第5話 偽デート


 朝の陽ざしを感じて目を覚ます。


「起きよ……」


 ぼんやりする頭をガシガシ掻きながら体を起こす。

 時刻は7時前。

 二階の自室を出ると、家の中に人の活動している気配はない。

 二人ともまだ眠っているようだ。

 玲斗は起こさないように気を付けて階段を下りた。

 キッチンへと向かい冷蔵庫を開ける。

 同居生活が始まって、最初の日曜日だった。

 昨日はリナと公園でデート……と言っていいのだろうか。

 雨のせいもありあまりデートっぽい雰囲気はなかったような気がするが、二人で出かけてきた。

 今日はその翌日の日曜日。

 基本的に玲斗は頻繁に夜更かしするタイプでもなければ、昼近くまで寝ているようなこともない。まぁ昼間に寝ていることは多かったが。

 ともあれ今は朝食だった。

 二人がいつ起きてくるのかはわからなかったが、作っておいて損はないだろう。

 冷蔵庫から食材を取り出し作っていく。

 玲斗は別段料理が得意と言うわけでもなければ苦手と言うわけでもない。材料とレシピがあれば大抵は作れるし、失敗しても食べられないほどの物は作らない。

 最終的に手間と時間を限りなくこそぎ落とした、なおかつほどほどにうまく作れるものを自炊するようになった。

 そう言うわけで、作ったのは鮭の照り焼きとスクランブルエッグ、味噌汁とサラダだ。

 それらが三人分出来上がって7時過ぎ。

 そこでちょうどリビングの扉が開かれる。


「あれ? 玲斗早いのね」

「そういうリゼこそな」


 そこに立っていたのはリゼだ。

 もう顔も洗ってきたようで、寝癖もない。服こそ寝間着のままだったが、着替えてすぐに外へ出ていきそうな雰囲気だった。

 寝癖まみれで朝食を作っていた玲斗とは大違いだ。


「リナは?」

「あの子はまだ寝てるわ。と言うか今さっき寝たところねきっと」

「どういうことだ?」

「姉の勘よ」

「そ、そうか」


 これ以上信頼性のある勘はきっとないだろう。


「ところで……昨日はうまくやってくれたようね」

「ああ、デートか?」


 リゼが鋭い視線を向けて確認してくる。

 シスコンは相変わらずの様だ。


「戻ってくるのが早かったから、少し気になったけど。リナが上機嫌だったからよほど楽しかったのね」

「そう、だったか?」

「……これから彼女にするんだから、もうちょっとよく見てあげてよね」


 情けない、というため息とともに玲斗の顔に人差し指を突き付け、お願いと言うよりも指導するかのようなリゼ。

 目に映るのは妹を奪われていくことへの嫉妬か怒りか。

 その視線に耐え切れず、玲斗は話題を変えることにした。


「……とりあえず、せっかくだから食べるか?」


 作った朝食を指して言う。

 リゼの視線が朝食に注がれ、同時にそのお腹が可愛い音を立てる。

 聞かれたことに気付いたリゼは顔を少し赤くして、目を逸らした。


「……そうね。リナの分は残しておけば起きてきたときに食べるわよ」


 照れたようにぼそぼそ言うので、玲斗はこっそり笑みを深めながらリナの分はキッチンに置いて上からチラシをかぶせておく。少し気温は高くなりつつあるが、このくらいなら痛んでしまうこともなさそうだった。


