第53話 帰省する魔王

 慌ただしく佐竹家へと泊りに行く志保を、吾輩は大志殿と佳保殿と共に見送る。

 昨晩もあれがないこれがないと旅行カバンの用意に随分と手間取っていた。


「では、吾輩もこの辺りで失礼する」

「あら、もう行くんですか?」


 玄関を出ようとする吾輩に佳保殿が声をかけてくる。


「うむ。志保も出たとなれば長居する用もないであろう」

「いやいや。それなら俺に付きおうてくれてもええんやで?」


 名残惜しそうに大志殿が引き留めようとしてくる。


「それも悪くない提案であるが、せっかく久しぶりにあったのだ。夫婦ふたりの時間というのも必要であろう。吾輩はまた戻って来るゆえ、そのときに再び語らおうぞ」


 この夫婦とて大志殿の単身赴任でそうそう会えないのであろう。

 なら、年頃の娘のいないこのタイミングにおいて吾輩がいるのは邪魔でしかない。

 日頃世話になっている彼らへの恩返しではないが、大人として気を遣うのは当然である。

 ちなみに魔界を追放された元魔王という設定になっているため、吾輩が掛田家に逃げ込んで居ることを察知されていないか偵察に行くということになっている。


「そうですか。ほな、お言葉に甘えてそうさせてもらいますわ。真中さんは追放された身なんやから気ぃ付けて」

「その、魔界までどうやって移動するのか私にはわからないですけど、交通事故とか気をつけてくださいね」

「安心するがいい。こうして日本まで逃げ延びたのだ。そう易々と吾輩は倒されたりせぬ。それでは行ってくる」


 人間の夫婦に見送られて、吾輩も志保に続いて家を出る。

 まさか吾輩の人生において、このような日が来るなど夢にも思わなかった。

 そのまま、しばらく歩いて人目のない場所を探す。

 野良猫が数匹たむろしているちょうど良い路地裏を見つけると、志保から借りた油性ペンを使って、地面に魔法陣を描き魔力を注入する。

 そして、日本へとやって来たときと同じように紫光に包まれ、両足が地面を踏みしめる感覚が無くなる。

 時空を超える窮屈な感覚は何度味わっても好きにはなれぬ。

 やがて、光が消え視界と地面に立つ感覚が戻る。


「ふむ」

 

