26石 絶対的な差

26石 絶対的な差




 瀬川夫婦の失礼で物騒な誤解を解くと、透子はホッとした表情を浮かべる。


「余は殺戮マシーンではないぞ」


「ごめんなさい」


 しかし、信幸の表情は真剣なままだ。

 まぁこれからやり合おうってのに笑っている方がおかしいわな。


「ちょっとお父さん!」


 そこでポカーンとしてフリーズしていた由亞が怒り顔で声を上げる。


「お姉ちゃんと戦おうとしてるの!?」


「ああ」


「ああ……じゃないでしょ! お父さん何時も言ってるでしょ! 素人相手には拳を振るってはいけないって!」


 どうやら由亞には余が素人に見えているようだ。

 まぁ普通はコイツ戦えるな、とは思わないだろう。


「戦闘バカもいい加減にしてよね! お母さんもなんで許すの!?」


 そこで透子が由亞の頭の上に手を乗せる。


「由亞、落ち着きなさい」


「でも……」


「由亞、ウルオメアさんはね、とても強いのよ」


「え?」


 透子の言葉に由亞は目を見開く。


「お父さんよりも強い……きっと私たちが想像している以上にね」


 由亞はゆっくりと余を見る。


「お姉ちゃん、本当?」


「まぁ腕には自信があるな」


「……じゃあお父さんをぶっ飛ばしてくれる?」


「任せろ」


 由亞のその答えに余は当然のようにドヤ顔で答えた。


「うん!」


 由亞は笑顔で返事をする。


「しかし、なんで信幸をぶっ飛ばしてほしいのだ?」


「の、信幸?」


「だって、お父さん戦闘バカなんだもん!」


「ぐっ」


「無駄に強いから自信持っちゃうし!」


「ぐぅ」


「1回ボロボロに負けちゃった方が良いんだよ!」


「ぬぉぉ……」


 困惑したり微妙にショックを受けている信幸を無視して由亞が不満を言う。

 なるほど。

 戦闘バカの信幸のことが不満のようだ。

 なら、とっとと由亞の望み通り信幸をぶっ飛ばしてやろう。


「で、では道場に案内するので付いてきてください」


「うむ」


 リビングを出て行く信幸に付いていく。

 余の後ろを由亞と透子が付いてきているので、どうやら観戦するようだ。

 信幸に付いていき家に入ってきた扉とは別の扉から外に出ると、すぐに道場の入り口に到着した。

 そのまま道場の中に入る。

 道場の中は余が普通に想像していた通りの日本の道場といった感じで、壁に大小の木刀や槍などが掛けられていて、床は畳ではなくフローリングだ。

 清掃は行き届いていてピカピカに見えるが、よく見ると僅かに傷が残っていたりする。

 大事に、そして激しく使用しているのが分かるな。


「良い道場だ」


「ありがとうございます」


「お父さんが毎朝掃除してるんだよ!」


「だろうな」


 余は道場の中央まで進み、振り返る。


「さて、やろうか」


「はい」


 信幸も中央まで歩いてきて余と向き合う。

 由亞と透子は慣れた様子で端っこの方に正座した。

 透子は分かるが、どうやら由亞も道場での観戦に慣れているようだ。

 ただ、鍛えてはいないようだが。

 さて、切り替えるか。


「最初に言っておこう……余に勝てるとは思わないことだ」


「理解しています」


「いや、信幸、お主は本当の意味で余の力量を分かっていない」


 そこで余が僅かな殺気を信幸に向かって放つ。

 その瞬間、信幸が構えた。


「ぐぅ!?」


 僅かな殺気のみで信幸の顔が歪み汗が止まらなくなる。

 よく見ると、端っこに正座している透子の顔が青ざめて身体を震わせていた。

 信幸にだけ向けて放っている殺気を感じ取る程度の力量はあるらしい。


「お母さん?」


 由亞は分かっていないようだ。

 それで良い……だが、これはやめておこう。

 余は放っていた殺気を収める。


「今のでも余はまったく力を解放していない……己との差を理解したか?」


「……痛いほどに。ですが、なおさらあなたに挑む理由が増えた!」


「そうか……ならば胸を貸してやろう」


「お借りします」


 そう言うと同時に信幸が距離を詰めてくる。


「シャッ!」


 まずは様子を見ようと信幸の右ストレートを最小限の動きで回避。

 そのまま左足の蹴り上げ、蹴り下ろしも回避する。

