第6話 眠り姫は豪運持ち?


 一日の授業が終わり、弛緩する時間帯。

 ホームルームも終わって部活に行く者、友達とこの後の予定を話す者、教室の掃除当番であることを嘆く者、様々な生徒たちが入り乱れる中一人ずっと爆睡している女子生徒がいた。


「おい、リナ。もうホームルームも終わったぞ」


 声を掛けるが、返事は「すーすー」という寝息ばかり。

 起きる気配は一切ない。

 普段から寝ていることの多いリナだが、今日は特にひどい。授業中寝ていない時間帯の方が少なかったのではないだろうか。


「全く、どうしようもないな。もうすぐ中間テストだってあるっていうのに」

「玲斗、ちょっといい?」


 振り向くと、目の前で寝ているリナとほとんど同じ顔の女子がいる。

 リナはクラスメイトの女子と一緒に傍に立っていた。


「どうした?」

「今日ちょっと二人と一緒に寄り道していくからリナの事お願いしてもいい?」


 後ろに立つ二人の女子に視線を送りながら、そう言って目の前で手を合わせる。その向こうの顔は若干すまなそうだった。


「なんで俺が」

「いーじゃん。赤木一緒に住んでんでしょー?」

「そーそー」


 二人の女子がリゼに援護射撃のつもりかそんなことを言ってくる。

 二人が編入してきてしばらく経つが、同棲生活をしていることはあっという間にバレた。

 男子生徒からは殺意の視線を。

 女子生徒からは興味の視線が突き刺さって、しばらくの間は針の筵の様だった。

 ただ、それもすぐに収まった。

 何しろ今後ろの席で寝ているリナが、


「れーくんは、僕の、モノだ、よ」


 と宣言したからである。

 玲斗は顔を真っ青にしたが、教室中が阿鼻叫喚の地獄絵図になったことは言うまでもない。

 男子たちは怨嗟の声を上げ、女子たちは黄色い歓声を上げた。

 その上、そんな光景を目の当たりにして、玲斗の制服の端っこをつまんで背中に隠れるものだからそのいじらしさに心打たれる者たちが続出した。

 編入してすぐはリナにちょっかいを掛けてくる男子生徒たちもいたが、今はおかげでリナにちょっかいを掛けてくる者はいない。

 代わりにリゼにその手の連中が集まっているようだが、うまくあしらっているようだ。

 この辺妹とは対照的である。

 結果として、リナの傍にいると生暖かい視線を感じることが増えた。

 今も、リゼの背後にいる二人の女子からは好奇と興味の視線が矢の様に刺さっている。


「もうちょっとしたら起きると思うから。ちゃんと家まで連れて行ってよ」


 もしも放置して帰ったりしたらコロスと目に書いてある。


「……分かったよ」


 仕方なく玲斗は頷く。

 それを確認すると、リゼは後ろの二人と一緒に教室を出て行った。

 いつの間にか教室の掃除も終わらせたらしく、教室に残されたのは数人の生徒のほかは玲斗とリゼの二人だけになる。

 さっきまでとは打って変わって、静かな空間に教室は様変わりする。

 逆に外からは生徒たちのはしゃいだ声や、グラウンドから運動部の賭け語なども聞こえてくる。

 玲斗は立ち上がって窓辺に近寄った。

 開け放たれた窓からは暖かな空気が流れ込んでくる。もうあと少ししたら夏の熱気に代わっていくのだろう。


「ん……」


 振り向くと、リナがようやく目を覚ましたらしかった。


「おはよう、リナ」

「おは、よ。れーくん」


 まだ寝ぼけ眼でリナが言う。

 ぽやぽやとした目つきで視線が定まっていない。

 それを見て玲斗は机を回り込んで、こっそりそんな様子のリナを盗み見ている連中との間に割り込む。

 背後からいくつか「チッ」という男子と女子の舌打ちが聞こえてきた。

 一部の生徒の間ではリナのことを「眠り姫」と呼んで、寝顔を見るのを楽しみにしている連中がいるらしい。ちなみにその様子を撮った写真が高額で出回っていたのでリゼと二人、回収して回った。怒れる姉はかなり怖かったとだけ言っておく。

