第7話 いきなりドラゴン

 ヘッドマウントディスプレイに取り付けられたスピーカーから、5.1chサラウンド、バイポーラルに迫力のある咆哮が聞こえてくる。


 虎か、鰐か、獅子か、それとも牛か。

 その声を作成するにあたって、参考にした動物は分からないけれど、火の球を口から放出し、堅い皮膚に覆われた前脚で、城門をがりがりと壊す眼前の化け物は、夢に出てきそうなくらいの大迫力であった。


 船の帆のように大きな翼。

 紅色をした肌には無数の凹凸があり、まるで岩のような見栄えがする。

 それでも腹回りは乳白色になっていて、そこにならかろうじて、人の刃が入りそうな気がした。おそらく急所には間違いないだろう。


「うわぁああああ!!」


「いっ、いきなりですかぁあああ!!」


「はい。いきなりドラゴンと遭遇です。どうです、大迫力でしょう。このシーンを作成するためにKADOKAWAさんから頂いた予算の三分の一を投入しました」


 金の使いどころを間違っていやしないだろうか。


 いや、とても迫力があって、ファーストインパクトは抜群だけれども。


 いきなりゲームを開始するなり、幻想世界へとやってきた余韻も何もなく、ドラゴンが襲ってくるなんて、誰もそんなこと想像しやしないだろうけれども。


 あぁ、びっくりしたぁ。


「ちょっと、某洋ゲーと同じ始まりじゃないですか!! パロディを控えろとか言ってたくせに、この始まり方は許されない感じじゃないですか!! ギルティじゃないですか!!」


「……はて、えるにゃーにゃーすくにょーる、ほにゃららりおん? 知りませんね?」


「絶対に知ってる誤魔化し方をしましたよね!! すっとぼけやがって!!」


「加賀さん!! 加賀さん!! 言ってる場合じゃない、はやくこれ、なんとかしないと!!」


 僕たちが居る砦がドラゴンにより蹂躙されていく。

 逃げ惑う兵士たちが、ドラゴンの吐き出す火の球により、一人ずつ潰されていく。その翼が巻き起こすつむじ風により、砦の縁に置かれた物資が崩れ落ちる。


 ひとたび天に舞えば、太陽の光は完全に隠れる。


 巨竜襲来。


 いきなりのボス級モンスターの登場に、僕たちはすっかりと度肝を抜かれた。

 抜かれながらも、そこはゲーマー。最近はもっぱらソシャゲばかりとはいえ、どういう展開にも対応してこそ腕の見せ所である。


 ここが仮想現実だと自覚していることもある。


 別に死んでしまっても現実世界に戻れなくなるとか、そんなペナルティがないこともある。とにかく、僕は冷静にその巨竜の倒し方を考えた。


 まずは、自分たちのステータスを今一度確認しよう。


============================

【キャラクター名】 アルベール

【HP】 12 【SP】 4

【筋力】 14 【体力】 8 【知力】 11 【発想力】 9

【魔力】 16 【器用さ】 10 【敏捷さ】 5 【幸運】 9

【職業】 ドルイド

【スキル】

 ・炎の矢 : 火炎の矢を起こし遠距離攻撃する

 ・茨の盾 : 茨を発生し敵の攻撃を遮断(4ダイス分減算)する

 ・精神集中 : 指定したステータスを+2する

 ・幻惑 : 敵の行動を阻害する

 ・精霊の加護 : アイテムに魔法効果(ステータス+1)を与える

【運命】

 ・富貴なる者の務め : 

  自分より貧しい者の請願があればそれに応じなければならない

============================


============================

【キャラクター名】 レオ

【HP】 19 【SP】 4

【筋力】 11 【体力】 17 【知力】 6 【発想力】 7

【魔力】 8 【器用さ】 15 【敏捷さ】 11 【幸運】 6

【職業】 騎士

【スキル】 

 ・返し刃 : 二回命中判定を行うことができる

 ・鍔迫り合い : 敵の攻撃を自分の攻撃で相殺できる

 ・武器奪い : 敵が武器を持っている場合それを奪う(無効化する)

 ・投石 : 石を投げて遠距離攻撃を行う

【運命】

 ・天敵 :

  特定の種族のモンスターを攻撃するとき追加で成功判定を行う

  種族の特定はプレイヤーが指定する ⇒ スライム

============================ 


 今、竜に対して有効だと思われる攻撃はこの中にあるだろうか。

 幸いなことに、どちらも【運命】に該当する状況には追い込まれていないので、プレイにおいて不利益をこうむることはないだろう。

 そこについてはまず一安心だ。


 だが――。


「どう考えても、これ、詰んでますよね!!」


「序盤で出会うモンスターじゃないですよ!! ちょっと、GMちゃんと仕事しろ!! モンスターの配置くらい考えてください!!」


 空飛ぶモンスターに対して、いったいどうやって攻撃を加えるのが正解なのか、まったくもって分からない。過去にやったゲームの知識を寄せ集めれば、飛行系の敵には飛び道具系の攻撃が有効だったりする。

 すると、炎の矢と投石が有効だったりするのだろうか。


 ぐじぐじと、考えていても仕方がない――。


「攻撃します!! 早速ですけれど、スキル炎の矢でドラゴンを攻撃!!」


「森野さん!! 援護します!! 私もスキル投石を使って攻撃!!」


「えー、これはどう考えてもイベントバトルですので、攻撃を行うことはできません。しばし、ドラゴンが暴れ終わるまでお待ちください」


「「分かってたけれど早く言って!!」」


 イベントバトルだよね。そうだよね。

 そりゃそうだよ、だっていきなりRPGでラスボスクラスのモンスターが、右も左も分からない僕たちに襲い掛かってくるのだから。


 そりゃ普通に考えて勝てないし、いくら自由度のあるゲームだからって、この状況でどうにかできたら大したものだよ。

 そもそもこのVRTRPGでは戦闘の際に【俊敏さ】の順にキャラクターが行動を宣言してバトルの処理を行っていくとチュートリアルを受けた。けれど、まったくそんな処理はなかった。


