第5話 VRTRPG

 名古屋。

 栄は久屋大通り。


 東海のオタク街というと、大須を想像してしまうのだが、実の所あの街にはそれほどそういうお店はない。アニメイトだとかゲマズ、とらのあなやメロンブックスなど、ちょっとコアなお店は、名駅前かこの久屋大通のセクションにあった。

 この辺りは、西のオタ街として名を馳せている日本橋や神戸三宮とはちょっと事情が違ってくる。名古屋独特の事情であった。


 もっとも、メイド喫茶などの怪しいお店は、こっちの方にはないのだけれど。


「……待った?」


「うぅん、今来た所。って、言えば女子力高いんですかね?」


「……絶対待ってるよね。ごめん」


 久屋大通り地下街。

 コメダ珈琲セントラルパーク店。

 この地方に住んでいる人間なら知らない者はいないだろう、お茶請けの豆菓子をつつきながら、ちょっと拗ねたような表情で加賀さんは僕に言った。


 視線は店の天井を見ている。絶対にわざとだ。

 けど、それをうらめしいと思えない僕が居る。

 本当に申し訳なかった。


「えっと、待ち合わせの時間に遅れたときに、男性はどういう言い訳をするんでしたっけ。すみません、私そういうの疎くって」


「漫画とかだと、困っているおばあちゃんを助けてとか、兄弟が熱を出してとかが定番だよね。あと、猫が捨てられていてとか」


「猫、居るんですか?」


「居ません」


「じゃぁ、ギルティですね!!」


 日は7月15日月曜日。


 海の日。


 時刻は午後2時半。


 本来ならば正午に待ち合わせ。一緒に矢場とんでわらじとんかつでも食べようという話になっていたのだけれど、それをブッチしてのここコメダであった。


 言い訳は既にLINEで送信済みだ。

 朝、起きてすぐ状況を確認して、それから何を置いてもまず彼女に連絡した。午後2時には必ず行けるからと言っておいてこのザマである。

 ほとほと情けがなかった。


 弊社は親会社が定めた業務カレンダーに沿って営業している。

 ガッチガッチの製造系である親会社は、ラインの安定稼働を目的として、土日は別として祝日の固め取りを行っていた。


 そのため、本日7月15日は普通に営業日である。


 弊社と、弊社の親会社、そして、同じような立場にある系列子会社に、祝日という概念は存在しない。その代わり、確実に年に三回大型連休を取れることだけが約束されている。それを、働きやすいと取るか、世間とずれていると嘆くかは、人によりけりというものだろう。実際、それが理由で仕事をやめる人間も、いないことはなかった。


 つまるところ、今日僕は有給を取得していた。

 そして、部下が朝っぱらから大き目なちょんぼをやらかして、責任者である僕が親会社に対して謝りにいかなければいけない事態が発生したのだ。


「まぁ、急なお仕事が降って湧くのは有能な証拠。頼りになる男の証という奴ですね」


「いや、本当に、うちの部下のチョンボで。僕が出て行かないと、親会社に申し訳がたたなくって。ごめん、せっかくの休みだっていうのに」


「あー、詫び出社ですか。部下と責任を持っちゃうと大変ですね。有給なんてろくにとれたもんじゃない」


 ちなみにやらかした部下の名前は里見と言う。

 あの馬鹿、リリースした親会社業務ソフトウェアのロールバックを発生させた。先日実装してもらった機能が使えなくなっているんだけれどと、取引先部署から連絡が来て、分岐開発していた機能のマージに失敗しているのが発覚したのだ。


 テストを開発機能に限って行っていたのが仇となった。

 全然気が付きませんでしたわ、てへぺろと、出社するなり言い放った里見に、僕は苦い顔を向けることしかできなかった。こいつに「リリース前だけれど有給取りたいんだ、大丈夫かな?」と相談して、「任せてくださいよ!!」と言われて有給取った手前、言葉も何も出てこなかった。


 信頼できる部下が欲しい。

 あと、頭を下げに出向いたと言うのに、急な仕様変更を会議もなしに通すのはやめてくれと文句を言ったり、そもそも機能実装の見積もりが甘いとか言い出したり、この機能なくても業務に支障はないだろうとわめきだしたり、ほんとやめて欲しかった。


 おおむね、彼の言っていることは技術的には間違っていないけれど、やらかしておいてそんなことを言うのは人間的におかしかった。


 そこは素直に謝っておくべき所だ。

 どんなに理不尽でも、やっちまったもんは仕方がないのだ。

 というか、親会社にたてついてもなんにもならないっての。


「まっ、ロールバックはこの仕事やってたら切っても切れないアクシデントですから。あんまり気にしちゃいけないですよ、森野さん。別に自分が実装担当している場所じゃないんでしょ?」


「けど、僕の名前で親会社に納品したものだから」


「くそ真面目ですねぇ。絶対に管理職になっちゃいけないタイプの人間ですよ森野さんてば。いいですか、部下のミスは部下のミス。責任だけが森野さんのものです。ミスの発生原因まで引き受けてたら、ずっとプレイングマネージャーやらなくちゃですよ?」


「……うぅっ!!」


「……やる気だこの人。ダメです、それ、本当に、過労死しちゃう奴ですから。すぐにやめましょう。そうしましょう。労組に相談です」


 その労組のメンバーに裏切られたからこんなことになっているんですけどね。

 いつまでも、変わらないでいてね、森野さんとか帰り際に言われたけれど、やっぱりこれを機に鬼上司に変わってしまおうかな。


 前向きに検討させていただこうと思います。

 くっそー。


「なんにしても、うちはこの手のトラブルの再発防止にはうるさくてさ。謝罪に行ってすぐ対応策を求められたのが痛かったよ」


「なーなーで済ましてくれればいいのにねぇ。まぁ、ブランドとカンバンを背負ってるから、そうはいきませんか。カイゼンは義務って奴ですねぇ。つらみ」


「自動化ツールがあるとはいっても、全機能のテストを網羅的に行うのは無理があるし時間の無駄だ。直近リリースした機能をオーバーラップしてテストするってことで、納得してもらったけれども――」


