第3話 ツンデレ姉は妹が好き


「ううん……寝られない……」


 灯りを落とした部屋のベッドの上で、玲斗は呻いていた。

 時刻は既に12時過ぎ。

 夕食中もいきり立った視線を向け続けていたリゼから逃げるようにして部屋に立てこもっていた玲斗だったが、いざ寝ようとしたところで何となく蹴られたあたりがしくしくと痛む気がしてきた。

 一応鏡で見てみたところでは痣にもなっていないし、折れた様子もないのでせいぜい打撲程度の物だろうとは思う。

 どちらかと言えば蹴られたという事実が精神的にダメージを与えているのかもしれなかった。

 大きく息を吸って、吐く。

 同居生活をしてわずか一日で玲斗の精神は疲れまくっていた。

 妹の方からは宣言通りにスキスキアピールをされている。その上無自覚に、なんかエロい。何よりあのおっぱいがけしからん。ノーブラってなんだ。あんな柔らかいの初めて触った気がする。

 姉の方はと言えば、あんなことを言ったくせに蹴ってきたり敵意をこめた視線を送ってきたりとかなり好戦的だ。美人に蹴られたり罵られたりするのはそんなに嫌いじゃない玲斗だったが、さすがに毎日はキツい。

 これからの日々を想って、胸に何か重いものがのしかかってくるような感じがした。

 だめだ、もう何も考えずに寝よう。

 そう思った玲斗だったが、胸の上の重みが消えない。

 と言うよりもはっきりとした重みを感じる。


「……玲斗」

「ひっ!?」


 囁くような女の声。

 閉じていた目を開ければ、薄暗がりの中に短髪の女の霊が自分の体の上で馬乗りになった姿が見える。

 女の子のような悲鳴を上げそうになった玲斗だったが、その口をがしっと細い手がふさぐ。


「しーっ、リナに聞こえちゃうでしょ」


 横になっている玲斗に顔をぐっと近づけて、指を立て静かにするよう促してきたのはリゼだった。ぼんやりとした視界の中でその可愛らしい顔立ちとつり上がった眼尻が目の前に迫り、今度は別の意味で心臓の鼓動が早まる。

 とりあえず黙ったまま頭をカクカク上下させて了解の意を伝えると「よろしい」と頷いてリゼは手をどけてくれた。身を引く時にふわりとシャンプーの香りがしてくらりとする。

 できるだけ、平坦な声になるよう意識して尋ねた。


「……それで、いったい何しに来たんだよ」


 部屋の扉は鍵がかかる仕様ではない。

 ごく普通に静かに部屋に入ってきて、気づかれないように玲斗の上に乗ってきたんだと思うが、もし理由もなくそんなことをしでかしたのならさっきのお返しをするぐらいのことは許されるはずだ。