「いただきます」


 リゼが行儀よく手を合わせてから食事を始める。

 なんとなく玲斗も同じようにして食べ始めた。

 ……不思議な感覚だった。

 自炊は長いことやっていたし、学校へも弁当を自分でもっていくことはある。だが、自分の作った料理を誰かに食べさせる経験などしたことがなかった。

 ましてや食事の前に手を合わせることなどもうずっとやってない。

 母親がこの家で料理をしたのはいつが最後だっただろうか。


「うーん、なんだか納得いかないわ……」

「どうした?」


 目の前に座るリゼが料理はおいしそうに、しかし納得いかなそうに言う。


「私、結構料理練習したのに玲斗の作る料理の方がおいしいんだもん」


 そう言ってむくれるのだ。


「あー、昨日の朝のはなかなかだったな……」


 昨日の朝、起きてきたときにはリナが料理を作っていて、見た目は焦げもなくおいしそうなそれを一口かじったところで感じたのはお菓子のような甘さ。なぜか異常に甘い料理になっていた。本人は砂糖なんか使っていないと主張していたが、砂糖のケースは半分以上なくなっていたので使ったのも間違いない。


「う……」


 昨日の朝の惨劇を思い出したのか、リゼが顔を曇らせる。

 その表情を見て玲斗の胸に罪悪感が膨れ上がる。

 別に料理をけなしたわけでもないのだが、何となくそんな表情をさせたのが悪い気がしたのだ。


「なら、今度は一緒に作ってみるか?」

「え?」


 箸でつまんだ鮭を口元に寄せたまま、リゼが固まっている。


「俺も特別料理ができるわけじゃないけど、一緒に作って間違いそうになったら止めるくらいはできるだろうさ」

「そ、そう、ね」


 その口が微かに「一緒に……」と動いた気がしたが、音になって玲斗の耳に届くことはなかった。


「うん、お願いするわ」


 そう言って晴れ晴れと笑顔を浮かべた。

 何故かそんなリゼの様子にほっとして、玲斗も朝食を続けた。

 二人で食事を作る順番や、練習するタイミングを考えながら。

 ちなみに、リナが起きてきたのはもう昼前で、食事の当番には一度も候補として上がらなかったことを追記しておく。


   ◇


「れーくん、お姉ちゃんと、はデート、しない、の?」


 首をこてんと傾げてリナがそう言ったのは、二人でデートをした次の休みの事だった。

 あれから一週間、二人の生活は落ち着いたものになった。

 最初こそ美人姉妹が編入してきたということで話題にもなったが、リナは内向的な性格なのが周知され、ほとんど話しかけられることはなくなった。とはいえ無視されたり冷たくされているわけではない。

 逆にリゼの方はと言えば、社交的で明るい性格もあって一日の内何度も色々な人と話しているのを見かける。女子はほとんど同じグループでしか話さないものだと思っていたが、どうやら例外はいるらしい。

 そんな真逆の性格な二人だったが、それなりにうまく学校生活は出来始めていた。


「お姉ちゃん、ちゃんと、やらないと、ダメ」

「う、でも……」

「約束、忘れた?」

「……分かったわよ。玲斗」

「お、おう」

「この後、暇でしょ、少し付き合って」


 確認の様に聞いては来るが、その否と言ったらコロスと書かれていた。


「りょ、了解です……」


 玲斗の返事に頷くと、リゼはリビングを出て行ってしまった。

 扉が少し乱暴に閉められる。


「お姉ちゃん、照れて、たね」

「……あれ、照れてたのか?」


 そんなまさか、と思ってリナを見るがその表情は「どうしてわからないの?」と言った顔だ。

 信じられない、と言った面持ちで玲斗は立ち上がる。

 この後と言っていたが、すぐに出かけるかもしれない。玲斗も部屋へ戻って準備を始めた。

 30分後、着替えと準備を5分で済ませた玲斗がリビングでなんとはなしにテレビを見ていると、リゼが入って来た。

 その装いは、一言でいうなら清楚。

 ひざ下まで続く長く白いサマーワンピース。肩だしの上、襟周りが大きく露出されておりリゼの白い肌がかなり見えている。


「待たせて悪かったわね」

「お、おう……」

「何よ? 似合わないっていうのは分かってるのよ。これはリナが勝手に……」


 玲斗の反応を見て、リナが微かに不機嫌になる。

 どうやら服はリナによって決められたようだ。リゼが出て行ってしばらくしてからリナもリビングを出て二階へ行っていたようだが、どうやら部屋に戻ったのではなくリゼの部屋にいたらしい。

