第8話 ロマンティックムーブの分かりみが強くて幼馴染が尊い

「この世の中、謎なことが多すぎると思わないか、トッキー?」


「俺に言わせりゃ、お前と七尾が付き合っていないという事実がこの世の不条理の極みみたいなもんだぜ。ほんと、あれだけのろけを見せつけておいて、恋人でもなんでもないとかどういうことよ。種も仕掛けもないのに砂糖を口から吐く特殊技能に目覚めてしまうかもしれないんだが?」


「……そう、例えばトッキーと友原さんが付き合っているということとか」


「この話の入りで俺に向かって言葉の刃を向けてくる度胸と狂気。おーけい、分かった、この話については聞かなかったことにしようじゃないか」


 飲んでいた紙パックの野菜ジュースをくしゃりと握りつぶすトッキー。

 目がマジであった。これ以上、自分の間合いに切り込んでくると言うのなら、問答無用で斬り捨てるぞという侍の目を彼はしていた。


 男には譲れぬものが時にある。

 触れてはならないものがある。


 トッキーにとって、どうやら愛しの彼女とのなれそめは、軽々しく余人に触れてほしくない大切なものらしかった。


 しかし、そんなこと俺には関係ない。


「聞きたいな。トッキーと友原さんの恋バナ


「気持ち悪さを違う方面に昇華させるんじゃねえ。鼻頭に硬球がめり込む体験をお望みっていうなら、悪いけれども他のチームメイトを当たってくれないか」


 硬球と鼻キスか。

 野球人ならば一度くらい経験していてもおかしくないハプニングだな。


 幸いにして、今の今まで俺のファースト鼻キッスは守られている。

 それだけに、それが破られるというのはちょっと躊躇われた。


 できることなら志穂以外のモノとそういうことは控えたい。


 だが、やはり関係ない。

 いや、ファースト鼻キッスを守ることは大切だけれども、それよりも俺にはトッキーと友原さんのなれそめについて知ることの方が重要だった。

 ファースト鼻キッスを失ってでも、それを知らなくてはならなかった。


 何故か。

 簡単なことである。


 そこに解き明かすべき謎があるから。

 そして俺の人生に必要なものがあるから。


「頼む。地味に陰キャで放っておけば単独行動待ったなし。天上天下唯我独尊俺様ムーブを地で行く、どう考えても女の子にモテる要素のないお前に彼女がいるという事実。その因果関係を分析すれば、俺も志穂と付き合えるかもしれ――」


「鼻食いしばっとけ、情熱的なのいくぞ」


 鞄の中から硬球を取り出して、それを俺に押し付けるトッキー。

 激しく、重く、そしてねっとりとしたディープな鼻キスデッドボール

 思わずグラウンドでもないというのに、鼻血を噴き出してしまいそうだった。


 うむ。


 四六時中硬球を持ち歩いているのかトッキー。


 流石だなトッキー。

 言い逃れのしようがないサイコパスじゃないか。

 こんな、人の心をどこかに置き忘れてきた、クレイジーモンスター野球人にどうして彼女がいるというのか。ますますもって謎というしかないだろう。


 そして、食らったからにはこっちももう退けない。

 俺は岩に食らいついてでもそれを聞きだす決意を固めると、鼻先に情熱的に食らいつく硬球を押しのけたのだった。


 幸いなことに、鼻から血は出ていなかったし、鼻の形が変わってしまうほど乱暴なことにもなっていなかった。

 大丈夫、綺麗な身体のままだ。

 ファースト鼻キッスは失ったが、まだ志穂から隠さなければいけないほど、俺の身体は汚れてはいなかった。


「……傷物にした責任、とってもらうぞトッキー!!」


「スパイクで踏み鳴らしときゃ分からねえだろそんなの」


「いいだろトッキー。俺たちの仲じゃないか。なぁ、教えてくれよ。教えて、教えて、トッキーねぇ、トッキー。教えてくれよ、どうやって友原さんとフォーリンラブしたの。ねぇ、トッキー。トッキーってば。トッキーのモテテク知りたい、知りたい。教えてトッキー」