 冷静に考えればこれはイベントである。

 けれどもあまりにドラゴンが、僕たちに向かって吠え立てるし、空中を我が物顔で舞っているものだからついつい焦ってしまった。


 そうだ、ゲームをコントロールしている栖原さんに任していればいいんだ。

 僕たちは初心者。

 行動を選択しなくてはいけない場面では、適切な情報と、適切な選択肢を与えてくれることだろう。


 しばし、ドラゴンが暴れまわった砦。

 砦の中に詰めていた、雇われ傭兵たちの大半が死に絶えた後、まるで満足したような吐息を吐き出すと、ドラゴンは天へと昇って行ったのだった。

 大きな翼をはためかせれば、破壊された瓦礫が舞う。

 それはもう、見るに堪えない酷い惨状だった。


 はぁ、と言うため息と共に隠れていた倉庫から僕と加賀さんは出る。いや、正確には加賀さんのキャラクターと僕のキャラクターが出る。


 僕がメイクしたキャラクター。白色の髪をしたのっぽメカクレの魔法使いはアルベール。基本ステータスを設定すればそれで後はキャラクターの背景などを詰める必要はないそうだが、そこは僕も過程を楽しむと決めた人間だ。せっかくなので、いろいろと過去設定を持ってみた。

 元は貴族。公爵家の三男坊。ある時、父親が占い師から、三男坊が家に災いを呼び込むだろうと告げられたおかげで縁を切られて修道院へ。そのままそこで一生を終えてもよかったのだが、耐えきれずに出奔。

 たどり着いた森の中で、たまたま出会ったドルイド僧の師匠から魔法を習い今に至る。かつてのしがらみを捨てて、冒険者として生きているが、どうにも貴族らしい甘い考えが抜けない青年――というものだ。

 うん、我ながらなんかそれっぽいのができたように思う。


 対して加賀さんがプレイしているキャラクターはレオ。

 そう、名前から察していただきたいが、彼女は自分と同性ではなく、あえて別性のキャラクターを選択した。ステータス的にも女性キャラクターとして扱うには難があったのもさることながら――。


「いやぁ、一度、美少年キャラクターとかを演じて見たかったんですよね。思いがけずメインアタッカーが巡って来て、これはチャンスかなと」


 とのことであった。

 妄想爆発させて男キャラクターを演じることを選んだ彼女。その性癖の尖りっぷりもさることながら、それをおくびもなくやれる度胸がちょっとうらやましい。

 なかなか僕と違って筋の通ったオタクだなと、ちょっと感心してしまった。


 なんにしても、彼女が扱うレオはいかにもな前衛職。

 ちょっと日に焼けた体に、紅色のフルプレートメイルを見に纏った少年騎士だ。生意気そうというより勝気な感じの顔つきに、紅色が溶け込んだ髪の毛をしている。主人公キャラというよりは、主人公のライバルや先輩とかで出てきそうな感じのキャラクターだ。

 いいキャラクターメイクのセンスをしていると僕は思った。


 ともすると、陰キャのイメージをそのまま持ってきたような僕のアーベルよりよっぽど冒険の主人公っぽい。いや、実際冒険の主人公は彼なのだろう。


 彼の姿には流石になんというか華があった。

 まだ、モンスターと闘ってもいないのに。


「これ、キャラクターのスキンとかって、自動生成しているんですよね」


「えぇ。米国のMMORPGのキャラクターメイクシステムを参考にして、骨格から筋肉の付き方まで再現していますよ。もっとも、向こうのリアル志向なスキン作成システムだと、あまり日本のオタク受けしないので、ちょっと微調整は加えていますけど」


「……なんで僕と加賀さんで、ここまで差が出てしまうんでしょう?」


「それはやっぱり、キャラクターに対する愛じゃないかなぁ」


「加賀さんはこれまでの長い年月、妄想のキャラクターを脳内でビルドしてきたわけですから、それはディティールの詰め方とか、細部へのこだわりだとか、ツボを押さえたキャラクター造詣だとか、そういうのは得意ですよ。長年にわたる孤独が、彼女の中でキャラクターのビジョンを確立する能力を鍛えたという訳ですね」


「その言い方は、ちょっと、絶妙に傷つく」


 また、栖原さんが加賀さんをいじめる。

 どうしてそう加賀さんに対して辛らつなのだろう。

 お客様なのだから、もうちょっと丁寧に扱ってあげてもいいんじゃないだろうかと思うのだけれど、どうして栖原さんはそう扱わない。


 これでもかと加賀さんをおちょくる姿には、ちょっと気の毒なところがあった。


 けれども、彼女の操るレオがこのVRTRPGのキーパーソンなのは違いない。


「……くそっ、まさかいきなり砦を襲われるなんて」


「怪我はないかいレオ?」


「あぁ。俺は大丈夫だ。けれど、こりゃまた酷い惨状だ。傭兵部隊はこれじゃ壊滅だな。すぐに街に応援要請の使いを出さなきゃならない。竜が出たのも、国境を守る砦が破壊されたのも、由々しき事態だ」


 そんな台詞を勝手に吐くレオとアルベール。


 彼ら二人の性格と関係性については、栖原さんたちに報告している。

 砦の傭兵業につく前からの付き合いという部分から、このようにシーンで必要な台詞は、自動で作り出してくれるらしい。


 これらをいちいち僕たちが考えて――演じるのもまたいいのだけれど。


「それだと流石に長丁場。明日の御仕事に差し支えてしまいますからね。まぁ、今回は初心者お二人ということもありますし。ある程度はご容赦を」


 ということで、栖原さんがアシストしてくれたという訳だ。

 限りなく僕たちがメイクしたキャラクターの雰囲気を損なわず、それでいてそれっぽい応答を用意してくれる。人工知能で出力してくれているのか、それとも、元からそういうテンプレートを用意してくれているのか。仕組みは分からないけれど、ロールプレイになれていない人間には、なんとも助かるアシストだった。


