第7話 ホントのキモチ
「ホラー、映画、見よ?」
夕食を食べ終わったところで、唐突にリナが言った。
両手に握って見せてくるのは、一昨年観客を恐怖のどん底に叩き落としたことで有名な映画のソフトだった。
それをなぜ今唐突に出したのか、後ろのリゼが椅子から飛び上がらんばかりに反応しているのが気になったが、先に聞くことにした。
「どうしたんだ、それ。レンタルでもしてきたのか?」
「YAMAZON、で買った、よ。この前、れーくん、まだ見てないって、言ってた」
「ああ、そう言えばそんな話もしたな……」
この前一緒にテレビを見ていた時のことだ。
かなり話題になっていたのだが、玲斗はまだ見ておらず「そう言えば、見てないな」とつぶやいていたことを覚えていたらしい。
「分かった。風呂に入ったら一緒に見るか。リゼはどうする?」
「わ、私は、その。宿題がまだ残ってるからいいわ」
「ん? そうか」
何故か視線を盛大にそらしてリナの方を見ないようにしているリゼ。
ひょっとして、と思ったが。
「お姉ちゃん、ホラー、苦手」
「ほほう」
「ちょ、ちょっとリナ!」
がたっと椅子を蹴立てて立ち上がり、キッと責めるような視線をリナに向けるが、その視線を遮るようにしてホラー映画のパッケージを突き出す。
するとそれを視界に入れたリゼが勢いよく顔を逸らした。
「なるほど。これは相当だな」
「お姉ちゃん、ホラー映画、見ると一人、で寝られない」
「そ、それは昔の話でしょ!?」
「中学生、の頃、だよ?」
「私は! 大人に! なったんです! 今ならホラー映画だって大丈夫なんです!」
「じゃあ、一緒に見るか?」
声を荒げて言い募るリゼに、玲斗が提案する。
しかしこれにリゼは、今まで荒げていた声をしゅんとさせてしまう。
「そ、それは……」
視線を左右にさまよわせ、どうしたものかと悩んでいるようだ。
どうやら本当に苦手らしい。
にやり、とこっそり口元に笑みを浮かべる。
「何だ、やっぱり怖いんじゃないか」
「ち、違うわよ!」
自分でも安い挑発なのはわかっていた。
こんなことにリゼが食いつくはずない。ちょっとからかってやろうくらいの気持ちだったのだ。
「じゃあ見られるよな」
「ええもちろんよ! 見てやりますとも!」
完全にリゼは乗せられていた。
そう言うわけで、ホラー映画鑑賞会が決まったのだった。
◇
井戸の中から這い出してきた小さな子供が、誰かに電話を掛けている。
場面が切り替わって、電話を取った相手のところに子供が突然現れ被害者たちはどんどん増えていく。
部屋の明かりを落とし、ソファに座ってそんな映画を見ていた。
テレビで話題になっただけあって、かなり恐怖心をあおる内容だった。
だが今、一番玲斗の恐怖心をあおっていたのは、両サイドに座る双子の存在に他ならない。
映画を見始めるとき、なぜか二人は両隣に座って来た。
「お、おい。こんなに引っ付かなくっても」
「それ、は。無理。じゃないと、始まって、から、きゃー、こわーい、ってできない」
「下心丸出しかよ!?」
そう言いながらもすりすりと玲斗の右の腕に顔をこすりつけてくる。まるで警戒心のない猫の様だ。
「わ、私は別にっ。怖くなんてないけど、あなたが怖がるといけませんのでっ!」
「いや、俺は別にホラーは苦手じゃないんだけど……」
左隣に座ったリゼは玲斗のTシャツの端っこを掴み、顔を赤くしてぼそぼそと言い訳のつもりかごにょごにょと言っていた。
何はともあれこうしてホラー映画鑑賞会はスタートした。
案の定、リゼの方はほとんどまともに画面を見ていなくて、大きな音がするたびにびくりと体を震わせていた。かなり密着している状態のため、ダイレクトに伝わってくるのだ。ここまでホラー耐性がないとは思っていなかった。
対してリナの方はと言えば、ホラーシーンの度に目を輝かせて画面を食い入るように見つめている。こっちはこっちでここまでホラー好きとは思っていなかった。
ちなみに玲斗は、両側からそんな感じで強く腕を握られていて、痛いやら柔らかいやらで全然映画に集中できていなかった。三人とも順番に風呂に入ったので、両脇の二人からはシャンプーのいい匂いがしている。
これで集中できるならそいつは仙人か解脱の達人だろう。
仕方なく玲斗も仙人になるべく画面に意識を集中する。
ちょうど今、主人公が幽霊から逃げるためにトイレに逃げ込んだところだ。
どうしてこういう主人公たちはわざわざ夜にホラースポットに行ったり、狭い場所に逃げ込んだりするのだろう。
夜の学校のトイレだ。
個室に逃げ込んで、ひたひたと廊下を歩く足音が遠ざかるのをぶるぶると震えながら待っている。
足音が遠ざかったところでふう、と体の力が抜ける。
それは左にいたリゼも同じようだった。