「くっそ気持ち悪い上に、くっそ面倒くせえなおい!! 今から俺とお前は他人だよ!! 二度と話しかけてくんじゃねえぞ、クソが!!」


 怒髪天。


 俺の鼻にめり込ませたボールをほっぽり出して席から立ちあがると、クラスから出ていくトッキー。

 俺以外に喋る友人もいないというのに、いったいどこに行くのやら。

 ほんと、あきれるくらいに勝手な男である。


 あんな男相手に愛想も糞もない男に、どうして友原さんのような女子力高い女の子が惚れているのかが分からない。

 次期野球部の主将として、人望が集まっているのが分からない。


 きっとこの世界がどこか間違っているんだな。

 きっとそうなんだ。


「まぁ、トッキーが怒るのは無理もないよ」


「……志穂」


「トッキーとあけぴーのなれそめはなんていうか、あんまり感じのいいものじゃないからね。友達にも隠したいってのは分かるわ」


 と、共感能力の化け物である志穂がなんだかわかったように頷く。

 トッキーが居なくなった席に座った彼女は、あとでちゃんと謝って来なさいよと、俺に向かって人差し指を突き出すのだった。


 やれやれ。

 幼馴染の愚行を優しく注意してくれるなんて。


 ほんとできた女だよ志穂。


 その優しさと思いやりが、心に沁みるようだ。


 持つべきことは、駄目なものはダメなのだとちゃんと指摘してくれる幼馴染。

 拗ねてどっかに逃げるような親友なんかよりも、よっぽど大事にしなくちゃいけないな。


 志穂という存在のありがたみをあらためて噛み締めながら――。


「その口ぶり、志穂、お前もしかして二人のなれそめを知っているのか」


「まぁ、そうよね。洋太はそういう奴よね。知ってた」


「トッキーが言いたくないみたいだから、お前が説明してくれないか、志穂」


「……友達の恋人が言いたくないって言ってることを、頼まれたからってほいほい言っちゃうような女の子って流石に自分でもないわーって思うんだけれど?」


 ジト目でそんなことを言う志穂。

 そんなレア顔の彼女もこれまた最高に可愛らしかった。

 会話の途中だというのに、思わずスマホを取り出して写真に残したいくらいに、実にデフォルメの利いた完璧なジト目だった。


 ふぅ、ほんと可愛い。


 しかし、馬鹿だな志穂も。

 友達の秘密をばらしてしまうのが申し訳ないだなんて、そんなことを気にしているのか。


 だったら何も心配することはない。


 だって、友達が言いたくないことを、わざわざ下衆に聞いて回るような男がろくでもないというだけの話だからだ。


 うん、この一件に関して志穂は何も悪くない。

 悪いのは全部俺一人なのである。


「志穂。君が罪悪感を覚える必要なんてないんだ。俺が無理に君に喋らせるだけなんだから。そう、悪いのは全部俺。お前の罪悪感ごと、俺がこの件についてはすべて抱え込んでやる」


「いちいちそうやってまた格好つける!! 誤魔化してもやろうとしていることは下衆の極みみたいなことなんだからね!!」


「知ったことか!! 俺はお前と添い遂げるためならば、どんな汚いことだってしてみせる、手段を選ばないと覚悟を決めた男!! たとえ親友のトッキーや友原さん、いいや世界を敵に回したとしても、必ず目的を果たしてみせる!!」


