第8話 ブランコ
してしまった。
横では月が寝ている。
サラサラの黒い髪が寝返りを打つ度に流れ動いた。
「月…こっち向いて。」
かれこれこの流れを10分やっている。
「…。」
「…月。いい加減にしろって。」
「…嫌よ…恥ずかしい…。」
散々男としといてなんで恥ずかしいんだよ…。
「もりさんの…目を見てると綺麗でなんか…い、色気ある…よね…?」
よね?と言われても。自分の目、確かに色気あるよな〜とか言い出す男とは俺は友達になれない。
「わ、私…言い訳というか…したいってだけでもりさんとしちゃったからちょっと…その…申し訳なくて。」
相変わらず考えをまとめるのが下手だ。
「なんで申し訳ないの、俺したくないやつとはしないけど。」
「もりさんが"したくないやつ"なんているの?」
…どう思われてんだよ俺は。たしかにさなは刺青入ってたし、ひじき女はつけまバシバシだったから全然説得力ないけどな。したくない、というか、したいやつはかなり絞られるって言えばいいのか。
「少なくともお前はきれいだったよ。」
「…そんなのどうせ皆に言ってるくせに。響きません、そんなんじゃ。」
ほんとコイツは…。もう褒めてやらんぞクソ美人が。今日は9時30分から仕事なため、そろそろ出なくては行けない。
「月…そろそろ行くぞ?仕事だから。」
「…あ!そうだったわね、ごめんなさい、なにも気遣いせず引き止めちゃって。」
さっきの気の強さはどこに行ったんだよ。一旦帰ってスーツ着なきゃな…。
最後まで ありがとう、ごめんねを3回ほど繰り返されて、月がいってらっしゃいと控えめに手を振る。何か言いたげだったが気付かぬふりをしてしまった。俺はつくづく卑怯というか女に対して謝らなきゃいけないことが生きてるうちに消化できないほどある気がしてきた。
結局、"結ばれた時に603以外で抱かれたい"という月のかつての願いは叶わず放ったままで、俺はいつまでに答えを出せばいいのか迷っている。
梅雨にしては珍しく晴れており、それが逆に嫌な風に蒸気を舞い上がらせる。
かつて呑みに行った同僚が話しかけてくる。
「よう、もり〜。お前今日営業だっけ?」
「…そう。」
「どんな客?」
「25のねーちゃん。」
「おっいいじゃん。行ってこいよ。」
かつて夕になんの仕事してるの?と聞かれたことがある。こんなボサボサの髪でも勤まるような営業ってどんなだよって自分でも思うが、夕はまだ18で、水商売してたって、俺や大人たちのくだらない話はできるだけするものじゃないと思っている。
そう思っているとなんとやらで、夕から16時頃に連絡が入っていた。
"もりさん、会えない?"
急なんだよな〜、どいつもこいつも。もしかして俺暇だと思われてる?
"18時まで仕事だ"
それからなら会える、というニュアンスで取られたかもしれないが、夕もそうとったようで嬉しそうに反応が帰ってくる。
夕がこっち〜と手を振ってくる。18時ちょっきりには終わらず、30分ほど待たせてしまった。梅雨が開けるころになったせいか、太陽が出る回数も増え、彫りの深い夕の顔がより影を増やして輝かしく色っぽく写る。
「もりさん…?」
「あ、いや、待たせて悪かったな。」
なんか思わず見とれてたとも言えず、ただ夕の顔から目を逸らした。
「もりさん、今日、大事な話があって。」
「…大事な、話?」
嫌な予感というか、背筋が凍るような感覚がする。前に、同僚にお前がいらなくなったら離れればいいじゃねえかと言われ、そのときは近いなと感じていた。お互いに無理をして、合わないところをねじ曲げていた。
「んー…ここじゃなんだから、前さ、羽織貸してくれたときの場所行こうよ。」
確かにあそこは駅裏どおりで、あまり人も通らないし、夕方にもなれば静かになっている場所だ。
ベンチに座ってしばらく夕が黙っている。俺も大して口を開かず2人でぼーっと雲を眺めていた。
「梅雨…あけるかな。」
「…そろそろだよな、この辺は。」
また静かになる。天気の話をしてそれ以降気まずいなんて、俺は何年営業マンやってるんだよ。こんな18の女に手こずりやがって。こういうときになにか話そうと思えば思うほど言葉が浮かばずどんどん時間が過ぎてしまう。
雨に濡れた葉が風に揺られ、水滴が空にキラキラと飛んでいく。
「もりさん、私、大学受験する。半年後には一人暮らしを始める。」
突然だった。でも、ある意味それくらいの話でよかった。元々自立することは望んでいたし、いちいちメンタルが弱いコイツが、やっと誰かの手を借りることなく平穏に過ごしていくことを望んでいた。
