第10話 いらだちと心配と


 家の扉を前にして、先ほどのリナのことを思い出して動悸が高まってきた。

 誰にも渡したくない。

 そう言ってくれた女の子のことを思い出してさらに心臓が跳ねる。

 落ち着こう。

 そう思って息を整える。

 うん、大丈夫。いつも通りだ。

 そう思ってドアノブに手を掛けようとしたところで、ドアは内側から大きく開け放たれた。バン、と大きな音を立てて開かれたそこには大きく息を切らしたリナの姿があった。


「れーくん、お姉ちゃんが、いない!」


 青ざめた顔で、リナがそう言ったのだった。


 ◇


「玲斗に言われたこと……何のことだろ」


 リナが部屋を出て行って数分後、リゼは自室の椅子の上で考えていた。

 思い出すのはいらだちを含んだ玲斗の声。


『……お前はどうなんだよ』

『は?』

『本当にそれでいいのかよ』


 最後の方は少し拗ねるような声色も交じっていたかもしれない。

 あれは、どういう意味だったのだろう。

 ふー、と息を吐きながら背もたれに体を預けて天井を見つめる。


「私、ね」


 そう考えても、別に何ということもない。

 リナは玲斗を欲しているし、リゼにとっては妹が第一だ。

 妹の願いを叶えてあげたい。


「そうなったら玲斗は私の家族か……義弟ってことになるのかな?」


 ふと、そんな想像がよぎる。

 きっと楽しいだろう。

 リナが今よりももっと笑顔になって。玲斗は家族になるのだ。

 いずれはリナとの間に子供もできるだろう。

 そうしたら自分はその子の叔母だ。

 リナの子供ならどんなに可愛いだろう。


「あれ、おかしいな?」


 きっと二人で楽しい家庭を築くはずだ。

 今だって、二人でゲームをして楽しそうにしていることが増えている。

 だからきっと、いい家庭を作れるはずだ。


「なんで」


 私を置いて。


「なんで、私、泣いてるの?」


 二人の未来を想像して、リゼは自分の頬を涙が流れていることに今さら気が付いた。

 涙はとめどなく、溢れ続けている。


「ウソ、ウソだよ」


 ぬぐってもぬぐっても涙が消えない。

 同時に、自分の想像している光景が歪む。

 玲斗と一緒に傍にいる人物はリナ―――ではなく自分だ。


「っ、だめ、だめだよ」


 力強く頭を振って自分をごまかそうとする。

 それだけはいけない。

 自分は、リナの幸せを願っているのだ。

 だというのに、自分が妹の幸せを壊してどうする。

 もう一度、リナと玲斗二人のことを考えようとして、胸に深くとげが刺さったような痛みが突き抜ける。


「そんな、こと……あるはず、ない」


 自分が。


「私は」


 リナの姉で、あの子の幸せを願ってる。


「玲斗」


 なんで、名前を呼ぶだけでこんなに胸が苦しくなるのかわかっていなかった。


「……れーくん」


 本当は分かっていた。

 自分の心を隠していただけだ。

 妹への引け目を感じて。


「好き」


 その言葉は、思っていたよりもずっと素直に出た。

 その事実にリゼはぞっとして。


「っ!」


 一気に家を飛び出した。


   ◇


 リナの言葉に一瞬くらりとよろめいた玲斗だったが、すぐに頭を左右に振って自分を取り戻す。


「……家の中にはいないのか?」


 言いながら靴を確認してみれば確かにリゼの物だけがない。

 どうやら外に出ているのは間違いなさそうだ。


「どうして急に……」

「さっき、少し、お姉ちゃんと、話した」


 顔を青ざめさせたまま、リナが口を開く。


「ちゃんと、勝負してって、れーくんから、言われたこと、ちゃんと考えて、って」

「聞いてたのか」

「どう、しよう、ボク、どうしたら」

「落ち着けリナ。別にいなくなったわけじゃない。ただ散歩にでも行っただけだろ」


 リナを落ち着かせるためにそう言った玲斗だが、本気でそう思っていたわけではもちろんない。

 リゼが急に家からいなくなったことにはかなり動揺していたし、自分がさっき何も言わずに公園に出たこともあって、リゼも何か思うところがあるのだろうとは察してはいた。


「ボク、探して、来る」

「いや、ちょっと待て!」


 いきなり裸足のまま外に飛び出していこうとするリナをすれ違いざまに引き止める。

 かなり混乱しているようだ。今この状態のまま外に飛び出してもリゼを見つけることは出来ないだろう。下手をすればリナまで危険な目にあいかねない。


「放して!」


 初めて、こんなに大きな声で叫ぶリナを見た。

 突き抜けた衝撃に、体を硬直させる。


「謝らなきゃ、お姉ちゃんに」

「謝る?」

「ボク、無理やり気づかせちゃった、かもしれない」

「何を」

「れーくんのこと、好きだって」

「……」


 予想だにしない答えに玲斗は口をつぐむ。


「無理やり、気づかせた。お姉ちゃん、きっと、ショック受けた」

「そんなことどうして―――」

「分かる、よ。双子、だもん」

「……」


 つらそうな、笑顔を見せる。

