第1話 初めての学園 その1

初めての学園 その1


 4月の頭。飛行船クロイツ・シーフに揺られること数時間。

 俺は王都アストニアから学園都市アゲルカムイに降り立った。

目的地は都市の中央にあるエリュズネル学園。

 目的は、新学期から学園に入学するための諸手続だ。


「ザカリア様、こちらに」

「ああ――」


 従者に促されて空港の前に止められていた黒塗りの自動船フルーク・シフに乗る。大型でカスタマイズされた、いわゆるリムジンタイプのシフだ。

 前方にあるナンバープレートを見た限り、学園都市の所属を示していたことから考えると、このシフはこの都市内を移動するためだけに王国で所有しているシフなのだろう。


「これから学園まで30分ほどですが、慣れませんか、ザカリア様」

「こればっかりはな」


 隠すこともあるまいと、ため息をつく。

 常時感じている緊張感から、自然と心理的な負担が溜まっているのだ。

 こちら様子を見て、前方。広い船内で向かい合わせに座る切れ長のメガネをかけたこの従者――ハーゲンはうっすらと笑みを浮かべている。


「それは重畳ちょうじょう。下手に増長ぞうちょうされるよりは結構です。

 仕事が大変やり易い」


 金属じみた光沢の銀髪をかき上げながら言い放つと、それに合わせて窓から射し込む陽光に右目のモノクルがきらめいた。


「もー、兄さんはすぐそういうことを言うー。

 ザカリア様? ゆっくり慣れていって下されば全然構いませんからね?

 がんばっ、ですよ!」


 そんな従者ハーゲンの様子をたしなめるように言うのは、彼の隣に座るもう一人の従者、ヘイズルーンだ。

 ピンク色の混じった銀色の髪をシニョンの形に編み上げている彼女は、人よりも長い耳を揺らしながら、こちらにエールを送っている。

 まるで正反対の反応を示すこの二人だが、これでいて兄妹だというのだから驚きだ。

 ハーフエルフのこの兄妹は王室に仕えて50年あまりになるという。

 王宮勤めの従者の中でもとびっきりの二人だが、今回は自分の入学に合わせて付き添いの従者として国王がつけてくれたのだ。

 なんともありがたい話だが――同時に、心理的なプレッシャーは相当な物がある。


「ああ、まぁ――、それなりに、な」


 なので、ヘイズルーンの応援にも曖昧な笑顔で返答するしかできない。

 二人と向き合ったまま座ることに耐えられず視線をらせば、窓の外、学園都市の風景が流れていく。

 高級車の柔らかな座席に身を預けながら、目的地に到着するまで、それを何をするでもなく眺めていた。



 北方大陸ニヴルベルグの中央に位置しながら、学園都市アゲルカムイとして自治独立する都市にある唯一の学園がエリュズネルだ。

 エリュズネル学園はこの北方大陸ニヴルベルグの名実共に最高学府である。

 設立経緯については、この都市が信仰の中心地であった所から始まる壮大な物語になるため省くとするが、人口30万から50万とも言われる学園都市に住まうそのほとんどが学園に関連する仕事に従事しているとされる。

 おおよその住民達の生活の中心には学園が存在し、その運営のために生活を営む。

 学園のための住民であり、学園のための都市。

 それ故に、アゲルカムイは学園都市を名乗っている。

 自治独立すると同時に、周辺諸国のあらゆる権力に対する中立を宣言するこの都市は、最初期においては信仰の中心地として機能していたが、集まった人々によって私塾が開かれた結果、次第に巨大な学園へと発展していった。

 そして、宗教という超国家的なものに属する人々によって営まれた学園は、どの国家権力にもおもねることなく学問が研究され、周辺に対して最も開放的な学園と認識されることとなる。

 それに目を付けたのは周辺諸国の王侯貴族達だ。

 学術という物はとかく、支配者にとって頭を悩ませる性質の物である。

 歴史認識にしろ、魔法学にしろ、それらの根底にあるのは「世界の仕組みとして何が正しいのか」という一点に尽きる。

 世界に対するあらゆる疑問、あらゆる謎に対して答えを求めていく物が学問である以上、それらを高度なレベルで身につけた人間は世界の仕組みに対して鋭敏になり、正否を見出だす。