 普段は短パンやズボンなど動きやすい服装でいることが多いリゼだから、今回もそういった服装だと思っていたのでこれは意外だった。だがこれがリナの手によるものだというなら納得だ。

 事実玲斗も意表を突かれるくらいにはかなり似合っている。


「いや、かなり似合ってるよ。すげえいいと思う」

「!」


 そんな月並みなことしか言えなかった玲斗だったが、その言葉にリゼは硬直する。


「そ、そう! リナが選んでくれたんだし、と、当然よねっ」


 そう言うリゼの肌はほんのりと赤い。

 流石に今回は照れているのだということは玲斗にも理解できた。


「それじゃ、行くわよ」

「俺、まだどこに行くか聞いてないんだけど?」


 そう言われるなり、リゼがピシリと固まる。

 この反応は―――


「自分で出かけるって言っておきながら、行先を考えてなかったのか」

「う、うるさいうるさいっ! 着替えることだけで頭がいっぱいだったのよ! それにこういうことは男の方がリードして然るべきなんじゃないのっ!?」


 びっ、と人差し指を突き付け玲斗に言い訳をするリゼだったが、その顔はまたも赤面しており、動揺を隠せていない。


「あー、んじゃ駅前にでも行ってみるか?」

「駅?」

「この辺で遊ぶってなったらそこしかないからな」


 そこをリナは近場の公園を指定したわけなのでかなりのレアケースだったわけだが。

 駅前はここ数年で再開発され、大きな商業施設が幾つもある。

 ゲーセン。

 映画館。

 おしゃれなお店。

 こんな地方の小さな都市ではその辺にしか賑わいはない。


「分かったわ。それじゃそこへ行きましょう」


 ようやく落ち着いたリゼが頷きを返して玄関へと向かう。

 上がり框で座って靴ひもを結んでいた玲斗は、リゼが少しだけ底の高目なサンダルを履いるのを目にした。リゼだったらこういうおしゃれな靴を持っているのはおかしくなかったが、一度も使われていないように綺麗だったことが目を惹いたのだ。そのリゼがふわりとスカートをひるがえして振り返ったことに気が付く。

 顔を見上げると、なぜだが少し口を尖らせたリゼがいる。


「そ、それじゃ今日はその、よろしく」


 赤くした顔で、そう言うのだ。

 なぜだかこちらまでドキリとしてしまう。


「な、何で玲斗まで赤くなってるのよ!」

「う、うるせっ、行くぞ」


 リゼの焦ったような声に、玲斗も早口で答えると家を出た。

 時刻は14時過ぎ。

 駅までは歩いて15分程度だ。

 駅前までの道を、二人並んで歩く。

 歩道を歩く二人の間には、人一人分くらいの隙間があった。

 お互いに視線を合わせることもなく、ただ前を見て歩く。

 その様子を見た近所の人は、二人のことを初々しいカップルだと思っただろうが、当然玲斗にそんな心の余裕はなかった。

 やばい、間が持たない……!

 いつも通っている駅までの道が果てしなく遠く感じられた。

 つー、と頬を冷たい汗が流れ落ちる。

 こういう時どういう話をすればいいのか、そもそも今がどういう時なのかそれすらも玲斗は理解できなかった。

 リゼは、自分ではなくリナを選べと言った。

 だとすればこれはリナに対して例の「約束」とやらのためのアピールであると考えるのが正しいだろう。つまりこのデートは本当のデートではない。偽りのデート、そう仮面デート。