 そんなことも知らずに目の前の眠り姫は目をこすってあたりを見回していた。


「あれ? お姉ちゃん、は?」

「もう帰った。友達と寄り道していくんだそうだ」

「そ、か。じゃあ、れーくんひとりじめ、だ」


 そう言ってふわりと笑うのである。

 思わずその笑顔にドキリと心臓を跳ねさせるが、気づかれないようにするためにそっぽを向く。

 すると視線の先ではさりげなくポジションを変えて近寄ってきていた何人かの生徒が胸を押さえてうずくまっている。ちなみに男子だけではなく女子もいた。


「んー、帰ろ?」


 大きく猫のような伸びをしたリナが鞄をもって立ち上がった。

 玲斗も自分の荷物を持って、教室を二人で出る。

 学校内は既に人の気配が希薄だった。

 ついさっきまで生徒たちであふれかえっていたのが急にいなくなると、何だか自分だけが取り残されたような気になって、少しばかり物悲しい。

 まぁ今は隣にリナがいるのだが。

 二人で学校を出て、家へと向かう。

 学校を出たところで、大きなあくびを一つ漏らしたリナに尋ねてみることにした。


「なぁ、いっつも眠そうだけど、夜何してるんだ?」


 まぁゲームなのは分かっているのだ。

 ただ、そこまではまるゲームが何なのか知りたかったわけで。


「今、やってるの、はRPG。オンライン、の」

「MMMORPGってやつか? 誰か友達とかいるのか?」


 基本的にネットは動画を見たりニュースを見たりする程度にしか使わない玲斗だが、知識としては知っていた。

 ゲーム内チャットで楽しく話したり、大人数でしか倒せないモンスターとかが出る奴だろう。

 しかしリナはそれを聞いて首を左右に振る。


「ソロ」

「あー、やっぱそうだよな……」


 なんとなく想像がつく。


「いつからやってるんだ?」

「最近、始めた。面白い、よ。やってみる?」

「え?」


 隣を歩いていたリナの顔を見ると、そこには期待に満ちた目がある。

 これはとても断れる感じではない、とため息一つ分の間で覚悟を決めた。


「じゃ、ちょっとだけ」

「! うん」


 嬉しそうに笑うリナ。

 その喜び方が、ちょっと大げさに見えて思わず笑みを漏らしてしまう。


  ◇


 家に帰って、二人はそのまま玲斗の部屋にいた。


「これをダウンロードすればいいんだな?」


 パソコンを起動し、開いたのは人気のMMORPGのサイト。

 そこから無料のソフトをダウンロードしているところだった。


「そう。ちょっと、着替えて、来る」


 そう言うなりリナは部屋を出て行った。足取りは軽い。このゲームがかなり好きなのだろう。

 ダウンロードが開始して数分。

 インストールまで完了した頃リナは戻ってきた。

 ジャージに着替えたその手にはノートパソコン。

 デスクトップのPCのほかにノートPCまで持っているとは驚きだ。


「一緒に、しよ?」


 ベッドの上に腰かけたリナが上目遣いに言ってくる。

 元々今日はリナに付き合うつもりだったのだ、今さら確認の必要はない。


「わかった。まずは何をすればいい?」

「それじゃ……」


 そうして始まったのは簡単なキャラクター作成。

 このゲームは、2Dのグラフィックながら軽快な操作性と有名なライターが仕上げたシナリオ、そして美しい音楽とグラフィックが売りらしい。

 それはキャラクター作成が終わって、最初の街に入ったところからすぐにわかった。

 ゲーム内では夜らしいその港町は、ゆったりとした音楽が流れており落ち着いた雰囲気だ。

 そして画面の真ん中には棒立ち状態のキャラクター。

 今玲斗が作成を終えたキャラだ。初期状態のために格好は完全にデフォルト状態で質素と呼ぶほかない。周りをうろうろしているほかのキャラに比べたら勇者と平民くらいに装備が違う。

 こういった見た目が変わるファッション要素も売りの一つらしい。


「もう、ログインは、できた? すぐ、行くね」


 ベッドの上でノートPCを操作していたリナがこちらの様子を確認してくる。

 するとすぐに、街の真ん中で佇む玲斗のキャラクターの傍に、一人のプレイヤーが寄って来る。


『こんばんは! それがれーくんのキャラクターなんだね! カッコイイね!』


 個人に指定で送れるチャット欄にはそのキャラからのメッセージが出ていた。


「……おい、リナ」

「何、かな?」

「これがお前のキャラクターか?」

「そう、だよ」

「……お前、このゲーム始めたのいつって言ってたっけ?」

「最近、だよ」

「じゃあなんで……」


 画面の真ん中、リナのキャラを指して叫ぶ。


「全身真っ黒の高価そうな鎧と明らかに強そうな武器とか装備してんだよ!」


 漆黒の鎧に身を包んだリナのキャラは、手に明らかに高そうな剣を装備している上、背後に禍々しいオーラまで纏っている。

 明らかに最近始めた人の装備じゃない。

 実際、全体チャットに『あれ、あの鎧超レアの奴じゃね?』『あの装備、まさかデスマスク!?』『やっべーよ、拝んどこ』といった会話ログが大量に流れていく。


「うーん、なんか、敵倒して、拾った、よ?」

「ドロップしたってのか?」

「そう」


 それはかなりの幸運だったんだろうなぁ、と何となく遠い眼をする。

 ちなみに玲斗はソシャゲのガチャ運は全くない自覚がある。


「それじゃ、冒険に、行こう」


 それから二人は一緒にゲームをした。

 モンスターを倒し。

 クエストをクリアし。

 レアドロップ率の差に辟易したり。

 忙しく楽しい時間だった。


「なぁ、リナ。ここってさ……」


 ちょうど今も敵からのレアドロップを狙って定点狩りをしている最中だったのだが、落とすアイテムの確認をしようと振り返った玲斗が見たのは、ベッドに寝そべってノートPCに顔を近づけている姿だった。

