第5話 バルコニー

電話が鳴る。

時計を見るとまだ夜中の3時で、誰だよ…と思う。

画面を朧気に見ると、ルーサーと表示されている。

驚きのあまり急いで電話をとる。

「…もしもし!」

「今…そっちは何時。夜中だったら悪いね。」

「ああ…いいよ。それで、なんか用か?」

向こうも、言うかどうか暫く考えている。

「近いうち、そっちに帰ろうと思う。」

「ああ…仕事に区切りが着いたのか?」

シンプルにうん、と答える。

「まあ、帰って来れるなら帰ってこいよ。」

1人にしては広い部屋に俺の声が響いてすぐになり止む。緊張と寝起きで声がかわいてきて、麦茶を注ぎに行く。

耳を澄ますと、静かにしとしと雨が降ってきて、今日は出かけたくないなと思う。

4日後に帰ってくると言っていたので、体感5日後だろう。

「…アイツは来るのか?」

「あー、結婚したんだよ。」

飲んでいた麦茶が零れる。は!?結婚!?リアクションしなくても驚きが伝わったようで向こうもははっと笑う。

「結婚したから相手の家にいる。まあ…帰ってくるのはいつになるか分からんな。」

「というか、俺結婚式出てないんだけど。」

「まだ挙式はしてないよ。お前も呼んでやるから心配するな。」

いや、出たいとかそういうことでもなくて…。

とりあえず、4日後に、といって、電話を切られる。


…なんか、夜中なのに目が冴えるほどのことを言われ、動揺する。

とりあえずアイツに連絡をする。

"おい、お前、結婚したんだってな。"

"お兄ちゃん久しぶり。アメリカにいるけど、相手日本人だから長谷川エレナっていう普通の名前になっちゃった。"

コイツと会話するのはほぼ10年振りだ。

"お兄ちゃん、まだ結婚してないの?"

余計なお世話じゃい。

"したかったけど、色々あるんだよ、俺も。"

諦めなくていいじゃん、まだ。とか他人行儀な返信が来て思わずため息が漏れる。

妹の方が結婚早いとか、泣けるわ…。

どっかの子供が離した黄色の風船を眺めながら返信をする。

アメリカで知り合った長谷川さんと結婚したらしい妹のエレナは、父のルーサーには報告して俺には報告してくれなかった、というこの始末。それを飲み込むのに5分くらいかかってしまった。

しばらく日本で一人暮らしをしていた俺だったが、ルーサーも帰ってきて二人暮しになりそうだ。


数日間、無心で仕事もこなしながら、同僚が声をかけてくる。

「もり、飲みに行こうぜ。」

「おお、いいぞ。」

この同僚は普段結構冷たいタイプで、誘ってくることはそんなにはない。

だが、話したいことがあるんだよ、と付け加え、それを口実に、俺を駅前の居酒屋に引っ張っていく。

「俺さあ…彼女と喧嘩しちゃったんだよ…。」

座るやいなや口を開き出す。

「お、おう…何が原因だったわけ?」

色々あんの、と言ってちょっと考えをまとめている。えーと、何から話せばいいかな〜…。

同僚が困っている姿を見ていても、俺はメッセージの通知が気になって仕方ない。

月のこと、夕のこと、さなのこと、ひじき女のこと。考えても仕方ないとは分かっていても、あれから女のことばかり気になってしまう。ちゃんと幸せになっているかどうかとか、また傷ついて塞ぎ込んでいないかとか。

そっぽを向いていると、いつの間にか同僚が話していたようだ。

「な?ひどいだろ?俺の彼女。」

「あ?ああ、そうだな。」

相手もどうせ俺が聞いていないことは分かっていたのか、そーそ。と会話を終わらせた。

らーさん、ハイボール2つね、よろしく。手馴れたように頼むと、きーちゃん飲みすぎじゃないかい?と店員さんに怒られていた。

「で?お前は女いないの?」

急に俺の話になる。

「いや、俺は別に…。」

「なんかあるだろ〜若いねーちゃんと知り合ったとか、若いねーちゃんと飯行ったとか。」

お前は若いねーちゃんしか頭にねえのか。

「俺も…相手を傷つけちまったんだよ。」

お前、割と正直だもんな。と軽く言われる。

「…やっぱり、そうだと思う?」

さらっとうん、と答える。

「誰と一緒にいたいかとか、決めるのは自分かもしれんが、それでも周りの目は必ずある。相応しいかどうかも大事だろ?あとはまあ…相手が幸せになるにあたって、甘えすぎちゃいけない相手だったりよ。」