だから急に画面に幽霊の血にまみれた顔がアップになった瞬間、体が硬直したのがはっきりと分かった。
「ひっ~~~~!?」
声にならない悲鳴、と言うものを初めて聞いた。
横目で見てみれば、目じりに涙を浮かべて玲斗の腕に必死でしがみついている。道理で腕が絞られているような気がするわけだ。
と、そこで気が付く。
反対側のリナから何の反応もない。
そっと見てみれば、リナは玲斗の肩に頭を預けたままたらりと眠っていた。すやすやと安らかな寝息を立てていて、起こすのが忍びないという状況。
大方昨日も深夜までゲームでもしていたのだろう。
とは言え、これで一番見たいと言っていたリナが見ていないのだ。
玲斗としては怖がるリゼも十分堪能できたのでこれ以上見る必要もないかと思う。
「なぁ、リゼ」
「ひっ!? な、何よ。急に話しかけないでくれる!?」
「リナ、寝ちゃったみたいだ」
「え!?」
そこでリゼも左側からのぞき込んで、寝ているリナを見て目を丸くする。
「見たいって言ったのリナなのに……」
その目尻にはうっすらと涙が溜まっている。
いいだしっぺのこの仕打ちには泣きたくもなるだろう。
完全に怖がり損だ。
「もうリナも寝ちゃったことだし、ここらで切りあげようか」
「だ、ダメよ!」
「え?」
映画はもう終盤だったが、怖くて碌に見れないなら見る必要もない。そう思っての事だったが、リゼから帰ってきたのは強い否定だった。
「さっきからかったことなら気にするなよ?」
「そ、そうじゃなくて……ここで見るのやめたら、それはそれで続きが気になって眠れなくなりそうだしっ、幽霊がどう退治されるのか確認しないと怖いままだしっ」
「あー」
大きな音にまたも体をびくつかせながら喋るリゼに納得の声を上げる玲斗。
なんとなく、それは分からんでもなかった。
「んじゃ、最後まで見るか」
体をびくつかせながら画面を恐る恐る見続けるリゼと一緒に、結局最後まで見るのだった。
◇
結局最後までリナは目を覚ますことはなく、仕方なく玲斗が部屋まで連れて行った。抱え上げたリナの体は驚くほど軽くて、普段何を食べてたらこうなるのかすごく気になった。いや、今は同じご飯なのだが。
結局そのまま今日はもう寝ることにして、リゼも部屋へと入っていった。
何故か足がぷるぷる震えていて「おやすみなさい」という声も震えていたが、やっぱり途中で切り上げた方がよかったのではないだろうか。
ホラー映画のラストは退治されそうになった悪霊が逃げ出して、退治しきれなかったというオチだったからだ。
電気を消して、ベッドの上で眠気が来るまでぼんやりと映画のことを考えていた玲斗だったが、ふと部屋に入って来た生ぬるい風に眉を顰める。
同時に微かにドアのノブが動く音。
ばっ、と起き上がるとドアの方を見やる。
「ううぅ、玲斗ぉ……」
何故か涙目のリゼが自分の枕を抱えて立っていた。
いや、この場合何が言いたいのかははっきりとわかる。
わかるが認めたくはない。
「……どうした?」
一応、礼儀として聞いておくことにした。
「そ、その……一人だと、寝られなくて……」
その言葉に頭を抱えたくなる。
だから途中で切り上げればよかったものを!
叫びそうになる口を押えながら、考える。
さすがに一晩一緒に寝て、自分の理性が正気のままでいられるのか自信が持てなかった。他に代替案は何かないか。そう考えてすぐに答えは出た。
「リナと一緒に寝ればいいだろ」
もうすでに寝ているだろうが、ベッドにもぐりこむことは出来るはず。
しかしリゼは頭を左右に振って目じりの涙を大きくする。
「どうしてだよ。隣で寝るくらいできるだろ」
「リナ、起きてたのよ」
「へ?」
「起きて、ホラーゲームやってた……」
枕をぎゅっと抱きしめて、目から光を消したその姿には憐れみすら感じた。
きっと部屋に入った瞬間、モニターに映ったホラー映像でも見たのだろう。
「……とりあえず、座れば?」
「うん、そうする」
小さな声でそう言うと、リゼは部屋の中に入って来た。
さっきまでと変わらずパーカーとショートパンツといういで立ちだ。正直一男子高校生には目の毒過ぎる。
できるだけ見ないようにしていると、リゼは枕を抱えたまま椅子に座った。
その様子にはできるだけ意識を向けないようにして、玲斗は枕もとの電気を点けた。部屋の中を柔らかい光が照らしだす。
その光を見て、リゼはようやく少し安心したようだ。
ほっと息をつくのが見て取れる。
「そんなに怖いなら見なきゃよかったのに」
「うっ、ごもっともです……」
顔を赤くしてリゼがうなる。
それにしたって、この年でここまでホラーが苦手と言うのも珍しい。
「なんでそんなにホラーが苦手なんだ?」
「わ、分かんないわよ。昔はリナと一緒に見てたこともあったし……」
「いつ頃の話だ?」
