいや、なんも。

 普通、試験だって言うなら事前に事細やかに指定されそうなもんだが、なーんも書いてなかったんだよな」


 そうなのだ。それで俺もハンスも困り果てている。

 先ほどからパンフレットを幾度も読み返しているが、試験の内容については行われる目的について書かれているものの、内容には一切触れられていない。


「抜き打ちか?」

「いや、それは学園の入学試験としてどうなんだろうな」


 本来入学試験とは、ある程度の方針が示され、それに従い事前に準備を重ねる物だ。

 その積み重ねを分かりやすく点数という形で評価し、個人の資質を判断する。

 そういう物だ。

 内容を一切隠して、抜き打ちで行われる入学試験など、試験として成り立つのかすら怪しい。


「そのあたり、貴族様だっていうなら特別、事前に知らされるとかありそうだけどな」


 ハンスのあけすけな物言いに苦笑を返す。


「まぁ、確かにそういったものがないとは言わないけどな」

「あ、やっぱりか?」

「ああ」


 事前に学園長に挨拶に行ったりといったことも、特典の一つに含まれるだろう。

 本来であれば、学園長室で会うといった行為そのものが一般生徒には難しい。

 正直なところ、俺からすれば面倒な義務、といった行為だが、それをありがたがる存在がいたとしても不思議ではない。

 たかが会うだけではあるが、それに至るまでには多くの積み重ねが必要なのだ。


「かぁ――やっぱ、コネクションの力は強ぇーよなぁ!」


 商家の息子の息子としてその辺り、思う所が山ほど有るのかハンスは大声で悔しがっている。

 もっとも、さすがに「そういったもの」の内容が裏口入学とまでは思い至らないみたいだが。


「こっちの話は置いておいて」


 ともあれ、貴族の特典について根掘り葉掘り聞かれるのはどうにも具合が悪い。話を戻そう。


「あ、試験だったな。まー貴族のお前さんも知らないって言うなら、そこいらに案内でもないかって話だけど」


 これが一向に見当たらない。一応演習場という事で広い敷地ではあるが、それ故に見晴らしの良い場所である。

 さすがに端の端まで見渡せる、とまでは行かないがそれでも案内の類を見失うような施設とは思えない。


「――なんか、おかしくね?」

「ああ、そうだな」


 この段階になってようやく、その当たり前の事に思い至った。

 周囲を見れば、同じく集められた受験生達がざわつき始めている。

 曰く、試験内容はなんだ。

 曰く、僕の魔法技能を示す格好の場が。

 曰く、トイレどこ。

 受験生各人、この名門エリュズネル学園を志す天才、才媛ばかりである。

 今日に備えて特訓に次ぐ特訓。勉強に次ぐ勉強。意気込んできた者たちばかりだろう。

 試験に落ちてしまえば、そんな彼ら、彼女らの努力が無に帰してしまうのだ。


 ――パン、パンッ。


「――はい、ちゅうもーく!」


 響き渡る手を打つ音。

 不安と緊張が場を支配し始めていた、そんなタイミングで声がかかった。

 周囲のざわつきがピタリと止むほどの大きく、そして良く通る女性の声だ。

 声の方向へ目をやれば、そこに燃え上がるように真っ赤な髪をサイドテールにした大柄な女性がいる。

 瞳は黄金ドラゴンカラー。だが、光の当たり具合によっては赤色にも見える独特の色合い。


「あー、当学園の兵学部教授、ラウラ・プファイファーだ。

 皆、ここに足労そくろうしてくれた事に感謝する」


 ラウラと名乗った教授が声を出したのに合わせて、その後ろ――おそらくは、兵学部の学生なのだろう、生徒達が机や機材らしき物を持ってぞろぞろと現れた。

 そして、予めっていたのだろう、地面に記された印に従って所定の位置にそれらを配置していく。


「これより、みなの魔法適性を見ていく試験を行う。

 なーに、案ずることはない。支持された機器に向かって、指示されたとおりのことを行ってくれればいい。

 ――なお、それ以外の行動を行った者の命! 安全! その他諸々は一切保証しないのでそのように! 保険など利かんと思え!」


 きーんっと。耳鳴りを残すような大声でラウラ教授は、そう、高らかと宣言した。

 なので、ほとんどの人間は耳鳴りによって、続く「賠償請求などされても払えんからな、薄給で」というぼやきは聞き取れなかっただろう。

