第7話 陰キャ王子先輩の分かりみが強くて幼馴染が尊い
野球部の練習は割と合理的だ。
というのも、うちの高校の野球部を預かっている先生――海原先生がごりごりのスポーツ工学の徒であるからだ。
日本でもそこそこに名の通った体育大学。
そこの教育課程を修了した彼女は、元女子ソフトボールの日本代表選手である。同時に、成長期にある十代の子供に特化したトレーニング方法で論文を書き、博士号を持っているというちょっと他に類を見ない異色の先生だった。
そのまま大学の研究室に居残るという道もあったそうだが、彼女曰く――。
「私の立てた理論が本当に正しいのか、実地でしっかりと見ておきたかったのよ。発言したからにはそれを見届ける責任がある。研究室でデータと睨めっこしているだけじゃ、見えてこないものがあるはずだわ」
とのこと。
そんなこんなで、我が校に赴任て来てかれこれ三年。
それまでまったくもって無名校。
県予選大会でも、確実に一回戦負け確実だった野球部は、みるみると強くなっていった。
初年度でベスト8。
昨年はベスト4。
そして今年は、強豪校のエースを襲った不調も重なり、甲子園まで行けるのではないかという状況になっていた。
驚くべきことに、ここに傭兵――いわゆる他県からのスポーツ留学生――がいないというのが、彼女の有能さを証明している。
彼女の育成理論は理に適っていた。
優れた選手が集まって優れたチームができるのではない。
優れた育成手法が優れた選手とチームを造るのだ。
それを俺たちは、彼女のコーチングを通して実感していた。
さて。
ここまでの成果が出ているのだ。彼女が立てたスポーツ理論は間違いなく正しい。実際、野球部メンバーは無理をすることなく、勉学やプライベートと部活を上手く両立して生活することができていた。
そこに疑いの余地はない。
しかし、どれだけ優れたコーチングをしていても、予測不能の事態は起こる。
「監督!! ウェイトトレーニングをしていた、浜中の奴が意識を失って!!」
「……なんですって!!」
育成理論の正しさがそのまま故障率の低さにつながるのなら、野球どころか世界はもっと生きやすいものだろう。
いわんや、どれだけ注意しても、ハプニングは起きる。
それと上手く付き合っていくことこそ、彼女がデータを越えてしなくてはならないと感じた、理論に対して伴う責任のようであった。
すぐに海原先生は立ち上がって、報告に来た後輩に指示を出す。
一大事。
しかし、狼狽えはしない。
そうした態度に意味がないことを、彼女はよく理解している。
指導者として自分がどうあるべきか、それを正しく理解している。
間違いなく、海原先生は名監督だった。
「すぐに保健室に!! 熱中症の可能性が高いわ!! 水分補給と血管の冷却を早急に行って!!」
「わ、分かりました!! そうします!!」
「……あと中津!! この子たちだけじゃ頼りないからついて行ってあげなさい!!」
「御意!!」
海原先生に言われるまま、俺は一軍の試合形式の練習を抜けると、一年生たちが練習しているトレーニングルームへと向かうのだった。
なぜ俺が監督に行くように言われたのか。
理由は単純である。
「すみません、陰キャ王子先輩!!」
「大丈夫だ。俺はまぁ、1.5軍くらいの選手だからな。練習を抜けた所で、大した痛手にはなりはしない。それより、君達のような未来ある選手の方が大切だ」
「……陰キャ王子先輩!! あざっす!!」
舐められているからである。
なんだかよく分からないけれど、俺は後輩たちに舐められていた。
陰キャ王子先輩なんていう、よく分からない仇名で呼ばれる時点で、そこはお察し。そもそもその仇名は、俺と同世代かそれ以上の奴らが言い出したものなのに、臆面もなく使うのだから相当なもんである。
普通、先輩に向かってそんなディスリまがいな仇名をストレートに言えるもんです?
