双生のヘクセンタンツ

古癒瑠璃

双子の妖精姫《アールヴ・ツヴァイリン》

プロローグ ありふれた5月のこと。





――まことの恋が平穏無事に進んだためしはない

  ‘The course of true love never did run smooth.’

                『夏の夜の夢』第一幕第一場




 まず始めに、彼女たちの話をしよう。

 思い返してみれば、物語ものがたることはたくさんあるけれど。

 振り返ってみれば、思い出の数に限りはないけれども。

 恋するだれかを想うことの意味は、彼女たちから教わったから。




 時は聖歴せいれき2014年。

 北方大陸ニヴルベルグの中央に位置する、学園都市アゲルカムイでの出来事だ。




1.プロローグ ありふれた5月のこと。


 5月。入学式の騒動からしばらく経って、エリュズネル学園は落ち着きを取り戻しつつあった。

 マンフレート教授の顔色の悪さに起因するスリリングな授業も終わり、時刻は昼過ぎ。一般部中央校舎の東棟三階は昼食を楽しみにする食べ盛りの生徒達によって、弛緩した空気に包まれている。

 一体型の長机が三列に、バネ仕掛けで席を立てば跳ね上がる椅子。

 黒板へ向かって段々と傾斜した教室。

 窓のないこの教室を我先にと、四隅に設けられた扉から生徒達は飛び出していく。

 最上段に座る俺は、そんな様子を尻目に机の上に広げられた教科書とノートを整えると、脇に置いていた革鞄カバンにしまいこむ。

 途中、指先に感じたやわらかな感触に、落ち着かない物を感じた。


「どうした、ザカリア。そんな苦虫噛みつぶしたような顔をして」

「ハンスか」


 栗色の髪。童顔。ドングリのような瞳の少年。右隣の座席に座る友人、ハンスがこちらを覗き込むようにして怪訝な様子で見つめている。


「いや、なに。慣れなくてな」

「なにに」

革鞄カバンの感触に」


 返答に、ハンスは「なに言ってるんだ、コイツ」といった胡乱うろんな物を見つめる目付きをした。

 当然だろう、俺だってそう思う。

 だが、本当にその通りなのだから仕方がない。

 革で出来ているとは到底思えない、あまりになめらかな感触は触るたびに違和感が背筋を走る。

 自分の知っている革というのはもっとゴワゴワとしていて、硬く、亀裂のような傷がそこかしこに入っていながら、それでいて堅牢な安心感をもたらす物だ。

 まかり間違っても触るだけで心地よさを指先に与えるような物でもなければ、どことなく、香り立つような気品を感じさせる代物ではない。


「はは、一か月経っても君はそんなだね」


 銀色の長い髪。シュッとした面立ちに金色の瞳の少女。左隣の席に座るもう一人の友人、ルドヴィガにもそんな言葉を掛けられる。


「そんなに慣れないものかい?」


 どことなく中性的で落ち着いた声音を耳にしながら、俺はため息をついた。


「まったく、これっぽっちも慣れない」


 困ったもんだ、と革鞄カバンの蓋を心なしか強めに閉じる。

 貴族となって数ヶ月。一般人として永らくつちかわれてきた価値観は、高級志向という物をどうにも受け付けようとしないのだ。


「俺らからしたら羨ましいもんだけどな」

「そうだね。良い物を持てるというのは、それだけで贅沢だ。

 たったそれだけ。けれどそれだけの事を願う人は驚くほど多いはずだよ」


 私とかね、とルドヴィガは歌うように告げる。

 正直なところ、望むのならこの革鞄カバンを讓り、そこらへんで安く売っている頑丈な革鞄カバンと取り替えたい。

 だが、それは友人達を侮ることになるだろう、と衝動は、妄想だけにとどめおく。

 どのみち、この学園で生活する限り、この革鞄カバンからも、高級志向からも逃れられはしないのだ。

 いま手元にあるコイツをなくしたところで、新しい物に交換されるだけ。

 抗議をしたところで、沼地に杭を打ち込むように詮無せんないことだというのはこの一か月で嫌というほど味合わされた。


「まぁ、雑な物を持てないってのは確かに面倒くさいかも知れないけどよ」


 それだっての義務だろう、とハンスに告げられ俺はがっくりとうな垂れる。


「貧乏性だとな。持ち上げるのにも気を使うんだよ」


 例えば肩から吊り下げているとき。机を横切るときでさえ擦らないか神経質になる。

 例えば肩から降ろすとき。普段なら地面に適当に降ろせる物を、高級品だとそうはいかない。地面の埃がつかないか。あるいは誰かに蹴り飛ばされないか。それどころか自分で踏みつけやしないか。

 そんなことばかりが頭をよぎる。


「それはまた、難儀なんぎだね」

「お前、男なのに細かすぎんだろ」


 そうした旨を告げたところ、友人達からは不憫な物を見つめる視線を送られた。

 同情や、憐憫れんびんと言うよりは、り方それ自体が不器用な動物を見てしまったときに近い。具体的には肥満体のとか、そんな。

 なんとも人肌くらいの体温が乗った視線だ。


「ほっとけ」


 その視線の感触を拭い去るよう、悪態をつく。

 時刻は12時を少し回ったくらい。

 そろそろ昼食を確保しに行かなければ、次の授業に差し障りが出る。


「さ、そろそろ学食にでも行こうじゃないか。ザカリアは次は、南の方だろう?