 その後も信幸は拳と足の連続攻撃を放ってくるが、すべて最小限の動きで回避し続けた。


「くっ!」


 そこで信幸が余から一旦距離を取ってから飛び蹴りを放ってくるが、それも回避すると信幸はその勢いのまま壁に両足を付き、壁に掛かっている木刀を1本手に取って壁を蹴る。


「今度は剣か」


「シャッ!」


 縦回転の振り下ろしからの薙ぎ払いもすべて避ける。


「ふむ」


 信幸を観察していて分かった。

 能力的に考えると、この世界では驚異的なレベルだろうな。

 だが、アッチの世界では前にスマホで見た王国下級兵士よりも少し上程度のレベルでしかない。

 ただ、経験で考えればもう少し上にいけるか。

 しかし、信幸に魔力が無い分、王国下級兵士が有利なのでいい勝負が出来るだろう。


「観察も十分だ……終わりにしよう」


 余の言葉を聞いても信幸はただひたすらに攻撃を続ける。


「まずは木刀」


 そう言って信幸の振るう木刀を人差し指と中指で受け止める。


「ぬぅッ!?」


 信幸が木刀がピクリとも動かないことを理解した瞬間、その木刀を手放して余の顔面に両腕の拳を放ってきた。

 それを避けずにあえて受ける。


「ぐぁッ」


 信幸は声を上げて両腕の拳から血を流した。

 当たり前だ。

 余を素手で全力で殴れば、殴った方の拳の方が耐えられない。

 まぁ実は魔法で薄く透明なクッションを置いておいたので骨が折れたりヒビが入ってはいないだろう。


「おぉぉぉぉ!」


 それでも信幸は止まらずに下段蹴りを放ってくるが、それも受ける。


「ぐぅぅ!」


 当然のように蹴った足が耐えられずに道着に血が滲む。

 これ以上は大怪我に繋がる可能性もなくはないし、信幸も止まりそうにないので、こちらから仕掛ける。

 信幸の額に向かってデコピンを軽く放つ。

 それだけで信幸は糸が切れたようにその場に崩れ落ちた。


「あなた!」


 すぐに透子が意識を失った信幸に近寄る。

 なんだかんだ言って由亞も不安そうな表情だ。


「心配するな。意識を失っているだけだ。じきに目覚める」


「そう……ですか」


「腕や足も皮が切れただけ……まぁもしかしたら骨にヒビが入っているかもしれんが」


「夫の身体を気遣って手加減してくれたのですね」


「当たり前だ」


 そこで信幸をちゃんと床に寝かせた透子が立ち上がって余を見る。


「夫に変わって礼を。ありがとうございました!」


 そう言って透子が頭を下げる。

 きっちりしているな。


「こちらこそ、勉強になった。ありがとう」


「はい。由亞」


「う、うん」


「ウルオメアさんとリビングで待っていて」


「お、お母さんは?」


「私はもう少しお父さんの様子を見ているわ」


「わ、わかった。お姉ちゃんこっち」


 そう言って由亞が道場を出ていく。

 余は夫婦をもう一度見てから由亞を追い掛けた。


 リビングに戻ってきて椅子に座るが、由亞の表情は不安そうだ。


「由亞、心配するな。信幸は大きな怪我もしてないし、すぐに目を覚ます」


「ほんと?」


「ああ」


「そっか」


 少し間のあと由亞は笑顔になった。


「お姉ちゃんがそう言うなら大丈夫だね! 元々はあたしがお父さんをぶっ飛ばしてってお願いしたんだし!」


「これで少しは信幸の戦闘バカがマシになるといいな」


「うん! それにしても本当にお姉ちゃんって強かったんだね!」


「信じてなかったか?」


「ううん。そんなことないよ! でも、普通はお姉ちゃんを見てお父さんより強いって思えないもん!」


「ふふっ確かにな」


 いくら長身の女とはいえ180越えの筋骨隆々の大男より強いとは思わないだろう。


「お姉ちゃんが強すぎて戦いでなにをしてたか全然分かんなかった! お父さんがいっぱい攻撃してたのは分かったんだけど」


「まぁ普通はそうだろう」


「お姉ちゃんはなにしてたの?」


「余は最後の方までずっと信幸の攻撃をギリギリで避けてたのだ」


「え!? ずっと避けてたの!?」


「ああ」


「すごい……あんなにお父さんが攻撃してたのに。でもなんでギリギリで?」


「相手の攻撃を最小限の動きで避けることによって無駄な消耗を減らせるのだ。ただ、これは結構難しく危険でな。普通は相手の攻撃の間合いなどを見極めてからでなくては難しい」


