第3話 炭酸飲料の分かりみが強くて幼馴染が尊い

 放課後。

 部活途中。

 夏の日差しが眩しい午後五時。

 俺は学校の購買前で打ちひしがれていた。


「……ない、だと!?」


 自販機にお目当ての飲料がなかった。

 薬品みたいな味のする飲料が売り切れていた。


 購買前にある自販機。

 そこで売られている、薬品みたいな味のする飲料が売り切れていた。

 押しボタンに売り切れの文字が表示されているその光景に、俺は顎先を流れる汗をたまらずぬぐった。


 なんてことだ。

 こんなことがあるだろうか。

 よもや予想もしなかった。


「……今空前の薬品みたいな味のする飲料ブームが来ている!!」


「……ギリギリ!! セーフ!!」


 などと呟いた所に志穂がやって来た。

 息を切らせて額には大粒の汗。夏服のカッターはじんわりと汗で滲み、ちょっとだけ下着が透けて見えていた。


 うむ。


「……アウトだ!!」


「え!? うそ!? ダメだった!!」


「アウトだ志穂!! さぁ、早く俺のこのユニフォームを着るんだ!! さぁ、今すぐに着るんだ!! さもなくば着るんだ!! 矢も楯もたまらず着るんだ!!」


「うん!? うん!? うぅん!? ちょっと待って、待って、どういうこと!? ちょっと分からない!! どうしたの洋太!? 何があったの!?」


 俺がアウトなんじゃない。

 志穂がアウトなんだ。

 俺の事ならなんでも分かるのに、なんで自分のことはこんなにも分からないんだ。


 なんで自分の服装がエロいやらしいドスケベみせられないムワァになっていることに気が付かないんだ


 まぁ、ガン見するんだけれど。

 ガン見して、俺の心の志穂フォルダに保存するんだけれど。

 念のために圧縮してパスワードかけてクラウドフォルダに入れるんだけれど。


 うむ!!

 いいものを見た!!

 今日は大安だ!! よくわからないけれど!! 大勝利だ!!


 なんにしても俺が脱いだ野球部のユニフォームを素直に着る志穂。


 そういう、素直な所もベリーキュートだ。

 そして、彼Tならぬ彼U(ユニフォーム)もなかなかマニアックでグッドだ。


「……むぅ、予想外だわ。まさか、この展開は予想外だわ」


「ふっ、俺のことならなんでも分かる志穂が珍しい」


「いや、余裕がなかったのよぉ。やっちゃったぁーって、焦ってたから」


 それよりほらこれ。

 志穂は手にぶら下げていた袋の中からペットボトルを取り出す。


 ふむ、ちょうど喉が渇いて、何か飲み物でもと自販機にやって来た所にこれだ。


 流石は志穂。

 俺の喉の渇きまで予知してみせるとは。

 なんという俺への深い理解。まさに阿吽の呼吸。夫婦の境地。これなら、息子たちが立派に家を離れて二人きりの老後になっても、安泰というもの。


 お茶が入りましたよお父さんという声が聞こえてくる。


「……っ!! しかもこれは!!」


「ふふっ、好きでしょ、洋太。その飲み物」


「なんだかとても薬品っぽい味のする炭酸飲料水!! 薬品っぽい味のする炭酸飲料水じゃないか!!」


「……絶妙な濁し方も分かっていたわよ。ふっ、売り切れだったんでしょう。喉がからからの洋太のために、わざわざ買ってきてあげた、志穂ちゃんに泣いて感謝するがいい」


 ありがとう。

 本当にありがとう志穂。


 泣いて感謝するがいいだと。


 気が付いたらもうナイアガラ。

 フーバーダム大決壊。

 梅雨でもないのにスーパーセルだよ。


 志穂警戒警報発令中だ。


 まったく。かわいさがゲリラ豪雨で困る。

 

