第7話 ダイニング

「…夕、大学は決めたのか。」

「ううん、まだ。」

「受験もあと半年くらいだろ、しっかりするんだぞ。」

娘に水商売させておいてよく言うわ。しっかりしろ、とか。

「そうよ?夕は優秀なんだから、きちんといい所に行って、うちのホテリエになってもらわなくちゃ。」

私ってそんなに優秀に見える?案外おバカだよ。成績も下がってきてるよ。知らないでしょ。


気まずい食卓。本当にご飯を食べているだけ。家族の団欒とか、はたまた微笑ましい会話のひとつもなく、ただ、家を存続させるための必要最低限の会話をしている。小さい頃は、周りの友達が今日あった学校の話とかしているという事実に心底驚いたものだ。

だから、正直ご飯もそんなに美味しいと思わないし(実際美味しくない)、ただ、体に栄養と固形物を流し込んでいるだけ。こんなんだから食欲がわかなくてどんどん痩せるんだよ。私、1ヶ月前より3キロ痩せたよ。気づいてないでしょ。

腕が骨ばっていることに最初に気づいたのはもりさんだった。なんなら私も気づいていなかった。7分丈をめくってまで見たんだ。ちゃんと食え、死ぬぞ。といってきた。嫌いなネギのこと、味がそこそこの一口のパスタのこと。色々思い出して、もう会えないのかなと思うと涙が零れそうになる。

涙をこぼしても、両親は目の前の固形物にしか視線を落としていないので気が付かないだろう。

自分でも気づかないうちに勝手に食べるのをやめ、部屋に来ていた。もりさんのことを思い出すと、ただ優しかった顔とか、面白くもない冗談言ってたこととか、雨の時に被せてくれた、薄汚いグレーの羽織が浮かぶ。個性が強くて忘れることなんて到底できない存在だ。確かに正直イケメンではないけど、私からすれば別に普通だし、不釣り合いだとか、私が財閥生まれだからとか、関係ない気がする。

世間というものは残酷で、私達はロミオとジュリエットよりも身分差も、境遇も違うように思った。


次の日に学校に行くと、友達が寄ってきた。

「…夕、痩せた…?」

聞いちゃいけないかもしれないけど…というニュアンスを出して気遣ってくれる。

「あ、ああ…そんなことないけど…最近、じめじめしてるし、食欲わかないだけ、ごめんな心配かけて。」

空笑いに空笑いで返している会話が続くわけなく、友達もすぐに去っていった。…そんなに骨ばったかな…?自分じゃあんま分からないんだけど…。

授業中に外の雲を見る。あ、あれ…最近流行ってるキャラクターの形に似てるな…

「酒井さん、ここ読んでください。」

「…。」

「酒井さん?」

「…あ、はい!…えと、なんすか?」

「なんすかじゃなくて。15ページ、読んで。」

英語の授業ということも忘れ、机から引っ張り出してくる。あ、これは国語だ…。違う。これも違う。

いつも綺麗な机もなぜか今日に限ってぐちゃぐちゃになっていて、今机に出ているのは家庭科の教科書だ。68ページの"安心出来る家庭 子育て"というタイトルのページ。

「ごめんなさい…ごめんなさ…。」

英語の教科書を1人で屈みながら本気で探し出す。

隣の人が気を使ってここよ、と渡してくれる。

「ごめんね…。」

成績が上の中から中になったとはいえ、そこそこ優秀な私がこんなにボケっとして、やつれて、教科書もこのザマだから、クラス中ざわめく。

教科書を読み終わったあと、チャイムがなり、私のところに先生が駆けつける。

「酒井さん、ごめんなさいね。私言い方キツかったかしら…?」

「…へ?あ、いや、そんなことないすよ…?」

「何か、悩みでもあるのかしら…?」

「え、いや…そんな…人に頼るようなことでもないすし、全然、大丈夫すから。すいやせんほんとボケっとしてて普段こんなじゃない、と思うんすけどなんか、なんすかね…。」

「酒井さん、1度先生とご飯に行かない?」

「…休みの日に、ってことすか。」

「いいえ、今日のお昼でいいわ。お昼に家庭科室に来てね。」

私が家庭科が好きなのを知っているのだろうか?