 もっとも最後に。


「このやり取りを考えるのが、TRPGの醍醐味なんですから。ほんと、要所要所だけですよ」


 と、念押しはされた。


 確かに。

 TRPGは物語を作っていく過程を楽しむ遊びである。

 なのに、それを初心者だからと言う理由で、店員の栖原さんに丸投げして任せてしまっては仕方ない。なんのためにこのゲームをしに来ているのか、分かったものではない。

 キャラクターに自由なロールや台詞を吐かせることができるからこそのTRPGだ。そして、その行動に応じたリアルな映像を見れるからこそのVRTRPGだ。まさしく、この遊びの根幹にかかわる部分を僕たちは投げ出しているのだ。


 はい、すみませんという言葉しかなかった。


 とはいえそのアシストは素直に助かる。


「まぁ、栖原さんの言う通りなんですけど。やっぱりこう、いざ自分でキャラクターの台詞を考えるとなると、こう、喉にひっかかってしまうというか」


「……ですねぇ。ちょっと、恥ずかしいというか、勇気がいると言いますか」


「キャラメイクで性癖爆発させておいて、今更なことを言いますね。こんな、私が考えた最高の王子様みたいなディティールを恥ずかしげもなく注文しておいて。ラノベのキャラみたいに自己投影しやすいよう薄い味付けのキャラクターを注文しておいて」


「「ぎゃぁあーーーーっ!!」」


 ぐっさりと、僕たちのキャラクターの特徴を的確に抉ってくる栖原さん。

 プレオープンということだが、TRPG自体は自分でシステムを作るほどなのだからやり慣れているのだろう。実に的を射たキャラクター分析に、僕たちは絶叫した。


 だって仕方がないじゃないか。

 理想のキャラクターを設定するのと、演じるのとでは大きな剥離がある。

 ぼくのかんがえたさいきょうのほにゃららがみんなのくろれきし、なのは、そこのハードルが低いからである。そこから先、実際に話として動かすには、小説にしろ漫画にしろ技量が必要になる。


 そう、キャラを作るのは割とできる。

 立っているか、魅力的かは別として。


 けど、キャラを動かすのは――それも活き活きと自分の思考と切り離して、キャラ立ちさせて動かすには創作の経験が必要になってくるのだ。


 そんなものを創作のその字もやったことない人間に求めないでほしい。

 オンラインゲームでもネカマもやらずにほぼ無言プレイ。ともすれば必要最低限の会話さえできず、アイコンやネットスラングで会話を済ます域から出ることができなかった人間に、キャラクターになりきって台詞を吐くなど、それらしいロールをするなどできはしないのだ。


 いや、だったらどうしてこんなVRTRPGスペースなんて所に来たんだって、そういう話になってしまうんだけれど。


「はぁ、まぁ、この辺りは、一回ふんぎりがついちゃえば後は早いんですがね」


「……すみません、まだちょっとそんな勇気は出てこないです」


「設定はシートに書くだけだからまだダメージが小さいですけど、台詞は流石に言葉に出して言うだけあってハードルが高いです。破壊力が、破壊力が違います」


「……これ、最終的には有名俳優とかとタイアップして、理想の声で理想のキャラをとか言ってるんですけどね。よかったですね、まだそこまで開発が進んでなくて」


「……マヂ無理。推しが自分の考えた台詞を合成音声で言うとか、尊みで死ぬ」


 想像したのだろう。

 自分の理想のキャラが、理想の声優の声でしゃべっている光景を。

 脳内彼氏を作成し、更になんか勝手に声を当てている感じの加賀さんである。もし本当にそんな事態になったら、実際死んでしまうんではないだろうか。僕には自分のキャラが押しの声で話すという状況は想像できないけれど、加賀さんが倒れる状況はちょっとだけ想像できた。


 その手の沼から足を洗っておいて正解だった。

 まぁ、男のキャラクターなので推しも何も――あ、けど、美少年のキャラを女性が当てるとか普通にあるしな。


 たとえば、エドの――。


「……んんッ!!」


「……どうしたんです、森野さん?」


「……なんだか咳き込んでますけど、大丈夫ですか、森野さん」


「な、なんでもありません。いや、はい、まったくなんでも」


 そんな僕たちを、僕たちの分身は無視して話を進めていく。

 どうやらまだ名もない声優か、それとも僕がオタク界隈から離れてから有名になった声優なのか、はたまた同人声優なのか分からないが、うまい具合に僕たちの嗜好を回避したその声で、彼らは話を回してくれた。


 残された傭兵たち。

 生きている中で、おそらくもっとも階級が高いか、あるいは信頼されているのであろう老兵の下に彼らは集まる。

 傭兵なのにやけに統率力があるなとか、連携感が半端ないなとか、この老兵キャラ明らかに作りこんであるなとか、いろいろなことは思ったけれどあえてツッコまなかった。それを言い出すと、栖原さんも含んでの泥沼試合になってしまって、このプレイスペースから笑って出られなくなる気がしたのでやめておいた。


 厨二病と本気は本来違う軸にあるものだ。

 厨二病でも本気でやれば、それは馬鹿にできないものなのだ。


「西の蛮族やモンスターたちに向けて作られたこの砦だが、よもやドラゴンに襲われるとは想像していなかった。今、国は東に大国、北に海賊国と難敵を抱えてとても難しい状況にある。統率力に長じる王の私設軍をみだりに動かすことはできないから、我々のような者が雇われている訳だが」