 無論、その一方的な宣言に向かって怒りを露わにする生徒も出た。

 ここには自分のような、貴族階級の受験生もいるのだから、まぁ必然だろう。


「これで試験に落ちたらどうしてくれる!」

「試験内容は? 対策は? 予習する時間はくれるのか?」

「トイレどこ――ッ!」


 概ね、この三通りだ。

 一人が大声を上げると、連鎖的に不満を抱えていた受験生達の怒号が響き渡る。

 たった一人では声を上げる勇気が無くとも、集団の中の一人には誰だってなれるものだ。


「受験料高すぎんだろ――ッ!」


 金返せー! という見当違いな事を叫んでいる者も、どさくさに紛れている始末。

 何を隠そう、隣にいるハンスその人だった。

 なるほど。自分は感知してなかったが学園都市で試験を受けると言うだけでも、移動費用だけで莫大な物となりそうだ。それら込みの受験料と考えたら、よほど裕福な家庭でもなければ無視出来る額とは行くまい。

 なにしろ、この学園都市はどの国家にも帰属しない中立都市だ。

 それは、つまるところ、どの年からも大体、平等に遠いという事でもある。

 最高学府へ入学を志すにしろ、才能だけではどうしようもない部分も生じてくるに違いない。

 だが、今は全く関係がなかった。悲しいほどに。

 ハンスは、ただどさくさに紛れて不満言いたいことを叫びたいだけである。


「ええい、鎮まれ――ッ!」


 ――ドガーンッ! と。

 それ以外に形容の仕様のない轟音が辺り一面に炸裂した。

 ついでに教授の隣にあった机も炸裂している。

 使用された武器は主に教授の腕だろう。

 振り下ろされた片腕による打撃ストライク。与えられた加速よる大爆発インパクト

 その他諸々の要素により、哀れ、机は轟音と共に、跡形も無く粉みじんになった。

 あまりに、あんまりな分かりやすい暴力バイオレンスにぴったりと静まりかえる受験生達。

 辺りには、ただパラパラと破片机だったものが舞い落ちる音だけが響き渡る。


「うん。では、みんな。係員の指示に従うように」


 その様子に満足したのか、ラウラ教授は幾度か頷きながらそう告げると「散開!」と受験生達に指示を飛ばした。

 度肝を抜かれた受験生達は、まるでよくしつけられた犬のようにその指示に従っている。

 その様子を見てか、兵学部の学生達も呼び込みを開始した。

 彼らが叫んでいるのは、どうやら受験番号らしい。

 受験番号が呼ばれた生徒達は、所定の場所で器具を使って魔法試験を行うという仕組みな訳だ。


「お。俺たちは同じ場所か」

「みたいだな」


 先ほど受験票を見せたときに、こちらの受験番号も把握していたのだろう。

 呼び出しに反応したハンスが呟く。

 連れだって呼び出された場所へ向かえば、そこにあったのは受付と同じ簡易机と二人の試験担当なのだろう、兵学部の男子生徒達に一人の男性教授だ。

 自分達以外の受験生はと視線を巡らせれば、ちらほらと、まばらにではあるがそれらしき姿が見える。


 その中でもひときわ目を引く人物がいた。


 銀色の長い髪に、しゅっとした鋭利な印象の面立ち。鈍色に近い金色の瞳は、おそらくは獣人系の物だろう。

 髪の色からすると人狼系の種族かも知れない。

 身長も高い方で、男性と言っても通りそうな程に、中性的な美しさを持った少女だった。

 周囲には、自分達以外にも彼女へ向けてちらほらと視線を送っている受験生が見受けられる。

 ただ、誰もが窺うように視線の端に収めるようなスタンスで居るのに対して、隣にいたハンスだけが、臆することなく真っ直ぐに彼女を見つめている。

 まるで値踏みをするような視線だ。

 そこまで真っ直ぐに視線を向けられると――さすがに、気がついたのだろう。その少女とばっちりと目があった。

 ただしハンスではなく、俺と。

 お互い、パチパチと瞳を瞬かせる。

 その奇妙な構図にいたたまれなくなり、この場合は軽く腕でも振って挨拶すべきなのだろうかと悩み始めた辺りで、ハンスが大声を上げた。


「あ――ッ! どっかで見たと思ったら、お前、あれか! ロイエンタールの!」


 どうやら目の前の少女のことを言っているらしい。

 その名前に反応して、こちらに視線を向けていなかった受験生達も顔を振り向かせている。


(そうか、ロイエンタールか)


