第4話 初デート


 デート当日、天気は曇り空だった。

 今にも雨が降りそう、と言うほどではないが天気予報では傘の携帯を勧めている。


「うーん、あんまり天気よくないな」

「大丈夫、このくらいの、方が好き」


 玄関から出たところで空を見上げる。

 曇天を見上げて、むしろ目を輝かせるリナ。本当にこの子はヒキコモリ体質のようだ。


「それじゃ、二人とも楽しんできてね」


 廊下からリゼが見送ってくれる。

 その顔は笑顔だが、玲斗に向ける視線は「うまくやらないとコロス」と言っていた。

 冷や汗を垂らしながら、玲斗は外に出た。

 公園までは歩いてわずか3分。

 あっという間につくが、普段はこちらの方へは来ない。何となく新鮮な気分だった。


「懐かしい、ね。どこの家も、あんまり、変わって、ない」

「そうだな」


 どの家も玲斗が小学生の頃から変わらずある家ばかりだ。もう少し西寄りの地区は昔は田んぼが多かったが、今は再開発されて住宅地になっている。そちらへ行けばまた違った感慨もあるのだろうが。


「着いたな」

「すぐそば、だもん、ね」


 住宅地の真ん中にあるこの公園は、周辺のほかの公園に比べれば少々広い。

 真ん中に小さめだが野球が出来そうな丸いグラウンドがあり、その周囲を舗装された道が囲っている。そのさらに外側を築山が囲み、一番大きな築山には東屋がある。遊具なんかも築山の切れ間にまとめて設置されていた。

