第2話  ハーレム勇者 降臨

 斎藤浩一郎(さいとうこういちろう)は勇者である。

 つい先ほどまで、東京の出版社で編集者をしていた男だ。出版社では若者向けライトノベルを手掛けていて、担当作家を12人ほど抱えていた。

 ライトノベルの編集者の仕事は激務だ。いつも夜遅くどころか、出稿時期になれば明け方までかかることは日常茶飯事。

 多くは兼業である作家に配慮して、連絡は夕方から夜中にかけて。イラストレーターとの打ち合わせに、営業担当との打ち合わせ、アンケートの集計に新人作家の発掘もある。

 目の回る忙しさに偏った食事で、斎藤の腹は30代ででっぷりと突き出て、まるで40代のおじさんみたいになってしまった。さらに血圧が高く、少し運動するだけで汗がたらたらと出てしまい、尋常ではない健康状態であった。

 それでも斎藤は頑張ることができた。それは今の仕事が天職だと思ったからだ。

(働きすぎ改革なんてクソくらえだ)

(世の中に面白い作品を生み出す。こんな楽しい仕事があるものか)

 斎藤は辛いと思ったことなど一度もない。未だに結婚もせず、彼女もいない。でも、そんなことは気にならない。なぜなら、自分が担当する作品の中のヒロインが彼女であり、嫁であるからだ。

 今の斎藤のお気に入りは、食ラノベで人気の作品に出てくるヒロイン。いつも強気で主人公に強く当たって来るのに、料理を食べるとふにゃふにゃになってしまうギャップに萌えて、今は熱心なファンの一人だ。

 編集者という立場なので、お気に入りのヒロインの活躍場面も増やせるし、カットの場面は自分の思い通りになる。作家の許可は得ないといけないが、基本は編集者の推しがものを言う。少し露出の多い口絵も実現できるのが編集者の役得だ。

 そんな斎藤だったが、やはり至福の時は長くは続かなかった。

地方から出てきた新人作家との打ち合わせ時間に遅れ、慌てて駅の階段を駆け上がった時に心臓の動悸がこれまでとは比較にならないくらい激しく脈打った。

「痛い……痛い……苦しい……」

 頭から血がさっと降りていく感覚。目の前が暗くなるとはよく言ったものだ。意識朦朧とする中で、気が付いた人が声をかける。駅員が走って来るのが見える。だが、意識はどんどんと沈んでいく。

 遠くで救急車のサイレンの音がかすかに聞こえたが、そのまま暗闇の中に沈んでいく自分を感じながら、斎藤の意識は途切れた。


 斎藤浩一郎、心筋梗塞で死亡。享年31歳。独身。


 ここまでは世間一般的にめずらしくはない出来事だ。新聞の片隅に載ればよい方。いや、病死であったら載ることもない。たまたま、死んだ場所が駅の構内であったが、あの働き方だったら、出版社のデスクで息絶えてもおかしくはなかった。その場合でもニュースにもならないだろう。

 そんな死に方をした斎藤であったが、再び目を開けた時、その立場は平凡ではなかった。

 ラノベの世界ではよくある展開に自分がいることに気が付いた。

 死に方がよくあるものであっただけに、生き返り方もラノベではよくあるものになって、サイトウは心底、ラッキーだと思った。

 自分がこれまでいくつも読んできた作品と同じく、転生すると神様が出てきて、チートな能力を与えられて勇者として復活するのだ。

 サイトウの復活の仕方は、『転移』の方。

 出てきた神様は、美人な女神様でも、ポンコツな女神様でもなく、白いひげの爺さんだったが、やってくれることはお約束であった。

 もちろん、年齢は17歳にしてもらい、肉体も小太り体形ではなく、細マッチョないい体。容姿も少しイケメン風にしてもらった。

 少しイケメン風というのが重要だ。めちゃくちゃイケメンだと大抵は、悪役キャラか咬ませ犬になるというのが、サイトウがかつて手掛けていたライトノベル作品の傾向であるからだ。

 そして十分すぎるほどの金貨と無敵の武器、防具を装備して、サイトウは勇者として荒野にポツンと転移したのだ。

 多少不安もあったが、与えられたその力は本物であった。お約束のように荒野で襲ってきた大きな狼みたいなモンスターや、トカゲのようなモンスターを瞬殺で倒すことができたからだ。

(あとで聞いたら、狼みたいなモンスターは『ケルベロス』で、トカゲみたいなモンスターは『アースドラゴン』だった)

