私達はここで生きる
薄暗い曇天の下、廃墟を歩く影が二つある。
「平気か? モルン」
「誰にもの言ってんのよ、ロディ」
先を行くロディが、後を着いていくモルンに振り返り聞くと、言葉通りに余裕のある少女が見えた。
以前とは違い、力や体力に任せて悪路を進むのではなく、ロディと同じ様に足を掛けやすい足場や、消耗の少ない歩き方で、瓦礫の山を歩いている。
「ロディ、次の南のシェルターはどんな所なの?」
「俺もあまり行った事は無いが、〝黒い雨〟が降りにくい気流らしくてな。物資も豊富で、コロニーに近い環境のシェルターだ」
「そうなの。で、目的は?」
モルンの問いに、ロディは口元を軽く三日月にする。勿論、モルンには見えない様に。
目的地だけでなく、そこでの目的にまで目端が利く様になっていた。
トレーダーとして、少し成長した証拠だ。
「砂糖だ」
「砂糖? 他のシェルターでも手に入るじゃない」
「南のシェルターの砂糖は質が良いからな。良い取り引き材料になる」
モルンに双眼鏡を渡し、ロディは適当な瓦礫に腰を下ろす。背に負っていたリュックを下ろすと、額に浮いた汗を拭う。
「休憩?」
「これからが長いからな。休める内に休んでおけ」
「そうね。少し暑くなってるし、水飲む?」
「ああ」
ロディもモルンも、いつも着ているコートを脱いでリュックに突っ込んでいる。
ロディの言う通り、冷涼な気温が景色が変わる毎に、温暖な気温に変わっていくのが解った。
モルンから水のボトルを受け取り、水を口に含むと、何かを思い出した様に問うた。
「そうだな。モルン、温泉って知ってるか?」
「オンセン? なにそれ?」
「地面から湯が湧いてるのさ」
「はぁ? ロディ、まだ呆けるには早いわよ? お湯が湧いてる訳ないじゃない」
双眼鏡で辺りを見回していたモルンは、ロディが呆けたのではないかと疑う。
モルンにとって湯は、水を沸かしたものであり、湧水のように地面から湧いてくるものではない。
呆けたロディが、湧水を湯だと勘違いしているのではないか。モルンが疑いの目を向けていると、パイプで額を小突かれた。
「人を呆け老人扱いするとは、偉くなったもんだな?」
「だって、ロディが湯が湧いてるとか言うから」
「事実だ。地下水よりもずっと下に熔岩があると、その熱で地下水が沸く。それが湧き出したのが温泉だ」
「ふ~ん」
モルンが草臥れた煙草を口に挟み、紫煙を吐く。
どうやら、興味が薄い様だ。
「ま、南のシェルターに着いてからのお楽しみだな」
「お楽しみ? なんでよ?」
「本当にものを知らんな、お前は」
「いいじゃない、教えなさいよ」
パイプに刻み葉を詰め火を点けてから、ロディは地図をリュックから取り出し見せる。
「南のシェルターは、水脈や水源が豊富でな。気候も温暖で〝黒い雨〟も滅多に降らない。引退したトレーダーやバンディットが多く住んでいる土地だ」
「で? それが何の関係があるのよ」
「水が豊富という事はだ。沸いた湯を冷ます為に水が使えるという事でな。風呂に入り放題という事だ」
ロディの言葉にモルンが目を剥く。
「いやいや、ロディ。そんな事ある訳ないじゃない」
「くくく、それが本当にそうなんだ。あと、水も使い放題だ」
「ますます信じられないわ……」
煙草を口に挟んだまま呆けるモルン。それが可笑しくて、ロディは笑った。あの化け物との一件以来、モルンは感情を表す事が増えた。元から感情豊かではあったが、どうにもズレていたり、僅かだが機械的な面もあった。
それが気に入った他者以外をまとも認識出来ないという、モルン自身のものからくるものなのか、元強化骨格兵という生体の特性なのか。ロディには解らない。だが、今のモルンの兆候は悪くない。
トレーダー云々より、人間としてそれがあるべき姿だ。
「まあ、行ってみれば分かるだろう」
「そうね」
言ってモルンが煙草を揉み消し、瓦礫の向こう側の空に動くものを見た。
「ロディ、あれなに?」
「なにって、なんだあれは?」
二人が見上げる空には、楕円形の巨大な風船にボートを貼り付けたものが浮いていた。
よく見ると、それには翼と回転するプロペラが付いていて、分厚い雲の海を悠然と進んでいく。
「あれはまさか、〝飛行船〟ってやつか?」
「〝飛行船〟? なにそれ?」
「俺が若い頃に聞いた話だがな。東のシェルターの更に東の海の果てに、ここよりも発展した大陸があって、そこではあんなデカイものが、当たり前に空をとんでいるんだと」
「おとぎ話が実は本当だったって事?」
「みたいだな」
ロディが燃え尽きた刻み葉を棄てると、荷物を纏め始めた。モルンはその様子を見て、答えが解りきった問いを問う。
「どうするの?」
「あの進路を見る限り、奴の行き先は南だ」
「もしかしたら、南のシェルターに降りるかもしれないって?」
「それもあるが、見てみろ」
ロディが指差す先に、幌の付いた車を中心にした集団が南に向かっているのが見える。
モルンはあれは何なのかと、ロディを見る。
「〝キャラバン〟だ。まだあの規模でやってるシェルターがあったのか」
「〝キャラバン〟?」
「トレーダーが集団で、大口の取り引きをする時に、護衛にバンディットやバウンサーを雇う。その集団が〝キャラバン〟だ。かなりの物資や金が要るから、俺が若い頃に大規模なキャラバンは、廃れたと思っていたが、まだやってるシェルターがあったんだな」
ロディが荷物を背負う。モルンもだ。
二人は南に向かう二つへと歩き出す。
「〝キャラバン〟ともなれば、余剰分の物資も積んである筈だ。モルン、交渉してみな」
「あら、いいの? ごっそり頂くわよ?」
「くくく、やってみろ」
分厚く薄暗い曇天の下、瓦礫の転がる悪路を歩く影が二つあった。嘗て、戦争があった亡びかけた大地を二人は進む。
まともなものなど殆ど無い。イカれて狂った世界。
そんな世界でも、生きる為に二人は歩いていく。
ここが、自分達の生きる場所だと。
私達の生きる場所 逆脚屋 @OBSTACLE
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