 ――そして、それは、もちろん国家と、それを支配する王侯貴族達に対しても、だ。


 自分達の国の正当性を高めるために、偏った教育、偏った学問を構築する。あるいはそもそも学問その物を制限するというのは、時の為政者にとってはある種、必要不可欠な「手段」であったと言える。

 だが、独立、中立の地域に高度なレベルで学問を教える組織が生まれたとき、その手段は途端に悪手に切り替わってしまったのだ。

 王侯貴族達は、しかし、抜け目なく都市に対して利用価値を見いだした。

 記録によれば、それは現在で言う王国と帝国、二つの二大大国によってほぼ同時に行われたという。


 即ち、王族の公式な入学である。

 

 時の王子や王女達をこの学園へ入学させ、偏りのない学問を身につけさせることによりこの学園自体にブランドイメージを持たせることを大国の為政者達は考えたのだ。

 学園の教えている内容が非常に高度な内容だったのも、彼らにとっては都合が良かった。

 自分達が間違っていると糾弾されるリスクを前に、彼らは公平中立な学問を為政者が受けているという免罪符を手に入れる道を選んだのである。

 結局の所、これが決め手となり都市は学園都市として大きく発展を遂げながら、周辺諸国による示し合わせによって中立が堅固に維持されることとなった。

 同時に、大陸各地の王侯貴族達が通う学園という事で飛躍的にブランドイメージは高まり、それに比例するように学園で取り扱われる授業のレベルは並び立つ存在のいない、最高峰へと至った。

 無論、それまでと同じように一般人にも学舎の扉は開かれ続け、結果として一般人にとっても一角の人物を目指すのならば避けては通れない登竜門として学園は機能することとなった。

 現在のエリュズネル学園は幼稚園児から大学、大学院を経て研究員まで。

 揺りかごから墓場までを体現する最高学府となっている。

 つまるところ、通うだけで各国のエリート中のエリート。

 将来を約束された人間のみがこの門をくぐることを許される。

 そんな、北方大陸ニヴルベルグの中で最も輝かしい土地が学園都市アゲルカムイ所属エリュズネル学園である。



 そんな、学園に対するつらつらとした一般知識を思い返しながらエレベーターに揺られていた俺だったが、チーン、というベルによって目的階に着いたことを知らされ我に返る。

 ハーゲンとヘイズルーンは既に学園寮へ向かって現在は住居の準備中。

 自分はと言うと、学園敷地内の中でも最も大きな一般校舎。その最上階に足を運んでいた。

 廊下をしばらく歩けば、さほど時間もかからず目的の一室にたどり着く。

 扉の上には「学園長室」の文字。

 入学前の挨拶に単独で訪れたのだった。

 重厚な木製の扉をノックすると、少しの間をおいて透き通るような女性の声が聞こえた。


『開いてますよー』


 扉越しにくぐもったそれを了承と受け取り、「失礼します」と一言声をかけてから入室する。

 室内は、廊下から想像していた以上に広い部屋だった。

 奥に細長い作りをしており、手前には低いテーブルに柔らかそうなソファーが二つ。

 それを置いてなお、悠々と歩けるほどの空間が確保された両脇には、天井まで届く本棚がはめ込まれている。

 部屋の奥には、そんな、悠々とした空間を贅沢に使う高級で大きな机がひとつ。

 それを挟んで向こう側。椅子に腰掛け、机に両肘を突いてこちらを見つめるの姿がある。


(――――は?)