 小さな子供にとっては十分に大きな公園だ。


「ここも、変わって、ないね」


 入り口から入り、すぐ脇の遊具が設置されたエリアを見てリナが呟く。

 ジャングルジムや鉄棒、砂場などどこにでもある遊具が並んでいる。だがそのどれもが記憶の中の物よりも小さい。

 そう言えば最後に来たのはいつだっただろう。

 こんなに近いのに、もうずっと来ていない気がする。


「れーくん、こっち」


 そう言ってリナが絡ませた腕を引っ張る。


「お、おう」


 当たっている胸にどぎまぎしながらも着いていく。


「ちっちゃく、なったね」

「俺たちが大きくなったんだろ」


 先ほどの玲斗と同じ感想を抱いていることに若干笑いながら言う。

 以前は見上げるほどに大きかったジャングルジムが、今ではそこまで大きく感じない。

 そんなことを思っていると、隣で見上げていたリナがおもむろにジャングルジムを上り始めた。


「あ、おい!」

「平気、だよ?」

「いや、そうじゃなくて……」


 上り始めたリナから思わず目を逸らす。

 今日のリナは短いスカートだ。

 つまりは見えている。


「見えてるから!」

「見せてるん、だよ?」

「痴女か、お前は!」

「大丈夫、お姉ちゃんから、かわいいの、借りてきた」

「そういう問題じゃない!」


 確かにスカートの裾から見えた下着はレースの入ったちょっとえっちな黒い奴だった。

 どうにか説き伏せて、上るのをやめさせる。

 目線より上の高さからぴょんと飛び降りた時に再びスカートがめくれパンツが見える。天気のせいか、今日は遊びに来ている人が少なめで助かった。

 今度はブランコへ向かった。並んで座ると思ったよりも低い位置に台があり、ここでも記憶の中の公園との違いを感じてしまう。

 きぃきぃと音を立てて、リナがブランコを漕ぎ始める。


「昔はここで、一緒に遊んでたんだよな」

「そう、だよ。とっても、楽しかった」

「……悪い、ほとんど思い出せない」


 少しばかり、気まずさを感じながら言う。


「ぼんやりと、りーちゃんって呼んでた女の子と遊んでたことは断片的に覚えてる。でも、細かいところまでは思い出せないんだ」


 しかしそうするとリナは笑って言う。


「仕方ない、よ。もう10年も、昔のことだ、から」

「でも、お前に―――お前らにとっては重要な記憶なんだろ」


 それはあのリゼにしたって同じだ。

 彼女の方も、10年前玲斗と一緒に遊んだことや話したこともある程度覚えているようだった。あまりいい印象を持っていなさそうな相手であるにもかかわらずだ。

 だからこそ、二人にとって玲斗との記憶がとても大切なものであったことがうかがえる。

 この4日間、こっそりアルバムをあさったりしてはみたが思い出すきっかけは得られなかった。


「大丈夫、だよ。れーくんは、変わらない。変わってなかった、から」

「変わってない? どの辺が?」


 隣を見ると、リナはブランコをさっきより大きく前後に漕いでいる。


「やさしい、ところ。思い出そうと、頑張って、くれたん、だよね?」

「気づいてたのか……」


 かぁっ、と顔面が熱くなる。

 気づかれないようにやっていたつもりだったのだが。


「ブランコ」

「え?」

「こぎ方、教えてくれた、よ。昔、漕げなかった、の」


 すでにリナのこぐブランコはかなり前後に大きく振れている。とても昔は漕げなかったように見えない。

 視線で前後に動く姿を追っていると、それに気が付いたのかリナが漕ぐのをやめ、地面を足裏でこすってブランコを止める。


「一緒に遊んだ、のは、短い間、だったけど。とっても、楽しかったんだよ。だから、」


 きぃ、と音を立ててブランコを下りる。

 そのまま玲斗の後ろへと歩み寄ると、身動きを取れないでいる背中に覆いかぶさる。


「り、リナ!?」


 背後から抱きしめられて身を固くしていると、さらにリナはぎゅっとしがみついてくる。放したくない、とでもいうかのように。


「だから、ボクは、れーくんが、好き。再会して、まだ間もない、けど。きっと楽しく、一緒にいられる、って確信、してる」


 はっきりとした言葉。

 背中に当たるのは一昨日と同じ暖かな感触と、服越しに届く心臓の鼓動。

 そんな甘い誘惑に、玲斗はどうにか抗わなければならなかった。

 ちょっとでも気を抜けばすぐにリナのことを好きになる、間違いようのない確信が玲斗にはあった。もしかしたらそれは自分が覚えていない過去の記憶によるものであるかもしれないし、あるいはこうやって率直に好意を伝えてくれる目の前の少女の力なのかもしれない。

 だけど、それを受け入れるにはまだ早い。

 心のどこかで何かがブレーキを踏んでいるのだ。

 何よりまず玲斗は約束をどちらとしたのか思い出せていない。

 さらに言うならリゼの事だって―――


「なぁ、リナ。俺は本当にリナと『大きくなったら結婚しよう』って約束したのか?」

「うん、間違いない、よ。れーくんは、ボクと約束、したよ」

「っ!?」


 迷いのない反応に、玲斗は硬直する。

 リゼに尋ねた時もそうだったが、この双子は自分の記憶に揺るぎない自信を持っている。


「リゼに聞いたときもそうだったけど、ずいぶんはっきりと覚えてるんだな……」


 そんな大切に相手が思ってくれるような記憶を思い出せない自分に少しばかり腹が立つ。

 しかし、背中に張り付いている少女はなぜかそれを聞いて身をこわばらせていた。


「お姉ちゃん、も?」

「ん? ああ、本当にリゼと約束したのかって聞いたら自信をもって『そうだ』って言ってたよ」

「……そっか。そうなんだ、ね」

「リナ……?」


 ぎゅっと再び腕に力が入る。


「ねぇ、れーくん、本当は、ボク、約束は、どうでもいいの」

「え?」

「本当は、どっちと、約束してても、いい。ただね」


 腕が緩められ体が離れる。

 思わず振り返れば、思っていたよりも近くにリナの顔があった。


「れーくんに、また、好きになって、もらえさえ、すればいいの」


 真剣な表情だった。

 愛を告白するにしては鬼気迫る、切実さまで含んでいるようなリナの声。

 だからそこに玲斗は違和感を覚えた。


「なぁ、リナはどうしてそこまで俺にこだわるんだ。俺は正直嬉しいけど……なんていうか距離が近すぎないか?」


 再会してすぐから、リナはかなり玲斗との距離を縮めようとしている。

 かなり、無理をしているのではないか?

 そう思った。

 リナははっと息をつめ、視線を横へそらした。


「……そうでも、しなきゃ、負け、ちゃうから」

「え?」


 長めの間があって、リナの口から出てきたのは震えるような声。

 それってどういう意味、と聞こうとした口に冷たいものが当たる感触があった。


「あ、雨―――」


 降って来たな、と言う前に雨粒は一気に本降りになった。

 と言うよりも土砂降りだ。


「うわっ! 走るぞリナ」

「う、うん」


 ブランコから飛び降りると、リナの手を取って走り出した。

 目指すのは視線の先にあるひときわ大きな築山。

 木々で覆われたその小山のてっぺんには東屋があるのだ。

 公園真ん中のミニグラウンドを突っ切って走る。

 わずか1分にも満たない時間だったのに、小山を上り切り東屋にたどり着くころには二人ともずぶ濡れだった。

 東屋から公園を見渡すと、すでに人っ子一人いない。玲斗達は話し込んでいて気が付かなかったが、天気が急速に悪くなってきたことに気が付いて皆帰ってしまっていたようだ。


「くしゅん!」


 背後で可愛いくしゃみが聞こえて振り返る。

 見れば玲斗と同じくずぶ濡れのリナと目線が合って、肌を赤く染めた。


「ほら、これで拭いとけ」


 そう言ってハンカチを差し出す。

 普段から持ち歩くような性格ではないのだが、今朝はリゼから渡されていた。一緒に「はぁ!? ハンカチくらい持ち歩きなさいよ!」という罵声付きではあったが、おかげで役に立った。


「ありがとう」


 そう言って受け取ったリナは髪に着いた雨粒を拭っていく。

 長い髪が水分を含んでじっとりと湿っていた。かなり気持ち悪そうだ。

 家までは歩いて3分。無理矢理走ることも考えたが、通り雨のようにも感じる。しかも遠くではゴロゴロと雷の音も聞こえている。ここは雨が止むのを少し待ってみるのが良いだろう。