「部下は怒りそうですね。無駄な仕事を増やすなって。けど、自分たちがやらかしたんだから仕方ないことですよね」


「うん。まぁ、負担にならないように、その辺りは、ちゃんと親会社に増えた工数分請求するつもりだから。きっと大丈夫だと思うよ。たぶん、今よりテストに時間が裂けるようになるから、余裕ができるようになるはず」


「……森野さん、パーキンソンの法則ってご存知です?」


 知っている。

 仕事の量というのは、完成のために与えられた時間をすべて満たすまで膨張するという有名な金言だ。完璧主義の行き着く果てであり、セルフにしろチームにしろマネジメントをする上で、常に意識しなければならないことである。


 そう、時間は増えたら増えたで、その分を食いつぶすように人間はできているのだ。


 なので、工数を増やすことは問題の発生予防に根本的に寄与しない。それよりも、問題の本質的な部分にアプローチして、そこを治すことの方が大切なのだ。


 けれども。

 それを言い出すと、結論はあの腹立たしい後輩の言葉に行き着く。


 無駄な機能の差分開発・リリースなどさせるな、である。


 そして、それを臆面もなく親会社の取引先部署に言えたならば、僕はこんな青い顔をして加賀さんに謝っていないだろう。

 向こうはどうあっても、僕たちの親なのだから。


 くやしいけれど。


「難しいですね。こういうのって、割と親会社と子会社みたいな、融通が利きそうなところの方が解決し易そうに思うんですけれど」


「どうなんだろうね。僕自身、他の会社で働いたことがないから、そういうい割り切りみたいなところが全然わからないんだよね。純粋な――企業から独立してやってるソフトウェアハウスとかって、こういうトラブルの時どうしてるんだろ」


「んー、場合によりけりですねぇ。うちは基本的に、特別な技術を持っている訳ではない、本当に作業スピードと単価だけが売りの会社だったりしますから。そういうことが起きたら、徹夜でリカバリ、無償で再リリース、負担はこっちもちですかね」


「……地獄じゃないそれ?」


「地獄ですねぇ。だから、皆も緊張感を持って仕事してますよ」


 時は金なり。

 そう言って、涼しい顔でコーヒーを啜る加賀さん。

 あぁ、まぁ、覚悟はしていたことだけれども――。


「ここの支払いは僕に任せておくれよ」


「ごちになりまーす」


 これで奢らないとなると、流石に彼女の信頼まで失うことになるな。

 それだけは避けたいと思った僕は、渋々ながら財布の中から諭吉を一枚取り出すのだった。


 お金を細かくする時間さえないのだから、本当に困ったものである。

 おのれ、里見。


 明日会ったら覚えていやがれ。


「……所で、森野さん」


「なんです?」


「本日開口一番、盛り上がりに盛り上がった会話がお仕事のお話って、それどうなんです? 男女の会話として、ちょっとずれ過ぎじゃないかと思うんですけど?」


「……うぐっ!!」


「いや、乗っちゃった私も私なんですけれどね」


 お互い、なんか男と女として、大切なもの捨てちゃってる感じですね。

 そんな風に言って誤魔化してくれる加賀さんは、やっぱり天使なのかもしれない。ここの支払いについては、テコでも動きませんよと、良い笑顔で言ってはきたけれど。


◇ ◇ ◇ ◇


 久屋大通りから大須へと向かうちょうど真ん中。

 LOFT名古屋店のある区画にそれは作られていた。

 見るからに真新しい、二重の遮光ガラスの壁が眩しい、近代的な外装をしたビルの三階と四階。


 VRTRPGプレイスペース「BooT」。

 KADOKAWAの資本が入っているという触れ込みにしては、ちょっと派手さにかけるんじゃないかと思われる看板をしたそれは、あの勧誘メールを見た人間にしかわからないのではないかという、一抹の不安を感じさせる場所だった。


 まぁ、東京、大阪、名古屋の三店舗同時開業だものな。

 いくら日本最大手のエンターテイメント資本が投入されているとは言っても、スタートアップはこの程度のものだろう。どれだけこの事業に、KADOKAWAが本気なのかもわからないし、なによりあの限りなく怪しいメールでの勧誘だ。


「まぁ、物は試しって奴ですな」


「そんな所に女性をデートに誘っちゃう勇気。森野さんてば、大胆ですねぇ」


「いや、話を振って来たのは加賀さんですよね!?」


「ささ入りましょう。梅雨が長引いて涼しいとはいえ七月ですからね。クーラーの効いた部屋で、ドリンクでも飲みながらまったりVRしないと死んでしまいます」


 加賀さんが行くと言うので覚悟を決める。

 僕たちは、ビルの向かって右手側にある、エレベーターへと乗り込んだ。それから、真新しいシールの張られた三階のボタンを押下した。


 ビルの中には他にも、ドルフィーショップやカードショップなど、エンタメ系の店舗が入店しているらしい。しかしながら立地に反してあまり繁盛していないのか、それともユーザーとマッチしていないのか、相乗りしてくる人はいない。


 そのまま直行で三階へ。


 アナウンスと共に左右に扉が開くと――そこにはまるでマトリックスの世界のような、全面白塗りで境界が分からない部屋が広がっていた。


 エレベータの正面。

 中折れしそうなほどねじれている三角柱のような椅子に座った女性が、こちらの来訪に気が付いて席を立つ。

 手にはマットな見た目をしたクリップボードがあった。


「いらっしゃいませ。ようこそ、VRTRPGプレイペース、BooTへ」


「……あの、特に予約とかはしていないんですけれど?」


「大丈夫ですよ。プレオープンの上、宣伝もろくにしておりませんので、休日の稼ぎ時だというのに開店休業状態でしたから」


「あ、そうなんですか」


 ケロリと言ってくれるなぁと、なんだか気負っていたものを崩されてしまう。

 くすくすと手で口元を隠しながら笑うと、その女性――おそらく僕たちよりも年下と思われる――は、こちらに近づいてきた。


 じろじろと、僕と加賀さんを見比べて、それから彼女は一言。


「当店はVR機器を利用する関係上、未成年のご利用はお断りさせていただいております。本日は身分確認をする書類などはお持ちですか?」


「……ホームページに書いてあった年齢制限の記載。あれ、本当だったんですね」


「……免許証などの、顔写真付きの証明書をお持ちくださいって奴」


「嘘を書いてどうするんですか。まぁ、仕方ないんですよ。サービス内容が風営法に抵触していますので。ちなみに、領収書も切ることができますよ。いかがわしいお店と同じ感じで、接待費とか、飲食費とかいう名目で」