「団長。今回の損害を考えれば、この砦はもうあってないようなものです」


「早急に立て直さなければいけません。兵は動かせないにしても、砦を再建するのに必要な人夫。できれば追加の傭兵を集めてこなければ」


「王都への連絡も必要です。辛く長い旅になるでしょう」


 うむ、と、頷く老兵。

 すぐさま彼は僕と加賀さん――のプレイしているキャラクターに視線を向けた。


 話の導入として、この上なくシンプルな流れである。

 ちょっと選ばれた理由とかが不明瞭で、使命感もわきにくいけれどまぁこんなもの。冒険に出発する理由として、妥当な所ではないだろうか。


「……いいよね加賀さん」


「レオっすよ、森野さん」


 と、ここで未だにキャラクターになり切れていないことを加賀さんから指摘される。

 没入感が足りないのか、それとも羞恥心がまだ勝っているのか、やっぱりキャラクターとして発言する気にはちょっとなれない。


 加賀さんはもう慣れてしまったのだろうかと思う僕の横で、彼女のアバターであるレオが眉を額に寄せていた。


「アルベール、そしてレオ。お前たちこそ街に向かう任務に適任かと思うのだが、どうだろうか。我々の命を救うために、ひいては国の大事を救うために、王都まで駆けてくれないだろうか」


 その問いかけに対して、きっとアルベールとレオは「お任せください」と応えると思っていた。そこまで、このシナリオのプレイヤーが介入することのできない、RPGの御約束部分だと思っていた。


 けれどもどうやら、それはゲーム機でやるRPG、あるいは和製RPGだけのものらしい。TRPGについては、それが当てはまらないのだ、これはもっと自由なゲームなのだということを、僕は加賀さんの次の言葉で知った。


「栖原さん、ここからロールプレイ開始――というか可能ということでいいですか?」


「はい。察しがよくて助かります、加賀さん。おっと、レオさんの方がいいですか」


「そうですね。では、これから栖原さんもGMさんと呼びますね」


「えっ、えっ? どういうことです、か――レオさん?」


「傭兵団を預かる団長から、王都への応援要請の依頼を受けたところから、私たちは自由にこの冒険の選択肢を選ぶことができるということですよ。いえ、選択肢なんてものじゃない。自由に物語を作っていくことができるというべきでしょう」


 本当なんですかと姿の見えない栖原さんに尋ねる。

 VR世界に彼女の姿は見えない。代わりに、彼女が操っているのだろうノンプレイアブルキャラクター、その現在会話している者たちの代表である傭兵団の団長が、こくりと一回首を縦に振った。


 マジかと思わず言葉が喉奥に滑り落ちる。

 TRPG。自由度が高いゲームだというのは知っていたけれど、まさかここまでのものとは考えていなかった。せいぜい、GMが作ったシナリオの上を、なんやかんやで歩まされるような、そんなものだと思っていた。


 このレベルから自由に振舞えるのか。


「あ、勘違いしないでくださいね。これ、シナリオリソースとGMの経験がそこそこあるからできる芸当ですので。初心者レベルのTRPGなら、まず有無を言わさず旅立っているところですので」


「……うん?」


「GMがとても優秀ってことですよ。TRPGをやり慣れてくると、プレイヤーの突拍子もない行動や、シナリオからの逸脱についても、自在にGM側でコントロールできるようになってくるんです」


「つまり、す……GMさんが即興で対応してくれているってことですか?」


「はい、アルベールさん」


 今度ははっきりと団長さんこと栖原さんが首を縦に振る。

 眼帯で左目を覆った大柄な男。白い髭を蓄えたたくましい偉丈夫は、まるで僕たちにどんな行動を取ってもいいんだぞという感じの余裕ある表情を向けて来た。


 そんな瞳を向けられても困る。

 自由度の高い洋ゲーは何度かやったことはある。MODを入れて遊んだこともある。けれどもプレイは割と王道の域を出ていなかったし、そんな何度も繰り返していろいろなシナリオを楽しんだわけではない。


 どうしてもいいと言われると、正直迷った。


「……か、レオさん? どうすればいいんですか?」


「レオさんより、レオ呼びの方がいい気がしますね。あ、私たち、同年齢だということも分かったことですし、ちょっと喋り口も対等な感じで行くのはどうでしょう。磯野と中島くらいの気軽さで」


「男女でそれって大丈夫かな。けどまぁ、うん、レオ……がいいなら」


「では、アルベール。正直、このまま団長に言われるまま、王都に向かってもいいし、こんな仕事やっていられるかとこの場で傭兵を抜けてもいい。なんだったら、団長と仲間たちの首を取って、西の蛮族とやらに寝返るということもできるし、ここに残っていつやってくるとも分からない蛮族やモンスターたちとの戦いに明け暮れることもできる」


 こっそりこの傭兵団を抜けて旅立つこともできるだろう。そんなことまでできるのだと、あらためてTRPGの奥深さを考えさせる口ぶりだった。

 もちろん、それはGMというのをやってくれている、店員の栖原さんの臨機応変さ、そしてその臨機応変についてくることができるVRTRPGシステムの優秀さというのがあってこそなのだろうが。


 自由過ぎるというのも、悩ましいものである。

 正直、僕はこれと言ってどうすればいいのか、これから先どのような行動を取ることが、このゲームとして正解なのかさっぱりと分からなかった。


「……任せていいかなレオ。僕は君の決定についていくよ」


「お、いいっすね、そのロール。まさに主体性のない、主人公についてくる幼馴染冒険者という感じで」


「それ、完璧にメタな発言だけれど大丈夫?」


 別にアルベールとしてその発言をしたわけではないのだけれど、言われてくるとしっくりくるような台詞だった。


 長らく冒険者としてコンビを組みながら、レオを立てて一歩引いているアルベール。向こう見ずな彼を大筋では信頼しつつ、いざという時には的確なアドバイスで諫めるチームの頭脳役。まさしく理想的な後衛職。

 僕が彼に投影したキャラクター像はそんな所だ。

 たしかに、それに先ほどの台詞は合致している。


 ただ、別にロールして言った訳ではなかった。


 プレイヤーとしての発言と、キャラクターとしての発言が混在してしまって困る。難しいなTRPGって。


「さて、任されたなら俺が決めなくちゃだなぁ。うぅん、まぁ、王道の冒険ファンタジーなら、話を振られてウンと頷かなくちゃなんだけれども。ここはせっかくTRPGの世界、いろいろな可能性を試してみたい」