「その、ね。さっきのこと、謝ろうと思って……」


 声を潜めて返した玲斗にも劣らず、か細い声で言うリゼだが、その視線はきまり悪そうにどこかを向いている。


「あの後リナからちゃんと聞いたわ。リナを押し倒したことは事故だって。部屋に私の荷物が混ざってたことは、私も悪かったし……その、ごめん」


 頬を一層赤く染めながら、リゼが小さく頭を下げる。

 その様子に一つため息をつく。

 どうやら本気で悪かったとは思っているらしい。

 正直にそれを伝えるのは、恥ずかしいようだが。


「分かった。だからとりあえず上から降りてくれ」

「いいえ、待って。まだ話があるのよ」

「それは、俺の上に乗ったまま話す必要があることなのか?」

「そう、とても重要なことなの」


 玲斗は今度こそ目の前の少女の正気を疑った。

 暗闇の中目を凝らすとリゼの姿がようやくはっきりと見え始める。

 Tシャツの上にパーカーを羽織っている。布団の上に乗った足は、付け根近くまでが見えていてショートパンツを穿いているようだ。

 そして玲斗を見る目が、先ほどと違って正面から向けられておりそらされることはなかった。


「……分かった、手短にな」

「! ありがと」


 本気だというのならもう早く終わらせる以外にどうすることもできまい。

 あきらめの境地だった。


「で? 話ってのは?」

「うん、それなんだけど」


 少し言いづらそうにリゼが口を開く。

 数秒、ためらってから、


「昨日の話だけど、リナを選んでほしいの」

「……どういう意味だ?」


 問い返しながらも、リゼの眼は真剣そのもので冗談や嘘などではないことは一目瞭然だった。


「昨日、私はあなたと付き合いたいって言ったわよね」

「言ってた、な」

「ゴメン、あれ嘘」

「は?」

「だって普通10年も会わなかった相手といきなり付き合いたいなんて思わないでしょう」

「そりゃそうだ」


 実際玲斗も同じことを考えた。


「でも、リナは違う。あの子は本気よ。この10年ずっと変わらずあなたのことが好きだった」


 捕まれていた布団が、きつく握りしめられるのを感じた。


「どう、して」

「……私もあの子も10年前あなたに助けられた。いいえ、この10年。あの子はずっとあなたに救われ続けていた。だから今も変わらずあなたの事が好きなのよ」

「……何を言ってるのかさっぱりだ。リナも言ってたが助けられたって、いったい何なんだ。俺にそんな覚えはないぞ」

「あなたにとっては大したことないものだったでしょうけど。私とあの子にとってはとても重要なことだったのよ」

「わけわかんねぇ……」

「でしょうね」

「……じゃあ結局、俺が結婚の約束をしたのはリナの方だったってことなのか?」

「いいえ、約束したのは私とよ。それははっきりと覚えてるもの」


 再び吐息がかかりそうなほどに顔を近づけてくるリゼ。

 再びふわりと、いい香りが漂ってくる。


「でも、選ぶのはあの子にして。それが私からのお願い。わかったらはいかイエスで答えてちょうだい」

「それ選択になってないだろ……」


 呆れた声で呟くが、リゼの眼は変わらず真剣なものだ。


「私にとって、リナは大切な妹よ。だから絶対に幸せになって欲しい。あの子が望むものなら何でも手に入れてあげたい」


 そう話すリゼの目には、真剣さと妹への熱烈な愛が混じり合っている。人の体の上で自分の身をくねくねさせて妹への愛を語る姿は、昼間の常識人的な姿とはかけ離れていたがおそらくこっちがリゼの本来の姿だ。


「お前、シスコンだったのか」

「当たり前でしょ。あんな可愛い妹がいてシスコンにならない方がどうかしてるわ」

「でもいいのか? もしうまくいった時にはリナは俺と付き合うことになるんだぞ」

「……だから本当はあなたと付き合ってなんて欲しくない。できればリナにはずっと私だけを見て頼って欲しい。でも、あの子は決めちゃったから」


 苦しそうな表情でリゼは続ける。


「あの子は、あなたと一緒にいることを望んだから。だから私は……ほんとは嫌だけど手を貸すの。あの子の笑顔のために」

「……もし、断ったら」

「その時はあなたを二度と女の子と付き合えない体にしてあげる」

「……」


 地獄の底から響いてくるような声だった。

 グイッと寄せられた瞳は深淵の様に深く暗い。


「わ、分かった」


 玲斗はこくこくと頷くしかできなかった。

 布団を抑えていただけだった手は、いつの間にか玲斗の首近くまで迫っており全体重を掛けられた今躱す手段はなかった。

 このために布団の上に乗ったのか!

 リゼが体を起こして馬乗りの体勢に戻るまで玲斗は冷や汗が止まらなかった。


「よろしい」


 それだけ言うと身をひるがえして玲斗の上から降りた。

 床に音もなく降りたリゼは、それまでの真剣な表情から一転、小悪魔的な笑みを浮かべて振り返る。


「とりあえずは明後日―――いえ、もう明日ね。リナとのデートを成功させてちょうだい」


 ぱたんと音を立ててリゼが扉を閉める。

 一人きりになった部屋でようやく大きく息をつく。


「何だってんだよ……」


 答える声は、なかった。


   ◇


 結局その日一日は寝不足のまま過ごした。 

 あんなことがあった後すぐに寝付けるような精神構造はしていない。

 なぜだかリナの方も寝不足気味の様で、授業中は訊いているのか寝ているのかよくわからなかった。教師に見とがめられないかはらはらしていたのだが、なぜか教師の視線が向く度に起きていて危険を回避している。

 隣の席に座るリゼはと言えば、そんな性質を理解しているのか全く心配するそぶりを見せなかった。


「ああ、それ? リナは人の視線に敏感だから」


 休憩時間中、リゼに尋ねれば返ってきたのはそんな答え。

 今もリナは机に突っ伏して夢の中なのだが、二人でその寝顔を眺めていても起きる気配はない。


「これが?」

「家族以外の視線ならってことよ。玲斗は、まあ当然例外よね」


 そう言って肩を竦めるがその目が笑っていない。

 内心「リナの信頼を得るなんて!」とか思っているに違いない。


「リゼさーん」


 ちょうどそこへクラスの女子が寄って来る。

 その視線が、隣に立つ玲斗と背後の机にいるリナを見た瞬間、


「お、起きた」


 むくり、と体を起こすリナ。

 寝起きの目元はポヤポヤとしていてあたりをさまよっている。

 この少女、単純な寝不足の上寝起きが妙に悪いらしい。


「れーくん? おはよ」

「おはよう。つってももう昼だけど」

「少し、目が覚めてきた」


 そう言いながらも頭はまだふらふらしている。

 女子と話しながらリゼもそんな様子のリナを気にしているようだった。妹大好きっこめ。

 玲斗は自分の椅子に座ると体を後ろへと向ける。


「引っ越してきたばっかりだから仕方ないとは思うけど、大丈夫か? 昨日はちゃんと寝られたのか?」

「うん、大丈夫、だよ。昨日、寝られなかったのは、別の理由、だから」


 そう言いながら口元か「ふひひ」と妙な笑い声が微かに漏れている。

 もしかして、明日のデートが気になって眠れなかったのだろうか。

 玲斗もまた、明日のデートが気になって仕方ない状態だ。

 なんとなく親近感を覚える。


「よしよし、今日は帰ったらゆっくり寝るんだぞ」

「? わかった、よ」


 頭を撫でてやりながらそう言うと、リナは気持ちよさそうに目を細めながら頷く。


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