 名前は俺も聞いたことがあった。実際にその関係者にも何度か会ったことがある。

 ロイエンタールはこの大陸でも有数の「探偵」を生業にする家の名である。

 帝国の首都に本拠地を置く彼らは、人狼の血が混じっているという特性を遺憾なく活かし、失せ物捜しや、行方不明者の捜索。果てはペット捜しに至るまで手広く依頼を受ける市民のための「探偵」業を営んでいる。

 当初は初代ロイエンタール翁のみが有名な存在であったが、子孫達はその名を足がかりに各国の獣人達との間にネットワークを築き上げた。

 何かと風当たりの強い獣人達はこぞってその勇名を頼り始め、出来上がったのは帝国と王国という大陸の二大大国を股に掛ける巨大探偵ネットワークである。

 彼らの有する情報網は各国の情報部を一目を置くほどで、こと、地域に根ざしたアンダーグラウンドな情報に関しては公的機関を上回るほどの精度と確度を有する。

 それでいて依頼料は非常に安く、市民達は気軽に彼らのネットワークを利用した。

 結果、お互いに信頼関係を築き上げ、現在の名声を確立される。

 市民達からの絶大な信頼を勝ち取る情報のプロフェッショナル集団。

 それが、獣人による巨大探偵ネットワーク「ロイエンタール」である。


「そっか、バレちゃったみたいだね」


 と、少女はまるで悪戯がバレたみたいに軽く舌を出すと、こちらへ向けて歩み寄ってきた。

 ハンスはと言うとわなわなと驚きに震えている。

 先ほどコネクションがどうと言っていたから、商家の生まれとしてはロイエンタール家と繋がりを持てることが、果たしてどれ程の利益になるか、とか概ねその辺りを考えているのだろう。


「ご存知の通り、ロイエンタールだ。

 名前はルドヴィガ。

 堅苦しいから、ルーと呼んで欲しいかな」


 彼女は、そうやってフレンドリーに話しかけてきた。

 そして、あまりにも自然に右腕を差し出してくる。

 なるほど、外見のイメージ通りにスマートな立ち居、振る舞いだと感心するほかない。

 だがしかし、こちらは無骨な男。

 悲しいかな、その所作に平然と対応出来るほど対外スキルが高くなかった。主にハンスが、だが。


「お、おお、俺はハンスだ!」


 あれ程の大声を上げたのに、いざ面と向かって接するとこの始末である。

 震えながら名乗ったは良いが、差し出された手を取るまでいけずに半ば硬直している。

 ともあれ、その気持ちも分からない話ではない。


(近づいてみると、なるほどこれは独特のオーラがあるな)