「えぇ、もちろん。この傭兵団の団長からの願いを断って、どのような話を展開するのかというのも、なかなかGMとして興味深いものがあります」


「……ちなみに、断った場合のシナリオの分岐について、ヒントをいただくことは?」


「メタ発言は控えましょうね、レオさん」


 くぎを刺される加賀さん。

 やっぱり任せるのはまずかったか。加賀さんもまた、これからどのように展開させるべきか、ちょっと自信はないようだった。


 けれども、少し考えて――。


「断ります。砦に残って、皆と闘うロールをします。成功判定を」


「では、なぜそうするのか団長に向かって弁舌を奮ってください。成功判定に必要な要素の説明については、まずはロールの後ということにしましょう」


 加賀さんは、団長の頼みをあえて断るという決断をした。

 彼女にこのゲームの主導を投げた僕は、どうして彼女がその選択をしたのか、それを面白いのかと思ったのか、尋ねる権利はなかった。

 任せたのだからそれに付き合うのが筋である。


 しかし――そうする理由の説明か。

 はじめてプレイヤーとして喋る内容としては、なかなかハードなものではないだろうか。


 加賀さんがキャラメイクをしたレオは、どことなく直情的な感じのキャラクターだ。頼まれた物事を断るという選択をするようには思えない。また、先ほどのロールしていない時の台詞にもあるように、王都に早急に応援に向かう必要があるということを十分理解している。


 それを抜きにして断る理由があるのだろうか。


 僕ならちょっとその内容を思いつかない。

 たぶん、いろいろなプレイがしたいと思いつつ、王都に向かって旅立つという所だけは揺るがすことはできなかっただろう。このあたりに、加賀さんのTRPGにかける思いの強さみたいなものを僕は感じた。


 一呼吸を置いて、彼女は語り始める。


「王都に使いを出すのは必要なことです。それは俺も理解しています。しかしながら、俺以外にも人はいます。まずはもう一度、人選を考え直してみてはどうでしょうか」


 微妙なロールだった。

 暗に行きたくないという感情で話しているのがまるわかりだ。

 もうちょっとうまくロールするかなと思ったけれども、意外と加賀さんは交渉とか得意じゃないのかもしれない。


 うぅん、と、僕は任せたというのに、その交渉に思わずうなっていた。


「それでは通りませんね。判定するまでもなく失敗です。更に傭兵団の団長は、貴方が感情的に断ったことに嫌悪感を抱きました」


「……ありゃ」


「では、団長のロールです。人選については十分に吟味した上だ。冒険者としての実力や、残された傭兵団の面子の中で、誰が最も素早くそして確実に王都に到着できるだろうか。それを考慮して、お前たち二人に行って貰うのが妥当だろうと判断した」


「ほう、誰が最も素早くときたか」


 加賀さん演じるレオが不敵にほほ笑む。

 ヘッドマウントディスプレイを通して、彼女の表情はプレイアブルキャラクターに反映されているみたいだ。レオの不敵な表情は、加賀さんがしている表情に違いなかった。


 背筋を汗が走る。


 何度か会社のミーティングの席で感じたことのあるやり取りだった。

 それも抜き差しならない案件。どちらかというと、顧客にこちらの瑕疵について説明するときに、言葉尻を捕まえられたときに感じる、下手な失言をしたという感じのものだった。


 交渉事が下手かと思ったがそうではない。

 さっきの一見すると無意味な台詞は、団長の人選についての情報を引き出すために、あえて出した台詞であった。


 同じくヘッドマウントディスプレイを着用しているのだろうか、しまったなという感じに団長こと栖原さんの操るキャラクターの表情が変わった。


「素早さという点を考えたとき俺たちはそれほど適任な人材ではない。騎士と魔法使いだ、体力については自信があるけれど、スピードについては自信はない。冒険慣れはしているからアクシデントの類には対処できるが、向かうのは内地だ。敵が入り込んでいる訳でもないのだから、それほど危険な旅路じゃない。それこそこういうのはもっと適任者――騎士団の連絡役に仕事を回した方がいいんじゃないか?」


「……理はあるな」


「今はこの砦を破壊され、敵にみすみす国土への侵入を許してしまうことの方が重大なことのように思う。俺とアルベールはどちらかというと、お使いよりも戦闘向きだ。この砦に置いておいて、龍による蹂躙をかぎつけた蛮族やモンスターどもを追い払う役に使った方が、適任だと感じるがいかがか?」


「……ふむ」


「という所で、再人選のロールをお願いします。幸運値で、生き残ったメンバーの中に、斥候や内地との伝達をしていた者がいないかを判定してください」


 分かりましたと頷く団長。

 すると、すぐに僕たちの手の中にダイスが突然浮き出した。


 TRPGにおいて、その行動が成功したかどうかを判定する、行為判定というものだろう。いきなりファンタジーのキャラクターがサイコロを持ち出してというのは、なかなか没入感を台無しにしてくれるものだが、そういう遊びなのだから仕方がない。


 あるいは、画面右上などに結果だけを表示する電子サイコロなどでもいいのかもしれないが、あえて振るように設定したのはおそらく栖原さんの意匠なのだろう。


 これはこれで悪くない。


「ステータス幸運による行動判定を行います。2D6+幸運値で生存者が決定。10人に一人、斥候あるいは内地との連絡役がいるとして、20以上の値を出すことができれば、本ロールは成功したものとします」


「……なるほど」


「ステータス知力による判定ではなく、幸運値による判定に持って行ったのはよかったですね。ナイスプレイングですレオさん。相当、脳内一人プレイを重ねたのでしょう」


「メタなのなしって言いましたよね。GMが積極的にそういうのやってくるの、どうかと思うんですけれど」


「なお、判定に失敗した場合、団長からのヘイトは更に高まります。もはや砦から旅立つのは不可避と思ってください。では、どちらがダイスを振りますか?」


 あ、やっぱり振るのはどちらか一人か。

 僕の手元と加賀さん――が操るレオの手元にダイスが現れたので、どういう扱い(僕がダイスを振るのか、彼女が振るのか)になるのだろうかと思ったのだけれど、それはそうだよな。生存者の数が、それぞれ振った結果の大きい方なんてのは、ちょっと話としてもご都合主義過ぎる。