躊躇いはあったが、先生なりに何か私とは話したいことがあるのかもしれないと思い、静かに3回ノックする。

どうぞ、と優しい声が聞こえる。

「夕さん、いらっしゃい。」

先生に夕さんと呼ばれたのは初めてだった。

「は、はい…お待たせ?しました…。」

そこに座ってちょうだい。と促される。

「酒井さん、お弁当は?」

「あ、ポッケにあるこのおにぎりですけど…。」

ポッケに入っていたおにぎりをひょこっと出す。

「ん!?朝からポケットに入れてきたの!?」

え、はい。と答える。先生は目を見開く。

「お昼、それだけなの?」

…確かに、数ヶ月前はちゃんと自分でてづくりした二段弁当だった。

「そうか、じゃあ、私とご飯にしよ。」

何かを悟ったようで、そこまで悟っているふうには見せずにただ頷く。

私の方に視線を向けるとゆっくり口を開く。

「酒井さん、私の顔みて。」

「は、はい…?」

見ましたけど何か?っていう顔になってしまう。可愛げがない。

「私、今月離婚するの。」

え、という驚きの顔は隠せず思わず声も出てしまう。

「ね、人がなにで悩んでてどうしたいって思ってるかなんて、わかろうとしてもなかなか伝わるものじゃないわ。」

なんとなく納得してしまった。先生は明るい人だし、今日も翳りみたいなものは全く感じなかったからだ。

「私は…昔からそこそこ恵まれた環境にいて、執事やメイドが話を聞いてくれる時もありました。なので…両親に対して勘違いしていたのかもしれません。」

甘えていた。わかって当然。構ってくれて当然。私は、選ばれた優秀な人間なんだから。

そう決めつけていたのはほんとは私自身だった。

「…酒井さん、優秀だから、もうなんとなく気づいたかもしれないけど、時には我慢せずに自分の思いを誰かに話してみるのも大事よ。」

話を聞いてくれていたのはもりさんで、執事たちとは違って、思ったことをそのまま言ってくれるのはもりさんだけだった。もはや、最近は中毒というか、話を聞いてくれるのはもりさんじゃなくてはと心の中で足を取られていたのかもしれない。

「家族って…難しいよね。」

…大人って難しいんだな、こんなときに泣けないんだから。私はエレベーターで泣けるくらいまだまだ子供だ。

「ご飯が不味くなっちゃうね、やめようかこの話は。」

「不味くていいすよ。」

先生は小さく、えっと言う。

「先生の本音聞いたり、考え方について話してくれたの嬉しかったんすよ。先生も言ってたとおり、人間の察するチカラみたいなのって限界があるし、私だって、本音を言えないときは…この人といると窮屈だな、私をさらけ出せる場所ってどこかなって考えやす。」

先生も私の悩んでいたことの本質の本質を知ったことに驚きつつ、ちょっと顔を綻ばせた。

そのあとも娘さんの写真や旦那さんがどんな人でどこに行ったことがあるのかとか、思い出話に花を咲かせた。

「私、こんなに楽しいご飯初めてでした。ありやした。」

「…酒井さんって本当に財閥の娘らしくないわよね。」

すごい笑われた。

「そういう意味でも柔軟性がないのかも、大学向きではあるかもしれないすけど、就職の時どうしましょうね。」

「大丈夫よ、その頃には色々価値観が変わったり、やりたいこと、夢も変わって、自分に合う人も変わってくるわ。」

そんなの、未来のことだから分からないし、断言出来ないじゃんとも思ったが、色々経験してきた先生の渋い目をみたらきっとそうなんだろうと思った。もりさんのこともいつか忘れてしまったり、何をそんなにこだわっていたのか、と思う時が来るのかな。

多分私には無理だ。永遠に忘れることなく、あの時は楽しかったなとか、救われたな〜私にとっては異次元だったなとか思うんだろう。

「さっ、授業授業!酒井さん成績下がってきてるでしょ、英語の点数、次回は85以上とること、いいわね?」

「85すか!?私英語は最高80しか取ったことないすよ。」

「だからこそ上を見るのよ。」

この先生には10年は敵わなそうだなと感じた。

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