 大きく深呼吸しながら自分に対してそう言い聞かせると、心が少しばかり落ち着いてきた。

 そこでリゼにこのデート(偽)の目的をはっきりと聞こうと思って、隣を見る。

 リゼ、と口を開きかけた玲斗は口を「リ」の形にしたまま止まってしまった。

 隣を歩いているリゼ。

 右手と右足、左手と左足が同時に出ている。

 見るからに緊張した様子。

 しかもそれをはた目には美人で垢抜けたリゼがやっているのを見ると、とてもおかしなものに見える。

 玲斗は笑いをこらえるためにかなりの力を要することになった。


「なぁ、リゼ」

「ひゃにっ!?」


 おもむろに声を掛けた玲斗に対して、リゼが首を人形のようにぎこちなく回してしかも噛むものだから、玲斗は吹き出さざるを得なかった。


「ちょっ、何よ!」

「い、いや。手と足の動きが逆だと思ってさ」

「へっ?」


 自分の手足の動きを見て、理解したリゼが一瞬で顔を赤くする。

 今日はいつにもまして感情の起伏が激しい様だった。

 その様を見て、玲斗はついに笑いをこらえることが出来なくなった。


「ちょっと! そんなに笑わなくてもいいでしょ!?」


 目を吊り上げて玲斗をとがめるリゼだが、その口元も小さく震えていた。リゼも自分がおかしなことをしていたことに気が付いたようだ。笑うのを我慢している。


「聞きたいことが合ってさ」

「何よ」


 改まって聞いてくる玲斗にリゼがじと目を向けてくる。

 またからかわれると思っているらしい。

 女の子と一緒に出掛けるのなんて初めての玲斗にとってはかなり重要な問題なのだが。


「これ、デートってことでいいのか?」

「はあっ!? これはっ、その……そうね」


 一瞬驚いた顔で否定しようとしたリゼだったが、それを自分で留めて、少し考え込む様子を見せる。

「とりあえずは、デートってことで、いいわ」

「とりあえず?」

「不本意ながら」

「不本意なんだ」

「んもう! 細かいことにいちいちうるさいのよ! いいから黙って私とデートするの。いい!?」


 最後にはびしっと指まで突きつけられて言い放った。

 あまりの剣幕に玲斗は頷くことしかできなかった。


「わ、分かりました」

「よろしい。それから、あとでちょっと話があるの」

「この前の夜の続きか?」

「……もしかしてわざとそう言う言い方してる?」


 なんとなく変な風に聞こえるように言ったのは本当で、それに気が付いたリゼは一瞬あたりの人気を気にしながら聞き返してくる。

 怜悧な視線と共に。


「そんなわけないだろ。ほら、駅はあっちだ」


 視線から逃げるように早足で歩き出すと、後ろからリゼが追いかけてくる。

 その後もぶつぶつと文句を言っていたが、二人の間にあった不自然な感覚は少し縮まったような気がした。


   ◇


 休日と言うことも相まって、駅前はかなり人が多かった。

 駅前のロータリーはバスやタクシーがひっきりなしに出入りしているし、人の流れが途切れることもない。


「それで、どうするの?」


 隣を歩いていたリゼが、駅に併設された背の高いビルを見上げながら聞いてくる。


「そうだな、選択肢としては映画館か、ゲーセンあたりか?」


 デートの経験など一つもない玲斗にとってはそんな選択肢くらいしか出なかった。

 それを聞いてリゼは短く思案すると、


「映画にしましょう。この前東雲さんとか黒木さんから今上映してる映画を聞いて気になってたの」

「誰だ、それ?」


 聞きなれない名前に首を傾げていると、リゼが顔を向けてきて信じられないといった表情をしていた。


「クラスメイトでしょ!? なんで覚えてないの」

「あー、眼鏡でショートカットのと茶髪ロングの女子か」

「それは北条さんと鴨川さん……」


 リゼは「呆れた……」という表情を一切消すことなく映画館がある駅ビルへと入っていった。

 むしろ編入してきて1週間程度であれだけクラスメイトと交流している方がすごいと思うんだが、と思いながらも玲斗はリゼの背中を追った。

 映画館は駅ビルの地下にある。

 一階中央にある吹き抜けのホールを横切り、奥まったところにある下りのエスカレーターに乗る。チケット売り場は上映の開始を待つ人や、売店で買い物をする人などもいて少し込み合っていた。休日ならばこんなものだろう。