 そこは厳密にやるべきだろう。


 ステータスを確認する。

 僕と加賀さん、それぞれのキャラクターの幸運値は――。


 アルベールが9。

 レオが6。


「2D6の期待値が7として、結構厳しい幸運値判定っすね」


「……期待値?」


「サイコロを振った際に出る値の中央値ですね。統計などを勉強されていると分かるかもしれませんが、組み合わせとして6面体ダイスを振った時に出る組み合わせで、一番多いのは7なんです」


 ちょっと考えてみる。


 まず、7の組み合わせは、1と6、2と5、3と4。これがサイコロの順序――どちらがどちらの目になってもよい――になく発生するので、合計6通りの組み合わせが発生することになる。

 前後の6と8を考える。6になる組み合わせは1と5、2と4、3と3だ。このうち、3はサイコロの順序に依存する――両方とも3でなければならない――ので、組み合わせは1つ減って5通りということになる。同様の理由で8も、4と4の組み合わせが発生することで、1つ減ってしまう。


 組み合わせの分布的には、確かに7が一番出やすい。

 なるほどと僕は手を打った。


 そして――。


「実質的に無理じゃないですかこれ。僕の幸運値が8なので、2D6だと、12――6と6を出さないと成功しないじゃないですか」


「そうですね。もうちょっと、幸運値が盛ってあるとよかったんですが。お二人とも、幸運値1桁というのはちょっとTRPG的に南無ってますね」


 にべもなく笑って栖原さんは僕たちに言った。

 あ、これ、グッジョブと言いつつ、わざと分かってて難易度を設定したな。


 意地の悪いGMである。

 どうやら、自由に冒険して欲しいと言いつつ、それとなくストーリーの既定路線に進んでもらいたいらしい。


 遊ばれているなという気がして、ちょっと気分が悪くなった。


 1/36の確率である。

 宝くじなんかと比べれば、まだ現実的な確率だ。けれども、意図して出せる値ではない。これなら、知能で判定をしていた方がまだ救いがあったのではないだろうか。

 とはいえ、既にその方向で判定すると言ってしまった手前引っ込みもつかない。


 どうしようかと加賀さんが操るレオと見つめあう。


「まぁ、俺じゃどうやっても成功しないので、アルベールに任せるのは間違いないんだけれども。出してくれるか、クリティカル?」


「クリティカル?」


「ダイスロールで最大値――2D6だと6と6の値の組み合わせを出した場合、無条件で成功ということになったりするんですよ。それを一般的にクリティカルと言います」


「逆に最低値――2D6だと1と1ですね。それを出したらファンブルと言って、無条件で失敗の上にペナルティが発生します」


「……このシステムでもそれは有効なんですか?」


 もちろんといい顔をして言う団長。

 しっかりと、TRPGの根幹は抑えているらしい。手ごわいプレイヤーということをあらためて思い知らされながら、僕はダイスを握りしめた。


 1/36。


 6と6を出せばいいだけの話。

 とはいえ、僕はそういうダイスの目をコントロールするような、特殊な訓練を受けて来た人間ではない。


 こんなことになるのならば、部長に誘われて麻雀でもなんでも行っておくべきだったと、ちょっとばかりこれまで何もしてこなかった自分を後悔する。


「あ、ちなみにこのダイスですが、物理演算エンジンを使って見栄えはそれらしくしていますが、出目自体は乱数ですので。どれだけ技術介入しようとしても無駄ですので」


「……そうなんだ」


 てっきり、その辺りはちゃんとやっているかと思ったけれど、あくまで見栄えだけなのね。技術介入する余地がないのね。とほほと僕は肩を落とす。


 逆にそういう所で技術介入をされると興ざめということだろうか。

 なんにしても、僕の後悔は、それをしたことさえも無駄に終わってしまった。


「さ。まぁ、確率的には奇跡が起こればどうにかなるという感じです。希望がないわけではありません。張り切ってどうぞダイスを振ってみましょうか」


「こういうギャンブルみたいなプレイって、正直どうなんですかね。過程を楽しんでいるようにはとても思えないのですが」


「それなら何か、前提を覆すようなロールをしてみますか。思いつくならですけれど」


 前提を覆すようなロールと言われても。

 何をどうすればいいのだと辺りを見回してみる。


 破壊された砦。あきらかに生存者数が指の数ほどいないだろうと思われる周囲の人数。絶望的な行為判定の確率に、納得してしまう自分がいないでもない。


 この状況下で、斥候に適した人間が残っているというのなら、それはそれで奇跡だ。


 やはりおとなしく旅立つが吉ということだろうか――。


 そんなことを考えた時だ。


「……ヒヒン!!」


 馬の嘶きが聞こえた。


 まぁ、砦である。

 馬がいるのは間違いないだろう。戦闘用か、はたまた斥候用かは分からない。

 けれども、馬のある・なしで、今回の王都へのお使いという行為の成功難易度は随分変わってくるのではないだろうか。


 徒歩で行くのと、馬を使っていくのとでは、また話が違ってくる。


 ふむ――。


「GMさんに質問です。人間の生存者数を幸運値として計上すると言いましたが、馬などの人間以外の要素についてはどうなりますか」


「……ふむ」


「例えば、斥候でも徒歩で行うのと、馬に乗って行うのとで変わってきますよね。今、行おうとしている王都への伝達というのは、徒歩によるものですか、馬によるものですか。仮に徒歩だとして、馬を使うことによりその成功難易度は下がったりしませんか」


 結構なごり押しをしていることは自分でも感じた。

 ただ、このごり押しにより、話が楽に済むのではないか、そういうい所がTRPGの醍醐味なのではないか。キャラクターのロールをするのはちょっと恥ずかしいが、そういう所にはちょっと抵抗がない自分が居た。