「いや、いかがわしいお店って」


「ふふっ、冗談ですよ、冗談」


 癖の強い店員さんだ。

 免許証の提示もとい年齢確認については、事前に加賀さんとLINE上で本当だろうかという話をしていた。結局、まぁ念のためにという結論に至り、持ってきて助かった。


 出すついでに、ちらりと加賀さんの生年月日を確認する。


「あら。あらあら。お二人とも同じ年の生まれなんですね」


「うぇっ!?」


「えぇっ!! ちょっと、いきなりのカミングアウトやめてくださいよ!! デリカシーないんじゃないですか!! この店のコンプライアンスとかアプライアンスとか大丈夫!?」


「おや、すみません。てっきりお二人はお付き合いされているのかと思ったのですが。どうやらまだ微妙なご関係だったみたいですね。そうですものね、そうですものね。年齢がはっきりしてしまいますと、睦まじい男女の間というものは、自然とそういう感じに落ち着いてしまいますからね」


「変な風に解釈しないでください!! ただ、言う機会が今日までなかっただけです!!」


 そうなのですかという確信犯めいた店員さんの視線。

 そうなんですと僕は答えたけれど、たぶん嘘だと見抜かれていただろう。


 お互い、そこまで入り込んで、話す度胸がなかっただけです。

 少なくとも、僕は聞きたかったけれど、聞くことができませんでした。


「同い年のカップルというのは、上下関係なくフェアな立場で発言ができるというメリットがあります。一方で、どちらかが依存したいときや、寄りかかりたいときに、はっきりとできないというデメリットもあります」


「何が言いたいんですか!!」


「いえ。ただ、まぁ。ご苦労されるでしょうねと、思ってしまっただけですよ」


 そんな心配をされるいわれはないのだけれど。

 もう既に、苦労しているから何も言い返せない。


 図星でしょう。

 そんなどや顔をこちらに向けて、仕切り直しとばかりに微笑んだ店員さんは、手にした身分証明書を僕たちに返した。


「はい、では、二人とも酸いも甘いも味わった、よい大人の男女ということが確認できたところで」


「だから、言い方!!」


「あらためまして、ようこそ当プレイスペースへ。それでは早速、お部屋の方へとご案内いたします。安心してください。当施設は風営法に抵触はしましたが、健全な娯楽と体験を皆様にご提供する新感覚アミューズメント店舗です。ですから、心配なさることなど何一つございません」


「アンタの説明が、さっきから思いっきり心配なんですけど!!」


 それだけ文句を言っておきながら、やっぱり帰りませんかとは言いださない加賀さん。

 なんやかんやと言いつつ、彼女もこの新しい娯楽に対して期待しているようだった。


 まったく継ぎ目の見えない世界を、いざなわれるまま移動して数歩。

 角度を変えないと視認できないドアノブ。それを手に取り、扉を開くと、店員さんが部屋の中へと僕たちを誘う。おそらく、最大四人までが利用することができるのだろう。温泉やインターネットカフェに置かれているマッサージチェアー。それを改造したような白い椅子が、そこには四つ並べられていた。


 向かい合う椅子に座るように促される僕と加賀さん。

 加賀さんが観念したような感じで椅子に座ったので、僕はその反対側の席へと座る。やはりマッサージチェアーがベースになったのだろうか。腰かけた椅子はまるでやわらかい綿の塊のようで、気を抜くとそのまま、ずぶずぶと沈み込んでいきそうな、そんな心地をしていた。


 この座り心地だけで、もしかするとお金が取れるのではないだろうか。

 そんなことを思ってしまうほど、魂が天上に浮くよな心地よいものだった。


「では、チュートリアルも兼ねまして、簡単にそちらのVR装置の説明をさせていただきます。お二人とも、頭の上にあるヘッドマウントディスプレイをご着用ください」


「……変なことしないですよね?」


「しませんよ。当店でのプレイの内容は、お客さまの安全確保と、これからのサービス向上のために、全部録画させていただいていますから」


「え、なにそれ、聞いてないんですけど」


「大丈夫ですよ。恥ずかしいことなんて起こりませんから。えぇ、それはもちろん、絶対に起こりませんから」


 加賀さんは知らないみたいだけれど、僕はちゃんとホームページの記載内容を熟読していたので理解していた。誘ってから、本当にこんないかがわしいお店に誘って大丈夫だっただろうかと不安になって、確認してみたら書いてあったのだ。


 撮影しているから、店員さんや同行した友達が、変な行動を取ったとしても証拠が残る。とは、まぁ、安全上の問題はともかくとして、何かあったときの保険としては十分だ。


 僕はまぁいいかと思ったのだけれど、加賀さんは不満なのだろうか。

 うぅっとなんだか恥ずかしそうに唸った彼女は――。


「仕方ない。背に腹は代えられない。もうここに来た時点で、覚悟は決めてきたわ」


「まぁ、男らしいお言葉。ぜひ、プレイアブルキャラクターは、男性を選ばれることをおすすめいたします」


「どりゃー!! 加賀、いきまーす!!」


 なんだか男らしい台詞を吐いて、ヘッドマウントディスプレイを加賀さんは装着する。

 遅れてはならないと、僕もまた急いでヘッドマウントディスプレイを装着した。


 VRゲームは、PSVRが発売されて以来、何本かやったことがある。

 アストロボットのような、プレイヤーとキャラクターが分かれているゲームなんかが僕の肌には合っていた。逆に、バイオハザードやエスコンのような、ファーストパーソンシミュレーションタイプのコンテンツは、いまひとつなじむことができなかった。