「で、どれを見る?」

「そうね……」


 二人で掲示板に出されている上映中のタイトルを眺める。

 ちょうど上映開始が迫っている映画が4つあるようだ。

 ジャンルもちょうどアクションもの、恋愛もの、アニメ、動物感動ものと別れている。


「ちなみにクラスメイトから勧められたのは?」

「このアクションの『ジェントル・スピード』とアニメの『辺鄙の仔』ね」


 そう言われてよく見てみる。

 『ジェントル・スピード』は奪われた主人を助けるため、マフィアに一人喧嘩を挑む執事の話の様だ。一人で10人くらいと戦うシーンの出来がかなりいいという評判を玲斗も見たことがあった。

 『辺鄙の仔』はポスターを見るとのどかな田園風景をバックに主人公と思われる狐耳を生やした女の子が「まだ、通学に3時間かかるよ」と、煽り文が書かれている。本当に面白い作品なのか?


「んで、リゼはどれが見たいんだ?」

「うーん、前評判だと『ジェントル・スピード』の方が面白そうなんだけど」


 そう言いながらも視線は『辺鄙の仔』に向かっている。


「『辺鄙の仔』の方が気になるのか」

「教えてくれた黒木さんの話が要領を得なかったから逆に気になっちゃったのよね……」


 確かに、CMも見た記憶がないタイトルの上、玲斗もポスターを見て何が面白いのかさっぱりわからなくて内容が気になった。

 ケータイで調べることもできるが―――


「じゃ、そっちにするか」

「いいの? ハズレかもよ?」


 勧められこそしたが、リゼ自身もどう面白いのかわからない作品だ。わざわざ突き合わせることに若干の抵抗感を覚えたのだろう。


「いいさ。ただしどんな内容でも見終わった後に感想を聞かせてくれ。そういうの、なんかデートっぽいだろ」

「分かったわ」


 玲斗の要求が意外だったのか、一瞬きょとんとしたリゼだったがすぐに頷きを返す。

 二人はチケットカウンターで『辺鄙の仔』を二枚購入し、上映時間には余裕をもって席に座った。


「さて、どんな内容か……」


  ◇


「……面白かったな」

「……そうね、ここまでとは思ってなかったわ」


 映画を見終わった二人は、駅ビルを出ることなく、そのまま上階のカフェへと向かった。

 時刻は16時半過ぎ。

 上映前に玲斗が言った映画の感想は、家に帰ってから話すつもりだったのだが見終わった二人は家に帰るまでの時間を待てなかったのだ。

 端的に言えば、とても面白い映画だったからだ。


「何なんだあの映画、通学に4時間かかるってどういうことだよ」

「しかも通学中の電車から見える風景、尋常じゃなく綺麗な出来だったわね」

「気が付いたら電車が異世界に行ってたし」

「あとから助けに来た幼馴染の男の子、間に合ってよかったよな」

「でも狐耳の女の子にとってはあっちが本当の世界なんでしょ?」

「でも育ったのはこっち側だったわけで」


 店員が、注文していたメロンソーダとコーヒーを持ってきてくれたが、それに短い反応だけ返して口をつけることもなく二人は映画の話題で盛り上がる。

 ようやく玲斗がコーヒーに口をつけた時にはすでに冷めてしまっていた。


「あれが話題になってないって、どういうことなんだよ」

「あの映画、制作会社にとっては初作品らしいわ」

「あのクオリティでかよ」


 次にあの制作会社の映画が出たら、必ずチェックしようと心に決める玲斗だった。


「今度はリナにも見せてあげたいわね」


 ふと思い出したように口にするリゼ。


「リゼは映画館とか来るのか?」

「……いいえ、絶対に来ないわね。なんてったって最後に映画を一緒に見に行ったのなんて6歳くらいの頃だったもの」

「そんな前か……」