俺が部活に入った頃にも、安眠もっこり肉布団先輩なるやたらと太ましいが頼りになる先輩がいた。
けれども、面と向かってそれを言うような失礼はやらかさなかった。
陰に隠れて、もっこり先輩とか言ってたくらいだった。
股間ももっこりだけれど、胸ももっこりだよなとか。
そんなことを言うくらいがせいぜいだった。
本人もそんなことを陰で言われているのを知っていたのだろうか。
時々ちょっぴり寂しい顔をする、そんな奥ゆかしくも優しい先輩だった。
安眠もっこり肉布団先輩。
甲子園への出場こそ逃したものの、その打撃センスを見込まれて、プロ野球チームの練習生として入団。二軍で捕手として着実に成績を上げて、今年、運が良ければ代打で一軍の試合に出れるかもしれないそうである。
我が校の野球部OBの中で、最も今後の活躍が期待される野球人である。
そして相変わらずもっこりである。
まぁ、あれだけ馬鹿にしていた彼がそんなことになるのだから、後輩に頼られるのは悪いことではないだろう。そう思って、俺は割と嫌がらずに、この監督からたびたび下される救援要請に応えていた。
体育館の裏。
急ごしらえで作られた屋根の下に広げられているゴムマット。
その上で、筋肉トレーニングや、ウェイトトレーニングをしているのは、まだまだ中学生の身体の域を出ていない一年生たちである。
彼らは俺がやってくると、色めきだった表情をして口を開いた。
「陰キャ王子先輩!! 来てくれたんですね!!」
「さっすが陰キャ王子先輩!! 頼りになる!!」
「浜中!! 安心しろ、もう大丈夫だ!! 陰キャ王子先輩が来てくれたぞ!!」
「い、陰キャ王子先輩……!! すみません、寝不足で無理しちゃって……!!」
「もういい喋るな浜中。あとは、俺に任せろ」
「「「流石、陰キャ王子先輩!! さすがぁっ!!」」」
全然褒められている気がしない。
きっと、安眠もっこり肉布団先輩も、こんな気持ちだったんだろうな。
そんなことを思いながら、俺はマットの上に倒れる浜中の身体を持ち上げた。
脚と肩に手を通して――お姫様抱っこの格好になる。
ちょっと恥ずかしいかも知れないが、我慢してくれよと浜中に言うと、彼はなんだかときめくような視線をこちらに向けてから、こくりと小さく首を縦に振った。
今日は、本当に熱いな……。
◇ ◇ ◇ ◇
「という訳で、何故俺が陰キャ王子先輩と呼ばれているのか、その理由が分からないのだけれど」
「いやもう、説明の余地がないくらいに、陰キャ王子先輩よアンタ」
分からない。
未熟な俺は、自分のことが本当によく分からない。
分からないので仕方ない。俺のことを俺以上によく理解してくれている、幼馴染のことをついつい頼ってしまう。
そう。
いよいよ自分についた陰キャ王子というあだ名の意味と、それに籠められてる同級生や後輩たちの感情が分からなくなった俺は、部活帰りに志穂にそれを尋ねた。
家が隣で幼馴染。
同じく、練習日程と時間がほぼ被っている俺たちは、よく帰りに一緒になる。
一緒になるので、彼氏彼女という関係でもないのに、こうしてよく共に下校しているのだ。
彼氏彼女の間柄でもないとうのにである。
断じて狙って一緒に帰っている訳ではない。
たまたま一緒になるだけである。
幼馴染なのに、別々に帰るとそれはそれで、なんか意味深な感じになるだろう。何より、志穂の家とは家族ぐるみの付き合いをしている。理由もないのに別々に帰宅したくなると、何かあったのかと煩いことになってしまう。
だからもう仕方なかった。
一緒に帰るのは仕方なかった。
実質、彼氏彼女でも仕方なかった。
内縁の彼女と判断されても問題なかった。
ないのはもはや本人たちの明確な同意だけだった。
俺はいつだって同意する用意はできているが。
なんなら結婚する準備だってできているが。
懐にいつも、自分の名前と判を突いた婚姻届けを潜ませているが。
夏休みにバイトして買った婚約指輪(10万円)も持っているが。
それはともかく。
「どの辺りが陰キャ王子先輩なのだろうか。百歩譲って、先輩と言う部分は分かるんだ」
「百歩譲らなくても先輩なのは分るでしょう」
「陰キャというのもまぁ、メカクレだし、口数も少ない方だし、どちらかというとインドア派だし、ゲームとかもめっちゃやるし。深夜アニメもラノベも見るから、よく分かるんだ」