「でも、お姉ちゃんは最初からギリギリで避けてたんでしょ?」


「余ぐらいになると出来るのだ」


「ふーん……難しいね!」


「由亞は戦ったり鍛えたりしていないのだろう? では、難しいさ」


「そっかー」


 そこで由亞がもじもじし始める。


「お姉ちゃん、ちょっとトイレに行ってくるね!」


「ああ、行ってこい」


「うん!」


 すぐに由亞がリビングから出ていった。


「今、何時だ」


 壁に掛かっている時計を見ると17時を過ぎたところだった。


「そろそろ帰らないとな」


 そう思っているとリビングの扉が開く。

 そこに居たのは由亞ではなく、前に男ふたりに襲われていたところを助けた少年だった。


「お? あの時の少年じゃないか」


 そう声を掛けると少年はその場でずっこけた。

 何故?


「あ! お兄ちゃんなにやってんの?」


 そこで由亞がそう言いながら少年を押しのけてリビングに入ってくる。


「少年は由亞のお兄ちゃんだったのか」


「え? お姉ちゃん、お兄ちゃんのこと知ってるの?」


「ああ。前に少しだけ会ったことがあるのだ」


「えー! すごい偶然だね!」


「確かにな」


 余もまさかあの時の少年が由亞の兄だとは思ってもみなかった。


「な、なんでウチに……」


 戸惑った様子で少年がそう言う。


「あたしがお姉ちゃんを招待したんだ! でね、お父さんが酷いんだよ!」


「父さんが?」


「お姉ちゃんと会ってすぐに勝負を申し込んだんだよ!」


「なっ!?」


 少年が声を上げて驚く。


「でも、お父さんはお姉ちゃんに簡単にぶっ飛ばされちゃったけどね!」


「父さんが……」


 そこで何故か少年がどこか納得した表情を浮かべる。

 ああそうか。

 少年には余の力を少し見せていたな。

 なら余の正体にも気が付いているかもしれん。

 まぁだからといってなにもしないが。


「それで父さんは?」


「道場で気を失ってるよ! 今はお母さんが見てるの」


「そういえば、少年には自己紹介をしていなかったな。余はウルオメア。よろしく頼む」


「あ、俺は瀬川隆盛です。よろしくお願いします」


「うむ。さて、隆盛とも話したいところだが、余はそろそろ帰る」


 テーブルの上のビニール袋を片手に持って椅子から立ち上がる。


「えー! お姉ちゃん帰っちゃうの?」


「うむ。18時くらいに帰ると家族に約束しているのでな」


「そっかー。じゃあしょうがないね」


 由亞が時計を見てから残念そうにそう言う。

 隆盛がなにか言いたそうにしているが、隆盛から言ってこなければ余は言わない。

 リビングを出て玄関で靴を履く。


「では、余は帰る」


「また来てね!」


「ああ。今日は面白かった。信幸と透子にもそう伝えておいてくれ」


「うん!」


「ではな」


「バイバーイ!」


 由亞と隆盛に見送られて家を出た。

 家に向かって少し歩き出すと、すぐに背後から誰かが走ってくる。

 振り返るとそこには隆盛が立っていた。


「ウルオメアちょ、じゃなくて……ウルオメアさん、ちょっと待ってください」


「なにか用か?」


「お礼を言わせてください。あの時は助けてくれてありがとうございました!」


 そう言って隆盛が頭を下げる。


「うむ」


 余は隆盛に近寄って空いた手を頭に置く。


「なっ!」


 隆盛はすぐに頭を上げて頬を赤く染めた。


「ちゃんと礼を言える良い子だ。やはり、あの時助けて正解だったな」


「か、からかわないでください!」


 余の手を隆盛が振り落とす。


「はっはっはっは!」


 隆盛はまだなにか言いたそうな感じではあるが、今はこれでいいだろう。


「では、また会おう」


 そう言って余は帰路についた。

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