「雨が止むまではここで待ってみるか―――っ!?」


 そう提案しかけた玲斗だったが、リナの姿を見て硬直する。

 リナは短いスカートと、上は白いブラウスを着ていたのだが、雨に濡れて完全に透けてしまっていた。

 薄いピンクのレースのブラだ。

 リナほどのサイズがあるとそれはかなりの迫力があった。

 思わずじっと見つめてしまった玲斗だったが、ハンカチで水分を拭いていたリナがようやく気付く。


「え? ひゃっ」


 ばっ、と胸元を隠して背中を向ける。

 その様からはジャングルジムで「見せてるの」とずけずけと言っていた時の姿はない。


「み、見ない、で」


 消え入りそうな声で、恥ずかしそうな声を出す。


「あ、ああ。ゴメン!」


 玲斗も慌てて背中を向ける。

 二人の間に無言の空気が下りて、雨音だけが流れていた。

 少しぎくしゃくした空気に耐え切れず、玲斗は疑問を口にする。


「な、なぁ、パンツは大丈夫なのに、なんでブラジャーはダメなんだ?」


 内容は、聞く人が聞けば起こりそうなものだったが、幸いにもリナは答えてくれた。


「色、上下で違うの、恥ずかしい、よ」

「じゃあ合わせればよかったんじゃ」

「お姉ちゃん、の同じ色、なかった」

「じゃあリゼの上下で借りてくれば」

「……お姉ちゃん、のじゃ、入んない」

「あー」


 なるほど。

 ようやく理解した玲斗だった。

 確かにリゼの大平原のような胸を覆う程度のブラジャーでは、御嶽山の如き威容を誇るリナの胸を覆い隠すことは不可能だ。


「あと、借りたの、ばれたら怒られる」

「黙って借りてきたのかよ!?」


 パンツを貸すほどに仲の良い(?)姉妹だと思っていたら、どうやらさすがにそうではなかったらしい。


「ううん、貸して、って言ったら、多分貸してくれ、る?」

「じゃあなんで黙って借りてきたんだよ」

「もっと、際どいの、出される……」

「……」


 あれより際どいの、持ってるのか。

 なんとなく想像して、石の様に固まってしまう玲斗だった。

 困ったような、照れたような表情のリナを見て、改めて二人の関係には羨望の念を覚える。一人っ子の上、両親が家を空けてばかりいる玲斗としてはいつも身近に誰かがいてくれるということだけでもうらやましいことだった。


「……やっぱ、お前ら仲いいんだな。喧嘩とか勝負とかしなさそうだよな」

「勝負……」


 背後のリナの声が、少し低くなった気がした。


「リナ?」

「うん、お姉ちゃん、いつも、すごい、よ」


 今までのリナの声とは違う。

 少し、硬い声。


「いつも、お姉ちゃん、は何でもできた、よ。勉強も、運動も、友達も、みんな、みんなお姉ちゃん、持ってた。ほんとに、お姉ちゃん、はすごいんだ、よ」


 珍しく長い言葉からは静かに強まっていくものを感じる。

 背後を振り向くと、リナは東屋の向こう、雨の降る空を見上げていた。

 虚空を見る目は、雨空の向こう、あるいは記憶の中の何かを見ているのだろうか。


「お、おい、リナ?」


 その様子にうすら寒さすらも感じて、玲斗は思わず止めようと声を掛ける。


「ボクは、いつも、お姉ちゃんの、次で。勝てなくて。昔は―――」


 まるで聞こえていないかのように続けていたリナだったが、その声が彼女らしくないほど大きくなったところで引き裂かれる。

 閃光。

 轟音。

 落雷だ。

 それもかなり近い。

 耳をつんざく雷鳴に身をすくませた玲斗がリナを見ると、彼女も驚いて硬直しているようだった。


「リナ、大丈夫か? 今のかなり近かったな」

「……そう、だね」


 今ので一気に我に返ったのだろう。その目はいつも通りの色を宿している。

 今ならば落ち着いて話を聞けるだろうか。


「それで、どうしたんだ?」

「……ううん、もういい。今の話、忘れて、欲しい」


 結構重要そうな話に聞こえたのだが、今のリナの顔を見て、先ほどまでの意志がないことを見て聞くのをやめた。


「分かった……雨、上がるな」


 見れば雨が小雨になりつつある。

 あっという間に雨は上がって、雲間からは太陽がのぞき始める。


「こんなに、濡れてたら、公園デート、って感じじゃない、ね」

「帰ろうか」

「うん」


 玲斗に頷くと、リナは再び腕を絡めてくる。


「ねぇ、れーくん」

「なんだ?」

「好き、なのは、変わってない、から、ね」


 上目づかいにそう言われて、一瞬硬直する。


「さ、帰ろ」


 そう言って歩き出す。

 腕をからませている玲斗も一緒に歩くしかない。

 このわずかな間にころころと表情を変えるリナに、どれが本当のリナなのか、気になってしまう自分がいることに玲斗は気が付きかけていた。

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