 転移を終えた吾輩は、赤髪に二本角を生やした生物に槍を向けられ囲まれていた。

 これは魔王城に侵入者が現れたときの対処マニュアル通りの行動である。

 即ち、無事に魔王城へ帰還したことを意味していた。


「な、何者だ!?」


 あの日、吾輩を日本へと飛ばした側近が声を上げる。

 情けないことに周囲を囲む魔族の後ろに隠れている。


「はぁ。お前はあるじの顔も忘れたのか?」

「主の顔だと? 魔王様は貴様のように整った顔立ちはしておらん!」


 おい。

 それはどういう意味だ。

 しかし、いつまでも囲みが解かれないこの状況が理解できた。

 外見が人間のままであった。


「なら、この姿を見ても同じように吠えられるか?」


 魔法を解除して本来の外見に戻す。

 途端に周囲を囲んでいた魔族たちが動揺する。


「ま、ま、魔王様!? お、お、お久しぶりにございます!」


 震える声で側近が慌てて挨拶をしてくる。


「久しいな。ところで吾輩の顔が何だと?」

「それはそれはうるわしい端正な顔立ちで……」


 全く。

 人間の詐欺師の方が、もう少し上手い嘘を付くわ。


「まあよい。人間の外見で戻った吾輩も悪いのだ」

「そ、そうでございますよね!」

「牢にぶち込んでやろうか?」

「も、申し訳ございません! ほら、お前たち! いつまで魔王様を取り囲んでおるのだ!」


 今思えばよくもまあこれで勇者たちを撃退してきたものだ。

 何とも間抜けな集団に見えてしまう。

 個の能力が高いから良かったようなものだ。


「それで。吾輩がいない間はどうであった」


 玉座に座りながら側近に問いかける。


「何事も変わりません」

「そうであるか」


 まあ、そうだろうな。

 吾輩がいなくなってからまだ一ヶ月ほどしか経過してはいない。

 この短期間で劇的な変化が起こるような世界なら吾輩とて退屈はしていない。


「魔王様こそ、どうされたのですか? 転移先に飽きたのですか?」

「いや。むしろ満喫しておる」

「ほう。では今回はどうされたのです」

「これといった用事はないが、様子を見ようと思ってな」


 本当は掛田家に配慮したからなのだが、この理由もなかったわけではない。

 魔王たるもの、何度も志保に言ったように、臣下に目を配ることも必要である。


「そうでしたか。先ほども申し上げたようにこちらは何事もありません。毎日が平穏です」

「そうか。ところでだが」

「なんでしょうか?」

「これを見てくれ」


 スマホを取り出して側近に見せる。


「なんですかこれは?」

「スマホという向こうの世界の道具だ」

「はあ」

「こいつの機能を詳しく教えるから魔王軍で量産して欲しい」

「は、はい?」


 我々魔族であれば、機械の内部構造や動作原理を知る必要はない。

 どのような機能を有するかさえ判明すれば、後はその機能を持った魔法陣を組み上げれば良いだけである。


「それでどれほどのお時間を頂けるのです?」

「現物を貸し出すのは2日間だけだ。それで吾輩は向こうに戻るからな」

「それは余りにも厳しいといいますか……」

「別に2日後までに実用化しろとは言っていない」


 種々の機能を有する魔法陣をスマホサイズに収めるには時間が掛かるであろう。

 そこまでは、今回では求めぬ。


「ですが現物の有無は大きく影響しますし……」

「組み上げるべき魔法陣の材料を見つけることができれば、後は現物がなくとも解決可能であろう」


 スマホの機能は充分に利用価値がある。

 こいつを魔王軍に配備することができれば、今後の戦において大きな戦力となることは間違いない。

 魔族間においてはテレパシーによる遠距離通信が可能であるとはいえ、それで送受信できるのはあくまでも音声情報に過ぎない。

 このスマホであれば画像に動画、文字の送信が可能である。

 さらに、あらかじめ魔力を充填していれば魔力がないものでも扱えるため、人間側のスパイに持たせることもできる。


「そうはおっしゃいますが……」


 これほどまでに譲歩している吾輩に刃向うとはいい度胸だ。

 最近は丸くなったと思われているかもしれないが、これでも泣く子も黙る魔王なのである。


「仕方あるまいな。そなたが陣頭指揮を執ってくれるなら先ほどの無礼を許そうと思ったが……」

「な、なにを……」

「断るというのなら仕方あるまい。先の非礼の罰として、お前の一族郎党を張り付けの上、全魔族にフリーくすぐり券を配布しよう」


 吾輩の言葉に側近は目を見開いて震えだす。

 そして喚くように懇願を始める。


「そんな恐ろしいことを! 申し訳ございません! 今すぐにスマホの製作に取り掛かります!」

「そうだそれでよい。フハハハハハ!」


 最初からそう言っていれば恐怖を味わうこともなかったというのに。

 吾輩からスマホを受け取ると、側近は足早にその場を去っていく。

 これで魔王軍の近代化がまた一歩進む。

 戻って来てよかった。


「…………と思ったがスマホを貸し出したのは間違いであったかもしれん」


 こちらの世界は驚くほど暇であった。

 スマホで動画を見ることもできない。

 オオサンショウウオ君を持ってくるのも忘れた。

 冒険者もダンジョンも普通のものしかない。

 やることがなさ過ぎた。

 一度気分転換に人間に扮して街を歩いてみたのであるが、日本の繁華街を知っていると、どれだけ大きな市場であっても楽しいとは思えなかった。


「暇だ……」


 吾輩のその声に反応する者はいない。

 側近は現在死ぬ気でスマホを研究している。

 少し前までは、研究チームにスマホの凄さを教えてやり、驚く反応をみるという楽しみがあった。

 それが今では研究チームから、近づいて邪魔をするなというオーラがこれでもかと漂っている。


「別の者に陣頭指揮をさせるべきであったか……」


 側近がいれば日本での自慢話をして少しは時間を稼げたかもしれぬ。

 日本に帰ろうにも、時間ギリギリまではスマホを研究チームに貸し出すと約束してしまったために帰ることができない。

 それにあれだけカッコよく掛田家を出たというのに、すぐに戻っては魔王としての威厳が損なわれる。


「佳保殿の料理が恋しい……」


 魔王である吾輩が人間を求めて苦悩してしまう。

 こんなことになるとは夢にも思わなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る