第2話 エレベーター
あれから1週間経った。
アイツから連絡はない。
月、という名前がピッタリなくらい目がまん丸で、笑うと三日月みたいになる。
女の顔なんて最近ひじき女か、月しか見てなかったからよく分からんが、月は結構美人だと思う。
こういう生活をやめるにはもう少し訓練というか比較が必要なんじゃないかとかいう自分なりの適当な解釈で、今日も別の女を喰らう。
"着いた。"
"402"
どうやら女が6と3が好きっていうのはたまたまだったみたいだ。月とひじき女の好みらしい。
扉を開けると女が現れる。お互い顔なんて0.1秒くらいしか見てないんじゃないかっていうくらい適当な接し方だった。
「お前…風呂入ってないの?」
「え、入らんくて良くない?」
「は…やめろよ、汚ねえ。入れ。」
初対面の女に汚ねえって言う男もすげえよな、我ながら。
女も機嫌が悪そうに風呂に入っていく。でもさ、普通嫌じゃね?汚くね?
自分の足がアスファルトに着いてたやつが言うことじゃないが、女のソレっつーのはばっちぃんだよ、なんか。
女が15分くらいで風呂から出てくるとマスカラがでろってなっててなんか笑いそうになったがなんとかポーカーフェイスを保つ。
口を合わせ、首あたりに手を回した時に青い影に気づく。
「…刺青…?」
「元彼の好み。でも戻すのも面倒。」
だからってお前…女なのにそりゃねえだろ。
「あーあ、おにーさんもそうやって引くだね。」
ちょっとタンマ、と言い、洗面台に女が消えていく。時々鼻をすするような音がして、言うんじゃなかったと後悔したが、いつも傷ついてるなら慣れっこだろ、というのも半分あった。
嫌なら戻せばいいんだよ、そんな、極道ってわけでもねえんだから。
5分くらいして、女が謝罪とともに戻ってくる。こういうとき謝ったりするのな。別に気にしてねえのに。
「俺の方こそすまん。…余計だった。」
すまん、とか言ったのいつぶりだよ。
大体のことはしても申し訳ないとか思わねえし、女が痛がっててもあっそ、くらいにしか思わないからいかんわ。俺人間じゃないわ。
「あのさ…お前と会うのは今日だけかもしれんけど、俺、人のことお前って言うのくせなんだよ。やめたいから名前、教えてくれ。」
「…そんなこと気にしてたの。私は、さな…っていう。」
こんな知り合って数秒のお見合い相手みたいな会話気持ちわりぃわ。でも俺がやめたいって決めたことだから、やめる。
「…さな、性感帯どこだ。」
「私…何がいいんだろ、考えたことない。適当に好きな風にしていーよ。」
俺と同じタイプだわ。自分のこと何も分かってない。そういうのそそるで好きだけどな。
「よく分からず続けてたな。いいとことかないの?」
「そんな大事にされたことない。」
まあ、そうだよな。
俺に大事にされたところで、こいつのためになるとか、傷が癒えるとか、そんなことは思わないが、俺なりに考えてしてみようと思った。
「脚…好きじゃん。」
「そ…かな…わかんないけど。」
濃い口紅が手で取れかけて横に伸びる。気持ちいいんじゃん。
女の顔をうかがってしたことなんてなかったから変にこそばゆいっていうか、自分の前髪の隙間から目をまじまじ見られてそうで苦しい。
「目…結構茶色なんだ。」
あ、やっぱそれ気になる?ま、色々あるだ、色々。
終わったあと、スマホを見てたら月からメッセージが入っていた。
"あれから何か変わったかな?"
気が早い、そんなにすぐ変われたら苦労しんわ。
"いや、別に。"
返信した時、後ろから声がかかる。
「ねえ…初めて、名前聞かれた。大事にしてもらった。ありがと。遊びなのは分かってるけど。う、嬉し…かった!」
そう言うやいなや顔も見ずに毛布を被る。さなは悪い奴ではないな、と思った。
俺…いいことしたんか。出来てたんか。
分からんけど、さなが首とは違う、赤色の頬で照れるものだからさなにとっては良かったのだ、と実感した。
"別に、何も無いけど、初めてして良かったと思った。"
そっか、と簡単な返事が返ってきて、その日からまた連絡はしばらくしなかった。
仕事とかあるとはいえ、気づくと1週間経っていて、女と何もしていないことに気づいた。
「あれ、もりさんじゃん。」
ホームセンターの女だ。
「よう、奇遇だな。」
駅のエレベーターに遭遇することもなかなかないだろう。
開けたまま待っていると、あ、あざっす。と入ってくる。
「…なあ、お前はさ…。」
あ、名前…なんだっけ。
「もりさん、あれからなんかいいことあった?」
「え、なんで…?」
「いや…意味は…ないけど。」
隣にいる女が頬に水滴を垂らしている。涙、だよな…?今は6月。雨が降っている。雨…か?雨…えと…雨…だと、いいけど、俺のせいなのかこれは。どうするべきだ、うん…
「彼氏に…振られちゃった。」
急に堰を切ったように言い切った。でも嗚咽が混じらないように早口で言い切った感じだった。とりあえず、何か言わなくては。