「だから!! 格好つける必要ないでしょ!! というか、カッコいいと言うよりただの中二病だよ!! お痛いだけだよ!!」


 痛みを伴わずに得られる勝利などあるものだろうか。

 人間は生きる限り多かれ少なかれ傷つくモノだ。

 こんな傷くらいどうってことはない。


 もっとも、それで志穂の心が傷つくというのなら俺も対応を考えるが。


 話したくなければ無理に話さなくてもいい。

 志穂、お前に任せるよ。そういう沈黙を俺は作り出す。

 この手の駆け引きにどうにも弱いというか、基本的に根がお人よしでできている志穂は、友を裏切る罪悪感に顔を歪ませた。


 友と幼馴染の男の間で、揺れ動く複雑な女心。


 そんな顔の志穂も――いっぱい素敵だった。


 心の志穂フォルダのかわいい写真集がまた増えていく。

 友情は失ったかもしれないけれど、今日は俺にとっては吉日大安という奴だな。


 さておき。

 どうやら志穂は友をとるか幼馴染をとるか、腹を括ったらしい。

 はぁと一際おおきなため息を彼女は吐き出す。


「……やっぱり、友達の嫌がることはできないわ。ごめん、こればっかりは洋太の頼みでも聞くことができない」


「そうか」


「ごめん、本当にごめん」


「言っただろう。悪いのは、下衆なことを勘ぐる俺だけだって。志穂、お前は何も悪くないよ。その俺を裏切る罪悪感もまた俺が受け止めるべきものなのさ」


「……うぅっ、そう言うと分かっていても、いざ言われてみるとなんか悔しい」


 志穂がそう言うなら、俺はもう何も言えない。

 素直に彼女の決断を受け入れると、俺はトッキーと友原さんの恋バナなれそめについて、それ以上追及することを諦めたのだった。


 まぁ、トッキーも本気で嫌がっているようだったし、これはもう無理だろう。

 アイツってば一度こうと決めたら梃子でも動かない頑固な所があるからな。


 後で、ジュースかなんか持って行って、謝っておこう。

 そうしよう。


「洋太、仲直りの品を持って行くのは悪くないけれど、ケミカルジュースはまずいと思うわよ。絶対に関係を悪化させるわ」


「友情に付け込んで、飲んでくれたりしないだろうか」


「友情の危機を前にそれを試すようなことするんじゃありません。無難にコーラとかにしときなさい」


 謹言痛み入るばかりだ。

 やっぱり志穂はしっかりとしているなぁ。

 頼りになるなぁ。


 そんなことを思った時。


「しほぴー? なんか仁くんが、陰キャ王子がウザ絡みしてくるからすぐに身を隠せとかメッセージを送って来たんだけれど、何かあったの?」


 友原さんがひょっこりと俺たちの前に姿を現した。


 うむ。

 ウザ絡みとはまたなんとも辛辣なことを言ってくれるなトッキー。


 そして、完全に裏目に出たぞトッキー。

 お前、こんなカモがネギしょってやってくるようなお膳立てしてくれやがって。


 こんなの、直接彼女友原さんに聞いてくれと言っているようなものじゃないか。


「友原さん。良ければなんだけれど、トッキーとどうして出会ったのか。なんで付き合うことにしたのか、俺に教えてくれないか?」


「うぇえっ!? いきなりだねぇ!? というかウザ絡みってこういうこと!?」


「……こういうこと。まぁ、あけぴーが出てきた瞬間に詰んだと思ったわよ」


 諦めた顔で親友に告げる志穂。

 対して、友原さんはと言えば、志穂よりもなんだかけろりとした表情だった。


 人に話せるようななれそめじゃないと志穂は言ったが、友原さんはそこまで気にしてない感じじゃないか。

 トッキーは明らかに話すの嫌そうだったけれど、友原さんの反応は、なんていうかそれ聞いちゃいますかーってフリを感じる。


 むしろ聞いてくれと言うような、そんな陽の気配を感じる。


 間違いない。

 これ、たぶん、トッキーだけが恥ずかしい奴だ。


 すかさず、俺は友原さんに攻勢をかけた。


「トッキーが教えてくれないんだよ。水臭いことにさ。俺とトッキーの仲だというのに。教えてくれないんだよ。アイツ、照れてるんだろうなきっと」