「……家宝にするよ、志穂!!」


「いや、するなするな。飲むために買って来たんじゃないのよ。構わず飲みなさい!!」


「これは志穂が流した汗!! 薬品っぽい味のする炭酸飲料水だけれど、志穂の汗と涙の結晶的なもの!! ちなみに汗の成分とおしっこの成分はほぼ同じ!!」


「なに普通に気持ちのわるいこと言ってるのよ!! ちょっとなんでも感動しすぎじゃないの!? おおげさ!! もうっ、ほんと洋太ってばおおげさなのよ!!」


 おおげさなものか。

 俺のために志穂が買って来てくれた、薬品っぽい味のする炭酸飲料水だぞ。

 俺がこれを愛飲していることをよく知っているからこそ、買ってきてくれた薬品っぽい味のする炭酸飲料水だぞ。


 これは魂の水。

 エリクサー的な何かである。


 いただきます。

 俺は感謝の観音拝みをしてから、そのペットボトルの栓を回した。


 ぐび、ぐびび、ぐっ、むぐ、ぷはぁっ。


「うまい!! この健康になっているのだか、不健康になっているのだか、分からない感じがたまらなくうまい!!」


「ほんと、洋太って変な味覚しているよね」


「好きなものは好きなのだからしかたないだろう」


「……その感性で、好きだって言われるこっちの身にもなってよね。もう」


 ふっ、けれどそんな俺の好きがまんざらでもないんだろう、志穂。

 テレ顔伏し目がちなその素振りが全てを物語っているぞ。


 可愛い奴。

 今日だけで、俺の脳内志穂フォルダの整理がおっつかなくなりそうだ。


 今思えばそう、なんだか焦った感じにこっちに駆けてきた、全力疾走志穂の顔もよかった。アレも今思うと、なかなかのエモさがあった。

 脳内志穂フォルダに保存しておくべきだった。

 だが、今更思い出すことはできない。


 いけないな。

 油断していた。

 志穂はいつだって可愛いというのをすっかり忘れていた。


 しかし、はて。

 どうして志穂はこんなものを持って来たのだろうか。


「……志穂。分からないんだが。どうしてお前は、わざわざコンビニで、この妙に薬品の味がする炭酸飲料水を買ってきてくれたんだ?」


「いや、まぁ、それは。なんか通りがかったら、自販機で売り切れになっていたから」


「……通りがかったから。ふむ、それくらいのことで、わざわざ買いにはしるだろうか」


「は!! 走るよ!! そりゃ、幼馴染のためだもん!! 毎日、楽しみにしているドリンクが切れてるとなったら、走って買いに行くってわよ!! それが幼馴染ってものでしょ!!」


 それが幼馴染。

 うむ、なんて素敵な台詞だろうか。


 しかし、志穂、めっちゃ焦った顔をしている。

 何かを隠している顔をしている。


 察しはいいし、理解は早いし、こと俺のことについては、俺よりも知っているんじゃないかという志穂。

 しかし、それ以外は年相応の女の子だ。


 何かを隠しているのは丸わかりである。


「……志穂。何を隠しているんだ。幼馴染に隠し事はなしだ」


「べ、別に、隠してなんか」


「じゃぁその、背中に回したバックはなんなんだ」


「!?」


 しかも先程から、これ見よがしにバックを俺の視線から避けようとしている。


 これは妖しい。

 何かある。

 具体的にはバックの中に、何かがあるに違いない。


 俺はバカだから、志穂ほど彼女が考えていることを知ることはできない。

 知ることはできないけれど、これくらいのことは分かった。彼女が何かを隠している、それだけは間違いない。


 沈黙、それから、ため息。

 今日は私の負けかと力なく志穂が微笑む。

 彼女は観念したように、背中に回したバックを前に出すと、そこから一本の缶を取り出した。


 そう、それこそは、まさしく――。


「薬品の味がする炭酸飲料(缶)」


「……最後の一個を買ったのが私だったので、なんか申し訳なくて」


「馬鹿な!! いや、しかし、申し訳ないことなど!!」


「この学校でこれ飲むの、洋太しかいないって事実、気づいている?」


 そうだったのか。

 俺はてっきり、もっと市民権を得ている飲み物だとばかり、今日の今日まで思っていたけれど、そんなに人気じゃない飲み物だったのか。この、なんか薬品の味がする炭酸飲料水という奴は。


 うぅん、ちょっと残念な気がする。


 そして、なるほど、ようやく合点がいった。


「なるほど。つまり、俺がいつも飲んでいるこれを興味本位で買ってみたら、最後の一本だったと」


「そう。それで責任感じちゃったの」


 責任感の強い志穂。

 そういう所も、俺が彼女を好きな理由の一つだ。


 志穂。

 けれどもそんな気にしなくってもいいのに。

 お前だって、その薬品の味がする炭酸飲料水を飲みたくて買ったのは事実なのだろう。

 だったら、別にいいじゃないか、飲んでしまえば。


 飲んだうえで――分けてくれればいいじゃないか。


「季節限定、志穂フレーバーでも、俺は構わなかったんだぞ」


「構うわよ!! もうっ!!」

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