 今回のVRTRPGとはいったいどんなものなのだろうか。


 じんわりと明るくなってくるヘッドマウントディスプレイ。

 ようこその文字の後に続いて――現在僕たちが座っている椅子が目の前に表示された。それと同時に、何かが僕の身体を包んだ感触がする。


 気が緩んで、綿の中に埋没してしまった。

 そんな感じ。


 けれども、不思議と安心感のある――いざとなったら抜け出せるという、半現実感とでもいうべきだろうか――VR世界への没入であった。


「本システムはSONYコンピューターエンターテイメント株式会社の技術協力の下、弊社が開発した最新鋭のVRマシンとなっております」


「最新鋭ですか」


「SAOや.hackで見たことがある装置なんですが、それは如何に」


「ようやくフィクションに現実が追いつきました。と、言いたいところですが。すみません、触覚や嗅覚、味覚に至るまで、リアルに感じさせるレベルまでは至れておりません。せいぜい、PSVRをプレイするのに最適な環境をご用意するレベルのものです」


 ほわんと目の前に画像が浮かび上がる。

 腰かけている白色のテクスチャが張り付けられていない人間像。彼が腰かけるのは、僕たちが今いるマッサージチェアーのようなVR装置だ。


 すぐ断面図にそれは切り替わる。

 白色の男の腰のあたり。そこに、何かがあてがわれているのが見えた。


「本VR装置は、このように利用者の腰回りをしっかりと固定しております。ですので、VR装置を利用するときにどうしても問題になる、姿勢の不自由さを最大限まで緩和することができます」


「……へぇ」


「なるほど。確かに、どんな体勢をとっても、全然不安定になりませんね」


 加賀さんがどんな体勢をとっているのか。

 ヘッドマウントディスプレイを装着してしまった今となっては、確認する方法は何もない。ヘッドマウントディスプレイを外してしまえば見えるかもしれないが、先ほど言ったように、ここでのプレイ内容は録画されているので、後で問題になるかもしれない。


 どんなポーズを取ったのだろうか。

 ちょっと気になったけれど、僕はひとまずそれを頭の隅に追いやって、自分なりにどんなポーズが取れるのかと、確認してみることにした。


 伸び。

 屈伸。

 左右へのねじれ。

 体をゆする。


 全ての動作にヘッドマウントディスプレイは追従して映像を送って来た。同時に、その動作に、少しのひっかかりも僕は覚えることはなかった。

 これは確かに、VRゲームをプレイする環境としては、申し分ないものだ。


「ご理解いただけたでしょうか」


「……うぅん。悔しいですけど、これ、すごい装置だわ」


「とても自然に動けるんですね。すごい技術です」


「ありがとうございます。本装置に関しては、VR技術よりもマッサージチェアとしての機能性を重視しました。やはり、幅広く事業展開をしておりますと、その辺りの技術連携ができるのが強みですね」


 KADOKAWAの社員じゃなく、SONYの社員みたいなことを言う人だな。

 SONYに健康器具の開発を行っている部署なんてなかったような気がするけれど、もしかすると関連企業があるのかもしれないな。まぁ、マッサージチェアーの製造メーカーなんて、まじまじと調べたことがないから分からないけれど、その分野に彼らが参入していたとしても、なんらおかしいことはないだろう。


 椅子についての説明はこのくらいにしてと店員さんが言う。

 ヘッドマウントディスプレイの中。マッサージチェアに腰かけている男に、急にフォーカスが行ったかと思うと、彼が身に着けているヘッドマウントディスプレイが拡大表示される。


 今、自分がつけているものを、見ているというのはなかなかシュールな光景だ。


「こちらのヘッドマウントディスプレイは、皆さんもご存知の通りPSVRの技術を流用したものになります。映像と音響技術については最高品質を自負している、SONYの技術の粋を集めた逸品。その没入感を存分にお楽しみください」