 早く食べないと、次の移動に間に合わなくなるよ」


 言いながら、ルドヴィガはこちらの肩をポンポンと叩いて促してくる。

 口元には爽やかな笑み。唇からは、少しだけ犬歯が覗いている。

 それだけといえば、それだけの動作。

 だけど、触れた指先は驚くほどに真っ白で爪まで整っているし、なんなら、身動きをする度に爽やかな雰囲気が周囲にまき散らされている。


「お前より、よっぽどこいつの方が貴族らしいわな」

「俺もそう思う」

「?」


 あんまりにもキラキラした表情で、異性を問わずフレンドリーに接してくる彼女には目眩がする思いだ。

 俺だけじゃなく、ハンスも、他の生徒達も同様だろう。

 性別を問わず人気を集めている、この中性的な友人の個性を、正直なところ、見習える物ならば見習いたい。

 躊躇ためらわず、高級な物にもおくしそうにない心のり方は、貴族になって日の浅い庶民根性にまみれた自分には羨ましい限りである。


「ともあれ、ルーの言うとおりだ。そろそろ席を確保しに行こうぜ」


 ――と。

 ハンスの言葉に頷き立ち上がろうとした時だった。

 自分の座る座席から右側の方。

 ハンスの向こう側にある扉に隔てられた廊下から喧騒が聞こえてきた。

 乱暴者がわめき散らす、怒号やそのたぐいの物とは違う。

 聞こえてくるのは甲高かんだかい悲鳴。

 それも、喜色にまみれた驚愕の声のつらなりだ。

 かすかに聞こえるほどだったそれらは、徐々に、徐々に大きくなり、やがて扉一枚を隔てた向こう側でピタリと立ち止まる。


「あー、ザカリア。俺たちは学食行ってくるわ」

「うん。申し訳ないけれど、そうさせて貰うよ」


 その様子に、ここ一週間余り、断続的に繰り返されてきた光景を察したのか、ハンスとルドヴィガは、そそくさと俺から遠ざかっている。


「じゃな」

「あでゅー」

――」



 っと、二人は止める間もなく反対側の扉から逃げ出していった。


「――ってくれても、いいだろう」


 取り残されたのは革鞄カバンを前に、扉の向こう側に不穏と喧騒を抱えた俺だけ。

 教室内には気づけば誰一人として残されていなかった。薄情者め。

 いっそのこと、俺も二人を追いかけて逃げ出そうかと思案したが、それをすれば更に面倒くさいことになると知っている。

 具体的には二日ほど前に試した結果、学園の高等部区域全体の昼食が脅かされるという惨劇が発生した。

 あの時は参加者一同、教授のお歴々からこっぴどく怒られたのでもう二度と繰り返したくない経験として脳裏に刻まれている。

 なので、逃げるという選択肢は残されていない。あるのは現実逃避という名の束の間の妄想だけ。

 今日こそは来るまい、明日こそは来るまい。そう信じて幾日か。

 実際、昨日は反省したのか来なかったから今日も来ないだろうと油断していた。

 その過ちを、精算しなければならない。


 ――扉の向こう側の喧騒が、ピタリと止んだ。

   おそらくは姉の方が周囲を黙らせたに違いあるまい。


 暫時ざんじの後、群衆がバラバラとはける音がそぼろな雨のように聞こえて、途絶える。