「あの頃のリナはまだ活発で明るくて、何をするにも一緒だったわ」

「例の、入れ替わって遊んでいたころか」


 そう尋ねると、リゼは頷きを返した。


「……二人はどんなことをして遊んでいたんだ?」


 もし、少しでも思い出すきっかけがあればいい。そんな気持ちから出た言葉だった。


「そうね、外では公園で遊んだり家では人形で遊んだり絵本を読んだりしてることは多かったかな。ごく普通の子供だったと思うわ。ただ、私たちは双子だったから」

「双子?」

「親でも見分けがつかないくらいにそっくりだったのよ。どこへ行っても二人ワンセットに見られるわけ。私たち自身も、そういうものだと思ってたから全然嫌じゃなかった。でも、小学校に上がって、それぞれに友達が出来始めた時に思ったのよ。―――私たちって、どっちがどっちなの? って」

「それ、は」


 ぞくり、とした感覚が足元から這い上がってくるのを感じる。


「お互いによく入れ替わって遊んでいた私たちは、見た目が完全に一緒だった。性格も、嗜好も」


 想像する。朝目が覚めて一番最初に目に入るのが、自分と全く同じ顔。同じ声の他人。


「あの頃の私たちは、自分たちのいたずらのせいでどっちがリゼでどっちがリナかわからなくなってたのよ」


 そのころのことを思い出して苦笑いするリゼの表情からは、もう当時の葛藤や困惑は見えない。だが、それがもし本当ならとても怖かっただろう、そう玲斗は思った。


「親には?」

「言えるわけないわよ。同じ格好してるとどっちがどっちかわからなくなってる親に『私ははどっち?』なんて」


 肩を竦めながらまた困ったような笑みを浮かべる。


「でもね」


 表情が、不意に変わった。

 視線が、まっすぐに玲斗を射抜く。


「ある人がはっきり見分けてくれたの。それからは二人とも趣味に差が出始めて、体の成長もなんでかだいぶ差が付いたのよね……」

「まさかと思うけどその誰かっていうのが……」


 視線の意味を、玲斗は正しく理解した。


「そ、玲斗。あなたよ」


 そっけなく言うリゼ。

 だがその目は真摯に玲斗を見つめている。

 どのくらいの問題だったのか、玲斗には想像しかできない。

 けれど、リゼの眼にははっきりと感謝の心がこもっている。

 その視線の重みに、玲斗は思わずたじろぐ。

 これだ。

 二人の根底にある、この感情が玲斗を二人から一歩遠ざからせるのだ。

 自分の知らないところで向けられている感情。

 自分にとって身に覚えのない感謝。

 普段なぜだか喧嘩みたいなやりとりになりがちなリゼからですら感じていたものの小隊だ。

 のどの渇きを感じて、カップを持ち上げたがすでにカップの中は空だった。


「……だいぶ話し込んじゃったわね」


 時計を見れば、すでに18時を回っている。

 いつの間にか、2時間近くも話し込んでいたらしい。


「そろそろ帰りましょう」

「り、リゼ……」

「今日話したかったのは、今の事だけど」


 立ち上がったリゼが、まだ受け止め切れずにいる玲斗に向ける視線をちょっと照れたものに変えて、


「きょ、今日は思ってたよりも楽しかったわ。で、でも今度はリナとこういうことをしなさい。いいわね?」

「……」


 顔を染めたリゼが会計へ向かう。

 何も言えなかった玲斗だが、急いで立ち上がると後ろを追いかける。

 会計を済ませ外へと出ると、すでに空は暗くなり始めていた。

 帰り道、二人の間に会話はなかった。

 玲斗はただ、二人の好意の出所について、ずっと考えていた。

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