珍しくペラペラ喋る俺に少し目を見開く。

「でも、お前はまだその子の傍にいたいって思ってるんだろ?」

「うん」

すんなり答える。

「じゃあ…いいんじゃねえの?別に。無理に離れようとかしなくて。その子がお前をもう必要なさそうになったら引けばいいじゃねえか。」

それもそうな気がしてくる。

「悪いな。下らん身の上話して。」

「別に?下らんなんて思ってないし、言いたいことは言った方がいいぞ。」

かつて月に思ったことをブーメランで返されて思わず口を噤む。


…。


…ってなにそこら辺の恋愛ドラマみたいになってんだよ!!俺にはできねえし。1回傷つけた女をそんな…。

考えを振り払うように手を軽くパタパタさせる。同僚は不思議そうに見ていたが、まあ、あとはお前で何とかしろや、と片付けられた。

そんな雑に扱われてもこちらも少し困る、というのもあって結局なにも出来ずに、ルーサーが帰ってくる日となった。

「ルーサー。」

俺が声を発すると歩いていた脚を静かに止めこちらを振り返る。

「ずいぶん老け込んだな。」

「そっくりそのまま返すよ。」

お互いおっさん同士の悪口を言い合って、空港をウロウロする。荷物を一応俺が預かって、家まで着いた。

「お前…家結構掃除してるんだな。」

驚くなよ。無理もないけど。

「最近掃除し始めたんだよ。」

女か。さらっと聞いてくる。

「いやっ…」

また口を挟む。もうこのくせは直らないかもしれない。

「ちょっと…自分の中で価値観が変わる時があっただけだよ。」

「色んな人と話してみて、価値観が変わるのはいいことだ。」

そんなこと言われなくてももう30なんだからわかっている。

スマホを見ると妹の世間話に混ざって月の不在着信がある。だから、アポ取れって…。

ルーサーがまた、女か。とサラッと聞いてくるので、今度は落ち着いて知り合い。と答えた。

「もしもし。」

ルーサーがいないバルコニーに出た。

「…もしもし、もりさん?」

「おう、どした。」

別に。とだけシンプルに答えて月が黙る。

「ん…。」

相変わらず考える時間が長くて中々本題にはいらない。

「あれから…何かあった?」

「いや…やっぱり俺には恋愛は向いてないなって思っただけかな。」

辛かった。あの夕の顔。思い出すだけで泣きそうになる。

俺のことをよくわかっているし、俺のちゃんとしてないところまで我慢してくれているのに俺はなにも出来てない。

多分、月にはそんなようなことを言った気がする。

「そうなんだね…。でも、誰と付き合っても、自分がちゃんとしてた、なんて思えること、そうそうないと思うけどね。」

というと…?

「自分が愛されてるとどうしても不安になっちゃうよね、相手にとって自分でいいのかとか、好きであればあるほど考えちゃって、ちゃんと考えれば大したことない理由で相手を傷つけたりね。」

俺がこんなに意地になってるものってなんなんだろうか…?自分のプライドか?自分が嫌われたくないから本音を言わないのか?

そもそも本音を言って嫌われるくらいの相手なら関わるべきではなかった、ということになる。

「…相手の子は、まだもりさんが必要だと思うよ…?女の子だって正直なんだから、嘘偽りの気持ちでずっと一緒に付き合うなんて、無理だよ。」

「俺じゃ…幸せになんてしてやれねえんだよ。いくら好きでも。相手にとって1番幸せになるにはって俺も一応考えてるんだよ。」

「うん…。」

「…お前と付き合えることも、ないと思う。ないと思うというか、釣り合わないんだよ。お前にはもっと良い奴がいる。」

「…それは…どれだけ好きでも諦めちゃうのは、自分の保身のためじゃないの…?」

イマイチ言っていることがわからなかった。バルコニーに風が吹く。月のスマホからも風の音が聞こえる。

「…もりさんは、その子と釣り合うとか、幸せにしてあげられないとか言ってるけど、幸せになりたいと思って行動するのはその子だし、嫌なら離れると思う。」

わかっていたことを改めて言われると自分の情けなさに嫌気がさす。

「それを幸せにできないって諦めてるのはもりさんだし、自信が無いとか、釣り合わないって思ってるのはもりさんがそう思い込んでるからだと思う。」

気持ちを全部知られた気分だった。やっぱりこの女には敵わない。

ルーサーがバルコニーにくる。

「なんだ、ここにいたのか。ちょっと収納の場所がわかりにくいから手伝ってくれ。」

月も、お友達…?と聞いてくる。

「悪いな、父さんが帰ってきたんだ、俺なりに色々考えてみるから。また連絡する。」

月の了解の声と共に電話を切る。

自分には分からないことだらけで、女ってなんでこんなにわかったような口を聞けるものだろうか、と、いい意味で感心した。

俺のことをよく分かっていたり、人の気持ちを汲んだり。そういったことを怠ってきたツケが回ってきたのかもしれない。

しかもそれを10個も下の女に言われるのが恥ずかしくて仕方なかった。

ルーサーも、お前、しっかりしろや。と独り言のように言った。

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