 ルールの隙を突くという奴だろうか。

 前にボードゲームの場で、加賀さんにたしなめられたマンチキン的な発想だ。

 ただ、さんざん仕事でこんなやり取りは繰り返している。客先からの無茶な提案に対して、どういう方法ならばそれを解決することができるのか。考えることは僕にとって苦にならないことだった。


 白い髭を蓄えた団長が重々しい感じで口を開く。

 口ぶりは団長ではなく、このゲームの案内役としてのものだった。


「想定していたのは徒歩――というよりも人によるものですね。伝達の詳細についてまでは、失礼ながら私も想定していませんでした。確かにアルベールさんが指摘された通り、馬を使ったりすれば、その難易度は前後するかもしれません」


「ですか」


「しかしながら、馬を扱える人材も含めての、生存者のロールです。貴方の指摘は、難易度を下げるのになんら寄与しません」


「……では、馬以外ではどうでしょうか?」


 ぎょっと栖原さんが目を剥いた。

 ちょっと前、加賀さんが生存者数を決める幸運値判定を言い出した時にもそうだったが、何を言っているんだという感じの驚きに満ちた表情だった。


 そんな顔をしないでもらいたい。

 けどまぁ、驚いてしまうのは無理もないだろう。

 これだけしつこいプレイヤー、なかなかそういないんじゃないだろうか。


 まぁ、僕も加賀さんも、こういう対話力と技術でご飯を食べている人種である。技術力こそここでは意味はないが、それでも対話力についてはそのまま使える。


 先ほど加賀さんが見せた、見事なソリューションの提示に負けずと、僕もちょっと頑張ってみることにした。


 まぁ、格好のつけ方がちょっと間違っている気がしないでもないが。


「伝令に人間ばかりを使っていたとは考えづらいです。たとえば、それ用に調教した犬だとか、伝書鳩、フクロウ、他にも魔法生物などなど。いろいろな手が考えられるのではないでしょうか」


「なるほど、実にユニークな発想です」


「それらの生存数も、幸運値判定のロールに載せられませんか。例えば、僕の持っているスキル【精神集中】を利用して、人数を数えつつそれも探るというのは」


 スキル精神集中。

 指定したステータスの値を+2することができるスキルだ。

 本来ならば魔法の行為判定や、命中判定などの際に使うべきなのだろうが、こういう使い方ができない訳ではないはずだ。


 あとは、その能力を使う必然性が居る。

 武器を奮うのに精神集中するのはなんとなく筋が通っている。

 ただ、生存者数を数えるのに、精神集中が必要かと言われれば、それは必要ないだろう。目の前に並んでいる人間を数えるのに難儀するようなステータスはしていない。精神集中したからと言って、生存者の数が増減する可能性はない。


 けれども同時に、微かな人間以外の生存者の気配を探すのであれば――。


 筋道は通る。


「分かりました。今回の判定に、スキル精神集中の利用を許可します。SP――スキルポイントを1点マイナスしてください」


「……ありがとうございます」


「和マンチキですね。ちゃんとルールとプレイに筋を通しつつ、自分にとって有利になるようにGMと交渉する。ふむ、ちょっと見直しましたよアルベールくん」


「和マンチキというんですか、これ? 結構ギリギリな感じはするんですが?」


「嫌うGMもいます。特に、シナリオをがっつりと読み込んだり、練りこんでくるタイプのGMなどには鬼門ですね。ですが、私は好きですよこういうの。本来、TRPGというのはGMとプレイヤーの殴り合いでなければ面白くありませんから」


 無理を通して貰ったが、とても不穏な言葉も同時に吐きかけられてしまった。

 これは無理を通す場面ではなかったのかもしれないなと、嫌な汗が出る。

 黙って失敗しておいた方が、トータルでこのゲームを考えたときに、楽だったかもしれないな。


 なんにしても初心者相手に本気を出すのは流石に大人気ないんじゃなかろうか。もうちょっと、よく思いつきましたねと、大目にみてくれるような度量が欲しい。


 まぁ、GMを思いがけず本気にしてしまったのはともかく。


「やりましたね!! も――アルベールさん!!」


 思わずプレイヤーのロールとは違う台詞を喋る加賀さん。

 ごりごりのごり押し感はあったけれども、彼女が喜んでくれたのなら、ちょっと頑張ってみた甲斐はあったのかもしれない。


「これで成功に必要な幸運値が10に底上げされましたから――出目で10以上を出せば成功です」


「10以上になる組み合わせは――6と6、6と5、5と5、6と4か。このうち6と5は6と4は出目の順番を考慮しなくていい、二通りの可能性が考えられるから、組み合わせの数としては6通りになる訳だね」


「6/36です。つまり、実質1/6。サイコロを1回振って、狙った出目を出せばOK」


「……とても難しい気がする」


 パーセントに直しても15強だ。

 そのためにGMを本気にする必要があったのだろうかという気はしないでもない。


 やっぱりおとなしく冒険の旅に出ていれば、良かったのではないだろうか――。


 けれども、それじゃ面白くない。

 僕たちが望む冒険ではない。


「いいんだよね、か――レオ?」


「はい。冒険の旅に出るよりも、この砦の防衛線の方が面白そうで――だぜ!!」


「ようやく自然にロールができるようになってきたじゃないですか。まぁ、今回の和マンチキは、それらしくプレイができるようになってきた私からのプレゼントということにしておいてあげましょう。では、ダイスロールお願いします」


 拳の中にダイスを握りこむ。

 とはいえ、実際手の中にあるのはただのコントローラーだ。


 もはやどのようなコントローラーにも標準的に埋め込まれているようになった加速度センサ。三軸の加速度を頭の中で考えながら、ひょいと僕はそれを振った。


 手の中から飛び出していく二つのサイコロ。

 軽い放物線を描くと、わずかに回転しながら落ちていったそれは、崩れた木片やら礫やらが散乱している地面の上で何度か跳ねて、それから拳二つ分くらい離れた場所で静止した。


