嘗てとトレーダー

 嘗て、戦争があった。否、あったというのは正しくないし、今も続いているのだろう。

 何せ、今の戦争の舞台は海だ。内陸に生きる者達は、それを実感する事は無い。


「雨、止まないわね」


 否、無い訳ではない。長年に渡る戦争により、環境は劣悪となり、軍人や政治家に企業家等の富裕層は〝コロニー〟と呼ばれる自然と文明が残った地区に籠り、暖衣飽食を貪る。

 それ以外の貧困層は〝シェルター〟と呼ばれる廃墟同然となった街や集落に追いやられ、身を寄せあい、無人の街や施設から物資を漁り生き延びていた。


「水を作れて良いと考えよう」

「それでも陰鬱な気分になるわ。この灰色が何時黒に変わるかとかね」

「笑えん冗談だ」


 正義も綺麗事も無い世界で、人々は残り少ない土地にしがみついて生きていた。


「ロディ、次のシェルター迄はどれくらい?」

「雨が止んでからだが、何もなければ明後日には着くな」

「何もなければ、ね」

「どうした?」

「いやね、そういう何もなければって時に限って、質の悪いバンディットやら、サイコパスに出会すのよね……」

「質が悪くても、バンディットならまだしも、サイコパスは勘弁だな」


 灰色の雨が降り頻り、アパートの窓の外の世界を薄暗く塗り潰していく。

 廃墟しか無い世界、モルンはそれ以外の世界を知っているが、ロディはどうなのだろう?

 彼はこの世界以外を知っているのだろうか?


 モルンはランタンの灯りを頼りに、ラジオを弄りながら、目の前の白髪混じりの頭を見る。初老という言葉が目前に迫ったロディに、モルンが拾われてから、一年ちょっとの月日が経つ。


同じ部隊の仲間の行動が原因で、隊が始まって以来の大敗北を喫し、その責任を何故か〝  〟が負う事になった。

 理由は解らない。いや、解らない振りをした。

 本当は解っていた。だけど、信じていた。


 戦果を立てられなくなって久しく、後から着任してきた強化骨格兵に追い越され、役立たずと罵られても信じていたかった。


 しかし、〝  〟の儚い信頼は裏切られ、信頼していた司令官はあの女を選び、〝  〟は強化骨格兵としての機能を解体され、只の〝  〟としてマーケットに売られたが、不思議と悲しくはなかった。


「モルン、ランタンの油が切れるぞ?」

「いやこれ、油の吸い上げが悪くなってるのよ」

「予備の紐は?」

「あるけど、今替えたら油が無駄になるわ」


 殴られたし蹴られもした。それに自分は女だ。

 女が売られ、そういったマーケットに並ぶという事を理解していたし、覚えさせられた。流石に初めてが、品性も知性も欠片も無い、獣の出来損ないの様な男だったのは、気に入らなかったが、正直な話、どうでもよかった。


 コロニーに居た頃から、自分が死のうが生きようがどうでもよくなっていた。

 奴が自分をマーケットに売り飛ばしたのも、実はどうでもよかった。

 所詮はそんなものかと、どうせ自分で責任を負う事が、怖くなったのだろうと、マーケットとシェルターの実状も、まったく知らないお坊ちゃんがと、色んな事が頭を巡って廻って、今までの自分が馬鹿らしくなった。


 何故にあの甘ちゃんを信じたのか。

 着任してからの古い付き合いだから?

 なんだ、たったそれだけじゃないか。

 たったそれだけの関係の為に、死にかけて仲間を目の前で死なせた。


 嗚呼、畜生。

 あいつら全員、死んでしまえ。

 コロニーごと、爆撃でも砲撃でもされて死んでしまえ。

 そうなったら、煮え繰り返った自分の胸の内も、少しはすっきりするだろうか?

 そんな事を考えながら、売られるであろう先の仕事を覚えながら過ごしていた。


「雨、止まないわね」

「そうだな」


 何時だったか、仕事も覚え一緒に並んでいた者も殆ど居なくなった頃、表が騒がしくなった。

 何時も騒がしかったが、その日の騒がしさは何時もとは違った。


 どうやら、売られたシェルターでは、マーケットでの人身売買が禁止されていたらしい。

 つまり、自分が居たマーケットは違法マーケットで、誰かがあのマーケットの存在を告発したという事だ。

 そして、シェルターに住むバンディットや、バウンサーによる摘発という名の粛清が始まって、暫くするととても静かになっていた。

 粛清が粗方終わったのだろう。嘗て死に物狂いで駆け回っていた戦場で、嗅ぎ慣れた血と肉が火薬で焼ける臭いがした。


「フィルターの替えってあった?」

「今ので最後だから、材料を手に入れて作らんとな」


 自分も殺されるのだろう。そう思うと笑えてきたと同時に、悔しくなった。


 なんで自分がこんな目に?