「なんかおざなりですね」


「まぁ、本当に、これは既存技術の応用の域を出ておりませんので」


 では、次と店員さんが話を進める。

 ヘッドマウントディスプレイから離れて、次にフォーカスが当てられたのは、白い人の手元である。そこには、スティック状の何かが握られていた。


 実際、僕は見えないながらに、手探りでそのスティック状のものを探してみる。すぐに僕の両手は、おそらくそうだろうと思われるものを見つけると、手の中に握りこんだ。


 瞬間、ぶるりと手の中でそのスティックが震える。


「こちらはコントローラーとなっております。椅子の方に固定されていますが、ある程度の融通は利くようになっています。よろしければ少し動かしてみてください」


「……おぉ。お腹の辺りまで持って来れますね」


「本当だ。けど、なんかこれ、ボタンがやたらに多くないですか?」


 いい所に気が付きましたねと弾むような店員さんの声が聞こえてくる。

 すると、握りこんでいるスティックがクローズアップされ、その詳細な構造が眼前に展開された。


 よく見るとそこには、ここ何年か見慣れたボタンのマークが印字されている。


「こちら、SONYのPLAYSTATIONコントローラーの規格に従った、コントローラーとなっております。〇、×、△、□の四ボタンに、LRボタンがあります」


「……え? 没入感、これだと台無しじゃないですか?」


「なんか、一気にゲームしている感に引き戻されましたけど、大丈夫ですか?」


「大丈夫です。だって、今から皆さんがプレイされるのは、VRゲームではなく、VRTRPGなんですから」


 してやったりという声だった。

 まんまとひっかかったなという感じの声だった。


 いや、まぁ、そこはそもそも僕たちも承知でやって来ていたけれど。

 というか、VRTRPGとは、いったいどういう類のゲームなのだろうか。

 VRゲームとは何かこう、根本的に違うものなのだろうか。


「では、プレイの前にお二人にご質問を。お二人は、TRPGについて、どれくらいのことをご存知ですか。選択肢の中からお選びください」


 スティックの映像の前に、四つ縦に並んだ枠が表示される。

 ボタンを四つ並べたと言うより、恋愛ゲームの選択肢が四つ出てきたという感じだ。


 枠の中には文字が描かれている。


 それぞれ――。


「プレイしたことがある(GM、プレイヤー、システムについては問わない)」


「リプレイもしくはプレイ動画を見たことがある(同上)」


「存在は知っている」


「まったく知らない」


 付けているヘッドマウントディスプレイを傾かせると、枠がほんのりと輝いた。どうやら、僕の視線を追従して、選択している回答を識別しているらしい。

 瞳の動きを読んでいるのか。

 それともヘッドマウントディスプレイに搭載しているジャイロの機能から導き出しているのか。まぁけれど、それほど難しい技術じゃない。


 持っているコントローラーの位置を把握させる――キャリブレーションをかける必要はあるが、PSVRでもリリース当初からこの程度のことはできていた。それだけのことだろう。


 〇ボタンで決定という文言が浮かんでいる。

 僕は四つの選択肢の中から「存在は知っている」を選択すると、〇ボタンを押下した。


 バシュウ、と、耳元で吸い込まれるような音がする。


「なるほど。森野さんはTRPG初心者。加賀さんは、リプレイレベルの知識はおありといういことですね」


「そうなんですか加賀さん」


「中学生の頃、ロードスとへっぽこーずを読んでたのよ。SWのルルブも持っているけれど、残念ながらプレイする機会はこれまで一度もなかったわ」


「ごめん、まったく何を言っているのか分からないや」


「……ロードスくらいは基礎教養として知っておいていただきたいものですけれどね。まぁ、なんにしても、二人ともTRPGとはなんたるかについて、理解していただくところからスタートですね」


 コントローラーがふっと消える。

 代わりに表示されたのは、文庫サイズの本である。

 ちょっとしたライトノベルくらいはありそうなそれが、僕の目の前で回っている。表紙に描かれているのは、まさに剣と魔法という感じのイラスト。


 ふむ。


「これがTRPGですか?」


「はいはいはい!! 知ってます!! これ知ってます!! ソードワールド2.5のルールブックですよね!! 最新版!! 買おうかちょっとだけ迷いました!!」


「はい、正解です。そして、一緒にプレイする友達がいないという、悲しい事実を思いださせてしまって申し訳ございません。日本一有名なTRPGということで、説明するのにはこれが適当かと思ったのですけれど――不用意な言葉が加賀さんを傷つけてしまいましたね」


「単純に興味があっただけだから!! プレイする人がいようといまいと、ルールブック買ったって問題ないでしょう!! そんなの人の勝手じゃないの!!」


「……すみません、そこまで気にされていらっしゃったなんて」


「アンタが言わなきゃいいだけの話よ!! 別に気にしてません!!」


 気にしていなければ、こんな大声をだして否定したりしないと思うんだけれど。


 人間というのは図星をつかれれればつかれるほど、リアクションが激しくなる生き物だ。そして、これまでのやり取りから、加賀さんが不器用な人間だというのは、僕もなんとなく察しがついていた。


 たぶん、店員さんのおっしゃる通りなんだろう。

 社交的な感じがしたけれど、オタクなだけあって割と陰キャなんだな、加賀さん。

 変かもしれないけれど、少しだけ親近感が湧いた。


「加賀さんのボッチ談議はまたの機会にとっておくとして」


「しなくていいですから!! あと、友達はちゃんといますから!! TRPGやるような知り合いがいないだけで!! 愚痴を言う相手に苦労しない程度には、友達はちゃんといますから!!」


「……はいはい」


「雑に流さないで!!」


「TRPGというのはこれこの通り、ゲームのルールを明確に文章として定義し、そのルールに従って、物事の成功と失敗を判定し物語を紡いでいく遊びです。また、ルールに付随して世界観が整理されており、それを引用することで、異世界での生活をプレイヤーが想像できるように作られています」


「へぇ、そうなんだ」


「そうなのよ。だから、普通に読み物としても面白いのよね。古今東西のモンスターとか、魔法とか、トラップとか。ルールブックを読んでいるだけで世界が広がる感じがするの」


「ぼっちの言い訳としては下の下ですね」


 だからぼっちじゃないと激高する加賀さん。

 本当に、これ、ぼっちなんじゃないだろうかと、ちょっと心配になる。そこまでムキになって否定するのを見ると、逆に、指摘が的を射ているからなんじゃないかと、勘ぐってしまう自分がいる。


 そんなことないと思うけれどもなぁ。


 きっと僕が尋ねても、同じような反応しか返ってこない。

 ボッチじゃないと言うのなら、その言葉を僕だけは信じてあげるとしよう。

 なんにしても、まぁ、いいじゃないですかと、僕は店員さんに加賀さんのボッチいじりを止めてあげるように割って入った。


 少し名残惜しそうに唸ってから、店員さんは咳払いする。

 どうやら、それで加賀さんのボッチ追及は一区切りつけてくれるみたいだった。


「なるほど、TRPGがどういうものかというのは、なんとなく分かりました。けど、それをする目的はいったいなんなんですか?」


「目的、ですか」


 これを尋ねたのは僕だ。

 TRPGがどういうシステムのものか、どういう遊びかは分かった。

 けれども、分からない。これをすることにどういう意味があるのかが、僕には説明されてもわからなかったのだ。


 ゲームには、必ず目的があるものだ。

 RPGならばなおさらである。


 悪の魔王を倒す。

 伝説を解き明かす。

 自分の生まれ育った村を栄えさせる。

 どんなゲームにも、その物語には必ず着地点――物語の目的が存在する。


 けれども、今の説明の中にそれはなかった。

 つまるところTRPGを通して、僕たちは何を成し遂げればいいのだろうか。


 はじめて、店員さんから困ったような唸り声が漏れた。

 これはもしかして、僕は何かおかしなことを聞いてしまったのだろうか。


「目的ですか。言われてみると難しいですね。そう、ですね、まぁ、先ほどの説明だけだと分かりにくいかもしれません。TRPGとは、目的の達成より、その過程を楽しむような、そういうい側面のあるものですから」