「…は?なんで急に、っていうかお前彼氏いたの?」
俺の乾いた声に、女が無理に笑い出す。
「っふ、もりさん、そんな乾いた声でどうしたの?ふふっ変なの…ふふっ、うっ…」
無理に笑うなって。嗚咽に釣られそうになるわ。
「辛い時は泣けばいいじゃねえか。俺は彼女いたことねえからよく、気持ちは…その…わかってやれねえけどよ。」
「もりさんいつからそんな思いやりある人になったの、ウケるんだけど。」
「お前…何階に止まるんだよ。」
場合によっちゃ、ガールズバーに止まる。屋上まではあと10階。
「私は…。」
このままとてもじゃないけど、何かできると思えん。ガールズバーで仕事か、文房具屋で買い物か、ナンパ待ちでもする気でこんな派手な場所に来たんだろうか。こんなやさぐれた、涙に濡れた女が。
「おい、俺はもう用事済んでるんだ、お前も済んでるだろ。いや、もう済んだよな、絶対済んだよな。来い。」
着ていたうす汚い羽織を女に被せ、落ち着ける裏通りに出る。ベンチに座らせた。
「…黙ってるけど、何か聞きたいことないの?」
「忘れたのか、俺はさっきもう質問した、お前は答えてないから待ってる。」
「え…なんの質問だっけ…。」
元気ない声出すんじゃねえよ、この間俺の事爆笑したくせに。
「お前が彼氏いたのかって話だよ。」
「あ、ああ…。うん、いたん…だけど…。」
聞いといて今この話はタブーだった気がする。
「彼氏…かっこよくて、めっちゃ、かっこよくて…」
お前は顔しか見てないのか。それでいてよく隣に俺がいて平気だよな。
「だけど、私、まだ18だし、相手が26だったから、結婚…するんだって。」
「…は?ちょっと、意味が分からん。相手が浮気してたってこと…か?」
「女としてたらデキちゃって、その女と結婚するんだって…。」
「好きでもない女としてたのか。」
「そうって言ってた。」
「っは…ヤリチンじゃねえか。そんなの忘れちまえ。俺の方がマシじゃね?彼女いねえんだし。」
自分で言ってて取り消したかった。虚しすぎる。
「ふっ…ありがと、ちょっと落ち着いた。羽織、ありがと。」
薄汚い羽織を普通に手で掴んで返してくる。俺だったら嫌だわ。着といて何だけど。
「エレベーターってちょっと変な気分にならない?」
「変なって…?」
「扉が空いた瞬間、知ってる人がいるとほっとしちゃう。辛いことも嫌なことも全部我慢してたのに、扉が開いただけで、出迎えてくれてる気になっちゃって。馬鹿だよな。」
「俺はもっっと馬鹿だよ、お前より数倍な。」
「それはそうだけど、私はここまで馬鹿だと思わなかった。」
「自惚れんな。自分なんて自分が思ってる以上に馬鹿なんだよ。それをちゃんと覚えとけばなんてことねえ。」
そっか…、と軽く言うと、元彼のことを思い出して、涙を溢れさせる。
結構な強さの雨で、なんでこいつはこんな天気のときに出かけようとか思ったのか不思議だった。
用事があったとか、仕事があったとか、それこそ色々あるのは分かるが、傘くらいさせって。俺もさしてないけど。
「仕事…断りの電話入れなきゃ。」
「お前、かけ持ちしてんの。」
「うん…年齢偽って水商売。」
「は…?まじ?」
聞くと親がガールズバーの経営者で、ホームセンターとのかけ持ちをしてるみたいだ。
指名が入ると仕事をするみたいだが、お持ち帰りは、親が経営者ということもあり、断固拒否、ということも客はわかっているようだ。
「なんかさ、私は水商売してても、ちゃんと恋人としかしてなかったのに…さぁあ?」
言いたいことは分かる。
「まあ…大人の世界っ言うのは色々あるんだ。世の中色々だよ。」
「…もりさん、色々、がマイブームでいらっしゃるの?」
「っお前…ホームセンターのいらっしゃいませのくせが抜けてねえんじゃねえの、しおらしく敬語なんて使いやがって。」
あの雑な口調で、早く俺の事馬鹿にしろってんだ。
エレベーター効果なんかに釣られやがって。
「今日は…帰る。仕事も断ったし。明日も指名入ってるから。」
「お、おう…。帰れ。泣け。」
こんな雑な帰し方あるか。
「名前。」
「はい…?もりさん?」
「名前聞いてんだよ、いつまでもお前って呼ぶ訳にはいかないだろ。」
今更?って顔はされるが、ナチュラルメイクからマスカラがダラダラ流れることもなく、爽やかな笑顔で言われる。
「私は夕。ゆうって呼んで。」
「ゆう…な、わかった。今日は帰れ。俺も寝たいんだよ。お前が泣くから変な心臓の鼓動立てちまったし。」
「はあ?泣いてないし。もりさん目おかしくなったんじゃない?」
言ったなこの野郎。散々乙女してたくせに。
さらっと、じゃねっと言った夕はそのまま表道の方にかけて行った。都会中の都会。家賃もべらぼうに高くてタワーマンションが立ち並ぶ、俺とは遠い世界に。
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