 その姿を認めて、思考が一瞬だが固まった。

 おかしい。ここは学園長室の筈である。

 大陸全土に名高きエリュズネル学園。その長の部屋である。

 人工的な影響を感じさせるほど不自然な発色の、青色と紫色の入り交じる長い髪。

 幼い相貌に、リゾート地の海を彷彿とさせる碧色の瞳。

 非現実的な生物としての配色に強い違和感を覚えるものの、自分の目の前に居るのは紛うことなく人間としてのである。

 扉の前で聞こえた声は、確かに高い声だったが――この部屋には、この以外にの余人よじんは誰一人として存在しない。

 となると――信じたくない現実が、頭の片隅に真実としてよぎり始める。

 そんなこちらの内心も露知らず。

 血管の色さえうかがい知れそうなほどに真っ白な肌のは、半ば、机と椅子に埋もれるようにしながら、こちらへ開口一番に告げた。


「ようこそ学園へお越し下さいました――殿

「――――、――あの」


 告げられた言葉の意味に、思わず、背筋に静電気でも流されたような反応を返してしまう。

 こめかみの辺りに嫌な汗の感触。

 視線は思わず室内を巡り、周囲の安全を確認してしまう。


「冗談です。いまは、ザカリア――ザカリア・エーデルトラウト・フォン・サロニカ、でしたか」

「――はい。そちらの名前でお願いします」


 はニコリと笑いながら告げるが、こちらとしてはまったく笑えない冗談だ。


「隠す必要もないと思うんですけど、面倒くさいことこの上ないですね」


 ま、それが俗世ですかー、とどこか他人事ひとごとのようには呟く。

 こちらとしては、半ば命を賭して隠さなければならない事実を軽々けいけい、口にされてはたまったものではない。

 だが、そんな事実を知るという事は。


「あの、もしかしなくてもなのですが」

「はい?」

「――サルビア、ですよね?」


 必死に認めていなかった推測を、口にした。


「――はい、私がサルビアですよー」


 返ってきたのは予想通りの言葉。


「サルビアちゃん、って呼んでくれても結構ですよ?」


 御年うん百歳を誇る、この学園のサルビア=ルピナスこそが、このである。



「まあ、それも冗談として――本当に良く来てくれましたね、ザカリアさん。

 私ともども、学園は貴方を歓迎します」


 本当にこちらをからかうための冗談だったのか、表情を真面目な――それでも、幼い相貌そうぼうのため、子供が無理をしているような可愛げが残るのだが――ものに切り替えたサルビアは、歓迎の言葉を告げた。


「はい。こちらも、誉れ高きエリュズネル学園に入学出来て嬉しく思います」


 返答として、こちらも感謝の念を伝える。

 戸惑いはあったが、目上の者に対する礼儀は礼儀。

 形式上のやりとりとは言え、こうした行為の積み重ねは大切なことである。

 ことさらに他国との文化に接する際はなおのこと。

 あらかじめ決められた形式に則って「礼儀」を示すというのは、それだけ間違いのない、確実な交流方法なのだ。


「うんうん、ザカリアさんは真面目ですねー」


 ポイント高いですよー、はい、と告げる目の前の学園長が例え少女にしか見えなくとも、形式に則っている限り、礼儀は失さない。

 正気も保てる。


「それで、先ほどのやりとりで判ったかと思いますが――そちらの事情について」


 サルビアはそこで一息間をおいてから言葉を続けた。


「当学園としては、理解しています。

 学園都市アゲルカムイは絶対中立の都市ではありますが、学園に入学する生徒達はみなどこかの国、どこかの異邦の出身者ですから、それによる問題は誰もが抱えているものです。

 ですから、大丈夫。

 貴方の学園生活は、学園長サルビア=ルピナスの名においてここに保証しますよ、ザカリア」


 サルビアはそう告げるとにっこりと笑みを浮かべた。

 自分は言葉とその笑顔に安堵の息を吐き出す。

 ここで非情な現実を告げられるという事は万が一にも存在しないと思っていたが、それはそれとして心象が良いか悪いかの違いはある。


(少なくとも、悪いようには思われてない)


 歓迎という言葉が社交辞令だろうと、笑顔がたとえ、自分が見抜けぬほどに精巧に作られた物だったとしても、――少なくとも、こちらを受け入れるという姿勢がある。

 その事実を確認出来ただけで、自分にとっては第一関門を突破したような物だ。


「その気遣いに、心より御礼申し上げます。サルビア学園長」


 王宮で嫌というほど叩き込まれた一礼をして感謝の意を示す。


「あ、ただそれはそれとしてですね」


 と、サルビアはこちらを見ながら弓の形に細めていた目を開きつつ、今思い出したとばかりに告げた。


「貴方の場合、入学試験をコネでクリアー!