 そんなこんなで、近くの町にたどり着き、最初に行くところは冒険者ギルドだろうとその扉を開けたサイトウであった。

 冒険者ギルドで最初にやることは登録。これは受付に行って、名前と職業を記入する。冒険者の職業は様々あるが、ギルドでは魔法の鏡、ジョブ・ミラーによって適正を把握し、その中から選ぶシステムになっている。

「それではサイトウさん、こちらへ」

 クセ毛オレンジ髪のかわいい受付嬢が、サイトウにジョブ・ミラーの前に案内する。少しドキドキするサイトウ。受付嬢の視線が他の冒険者と違う感じがするのは、ちょっと意識しすぎであろうかと思ったが、自分が物語の主人公ならばあり得るシチュエーションではある。

「それでは、サイトウさん、ジョブ・ミラーを起動します」

 可愛い受付嬢がそう言って、鏡を覆っていた布を取り払った。

すると、どうであろう。

凄まじい光が発せられ、明らかにこれまでの冒険者とは違う反応が起こる。

「こ、こんなの初めてです!」

 目を丸くして驚く受付嬢。そして順番待ちしている登録希望の冒険者たちは、口をポカンと開けて固まった。

 サイトウの心が躍動する。

(やっぱりお約束だわ……それに……)

(注目されるのがこんなに気持ちがいいなんて!)

 注目される快感をあまり味わったことのないサイトウは、うれしくてうれしくて、思わず顔を崩しそうになったが、すんでのところで踏みとどまった。ここはクールな態度がまたお約束なのだから。

「すごいです、サイトウさんの適正職業……」

 受付嬢がそう説明をしようとしたが、サイトウも見ていた周りの冒険者も鏡に映し出された解析済みの結果に釘付けであった。映し出された職業の文字は内容も量もすごかった。

普通は1つか2つ。多くて3つくらいが提示されるのに、サイトウは上から下までびっしりである。

 そして書いてある職業名がこれまた凄まじかった。

『竜騎士』『聖騎士』『暗黒騎士』『大賢者』『大魔術師』『大神官』『魔法戦士』『大召喚士』等等。

 いわゆる、最強クラスの職業が列挙されていた。ざわめくギルド内の人々。噂を聞いて他の部屋から見に来るものもいる。あっという間に人だかりができていく。

「すごいぜ、こんなの初めて見た」

「世界にはいるんだな、こいういうスーパーな人間」

「持って生まれた才能には勝てないんだよなあ……」

 口々にみんなが賞賛する。サイトウは悪い気はしない。人生でこれだけ注目され、そして羨ましがられるのは初めての経験だ。

だが、この展開は少々ヤバいと感じるのは、サイトウが年齢通りの17歳の精神ではないから。もし、17年しか生きてこなかったら、この状況に調子に乗ってしまうであろう。

 しかし、サイトウは元31歳のおっさんであった。当然ながら、目立つことの弊害も経験済みである。

だから、サイトウはガッツポーズは右手で小さく短時間で済ませた。そして少しだけ考えて、選択を済ませた。

「では、サイトウさん、職業は『魔法戦士』ですね。潜在能力から冒険者としての格付けは上から2つ目の金等級です」

そう言って、受付嬢は金でメッキしたプレートのついたタグをサイトウに渡した。普通の初心者冒険者は、一番下の階級からスタートが普通だ。その場合は貝殻でできたプレートを手渡される。いわゆる『シェル』階級である。

 ちなみに冒険者の階級は7つあり、下から「シェル」「ストーン」「ウッド」「コッパー」「シルバー」「ゴールド」「プラチナ」である。そして、国にも認められた伝説的な英雄になると、特別に「ダイヤモンド」の位と呼ばれることがある。

 熟練冒険者でも「コッパー」までが普通で、「シルバー」になることは滅多にない。ましてや、サイトウのように17歳の少年で「ゴールド」なんてありえないのである。

「ありがとうございます」

 サイトウは受付嬢に冒険者ギルドの登録料を払う。登録料は銀貨1枚。神様からかなり大量の金貨を与えられたサイトウにとっては、1円を払う感覚だ。

この世界では銀貨5枚もあれば、そこそこよい宿屋に泊まり、美味しい食事と酒をたらふく食べられるのである。

 登録を終えたサイトウは、迷わず、ギルドに併設された酒場へと行く。先ほどから空腹を感じていることもあるが、こういう場合は通常、酒場へ行くのがセオリーだ。長年、ライトノベルでファンタジー物を担当してきたサイトウには、次の展開を予想できた。


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