私達の生きる場所

逆脚屋

終わった世界

「大丈夫か? モルン」

 

 瓦礫に埋もれた街に二人の男女が居た。

 二人共に年季の入った衣服を纏い大荷物を背負った身で、曇り空の下を歩いている。


「誰に、言ってん、のよ。ロディ」


 ロディと呼ばれた男がモルンと呼ばれる少女に振り返り、今の状態を問えば、纏めた銀髪を束ね直しつつ答える。

 言葉に余裕はあるが、手で膝を押さえ肩で息をしている様子から、言葉通りの余裕は無いのだろう。

 ロディは周囲を見渡し手頃な場所を探す。


「あのアパートで休憩にするぞ」


 ロディは近くに見付けた壁に穴の開いたアパートを指差しモルンに休憩を促す。

 モルンに気を使ってという訳ではないが、ロディ本人にも疲れはあるし、空も暗くなり始めている。

 その上、この世界で拠点も無しに夜出歩くのは自殺行為にしかならない。


「分かったわ。あのアパートね?」

「ああ」

「人、居ないかしら?」

「居ないだろうな。入り口が塞がれていない」


 ロディが先行してアパートのエントランスに入り、モルンに状態を伝える。手には、彼が愛用するハリガンツールが握られており、襲撃への警戒が強く表れている。


「中はどう?」

「荒らされた後だな。物資は残っていないだろう」 

「残念ね。何か残っていたら助かったけど」

「そう言うなよ、モルン。こういうのは早い者勝ちだ」


 無理矢理抉じ開けられたロッカー、倒された植木鉢、荒らされた管理人室、瓦礫と土砂で歪んだエレベーター。

 誰がどう見ても、このアパートには人は住んでいないと分かるし、住める状態ではない。

 だが、柱等は崩れてはいない。


「当座、今晩辺りは大丈夫だな」

「そうみたいね」


 二人はランタンの僅かな灯りを頼りに崩れかけたコンクリートの階段を昇っていく。

 向かう場所はアパートの無事な一室。流石にエントランスで寝泊まりする程無用心ではない。

 そんな奴は早死にするか、売られるかのどちらかだ。


「私も二度売られるのは御免だし」

「なんか言ったか?」

「何でもないわ」

「そうか」


 呟きを漏らしたモルンにロディが問うが、何でもないと返す。

 ロディも聞こえてはいたが、本人がなにもないと言っているのだ。聞こえていない振りをする。


 所々崩れた階段に四苦八苦しながら昇り、二階へと着いた。

 元はどういう構造だったのか。吹き抜けとなっていて、ランタンで照らすと階下には中庭らしき燃え尽きた痕跡が、薄暗い曇天の下に見えた。


「爆撃かしら?」

「いや、放火だな。爆撃なら、このアパートも吹っ飛んでる」

「それもそうね」

「雨が来そうだな」

「集水器、出しとく?」

「雨の色を見とけよ」

「分かってるわよ。私だって学習するのよ」


 モルンが背負ったリュックサックから折り畳み式の浄水器とパイプ、漏斗を取り出しアパートの剥き出しになった廊下の一画に接地する。

 不器用なのか慣れてないのか、接地に少し手間取っていると、雨が降り始めた。

 ロディはその雨を見て苦い顔を浮かべる。


「灰色、か」

「どうする? 集水器外す?」

「いや、灰色なら濾過した後に煮沸すれば飲める」


 黒でないだけマシだ。ロディはそう呟いた。

 黒い雨は濾過しようが煮沸しようが、飲む事も出来ないし、下手をすれば触るだけで皮膚が爛れる。

 滅多に降らないが、降り始めると最悪何日も降り続けて、最悪の場合はその土地に人は住めなくなる事もあり、更にもっと厄介な事すら起こす。


「水も残り少なくなってきたわね」

「早くシェルターに着きたいもんだな」

「ラジオ使えるかしら?」

「分からんが、あまり音を出すなよ?」

「電池も少なくなってるしね」


 モルンは所々カバーが欠けた携帯ラジオを取り出しチャンネルを合わせ始めた。

 灰色の雨が漏斗を叩きパイプを通り、浄水器のフィルターへと滴る音を聞きながら、ロディは夕食の調理に取り掛かる。


「明日はどうしようか?」

「集めた水を煮沸する為の薪を集めるのと、物資が無いか調べるぐらいか」

「……バンディットに出会すのは勘弁よ?」

「雨に溺れたサイコパスよりはマシだろうに」


 ロディはそう言うと、彼女にライターで軽く炙った干し肉と水の入ったボトルを手渡す。

 本日の夕食は草臥れた干し肉一枚とボトル一本の水、これでも今のご時世ではちゃんとした食事の部類に入る。

 酷い時は食べられる野草の切れ端や腐る寸前の缶詰、〝一般人〟の食事としてはこれでもマシな方だ。