「その過程を楽しむ?」


「文学的な言い方をするならば、TRPGとは、複数人による合意とルールの上で紡がれる、共同小説というものでしょうか」


「共同小説、ですか?」


「はい。みんなの知恵を持ち寄って、全員が納得することができるエンディングに向かって歩んでいく。それを楽しむ遊び、過程を楽しむ遊び――という説明で、理解していただけるでしょうか」


 うぅん。

 理解できるか、できないかで言えば――できないだな。

 まず、共同小説というものが、どういうものかはっきりとしない。


 今一つ、ぼんやりとしていて、何をどうすればいいのか分からない。

 目的がはっきりしないから、何をしていいのか分からない。典型的な、要件定義が明瞭ではない仕事の状態と、僕が置かれている状況は酷似していた。


 こういうのが一番落ち着かないのだけれど、その辺り加賀さんはどうなのだろう。

 同じような仕事をしている人間として、その意見が気になった。


 とはいえ、それを尋ねていても、話は進まない。


「まぁ、過程を楽しむ遊びというのなら、とりあえずやってみれば何か分かるかもしれませんね。分かりました。まだ完全に理解はできていませんけれど、とりあえずそういうものだと思って取り組んでみることにします」


「……大人なご対応をどうもありがとうございます。見た目通りといいますか、なんといいますか、森野さんは柔軟な思考をされれるのですね」


「ははは。柔軟じゃないと仕事にならないというか。なんというか。本当は、きっちりと型にはまった仕事をする方が好きなんですけれどね」


「……いいと思いますよ。えぇ、とっても。いやだと思いつつもやれるのは、十分にそういう素質があるということですから」


 プログラマー・システムエンジニアの仕事というのはとても不明瞭だ。


 考えてみれば当たり前だ。

 人間が漠然と抱いている不便さや求めているモノを正しく認識し、それを要件という形に落とし込み、形にする仕事なのだから。


 この仕事の本分は、不明瞭な部分に自分から足を突っ込んでいくということ。

 分からないことに臆せず飛び込み、それを自分なりに感じてみて、図や文章により形にし、お客様と共有・合意する所にある。


 マネジメント側に回るようになって、承認やチェックこそするけれど、この部分は部下に委ねることが多くなった。けれども、社会人あるいは技術者として、僕の根幹にあるのは、間違いなくプログラマー・システムエンジニアである。

 その気質が、なんというかこの場面において、いい方向に働いたように思う。


 やる前からつまらないと決めつけてはいけない。

 やってみてからそれは判断してみればいいことだ。

 案外すんなりと、店員さんが言う通り過程を楽しむことができるかもしれない。


「……すごいなぁ。これが、大手企業の管理職クラスの男気と余裕かぁ」


「いや、そんな大層なものじゃないと思うけれど。というか、普通じゃない?」


「うちのマネージャー連中ならそんなこと絶対しませんよ。新しいことやるとなったら、若くて暇しているのを適当に捕まえてきて、今日からこれがお前の仕事だから、責任もって俺に迷惑かけないようにやれよ、で済ましていますよ。自分は、長らく抱えている案件にかみついて、ぬっくぬっくって奴です」


「……僕もしがみついてる案件あるから、それについてはなんとも言えないなぁ」


 新しいことを始めるのって、実際勇気とパワーがいることだしね。

 まぁ、必要に迫られればやるし、それでお金貰っているという自覚もあるから、振られたら絶対に首は横に動かさないけれど。


 けどまぁ、管理職としてどっちが正しいかと言えば、僕より加賀さんの会社の人の方が正しいような気がする。どこまで行ってもやっぱり僕は、技術者としての自分を抜けきることができていないのだ。


 まぁいい。

 いろいろあったけれど、覚悟と方針は僕の中で決まった。


「TRPGについての説明は分かりました。では、引き続き教えてください」


「はい、なんでしょう」


「VRTRPGとはなんなんですか? どういう類のものなのでしょうか?」


 えぇ、そうですね、肝心なのはそこですねと店員さんがもっともらしく呟く。

 すると、目の前に浮かんでいた文庫本――ソードワールドと呼ばれた、日本で最も普及しているらしいTRPGの本が近づいてきて、僕たちを飲み込んだ。


 本の中に飲み込まれる気分はどうか。

 VRゲームはそれなりにプレイして、その没入感には慣れていた僕だが、サメに飲み込まれそうになるより、それは幻想的でそしてぞっとするものだった。


 ばらばらと、体の周りで音を立てているのは幾重にも連なった紙の束。

 それが文庫本の頁なのだと理解した次の瞬間には、世界は再び激しく明滅して、僕たちは白い世界から色鮮やかな世界へと降り立っていた。


 赤レンガと漆喰でできた街並み。

 都会の喧騒を忘れされる広い空。

 道行く多くの人たちは、ビジネススーツや量販店の服などではなく、どことなく簡素で素朴なつくりの服を着ている。民族衣装。あるいは、中世ヨーロッパの服、と、表するしかない感じのそれ。ただ、あきらかに僕たちの現実生活の外にある服装にも関わらず、どこか着てみたいと思わせるデザイン性も持ち合わせていた。


 よく見てみると、道行く人たちの顔立ちもいろいろだ。

 僕たちと同じアジア系の顔つきをした人たちから、西洋系の彫が深い顔をした人。あと、テレビの中でも見たことのない、白い肌をした美形の耳長女。だんごっぱなでむくつけき身体をしているが、僕の胸くらいまでしか身長のないおじさん。目深くローブを被った銀色の髪をした少女。そして、機械の腕を揺らしている無表情な偉丈夫。