 ジャージの背中に広がった長い髪。風呂に入った後と言うわけでもないのにふわりと香る女の子の匂い。何より自分のベッドに同い年の女の子が腹ばいになっているという事実が、玲斗の頭を揺さぶった。

 玲斗の手元の画面では、リナのキャラクターが群がるモンスターをぼこぼこに粉砕しているところなのだが、背後ではベッドで足をパタパタさせているのがまた可愛い。

 思わずじっと見つめていた玲斗だったが、はっと我に返る。

 自分のキャラクターもまたモンスターに群がられて死にかけていたからだ。こっちはリナと違って初期装備のままだ。向こうのような無双など出来ようはずもない。


「あ、れーくん、だめっ」


 珍しく慌てたリナの声。

 画面の中の瀕死状態の玲斗のキャラクター。

 しかし悲しいかな。

 玲斗の視線は、画面に向いていない。

 慌てて攻撃技を使用するリナ。

 画面の中ではなく、ベッドの上のリナが画面に更に食いついて服がめくれ上がっている。


「どうした、の? れーくん」

「っ、いや、何でもない!」


 思わず上ずった声が出てしまう。

 もう一度画面に集中し、狩りを始める。

 集中だ。集中。

 自分に言い聞かせながらただひたすらにマウスを操作する。

 基本的には敵にカーソルを合わせてクリックして、通常攻撃をして時折クールタイムが終わればスキルを使って一気に敵を叩くそれだけ。

 ただひたすらにモンスターを狩っていく。

 同じ部屋で同じ空気を吸っている女の子のことは頭の隅に追いやって、画面の中のキャラクターだけに意識を集中させた。

 そうして戦うこと数分。


「はー、やっと倒し切ったか」


 モンスターを攻撃する打撃音だけが響いていた部屋の中で、ようやく玲斗は静かな快哉を上げた。気が付けばレベルまで上がっている。


「なぁ、リナ。今回のレベルアップのボーナスはどこに……リナ?」


 何故か返事がないことに気が付いて、振り向けばリナはうつぶせのまま静かに寝息を立てていた。


「戦いながら寝るかよ……」


 記憶している通りなら、最後の一匹までリナのキャラクターは攻撃をしていたはず。倒した瞬間に寝入ったのだろうか。


「……仕方ないな」


 そう言えば昨夜もかなり遅くまで起きていた結果、学校でほとんど寝ている状態になったのだ。布団に横になればこうなるのはある意味当然と言えた。

 玲斗は静かに立ち上がり、リナの傍へと寄る。そんなに寒いわけではないが、布団くらい掛けておいてやるべきだろう。そう思ったのだ。

 ベッドに膝を乗せ、リナの足もとにまとめてあった掛け布団を広げる。

 その際にリナの寝顔が目に入る。


「……」


 静かに寝息を立てるリナの寝顔は、学校で居眠りをしている時と何ら変わりない、はずだ。

 だというのに、なぜか特別なものに思えて、目が離せなかった。

 顔をよく見ようとしてぐっと近づく。


「ん……」


 それに気が付いたのか、寝返りを打つリナ。それに合わせてベッドが少し揺れ、玲斗は体勢が崩れた。


「っ……!」


 ずるりと滑るが、リナにぶつかる前に手を突くことには成功する。

 だが顔の真ん前を見て硬直する。

 視界一杯にリナの寝顔があった。

 吐息が顔をくすぐる。


「……」


 一瞬、そのまま顔を近づけたら口と口がぶつかるな、とかその場合キスにカウントされるんだろうか、などと言った思考が流れる。

 ほんの一、二秒混乱した頭で考えていた玲斗だったが、色々な誘惑を振り払って体を起こす。


「夕飯の準備、しないと」


 言い訳の様に小さくつぶやいて、そそくさと部屋を出た。

 起こさないように静かに部屋の扉を閉めて。


   ◇


「キス、してくれても、よかった、のに」


 ベッドの上、瞼を開いてリナが呟く。

 本当は、すぐに目を覚ましていたのだ。

 ベッドに玲斗が近づいてきたときから。


「れーくん、のばか……」


 不満げな呟きが漏れる。

 ただ何となく好きな人の部屋で二人っきりで、寝ていた事実が急に恥ずかしくなって起きられなくなった。


「はー、れーくんの、布団。いいにおい……」


 玲斗が優しく掛けてくれた布団を掻き寄せて大きく息を吸うと、今度は幸せそうな声を出してもう一度リナは眠ることにした。


「お姉ちゃん、には、渡さないん、だから……」


 寝言じみた言葉は、リナ以外誰もいない部屋に融けて消えた。

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