 出目は――。


「五・五!!」


「……成功?」


「あー、どうせゾロなら六・六を出してほしい所でしたね。けれどもおめでとうございます。至極まっとうな、お使いRPGから脱却成功でございます」


 毒のある言い方をしながらも微笑む栖原さん。

 やったとはしゃぐ加賀さんことレオ。


 加賀さんのアバターとハイタッチする横で、ふぅとため息を吐きだしたのは栖原さんの操る老兵である。はたして栖原さんのため息か、それともそれも老兵のロールか。


 何やらこの手の展開には慣れているという感じの口ぶりだった彼女だけれど――。


 くじかれてしまったスタンダードなRPGへの道をいったいどうやって修復してみせるのか。このゲームの開発者として、もとい、TRPGの熟練プレイヤーとして、その立て直しの手腕は素直に気になった。


 喜ぶのもそこそこに僕たちは彼女の方を向く。


「なるほど、確かにお前たちの言う通りだ。王都に向かう旅に適した人間はもっといるだろう。そこへの使いは別に選ぶとする」


「分かってくださいましたか団長」


「……しかしながら本当にいいんだな?」


 あれ、思った以上に強引に軌道修正をかけてくるな。

 本当にいいのかと問い続けて、いいえと僕たちが言うまで話を進めさせない気だろうか。成功判定のロールをしておいて、そんな力業は許されないのではないか。


 そもそも、ご祝儀だとかなんだとか言っていたではないか。

 栖原さんの応用力に疑問を抱きながらも、はいと僕たちは応える。そこから、強引に軌道修正されるのだろうなと思い、軽い気持ちでそれを応えた。


 すると――。


 老兵の無事な目から一条の涙が流れた。

 深いしわが刻まれたそこを流れたそれは、ふさふさに蓄えられたあごひげを湿らせて、それから地面へと落ちる。はたして老兵のその意味深なリアクションに、僕も加賀さんもあっけにとられて言葉を失った。


「そうか、あたら有意な命を散らすまいと、お前たち二人を砦から逃がそうと思ったのだが。決意が固いのならば仕方がない」


「……あたら有意」


「ちょっと待ってください。これ、なんかすごくヤバい感じの奴では?」


「素に戻らないでください。もう、当たり前でしょう。貴方たちもゲーム歴はそこそこありそうないい大人なんですから、ちょっとストーリーの流れというものを考えてくださいよ。冒険に旅立った主人公たちが、すんなりと巣立った場所に戻って来れるような、そんな展開ってそう多くないですよね」


 言われてみれば、確かにその通りだ。

 TRPGは初めてだけれども、この手の序盤のピンチで旅立った主人公たちが、その当初の目的の通りに事が運ぶシナリオを、僕は見た覚えがない。


 旅立った先でたらいまわしにされたあげく、絶対にこの場に戻ってこなかったりする。ともすると戻る場所が失われてしまったりもする。


 しかもこの話の入り方は――。


「もとより新参者であり、逃がす予定であったお前たちには伝えていなかったが、実は今回この砦を竜が襲ったのは偶然ではない。あらかじめ宮廷魔術師たちにより予見されていたものだ。そして、その目的まではっきりと、我々は把握している。東の大国が密かに手をまわし、西の蛮族と通じて我が国を謀ったのだ」


「な、なんだって!!」


「それじゃぁ!!」


「我々がここで死に果てることで、東の大国に対する名分が立つ。とはいえ、我らも音に聞こえし傭兵である。押し寄せる魔物、魔獣、蛮族の兵を相手に剣を抜き、最後の最後まで戦い抜いてその意地というのを見せてくれよう」


 そう力説する傭兵たちの団長。

 おうと力強く叫んだ、生き残った傭兵たち。

 竜の襲来による恐怖もほどほどに、彼らの目には血気が逸っていた。


 そして――。


「すまないレオにアルベール。年若いとはいえ、お前たちもまた一介の冒険者であった。この砦と運命を共にする覚悟があったというのに、無粋なことをしてしまった」


「……いや、いやいや」


「そんなお心遣いがあったとは露知らず。というか、それならそうと、最初に説明してくれれば。俺たちもすんなりとお使い――王都に行ったのですけれど。というか、それならそれで今からでも」


「いい、いいのだ!! お前たちの気持ちは分かった!! 共にこの国の礎となるために戦おうではないか!! 血肉朽ち果てるまで戦おうではないか!!」


 すっかりその気になった団長――中身は栖原さん――に腕を取られる僕と加賀さん。嵌めやがったなも何も、自分から嵌りに行ったのだから文句も言えない。


 あぁ迂闊。

 とにかく迂闊。

 TRPGの知識はなくても、スタンダードなRPGに関する知識は持っていたはずなのに、どうしてこの展開を看破することができなかったのか。


 手段を楽しむのがこの遊びだとは理解した。理解したつもりだが、目的をちゃんと見据えていなかった。いささか手段で悪ふざけをし過ぎた。


「はい、という訳でこれは即興ですが――」


 世界が暗転したかと思うと昔の映画のようなBGMがどこからか流れてくる。

 人情映画か任侠映画か、はたまた黒澤映画だろうか。

 なんにしても臨場感あふれる音楽を背景に映し出されたのは筆書きのテロップ。


「……竜砦の!!」


「……死闘!!」


「悪ふざけには悪ふざけで対応するのが大人というもの。それでは、砦に残ることを選んだばかりに、押し寄せるモンスターや蛮族の大軍と、七日間の死闘を演じることになった哀れな者たちの挽歌を始めようじゃありませんか」


 用意していたのか、それとも、これもVRTRPGの機能ですぐに作ってしまえるのか。


 なんにしてもデッドエンドの道までもさっくりと演出してしまう栖原さんに戦慄しながら、僕は口の中に溜まった唾を飲み込むのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る