「よかった。そこを自覚できてなかったら、どうしようかと一瞬でも焦った自分がちょっといたわ。客観視できてるじゃない、偉いわね、陰キャ王子」
「けど――王子ってなんだ?」
俺のいったいどこに王子要素があるっていうんだ。
見た目はこの通り、どこにでもいる陰の者。
メカクレガリヒョロ男子高校生なのに。
どっからどう見ても主人公っぽさの欠片も感じられない、モブ顔とサブレギュラーの中間みたいな顔をしている男だというのに。
どこがいったい王子だというのだろう。
王子っていうのはもっとこう、見栄えのいい、それでいて社交的、振り向けば皆がきゃぁと黄色い声をあげるような、そんな男のことを言うのではないだろうか。
まったく王子感ゼロの顔をしているのに、王子とか言われても――。
正直困る。
自己分析ではこれ以上の答えは出ない。
客観的、それも、自分のことを分析させれば、おそらく右に出る者はいないであろう、幼馴染の力を素直に借りるしか、俺にはもう取れる手段はなかった。
肩幅半分。
隣を歩く志穂の方に俺は寄る。
頭半分ほど小さい彼女の顔を見れば、少しだけ顔が赤らんだように見えた。
まさか、そんな――。
これはいかにもな素振りである。
まさか自分でも気が付かないうちに、俺は王子になっていたのだろうか。
「……洋太。いま、ちょっとだけ、自分が無自覚に王子なんじゃないだろうかって、そういうことを思ったでしょう?」
「なにっ!! なんでわかるんだ!!」
「わかるわよ、何年付き合ってると思ってるのよ」
しかし、それはどうやらブラフ。
すぐに志穂はいつもの感じ、なんでもない美少女顔に戻ったのだった。
うむ。
志穂が姫なら話はわかるんだけれどな。
いや、王子と言っても、ギリギリいけないこともないような、そんな感じもあるにはある。
なんにしても顔の形は間違いなく美形に分類される。
もっとも――大切なのは顔立ちや体型じゃない。
人間はやっぱり中身だと俺は思う。
気立てがよく、付き合いもいい、誰にでも優しくて、そして真っすぐな志穂が俺は好きだった。たとえ、どんな姿格好だろうと、それは変わらないだろう。
断言できる。
人間にとって大切なのは外見ではない、中身なのだと。
外面王子なんて無意味なのだ。
中身が王子でなければ意味がないのだと。
そのあたり、後輩の連中は分かっているのだろうか。
「そして今、中身が王子じゃないと意味がないとか、そういう馬鹿なことを考えていた」
「そこまで分かるのか志穂!? どういう原理なんだ!! 俺専用の読心術でも習得しているというのかお前は!!」
「だからこれだけ長いこと付き合ってたら分かるって言ってるでしょ!! もう、本当にそう言う所はポンコツなんだから!!」
怒られてしまった。
けれど、実際の所、ずばりと思っていた所を言い当てられれば、そういう反応にもなるだろう。いくら俺に対する理解の深い志穂とはいっても、ここまで見事に今想っていることを言い当てるとは思わなかった。
そして、だからこそ俺は確信した。
彼女ならば俺が王子と言われるその理由を、きっと理解できるだろうと。
そう呼ばれる謎を解き明かしてくれるだろうと。
なんだか疲れた顔をしてかぶりをふった志穂。それから彼女は、数歩後ろにさがると、先ほどまで自分が立っていた俺の隣を指さした。
そこに俺が王子たる由縁があるというのだろうか。
むぅ――。
「……なにも、ないみたいだが?」
「はい。じゃぁ、洋太。右手側に何が見える?」
「うん? 道路だが?」
「じゃぁ、左手側は?」
変わらず、道路だが。
だって通学路だぞ。
道の上に居るというのに、道路以外のどこに居るというのだろう。
哲学か。
なにかこう、禅問答的なものを俺は志穂に問いかけられているのか。
あるいは、志穂にだけ見える何かが、そこには居るとか。
「……志穂。もしかしてお前、見える人なのか?」
「違います!! そういうキャラじゃありません!!」
「じゃあなんでこんな訳の分からないことを言うんだ!! 今俺たちは通学路を歩いているんだ!! 何が見えるも何も道しか見えないに決まっているだろう!!」
「道にもいろいろあるでしょう!! ほら、右手側はなんて道!!」