「6歳か、7歳くらいかな。私がホラーを見れなくなったのはリナと趣味が変わり始めてからだと思うけど」
枕を抱えたまま口元に手を当て、思い出すリゼ。
その姿がまるで小さな子供のように見えた時、昔遊んだ「りーちゃん」のことを微かに思い出しそうになる。
「なんか、昔一緒にどこかに閉じ込められたことなかったか?」
その言葉にリゼがびくりと反応する。
「そっか、思い出したのね」
「いや、思い出したって程じゃない。何となく、そんなことがあったような気がして……」
「あったわ」
はっきりと、リゼが断言する。
何故かその顔はほんのりと桜色に染まっていた。
「なぁ、よければことがあったのか詳しく話してくれないか?」
「詳しくって言っても……」
少し言いにくそうに、目線を泳がせるリゼに畳みかける。
できればここで過去のことを少しでも聞いておきたかった。
「頼むよ。話してたら映画の怖さも薄れるかもだろ?」
「それは、そうね。いいわ、聞かせてあげる」
少しして納得したのか、リゼが話し始めた。
「小学校の裏手に小さい山があるでしょ? あそこで遊んでた時に枯れ井戸に落ちたのよ。私たちはちょうど入れ替わって玲斗をからかってて……」
そう言われてぼんやりと思い出す。
山の中をりーちゃんと追いかけあって遊んでいた記憶。
何故かいつも追いかけていたのと反対の方から現れるから捕まえられなかったんだ。
「二人で一緒に落っこちちゃって。どんどん日が暮れてって。心細くなる私を励ましてくれたのが一緒に落ちた玲斗だったわ。自分も不安だったろうにね」
そう言ってはにかむ様に笑う。
「結局、日が暮れた頃にリナが見つけてくれて大人を呼んでくれたんだけど」
「やっぱり俺、覚えてないな……」
「当たり前よ。あなた、寝てたもの」
「えっ?」
「話疲れて寝ちゃって、それからは何しても起きなかったのよね。次会った時はけろってしてたけど」
しかしそう言われて見れば、小さいころに小学校の裏山で遊ぶのは禁止だってめちゃくちゃ怒られた記憶があるようなないような……。
「ま、そんな話よ」
軽く話してまとめようとするリゼだったが、言葉の端々からは大切な思い出なのだろうことが玲斗には感じられた。
楽し気に話すその姿にはうらやましさすら感じてしまう。
本当にどうして自分だけが忘れてしまったのか。
想像する。
暗くて狭い空間で二人助けが来るまで一緒に話している姿を。
きっと玲斗はろくなことが言えないのだろうけれど、それに目の前の少女は笑いながら答えてくれるのだろう。
そんなことを考えているうちに、いつの間にか玲斗は眠りに落ちていった。
◇
朝目が覚めた時、腕の中に暖かくて柔らかい感触があった。
そのことに驚きも何もなく「ああ、リゼがいるな」と思う。
目を開けると、そこには確かにリゼがいた。
安らかな寝顔で、いつもの凛とした雰囲気はそこにはない。
すーすーと規則正しい寝息だけが聞こえている。
結局あのあと宣言通りに玲斗の布団にもぐりこんできたようだ。しかもせっかく持ってきた枕には頭を乗せず、玲斗の腕を下に敷いて寝ている。腕がしびれて感覚がない。
仕方ないな、と思いつつ起こさないように腕を引き抜こうとする。
まだ起きる時間には早いが、目が覚めた時にこの状態では寝ぼけたリゼに何を言われるか分かったものじゃない。
そう思って腕を引き抜きにかかったのだが、なかなかうまくいかない。
もぞもぞと動いている内にリゼが「うぅん」と寝言のような吐息を漏らす。起こしてしまったか、と体を硬直させていると、目の前のリゼの口元が小さく動く。
「れーくん、好きぃ……」
ふわりとした笑みを寝顔に浮かべながら、そう言うのだ。
ぴしり、と時間が止まる。
今、なんて言った?
子供のような、力の抜けきった声。
はっきりと口にした「好き」という言葉は夢でも見ていたのか。
だとしても、それは……。
「ん……? あ、おはよ」
頭の中でぐるぐると考えている間に、目の前のリゼは目を覚ました。
予想したような混乱は一切なく、起き上がって伸びをしている。
「その、昨日はごめん。やっぱり寝れなくって隣、入らせてもらっちゃった」
「あ、ああ。もう、大丈夫そうなのか?」
ごく普通に、隣で寝てしまったことを少しだけ恥ずかしがっている様子のリゼを見て、出来るだけ普通に返す。
「うん、一晩寝たら怖いのもどっか行ったかも。……ありがと。それじゃ」
そう言ってリゼはベッドを飛び出してそそくさを部屋を出て行く。
もしかしたら急に恥ずかしくなってきたのかもしれない。
それも仕方ないだろう。
だが、玲斗は今それどころではなかった。
さっきの寝言をどう考えればいいのか、そればかりを考えていた。
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