 という――まぁ王侯貴族の方達はのっぴきならない事情がままあるので、これ自体はよくあることなんですが――あれな入学方法をしているじゃないですか?」

「は、――――。」


 頷くべきか、いや、頷いたらまずいんじゃないのかこれは。

 思わぬ問いかけにまたしても硬直する。

 だがこちらの様子に構うこともなく、サルビアの言葉は続く。


「で、まぁそっちはともかくとして、ザカリアさん。

 アル――なんとかさんではない方の、貴方の身分について学籍を設けるために。

 とりあえず形式上だけでも入学試験を受けてもらおう、という事になっているんですよ」


 こちらについて、聞いてましたか? とサルビアは尋ねてくる。

 小首をかしげるサルビアに、自分は頷きを返した。


「はい。こちらに来るときにあらかじめ入学試験だけは受けるように、と。

 筆記についてはともかく、その前の実技試験について。

 そちらは様々な人の目に触れるため、逆に存在しなければ怪しまれるからと釘を刺されています」


 先ほどの唐突な事実確認には肝を冷やしたが、こちらについても事前に学園都市を訪れる前に言い含められていたことだ。

 学園としても齟齬の無いよう、確認をしておきたかったのだろう。


「よろしい。では、明日の入学試験、忘れずに参加して下さいね。

 出なかったりしたら、ザカリアさんの学籍、ありませんからねー」


 これ以上ないほどのにこやかな笑顔でサルビアが告げるのを前に、何度目か知れない引きつった笑みで応じながら、俺は学園長室を後にするのだった。



「ふーん、あれがザカリアくんかー」


 彼が去った後の学園長室。

 私、ことサルビア=ルピナス。御年うん百歳は、自分の体格には些か大きすぎる椅子に深々と座りながら、机の上に乗せられている資料をぼんやりと眺めていた。

 学生証を作るのに必要な一枚の写真が添えられた、それまでの学歴を纏めた履歴書だ。


 ザカリア・エーデルトラウト・フォン・サロニカ


 そう記された氏名は、彼の事情を知るからだろうか。写真の彼となんだかミスマッチな感覚がある。

 上手く例えることは出来ないが、どことなく、名前自体が彼自身の物となっていないような違和感だ。


「アストニアの王族の方々には困った物だけど、ユグライアのかわいこちゃんのためなら仕方ないよねー」


 と、口にしながら、私は脳裏に見め麗しい双子のハイエルフの姿を思い浮かべる。

 幼い頃からよく知る双子の姉妹は、去年からこの学園に通う新入生だ。

 ユグライア樹王国という宗教国家における王族に位置する彼女たちは、現在、非常に危うい立ち位置にある。

 いや、彼女たちがと言うのは間違いか。それは、少しばかり私情が入った評価だろう。

 正しくは、彼女たちの国は、と言うべきだ。


「でも、ザカリアくんもそんなに悪い子じゃなさそうだし」


 なんだか面白いことになりそうかな、ならないかな。なるといいなー、などとぼんやりと考える。

 かれこれ、このエリュズネル学園が成立して以来、様々な生徒達を見てきたけれど、毎年のように問題を抱えた少年少女が、この学園へと入学してきた。

 そうした生徒達の全員が幸せにこの学園を卒業出来た訳ではないけれど――毎年のように、自分は彼らの、彼女らの幸せを祈ってきた。

 だから、今回も同じように。彼と、彼女たちが幸福に。この問題を解決出来ますようにと私は祈る。


 ――ただ、それはそれとして。


「――今年は、なんだか面白くなりそうな予感がするなー」


 主にこのザカリアという少年を中心として、のっぴきならない様々なおもしろエピソードが生まれそうだという予感に打ち震えている。

 机の上に乗せられたザカリアの書類をぺらっと一枚めくれば、その下にはもう一枚。別の人物の書類がある。

 そこに載せられた写真を見つめること数秒。


「ふ、――くふっ」


 堪えられずに、私は笑い声を上げ始めた。


「いや、いやいやいや――やっぱない。やっぱないよこれ!」


 そこに写っていたのは仮面を被った異形の人物。

 全身にローブを纏ったその人物の注意事項には、全身に疱瘡ほうそうあり、と書かれている。

 つまるところ、身体に昔負った病気の痕が残っているから全身を隠しているという説明文。

 それを見ながら、私は不謹慎にも、やはり込み上げてくる笑いを堪えられない。


「あ――――、どうなるのかな、今年は!」


 それからしばらくの間、私は仕事そっちのけで今年の楽しい予定について、あれやこれやと想像を膨らませるのだった。


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