 おっとごめんよとぶつかって来たのは小さな少年。

 はっとするような美少年の彼はくるりと僕の前で回って見せると、ぼーっとしているのが悪いんだぜと言って、すぐに人ごみの中に消えてしまう。

 典型的な、ピックポケットイベントの導入らしいそれに、僕の心は震えた。


 これは――。


「ようこそ、ソードワールドの世界へ。ここは剣と魔法と冒険の世界。さぁ、貴方も冒険者となって、めくるめくファンタジーアドベンチャーの世界に身を投じましょう」


「……おぉ!!」


「……すごい!! 想像以上の映像美!! これ、もうティザーだけでお金取れちゃいますよ!! どこの会社と提携したんですか!! はぁー、めっちゃテンション上がる!!」


 気に入って、いただけたようですねと、店員さんの声がする。

 白い肌と長い耳を持った女性キャラクターが近づいてくるのが見えた。青色の鎧に緑の服を着こみ、腰にはレイピアを差している。流れる髪は金色で、まるで一本一本が椿油で梳かれたように輝きを放っていた。


 ディードリットと加賀さんが叫ぶ。

 どうして叫んだのかは分からない。

 ただ、目の前に現れたエルフらしい女の名前ということはなんとなく察した。


「さて、もうこれでお分かりですね。VRTRPGとは、TRPGの世界をVR機能により再現したものになります。貴方たちのプレイに応じて、世界は常時移ろい、その姿を変化させます。貴方たちはこの世界で、自分たちの望む異世界冒険譚を見ることができます」


「する、では、ないんですね?」


「はい。それがVRTRPGの肝心要の所です」


 腰に結わえていた麻袋から、僕たちに向かってエルフさんが何かを投げる。

 危なげなくキャッチしたのは三つの六面体。そこには、とても凝ったデザインだが、なるほど意匠が一目でわかる、一から六の数字が描かれていた。


 これは――サイコロだ。


「TRPGでは、行為の判定はサイコロ――ダイスの目で決定します。VRTRPGでもそれは同じ。世界に影響を与えるのは、貴方たちの選択と、演じるキャラクターの能力、そしてダイスの目だけです」


「……SAOや.hackみたいに、プレイヤー自身の身体能力やプレイスキルに依存しないってことですね?」


「そうです。もちろん、ルールを適切に解釈し、適切な行動を取る必要はありますが、基本的にプレイヤーのゲーム的なプレイスキルをTRPGは必要としません。また、この通り専用のハードウェアを利用しますので、ハード的なスペックの差によるプレイヤー間の差も発生しません」


 なるほど、確かにそれは重要な要素だ。

 そして、わざわざTRPGという形にこだわったことが理解できる理由だった。


 オンラインゲームの黎明期。

 現実世界では満たせない仮想世界への冒険に、僕たちはあこがれた。それは僕たちにとって間違いなく青春の一ページであり、誰もが抱いた一つのあこがれだ。

 現実世界の制約を取り払い、仮想世界において思うがままに生きる。

 生きたいと願ってしまう。


 時代は暗く、子供心に未来に明るい希望を抱くことができない。

 そんな中で、仮想世界という新しいステージは、なんでもできる新天地のように僕たちには見えた。


 けれども、その美しくなんでもできるように思えた新たな世界は、現実世界とはまた違った法則によって支配されていることを僕たちは思い知った。


 えげつなく行われるバグや改造ツールによるチート。

 プレイするPCのスペックや通信環境の差が、決定的な差を出すピーキーさ。

 決して現実世界の業務では必要とされないゲームに特化したPC操作の習熟。

 アカウント乗っ取りなどの犯罪。現金でアイテムをやりとりするRMT。

 なによりも、投入した時間と金がモノを言う、徹底した実利主義。


 新天地は決してフェアな場ではなかった。

 少なくとも、現実世界よりも格段にえげつなく、棲む人間を選ぶ場所だった。


 結局、僕はその世界に、片足の膝くらいまでを突っ込んで、本能的に無理だと感じて逃げ出した。その状況判断は、あながち間違いではなかったなと感じたのは、友人がオンラインゲームに没頭するあまり、必須単位を落として留年したのを見た時だ。


 彼は留年を告げるメールの末尾に、これからギルド戦があるからこれでと、まるでなんでもないことのように書いていた。


 もし、僕たちの青春に突如として現れたあの黒船が。

 夢見て乗り込んだ新世界が。

 もっと僕たちに優しくて、そして、介入する余地のあるものだったならば。きっと、僕の友達は留年しなかっただろうし、僕もその世界に居続けただろう。


 けれども、不特定多数の人間の利害が交錯し、人間社会と同じく生きるために器用さが必要とされる新世界は、現実世界と同様生きづらいものだった。

 選ばれなかった僕たちに、世界に影響を与えることのできない僕たちに、ずっといることができる場所ではなかったのだ。


 このVRTRPGは、そんな二十年前に起こった悲劇への罪滅ぼしだ。

 いや、より正確には、そこで拾い損ねたユーザーを、再び拾うためのビジネスだ。


「……KADOKAWAがこの事業に出資した狙いがちょっとわかりました」


「はい。オンラインゲームやMMORPGは数あれど、こんな風に自分たちの望むようなプレイができるゲームは、昨今どこにもございません。ソーシャルゲームでも、ビジネスである関係上プレイヤー同士の競争や、ガチャなどによる理不尽を求められます」


「けれども、このシステムなら、限りなく自分たちの望む物語に没頭できる」


「はい。もっとも、お客様同士の間で起こったいざこざまでは、当方で責任を負いかねます。ですから年齢確認をさせていただきました。ちゃんと、理不尽な妥協を重ねたとしても暴れたりしない、大人であると」