 扉に手のかかる音の後、開かれるのに合わせて、滞った教室の空気が彼女たちに吸い寄せられるかのように走り出した。


「ザカリア――さっさと生徒会室に行くわよ!」


 扉を開け放った勢いのまま、その場所で声を上げるのは姉の方。

 髪の色は透けるようなプラチナブロンド。

 腰丈まで伸ばされたツインテール。

 風になびびいた髪間から弾かれるように現れたのは、特徴的な長い耳。

 木洩れ日に揺れるような緑眼を真っ直ぐに、今日もルキアは俺のことを迎えに来たらしい。

 口調が荒々しいのを見るに、周囲には本当に誰も居ないのだろう。

 彼女が立ち去るように告げたのならば、逆らえる人間は極僅かしかこの世に存在しない。


「お前が来ないから、無駄な時間を使いました。

 ――早く来なさい、ザカリア。仕事の時間です」


 次いで、ルキアの隣に寄り添い立つ妹も静かながらに声を上げた。

 姉と同じく、透けるようなプラチナブロンドの髪をポニーテールに結い上げた少女。

 腰丈ほどの長さのそれは、先端部が三つ編み結い上げられ、二つに分けられている。

 細められた鋭利な瞳は、どことなく不機嫌な猫の様子を思わせる。


「お前は庶務なのですから、仕事は山積さんせきしています。

 ここで、潰している暇などありませんよ」


 だが、その実。彼女の気性は猫なんかよりも遙かに荒く、なんなら、獲物を求めて疾駆しっくする肉食獣のそれに近い。

 逃げる素振りを見せよう物なら、すぐさま喉元に食らいつくくらいの容赦のなさが、彼女の武器だ。

 故に、彼女が暇がないと言ったら、いかに昼休みだろうと、なんだろうと、暇はない。今、この時よりなくなった。


「俺は、放っておいて欲しいんだけどな、テレサ」


 それでも、理解していても悪態だけは口をつく。

 これで昼飯なしでの奉仕労働が確定したのだ、愚痴の一つや二つ、漏らさなければやっていられない。


「なにを今更」


 告げられたテレサは、ふんっ、と鼻を鳴らして歯牙にもかけていない様子。


ときから、お前に自由など無くなったと心がけなさい」

「ええ、その通りよザカリヤ。

 恨むのであれば、あの時、不遜な自分自身を呪うことね」


 姉妹そろっての糾弾に、俺は言葉通り、一か月前の自分を深く呪い上げた。

 迂闊にも、彼女たちに好奇心を持って話しかけた自分の愚かしさが、その後の学校生活から平穏という物を奪い去ったのだ。

 いや、理由は分かっている。

 だから、後悔の方向は「何故」ではなく「どうして」という言葉につきる。


「――どうして、こうなったのか」


 うな垂れる俺の腕を、つかつかと歩み寄った姉妹はむんずとつかむと、華奢な身体に見合わぬ膂力りょりょくで引っ張り出した。

 まるで駄々をこねる子どものような有様でずりずりと廊下を引きずられながら、俺は一か月前の軽挙を思い返す。


 ――この学園には、見め麗しいの双子のエルフが存在する。


 そんな噂が、この学園にあると知ったのは入学試験でのことだった。


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