 本来的な貴族の持つそれとはちがった、近づきがたい貴人としての雰囲気が彼女にはある。

 近くにありながら、触れ得ざるものとしてのり方。ハンスはそれに飲まれてしまったようだ。

 その様子にルドヴィガと名乗った彼女はどうにも困った様子で、差し出した腕が所在なさげに揺れている。


「俺はザカリアだ、よろしく頼む」


 仕方なく、俺はその腕を握って握手を交わす。

 ハンスのせっかくの機会を潰すようで気が引ける思いはあったが、彼女に対して礼を失するよりは良いだろう。

 ルドヴィガもようやく握手を交わせたことにほっとしたのか安堵の表情がうかがえた。


「こちらこそ、よろしくザカリアとハンス。

 いや、話し相手の一人でも簡単に見つかるだろうと思っていたのだけど、誰も近寄ってくれなくてね。

 困っていたところだったんだ」


 なるほど、それでハンスが大声を出したときに嫌な顔をするでもなく歓迎ムードだったのか。

 ちょっとした疑問に対してこぼれ落ちた回答に、思わず得心がゆく。


「まったく、人気者も楽じゃないよね」


 と、ちっとも困っていない表情で苦笑を浮かべるルドヴィガ。


「まったくだな」


 頷きながらハンスを見る。

 大抵の人物はハンスのようにミーハーな反応は示せても、実際目の当たりにすると頭が真っ白になってしまうのだろう。

 未だに、譫言のようなことを呟いて震えているハンスの様子からすると、一度話しかける勇気があっただけでも上等な部類だったのではなかろうか。


「しかし、ここは噂には聞いていたけど伏魔殿ふくまでんの様なところだね」

「そうなのか?」


 人が増えてきたので、俺たち3人は自然と最初にルドヴィガが居た端の方に移動した。

 話し相手に困っていたのは本当だったのか、すぐさま彼女は口を開いて雑談を始める。


「そうとも。私はロイエンタールだから色々顔や名前には聡い方なんだけど、ここから見る光景は壮観の一言さ」


 彼女の視線はここに雑然と集まる受験生達を向いている。

 演習場というだだっ広い施設だが、今年の学園を志望する受験生を受け入れいれる施設としては容量限界なのか、気づけば歩くのにも困るほどの混雑ぶりだ。


「右を見ても左を見ても、ここには貴族や各地方の有力者ばかり。

 教授陣を見ても名にし負うエリュズネル学園の天才達ばかり。

 どこを見ても才能と財力。権力とコネクションに満ちあふれた人物ばかりさ。

 ここにいる人達の写真を撮るだけで、然るべき所に流通させれば一財産になるだろうね」

「なるほど」


 写真を流通とは中々怖いことをさらっ言う。

 だが、その意見自体には概ね同意見だった。

 確かにここには大陸中の大金持ちに貴族連中。その子息や子女が溢れかえっている。

 それも社交界デビューする前の、公的には余り知られていない人物までもがここには無造作に集められているのだ。

 公の場に顔を出してない、そうした次代権力者の顔写真というのは、それはそれは情報価値として計り知れない物がある。

 何に使うかは千差万別だが――情報とは、案外こうした、どうでもよさげなところにこそ価値が生まれる物である。


「その点、君に会えたのもなかなかの伏魔殿っぷりなんだけどねハンス君」

「――うぇ?」


 先ほどの威勢の良さも成りを潜め、すっかり震えてばかりだったハンスだが、突然声をかけられて素っ頓狂な声を上げた。


「君も、その筋じゃあ結構有名だよ。

 最近、王国の方で力をつけ始めてきたハイデガー商会の秘蔵っ子。

 その才覚と好奇心。

 そして溢れんばかりの出世欲は、商会の次代を担う逸材ではないか――ってね?」

「――そうなのか?」

「そうだとも、って君、知らないのかい?」

「いや、俺もさっき知り合ったばかりだからな」

「ああ、同じ口だったのか。なるほどね」


 急に持ち上げられたハンスは周知になのか喜びになのか、顔色を二転三転させている。

 そして、ついに我慢の限界に達したのか、突然腕を振り上げると、その顔に不器用な笑みを貼り付けた。


「ふ、ふん、その通り!

 ハイデガー商会の秘蔵っ子にして、『世界で最も有名なハンス』とは俺のことだ!

 今に見ていろよ、ロイエンタールの!