 私はやれる事をやった、充分だ。

 ふざけるな。

 生きてやる。


 押し込められていた部屋の片隅に、据えられていたモップを手に、来るであろう死を待ち構え、扉が開くと同時に降り下ろした。

 痩せた男の頭に当たり、苦悶の声が聞こえた。銃声と怒号、風を切り裂く音が耳に刺さる。

 銃で撃たれても拳銃弾程度なら、置換された骨格は通さない。改造された名残で、そう簡単には死にはしない。


 生きてやる。意地でも生きて、奴らを見返してやる。

 その時はこれしか無かった。

 それだけで充分だった。


 一人二人と打ち倒し、マーケットから脱出する。これでも長柄物の扱いには自信があった。

 諦めていたから振るわなかったが、そうではなくなった今は違う。

 銃弾が頬を掠める。懐かしい感覚、笑える。


「ロディ、次のシェルターってどんな所なの?」

「ん? シェルター同士の交流もあって、シェルター自体がマーケットになっている」

「へぇ、マーケットね」

「言っておくが、あのシェルター自体は小さいからな。人身売買なんぞしようものなら、一発でバレる」

「そう」


 あと少し、あと少しでマーケットから脱出出来る。

 その時だ。ロディに出会ったのは。

 モップは歪んでボロボロになっていたが、まだ余裕はあった。

 だから、迷いなくロディに向かって行った。

 真っ直ぐにロディに降り下ろしたモップは簡単に避けられ、彼が愛用するハリガンツールの斧刃で真っ二つにされた。


 嗚呼、そうか。自分が戦ってきたのは海から来るよく解らない化け物で、奴らはこんな攻撃を食らっても平気だ。

 だが、ロディ達は人間だ。


 攻撃を食らわない事が大前提、自分の単純な攻撃なんて、不意討ちに近い形でなければ、食らう訳がない。


 ハリガンツールのハンマーで簡単に気絶させられた。その時に何かを言った気がするが、仮に出ていても、無意識に出た声だ。言葉にもなっていなかっただろう。


「ラジオ、調子悪いわね」

「シェルターに着いたら、部品探してみるか」


 目を覚ますと処遇が決まっていた。

 一瞬何を言われたのか理解出来なかった。


 ――君の面倒は今日から彼が見るから――


 ――え?――


 ――お前みたいなじゃじゃ馬の面倒は、俺ぐらいしか見れんだとさ――


 ――はい、これ。着替えと当座必要な物ね――


 ――ちょっと!――


 ――使い方も歩き方も生き方も、何もかも教えてやる。生きたいんだろう?――


 あの日、あの時、あの瞬間、トレーダー見習いになった。

 今もそうだが、あの頃は何をするにも四苦八苦していた。

〝コロニー〟の外の世界の歩き方、天候の判断、道具の使い方に作り方、食用可か不可かの判断、怪我や病気の判断と治療、ロディに迷惑の掛け通しだった。


「あ、集水気のボトル換えてくるわ」

「飲むなよ」

「もう飲まないわよ!」


 トレーダーの生き方に少し慣れてきた頃、ちょっとした行き違いでバンディットのチームと争いになった。


 私はまだ、あの怪物共と戦っているつもりで、バンディットとの戦い方を理解していなかった。

 怪物は大群の力押しだが、バンディットは数で囲む。

 一人に対し、二人三人で囲み、疲れさせてから仕留める。

 折角貰った武器も壊れて、体力も無駄にした。

 もう何も無い。殺されるかまた売られるか慰みものにされるか、結局は録な死に方ではない。

 変わらず仕舞いか。私が諦めた瞬間、バンディットの一人が倒れた。

 何が起きたのかは直ぐに分かった。そのバンディットの額に丸い穴が開いていたから。


 一発の銃弾と共に飛び込んできたロディに、バンディット達はあっという間に倒された。


 ――無茶をするな――


 ――……ごめん――


 ――はぁ……、まあいい。これでバンディットのやり方は覚えたな?――


 ――うん、まあ――


 ――次から気を付けろ――


 軽くハリガンツールのハンマーを、頭に落とされたのは、流石に少し痛かった。

 だけど、それも生きているから実感出来る事だ。


「ああ、そうだ。モルン」

「なに? ロディ」

「次のシェルターは、お前がメインで交渉しろよ」

「は?」

「まあ、そんなに大きい取引は無いから、大丈夫だろ」

「いやちょっと待ちなさいよ!」

「どうした?」

「いきなり交渉って言われてもね」

「言ったろ? 大きい取引は無いって」

「いや、でも」

「ま、ヘマする前に手助けはしてやるし、ムラもそろそろ一人で交渉しないと、トレーダー見習いのままだぞ?」

「それは嫌ね」

「だったら、レッツチャレンジだ」


 生きているから、色んな事に挑戦出来る。

 次は取引の交渉、正直気が重いけど、やってやれない事は無い。

 何時までもトレーダー見習いでは居られない。


 何時かはトレーダー見習いではなく、一人のトレーダーになって、生きる。生きて奴等に目にもの見せてやる。

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