 大抵は食事も出来ず餓死するしかない。

 そう考えると、自分は恵まれているし恵まれていた。


 軍に在籍していた頃は命懸けで敵と戦い、生きて帰ったら温かいシャワーに豪勢な食事と軟らかなベッドが待っていた。

 命懸けなのは今も変わらないが、やはり自分は恵まれていたと、モルンは思う。

 例え、その恵まれた生活の終わりが信頼していた司令官に物として売られるという終わりであっても、あの頃は恵まれてはいた。


 では今はどうか。

 敵と戦う訳ではないが、常に何かしら命懸けで温かいシャワーも豪勢な食事も軟らかなベッドも何も無い。

 物質的には恵まれてもいないし、満たされる事も無いが、それでもモルンは満足していた。

 生きているという実感が今の生活にはある。


「ん? どうした? モルン」

「何でもないわ、ロディ」


 目の前で異様に塩辛い干し肉を噛み千切り水で流し込んでいる男ロディ、この経歴も本名も人種も解らない男に拾われてから、モルンは必死に生きて男の技術を吸収していった。


 ロディはトレーダーと呼ばれる仕事をしている。

 物流という言葉が死んで久しいこの世界、トレーダーと呼ばれる者達がその役割を担っていた。

 と言っても、今のご時世で車を使える者は軍人等の富裕層か、一部のキャラバンに限られ、一般人からなるトレーダーは基本的に徒歩で物資を運ぶ。


 その間にも危険は伴う。バンディットと呼ばれる盗賊、黒い雨の影響で狂いきって、略奪や殺人に走るサイコパスに狙われる事がある。

 バンディットはまだ良い方だ。奴らは生きる為に、物資を無人の街や施設から拝借する生き方をしている。

 その為、トレーダーを襲っても殺す事は滅多に無いし、襲ってきても取引を持ち掛ければ、物々交換という商談が成り立つ。


 だが、サイコパスは違う。

 奴らは、黒い雨に溺れて、頭も体もイカれた連中だ。

 モルンもロディと行動を共にする様になってから、幾度となくサイコパスに狙われた。

 滅多に居ないが、中にはまだ僅かに理性が生きていて、話が通じる者も居た。最後には溺れて襲い掛かってきたが。

 人の頭を撃ち抜く事に快楽を覚えた、元軍属のスナイパー。

 人間の味を覚え、集落一つを食料庫とした食人鬼。

 生物の断末魔を聞くのが好きなイカれた女、モルンが出会っただけでもまともな頭をした連中は居なかった。


 死を覚悟した事もある。だが、そのサイコパス達をロディは経験で避け、常に提げているハリガンツールで返り討ちにしてきた。

 モルンも軍に居た経験から銃も扱えるし殺しの経歴もある。

 だがそのモルンでも、サイコパスを目の前にすると足がすくむ。

 狂気とはこういうものだと、奴らは人の姿で迫ってくる。海で化け物と戦っていた時でも、あんなおぞましい形容し難い恐怖は感じた事が無かった。


「モルン、ラジオはどうだ?」

「あのね? 私は食べながら弄ってるのよ? そんなに早く合わせられる訳ないじゃない」

「口ん中に放り込めばいいだろうに」

「こんな塩辛いのずっと噛んでたら、水がいくらあっても足りないわよ」


 その恐怖にもロディは負ける事無く立ち向かい、勝利し生きてきた。

 一体、どういう生き方をしてきたらこうなるのか?

 モルンは何も聞かない。ロディも彼女の事を詳しく聞いてこない。

 それで良い。過ぎた過去に拘っても意味は無い。

 互いに話せば聞く、話さなければ聞かない。

 この関係と距離感を彼女は気に入っていた。

 無論、このままで居られると楽観的に思ってもいない。

 どうなるにせよ、このままで居られる訳が無い。

 互いの過去を知り別れるか、どちらかが死ぬか、何処かのシェルターで別れるか、彼女がトレーダーとして独り立ちするか、何にせよ何時かは終わりが来る。


 それでも、モルンはロディと二人で生きていく事を選んだ。

 あのまま、物として消費されるのではなく、ロディと二人で苦しくても辛くても人として生きていく事を選んだのだ。


「あ~、シャワー浴びたいわね」

「次のシェルターで水道が生きている事を祈るしかないな」


 強化骨格兵の〝  〟ではなく、トレーダー見習いの人間〝モルン〟として生きる。

 それが彼女の選んだ道だ。



 これはトレーダーと呼ばれる運び屋ロディと、能無しと売られた強化骨格兵でトレーダー見習いのモルンが、戦争で終わってしまった世界で生きていくお話。

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