 いずれ知らぬ者の居ない一大商会を築き上げる大人物こそ、この俺だからな!」


 おー、とその見事な啖呵たんかの切り方に二人で拍手を捧げる。

 人間、感情が限界を超えると沈むか上がるかのどちらかだが、ハンスはどうにも後者だったらしい。

 思えば、俺に加えてロイエンタールという有名人に話しかけてしっかりとコネクションを築き上げているのだから、確かに才覚という面で秀でているのかも知れない。

 もっとも、ルドヴィガに対する態度を見ると、まだいろいろなものが才能に追いついていない印象ではあるが。


「ただ、気になると言えば君もなんだけどね、ザカリア」

「ん?」


 意気軒昂、高まっていたハンスから視線をルドヴィガへ戻せば、彼女はこちらを覗き込むようにして顔を寄せていた。

 不意打ちの近さに、反射的に仰け反りそうになるが、それを察知したのかふっと彼女は距離を置き直す。


「私は、君の事を全く知らないんだ。悔しいことにね」

「ああ」


 そういうことか。

 探偵の名家で育った彼女をして知らない存在、と言うのが気になったのだろう。

 もしかすると、ハンスが声を上げたときに視線がかち合ったように思ったのは偶然でもなく、こちらを見ていたからなのか。

 話し相手になっていることだし、この場限りかも知れないとは言え、自分の素性を話すのも悪くはない。

 ただ、どこまで話したものか、と思案したところでハンスが口を挟んできた。


「そいつ、貴族様だってよ。サロニカの」


 言って良いよな、と視線だけで確認を取ってくるハンスに軽く頷きを返す。

 どのみち、フルネームくらいは素性を話したうちにも入らない。


「サロニカの貴族っていうと王国のテルマ・サロニカ州のかい?」

「ああ、その辺境貴族だ」


 テルマ・サロニカ州というのは王国――正式には、アストニド諸王国連合という国家を形成する州の一つである。

 大陸で最も広範な領土を持つ大国であるアストニド諸王国連合の中でも北方に位置する。

 その土地は、隣接するもう一つの大国である帝国――正式名称を帝政ルキアリア及び藩王国連盟の国境に位置している。

 王国からすると国境を形成する辺境。帝国からすると、最も近い王国という立ち位置にある交通の要衝だ。


「テルマ・サロニカの貴族はあらかた記憶している自信があったけれど、サロニカって名前は始めて聞いたよ」


 と、驚く顔のルドヴィガに対して俺は苦笑を返した。

 いやなに、おそらくはこれから学園で生活をするに当たって何度も同じ問答を繰り返すことになるんだろうな、と思うと苦笑いの一つも漏れてしまった。


「だよな、俺も始めて聞いたんだよ。

 なんだ、ロイエンタールの人間でも知らないって相当だぞ、お前」


 ハンスも、さすがに貴族の話になると周知よりも興味が勝るのか臆した様子もなく首を突っ込んでくる。


「いや、ほんとサロニカ家はマイナー貴族も良いところだからな。

 元は法服貴族で領地も城も持ってないんだ」


 その様子に、隠す必要もないので本当のところを言ってしまう。

 自分の名前であるサロニカ家はそれはもう、マイナー貴族も良いところなのだ。


「テルマ・サロニカに昔、所領を持っていた関係からサロニカの名前を名乗っている。

 けれど、それも遥かな昔の話、って聞いている。

 いまはただ、貴族としての称号だけが残るしがない一族って話だよ」


 だから知らないのも仕方がない、と肩をすくめて自嘲気味に話す。

 ハンスはそれで納得したのか、ふーんと、鼻を鳴らしている。

 ただ、それで納得しないのはルドヴィガだった。


「うーん、でも法服貴族だとしても聞いたことないって事はない筈なんだけど」


 探偵一門の人間としてその辺りはしっかり叩き込まれているのだろう。

 頭の重箱をひっくり返して、どうにか記憶が転がり落ちてこないかと首を右に左に傾げている。


「ま、ついでに言うと俺も最近知った話だしな」

「「え」」


 こちらの告げた言葉に、二人は全く同じ声を上げた。

 いや、同時に顔を寄せられると怖いのだが――サメが食いつくようなその反応に、またしても背を仰け反らせてしまう。


「いや、俺、最近まで平民だったんだよ。

 色々あって、まぁ、貴族の家に入ることになったんだ」


 その色々については本当に、一言では語り尽くせない出来事があったので省く。

 自分としても、本当につい数ヶ月前まで平民だったのだ。

 そこからのあまりの世界の変わり様に心も頭もついて行けてないのが正直なところだ。

 貴族だと告げたときの周囲の反応も、今まで見上げるだけだった、豪華絢爛な社会に入っていくという実感も。

 俺の中にはその一切が存在しない。


「あー、それなら私が知らないっていうのも、あり得るのかな」

「お前、ただの貴族のボンボンじゃなかったんだな」


 こちらの濁した言葉に、勝手に色々と察してくれたようだ。

 奥行きのある言葉というのはこういう時に便利極まりない。


「というか、ハンスお前」


 こっちを貴族のボンボンだとみていたのか。

 抗議の視線を送ると、ハンスはまるで悪びれない様子で悪い、悪い、と平謝りを返している。

 まぁ、そのように思われること自体はこちらとしても悪い話ではない。

 なんにしろ、貴族と思われるのならそれに越した事はないのだから。


「だってお前、お高い服に着られている感が満載なんだもん」

「ふふっ、確かにそうかもね」

「それは、――ほっとけ」


 ただ、ファッションセンスが原因だったと言われて少しばかりしょんぼりした気分になった。

 雰囲気や、風采ならともかくファッション。ファッションか。


「――そんなに、変か?」

「変」

「おろしたての服を着た子供みたいだね」


 しょんぼりだ。

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