「…もりさん…?」
「俺さ…お前のこと、何かわかってやれてたのか。何かしてやれたか。お前の中で何があったんだ。俺の知らない間に、強くなったのか。」
素っ気ないというか、女が言ってたら可愛げない、男が言ってたらネチネチとウザイやつの発言になってしまう。
「…強く、なんてなってないけど…。」
夕はそうなのかな〜と、言った様子で前髪をパサパサする。最近気づいたコイツの照れた時のくせだ。
「人のために何かしてあげるのって難しいよね…その人のためになってるかどうかも分かりにくいし、大丈夫だよって言われたら何もしてあげられないし…。」
18でそこまで考えれてたら十分だと思う。本人に言ったら怒られそうだし関係ないことかもしれないが、親が経営者とかいうこともあって、人の意見とか気持ちにやけに敏感で思いやることが出来るのはコイツのいいとこだと思ってる。
「私、親のことも分かってなかった。」
本当は自分のこともわかってなかったけど、と言うが、そんなことはない。
「彼氏を見る目もなかった、というか、私がそういう風に変えさせちゃったのかもしれないけど…。」
どんどん話が本題からズレている。
彼氏のことも18にしては相当深い傷になっただろうしそれが癒えてると思っているのは夕だけだと思った。そういう意味では自分のこと分かってないというのも当てはまる。難しいやつだ。
「とにかく、1回、自立してみることにした。いつでも辞められるしって思えば頑張れるし…。」
「それで、俺はその報告で呼ばれたのか。」
自分でわざわざ嫌な予感のほうに話を持っていってるのがすごく嫌だった。
「もりさんとは、お別れする。」
やっぱりか…。
そうか…そうだよな…。
うん。
そうか…まあ、いいと思うよ…。うん。
そんなことしか繰り返していないのに、その度に夕はきちんと反応をする。変なとこ真面目なんだよな。
「もりさん、前は話を聞いてくれてありがとう、あと…私にとってはもりしんは異次元で、もっと芯を強く持って生きていかなきゃ行けないって、わかったの。」
まだ続く。
「好きな人に見放されたとしても、親がちょっと変わってても、どうしたいかは自分で決めなきゃいけないし、世間とか環境の流れに逆らうことは出来ないからね、自分なりにやりたいことを見つけなきゃ…。」
半泣きになってんじゃねえよ。まだ自立なんてできる状態じゃねえだろ。
「世の中、本当に色々あるよ。みんな色々悩んで、困って、誰にも言えないことあっても笑ってる人がいる。」
私、まだそうはなれなくても、なっていきたいの。
強い目だった。タイミングがいたって悪いし、今ではない気がしているが、そんなことを言う資格もないことにただ項垂れるしかない。
夕は今自分が座っているブランコがまだ湿っていることにも気づかないほど、自分の心のなかに集中して、意識が過敏になっている。
俺が変わらなきゃいけないことはなんだろう、夕から学べることってなんだろう。そう考えなきゃいけないのに、今は離れて欲しくない。そう思ってしまうのは、自分のしてきたことに自信がなくて、なにかしてやるためにただ引き止めたいっていうエゴなのかもしれない。
小さい子が俺達の前をすっと通っていく。まだ小学4年生くらいで、俺たちにこんにちは、と挨拶していく。こんにちは〜と夕は笑顔で返す。俺もはっと思い出したようにこんちは。という。
俺からすればこの子と夕は似たようなものだ。たかだか18で自立しようなんて甘い。まあ、しかも、コイツが。
そう言ってしまったら自分の負けな気がして、受験勉強頑張れ、とか先生でも言えるようなことを言って去ってきてしまった。
ここまで子供だと思わなかった。30にもなる俺がもう少し大人な対応が出来なかったものだろうか、とため息をついた。
後ろを振り返ると夕は頭を下げながら足を地面につけたまま、静かに静かにブランコを前後に揺らしている。
ショートヘアの横の毛で顔は見えない。哀愁ただよう細い背中がチラッと見え、白いブラウスを夕日が淡いオレンジに染めている。お前じゃ無理だよ。でも多分大丈夫だ。いよいよ本当に無理になったらまた俺のとこ来いよ。そう言ってやれば良かった。
耳をこらせば遠くで切ないブランコの軋む音が聞こえた。俺はその音を絶対忘れないようにしようと思った。
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