「うーん、まぁー、そーかもねぇー。陰キャ王子のこと馬鹿にできないくらいに、仁くんもロマンティックムーブで口説いて来たからねぇ」


 え、なにそれ。

 俺がバカにできないくらいのロマンティックムーブってなに。

 というか、俺、そんな馬鹿にされるようなことしている訳。


 あ、これ、俺にもちょっとダメージ来ますよ。

 というか、来ましたよこれ。


 痛いイタイ。

 あ、予想外に刺さった。

 俺に刺さった。


 ロマンティックムーブとか、しているつもりないのに刺さりましたわこれ。


 ロマンティックムーブに心当たりのない俺は、そんなことしてないよねと志穂に視線を送る。すると、俺研究の第一人者は、静かに俺に頬を向けてきた。


 あ、してますわ、これ。

 確実に知らぬうちに生き恥晒してる感じの奴ですわこれ。

 無自覚ロマンティックムーブ発動していた。

 間違いないですわ。


 まったく身に覚えはないんだけれど。


「まぁね、私は別に恥ずかしいとか、そういうのは特にないからいいんだけれどね。まぁ、仁くんの性格じゃ、ちょっと言い出すのは難しいよね」


「そうなの?」


「そうなの。いやー、本当に、アレはちょっとね、今思い出しても、私もよくうんって言ったなって思っちゃうような、ナシよりのナシな告白方法だったからねぇ。アウトゾーンにアウトボールを投げるような、大暴投だったからねぇ」


 信じられない。

 あのトッキーが、そんなことをするだなんて。


 投げる球はレーザービーム。

 投げる言葉も百発百中。

 人の痛い所を突いたり、そつなくこなすことにかけては定評のあるトッキーが、まさかの悪送球をかますなんて。


 そして、そんな悪送球を、友原さんが受け止めただなんて。


 ますます、トッキーが何をやらかしたのか気になる。


「まぁねぇ、もう済んだ話だからね、言っちゃっても構わないんだけれどねぇ」


「言っちゃってくれ頼むから!! 友原さん!!」


「……どうしよっかなぁ、しほぴー? どうしよっか?」


「あけぴーの好きにすればいいじゃない。恥かくのはトッキーだけなんだから」


 にっと笑う友原さん。

 女子力高い系ゆるふわ女子。


 そういう認識だった彼女が見せた、絶妙の小悪魔スマイル。

 こんな表情をすることもできるんだなとドキッとした次の瞬間には、彼女は俺の前まで距離を詰めていた。


 ちょいなちょいなと手招きをする。

 顔を近づけると彼女は無防備に、そして悪戯っぽく俺の耳元に唇を寄せた。


「……実はね。私、最初は中津くん狙いだったんだよ?」


「……うぇっ!?」


「将を射んと欲するならまずは馬から。外堀から埋めていこうと思って仁くんに近づいたの。そしたら、なんだかんだと話しているうちに、仁くんの方がその気になっちゃって」


「……なっちゃって!?」


「ある時、強引に私の手を取って、『あんな馬鹿より、俺にしとけよ』って」


 あんな馬鹿より、俺にしとけよ。


 くっ、トッキー。

 お前、それはちょっと――。


「ロマンティックムーブ!! 失敗すると黒歴史確定のロマンティックムーブ!! これから先、思い返す度に必ず悶絶して、ともすれば眠れぬ夜を過ごすことになりそうな、童貞的ロマンティックムーブ!!」


「でしょぉー!! もう、必死すぎて、必死すぎて!! 逆になんだかそれがきゃわわーってなっちゃってねー!! それで思わずOKしちゃったの!! きゃー、言っちゃった言っちゃった!! ごめんね仁くん!! けど、愛があるから問題ないよね!!」


「……問題あるわい」


 教室の扉の陰からこちらを見つめる視線が一つ。


 信じてメッセージを送った彼女に裏切られた、ロマンチストが夢の跡。

 うらめしそうにこちらを見る我が部のエースに向かって俺は、笑いを堪えながらサムズアップしてその功績をたたえてやることしかできなかった。


 そう――。


「……ナイスロマンティックムーブ!!」


「……〇すぞ!!」

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