 しかしすぐにその顔をうつむけて、肩を震わせる。


「分かってて、言ったの。お姉ちゃん、に。れーくんから、言われたこと、考えろ、って」


 小さな滴が、玄関の床に落ちた。

 しゃくりあげる声だけが、聞こえる。

 本当に、リゼの事が大切なんだ。

 目の前で静かに鳴くリナを見て、玲斗の心の中にそんな家族のいることへの羨望が芽生える。

 同時に、すぐに助けてやりたいとも、思う。


「分かった。リゼは俺が連れて帰る。リナは家にいてくれ。もしかしたら入れ違いで帰って来るかもしれないから」

「わか、った」


 しゃくりあげながら、リナは頷いた。


「どこか、行きそうな心当たり、あるか?」

「お姉ちゃん、暗いところ苦手だから。明るいところ、探すと思う」

「……あいつ、ほんとにそう言うのダメなんだな」


 この前のホラー映画鑑賞会のことを思い出す。


「了解、ちょっと駅前の方に行ってみる。何かあったらスマホに連絡くれ」

「うん」


 涙をぬぐうリナを玄関から家の中へと上げる。


「れーくん」

「うん?」

「お姉ちゃんを、お願い」

「……分かった」


   ◇


 玲斗達が住むこの町は、夜になれば人通りは少ない。

 特に住宅地になっているこのエリアは。

 ぽつぽつと街灯がともる暗い道を玲斗は急ぎ足で駆け抜けた。時折街灯の光が届かない暗がりにリゼが座り込んだりしていないかを確認しながら。


「くそっ、どこに行ったんだ」


 額に浮かんだ汗を拭いながら悪態をつく。

 しかしそれでも足を止めることはしなかった。

 そうして歩くこと数分、ようやく人通りの多い場所までやって来る。

 今いるのは駅前だ。

 こんな小さな町ではこの時間帯明るい場所などここしかありえない。

 道を歩くのは酒に酔ったサラリーマンや、家路を急ぐ人々。ガラの悪い若い男たちの集団などが目に付く。

 こんな場所でももし一人で歩いている女子高生がいたらかなり目立つだろう。

 特にリゼみたいな顔立ちのいい女子ならなおさらだ。

 自分のスマホを取り出して確認する。

 時刻は夜の11時過ぎ。

 こんな時間に出歩いていれば補導だってされかねない。

 ちなみにリゼのスマホには家を出る前にかけたが、自室の方で着信音が鳴っているのを確認済みだ。

 できれば日付が変わる前には見つけたいところだ。

 警察に見つかったりしたらさすがに言い訳もできないだろう。

 玲斗は焦る気持ちを抑えながら駅前の通りを確認していった。

 ちょうど店じまいをし始めた店が多く、徐々にシャッターが下りる。

 駅ビルも、すでにほとんどのテナントが店の明かりを落としていた。

 駅前に形成された商店街も、にぎやかな声の聞こえてくる飲み屋でもなければすでにほとんどシャッターが下りている。

 そんな店を眺めながら、玲斗の胸にふつふつと怒りが湧き上がってくる。

 それはあれだけ心配してくれる妹を心配させていることへの怒りだ。


「くそっ」


 そしてそれは玲斗自身にも当てはまる。

 なぜ自分がこんなにリゼのことを心配しているのか、自分でも疑問だった。

 初めは、リナと言う理解しあった家族がいることがうらやましかった。そして、そんなリナを助けたいと思ったのがきっかけだったはずだ。

 だが今玲斗の心を支配しているのは、もっとぐちゃぐちゃな感情だった。

 嫉妬も不安も怒りも内包した形状のない感情。

 その感情のまま玲斗の足は急ぎ足で歩き回る。

 だから聞き逃すところだった声に気が付けたのはたまたま運がよかったとしか言えない。


「ちょっと、放してよ」


 聞き間違えるはずない。

 今はいらだちに尖っているが綺麗な声。

 ここしばらく毎日聞いてきた声だ。

 見ればゲームセンターの前、煌々と灯るネオンに照らされたその場所で数人の若い男に囲まれた少女の姿がある。

 リゼだ。

 見たところまだ無事なようだ。

 顔は周りを囲む男たちを威嚇するかのように不機嫌な様だったが、男たちはそれすらも笑ってからかっている。


「いいだろ? ちょっと一緒に遊んでいこうって言ってるだけじゃん」

「そうそう」

「楽しいことするだけだからさぁ」


 それぞれそんな意味もないことを言っている。

 今どきそんなナンパをしているような連中がいることに若干の感心を覚える玲斗だったが、さてどうやって連れ出そうかと考える。

 見たところ男たちは大学生くらいの様で玲斗達と比べれば年上だ。

 相手の方が人数もいる。

 ここからではわからないが、もし酒が入っていたら余計に絡まれる可能性もあるだろう。

 リゼを見つけられた安堵感から冷静に考えていた玲斗だったが、すぐに状況は動いてしまった。


「いいじゃんかよぉ、ちょっとくらい付き合えって」

「いやっ、ちょっと!」


 リゼの腕を無理矢理に掴んでにやけた顔を近づけたのだ。

 痛みに顔をわずかにゆがめるリゼ。

 その顔を見た瞬間に、玲斗の足は動いていた。

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