「車道!!」
「左手側は!!」
「歩道!!」
「なんで車道側を歩いてるの!!」
「たとえば、急に居眠り運転の車が突っ込んできた時、志穂を庇ってやることができるから。そうでなくても、バイクや自転車などがふらついた時に、志穂の身体にぶつかってはいけないから。自分よりか弱い人間を助けるのは、人として当たり前だろう」
「そういう!! 所!! だよ!!」
――どういう所だ。
うん。
なんだ。
俺、今、何かおかしなことを言っただろうか。
別に人間として普通のことを答えたつもりだったけれど。
王子と言われるようなことを答えたつもりはなかったのだけれど。
俺の言葉のいったいどこに、王子らしさがあったというのだろうか。
「分からない、志穂、もうちょっと分かりやすく説明してくれ」
「この上なく分かりやすく説明したつもりだけれど」
「ちっともわからない。俺は、人間として普通のことをしたまでだが」
「あんたの普通は、世間一般から見ると王子の域なの。しかも、そうやって、無自覚にそれをやれちゃうところが王子の王子たる由縁なの」
意味が分からない。
志穂。
俺の生態研究については、他社の追随を許さない彼女だが、どうして言葉には不自由らしい。
まったく言わんとすることが伝わってこない。
俺の普通が王子の域だと。
笑わせてくれる。
俺程度の人間など、世の中にはごまんといるだろう。
まだまだ、人間として俺は未熟。
志穂のように、誰からも好かれて愛されるような人間と釣り合うには、もっともっと、たゆまぬ人間としての研鑽が必要になることだろう。
そう――。
「俺のような未熟者を王子なんて呼ばないで欲しい。もっと、人徳あふれる素晴らしい男の子が、世の中にはたくさんいるのだから。そんな彼らこそ、本当に王子と呼ぶにふさわしい」
「だからそういう所!! あぁもう、そうやって嫌味もなく謙遜する所も、王子っぽいよ!!」
「本当に俺が王子になった時に、王子と読んで来ればそれでいいんだ」
「そういうこと言う時点で王子なの!!」
分かってと、志穂が叫ぶ。
ふと、拳を握り締めて力いっぱい肩を怒らせて叫ぶ彼女。
しかしながら、実感が湧かないものはわかないのだから仕方ない。
なにより、もし、王子ということを、俺が認めてしまったら――。
「自分で自分を王子だと認めてしまった時、王子は王子ではなくなるのではないか?」
「思考実験みたいなことを言い出す!! もう、そうやって一生やってればいいのよ!! ほんとバカ!! バーカ!! バカ洋太!!」
知らないと踵を返そうとして志穂が体勢を崩す。
車の姿はない。
俺たち以外に人の姿もない。
けれども、放っておくことはできない。
すかさず、俺は志穂に駆け寄ると、優しくその体を抱き留めた。
腰に回した腕の中に彼女の鼓動を感じる。
高鳴る脈拍と共に上気した顔と視線をこちらに向けて、志穂は無言だった。
よほど興奮しているのだろう。
優しい彼女から出た、口汚い罵りからその精神的なショックは想像できる。
俺が彼女をこんな風に追い込んでしまったのだとしたら、なんとも愚かなことをしてしまったのものだ。
反省しなくては。
しかし――。
「大丈夫か、志穂? 脚挫いたりしていないか?」
今は反省するより、彼女の身体を心配するべきだ。
そう思った。
何故も何もない。
それは自分にとって当たり前のこと。
男が何を置いてもやるべきこと。優先される行動原理。
守るべき女性に対してするべきことだからだ。
そう、俺が目指す男の中の男――志穂という素晴らしい女に釣り合う男とは、かくあるべきなのだ。それが人の目から見てどう映るかなど関係ない。
「動けないのか、どうした、やっぱり足を挫いたか。分かった、それじゃ、ちょっと恥ずかしいかもしれないが抱えて家の前まで――」
「だから!! そういう所!! だって!! 言ってるでしょぉ!!」
まだまだ俺は未熟者ということだろう。
べしりと志穂は俺の頬を叩くと、顔を真っ赤にして眉根を寄せるのだった。
ほんと、こんな情けのない男のいったいどこが王子なのだろう。
好きな女の一人だって、ときめかせることもできないというのに。
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