 シニカルな物言いをする人だなと思う。

 本当に、この店員さんは、このプレイスペースの従業員なのだろうか。

 何か不本意な事情でもって、ここで働いているとしか思えない。けれども、語る内容はどれもこれも、この業務の根幹を抑えているものだ。


 いったい何者なのか。

 この事業を成功させて、新しいエンターテイメント分野を切り開きたい、KADOKAWA側の人間なのだろうか。

 それとも、潜在的なプレイヤーを掘り起こし、新たなアミューズメント産業のフラグシップとして、業界を先導していこうともくろむ、ボードゲームカフェ運営会社か。


 さて、と、女エルフが手を叩くと。

 いきなり世界が暗転した。

 まるでデモンストレーションはここまでという感じ。いきなり暗黒の中に落とされた僕は、いつの間に作られたのか現実世界とそっくりのアバターになっていた。


 暗闇の中に、僕、加賀さん、そして――店員さんの姿が浮かび上がる。


「ようこそと言った手前で恐縮なのですが、ソードワールドのシステムは現在まだ調整中でして。さきほどの『街からの出発』シーンまでしか体験いただけません」


「うぇっ、なんですそれ!! この高ぶったテンションをどうしてくれるの!!」


「ご安心ください。当プレイスペースはKADOKAWAからの業務提携と資本提携を受けております。それはそう、何も金銭的な支援だけではありません。こうして、TRPGの大本命である、ソードワールドのデモをご覧いただいたことがその証左。KADOKAWAが保持する多くのIPと提携関係にあるタイトルの作品をお楽しみいただけます――将来的には」


「……将来的には?」


「……つまり、今は?」


 ふふっと、微笑む店員さん。

 彼女がぱんぱんと手を叩けば、また先ほどと同じように、本が虚空に浮かびだす。

 しかしながら、今度出てきたそれは、先ほど目にした文庫本とは大きさが違う。厚さが違う。


 そもそもなんだか趣が違う。


 A4版。

 オフセットカラー本。

 とらのあなやメロンブックスで取り扱われていそうな冊子。


 いわゆる普通の本屋さんで流通しているものとは違う空気がにじみ出ている。


「最初に申し上げました。本プレイスペースはプレオープンだと。有名IPはその名に恥じないシステムに仕上げるために、鋭意制作中でございます。中途半端なディティールで世に出してしまっては、KADOKAWAの名に傷をつけることになります」


「……いや、目玉コンテンツをプレオープンまでに用意できないのも、それはそれでもう結構傷をつけてませんか?」


「この手のサービス立ち上げは、最初にどれだけ目を引くコンテンツを用意できるかが肝心でしょう。なんでそんな一番大切な所を諦めているのよ。ちょっとKADOKAWA」


「……ぶっちゃけたところを申し上げまして、世界観を作りこむスタッフ不足、なにより多くのIPを保持していると言っても、著作権は著者の方にあるんですよ。その辺りを解決するのに、まぁ、とても苦労しておりましてね。TRPGの老舗――グループSNE、F.E.A.R、冒険企画局、芝村裕吏氏とも、現在タイトルの利用について交渉中なんです。また、漫画やライトノベルといったIPについても同様で、むしろこちらについては、まだシステムの作りこみさえできていない状況です。申し訳ございません」


 大人の事情を言われてしまった。


 そんなの知らないよと言いたいところだけれど、こういう権利関係の折衝を、仕事で嫌と言うほど僕も経験している。ちゃんとしてよと言ってやりたいのもはばかられる、こればっかりはどうしようもない話だった。


 それでもこのプレイスペースをオープンしたからには、利用できるVRTRPGがあるのだろう。そして、どうやらその唯一のVRTRPGが、目の前に映し出されている、同人誌のようなものなのだろう。


 ゆっくりと、店員さんが僕たちに向かってお辞儀する。


「という訳で、本日お二人に遊んでいただくVRTRPGはこちらになります。本システムのために、有志三人で設計された汎用RPGシステム――VRRSバーチャル・リアリティ・ロール・システム。サプリメントを追加することにより、様々な世界観を楽しむことができる軽量型のTRPGシステムです」


「汎用システム?」


「G.A.R.P.SやAマホ、F.E.A.RのSRPGシステムみたいなものですね。要は、世界観が違ってもやることは同じ。共通したルールにより、物事を解決することができる。まぁ、こっちの分野に詳しくない森野さんに分かるように言うと、ドラクエみたいに、話は違うのに基本的なゲームのつくりは共通している、ということです」


 なるほど。

 確かに、ドラクエはそれぞれ、リリースナンバー毎にシナリオは違う。

 違うけれども、操作感とプレイングについては各ナンバーで一貫している。マイナーアップされることはあるけれども、大きくその根幹がずれることはない。


 共通の処理をライブラリあるいはパッケージにまとめるようなもの。

 いや、それよりは、フレームワークを作成するというのに近い。


 ライブラリ、もしくはプラグインにより、フレームワークを適宜拡張して運用する。よくあるシステム開発の手法と同じだ。


「話が早くて助かります、加賀さん。流石、ぼっちTRPGマニア」


「ちがいます!!」


「さて、申し送れましたが、私、VRRSのコアシステム設計を行わせていただきました。同人ゲームデザイナーの栖原真帆と申します」


 なんだって、と、僕と加賀さんが言葉を失くす。

 TRPGのことは分からないけれど、システム開発のことについてはよくわかる。

 だって、僕も加賀さんも、システムエンジニア畑から出てきた人間だから。


 システム設計者が自ら出てきてお店を運営している。

 プレオープンに立ち会っている。


 つまり、これは、プレオープンという名を使っちゃいるが、実質オープンβ。

 本リリース前の理解ある人たちによる無償デバッグ行為。


 にこりと微笑む栖原さん。

 その笑顔の裏に、抜き差しならないものが潜んでいるのを、僕たちは察した。


 これは、あれだ。

 リリース前の、どうしようもなく余裕がない感じの、他部署の何も知らない人員の手だって借りたいという、やけっぱちな感じだった。


 これ、怪しい勧誘メールで来た時も思ったことだけれども、相当タイトなスケジュールでやっているな。

 そりゃちょっと開発者も投げやりな感じにもなったりするよ。

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