// 25 謎のArts《アーツ》

「それで……――――」


 重くなった空気を破り、僕は恐る恐る口を開いた。


「一体、何があったの?ツバサといい、ユーリといい……それに、なんでジャバウォックとあんな険悪に……」


 ベンチの隣で、もう一分以上も俯いて黙り込んでいるユーリに、僕はなるべく優しい声色で問いかけた。


 先刻のジャバウォックとの一幕を終え、僕はユーリから事のいきさつを教えてもらうため、ユーリとツバサに割り当てられた予選会場である大型ゲームセンターの屋上の庭園スペースへと移動した。

 幸い、まだ下の会場でストラグルの予選が行われているため人気は少なく、僕はユーリに引っ張られるまま庭園の一角に設けられたレストスペースへと落ち着いて、ユーリの言葉を待った。


 しかし、やはりまだツバサの負傷とジャバウォックとのやり取りで動揺しているのか、ユーリはすぐには話そうとせず俯いてしまったので、ならば僕の方から尋ねてみよう、ということで今に至る。


「…………」


 ユーリは、やはりすぐには答えてくれない。その黒真珠のような大きな瞳に、未だ迷いと後悔を滲ませているようだった。

 血の気の戻らない横顔を、俯いて垂れたセミロングの黒髪が隠して、表情を見えにくくしている。


 今、ユーリは心の中で何を思っているのだろう。

 目の前で親友が、あんなにも無残な姿で運ばれていく不安と無力感は、僕もその場にいたからわかるつもりだ。


 でも、きっと傍にいたユーリはもっと大きなショックを受けていると思う。

 無二の幼馴染が血まみれで倒れ、何があったかは不明だが、ジャバウォックにあのように侮辱されたユーリの心情は、遠く離れた場所で呑気に談笑していた僕には決してわかりえない。


 ユーリも、ツバサも、僕にとっては家族同然の幼馴染であり、親友であることは変わりない。


 なのに、僕は二人が辛い思いをしていても、それを一緒に背負ってやることもできない。

 同じベンチに隣同士、こんなに近くに座っているのに、ユーリの悲しみにも、不安にも、怒りにも、触れてやることはできないのだ。


 ――――どうして、Ninephニンフは人同士の脳を繋ぐことができないのだろう。


 Ninephニンフによる相互通信機能は、デザイナーの生体脳とアーキタイプチップ内にあるArtsアーツの電子脳間のみに限定されている。


 けれど、それができるなら生体脳同士でも可能なのではないか?


 それができさえすれば、こんな時、すぐ隣で俯く幼馴染の心の重荷を、少しでも分かち合ってあげられるのに――――。


「あたし……」


 益体のない夢想が頭の隅に過った時、下を向いて黙っていたユーリがぽつりと、消えそうなほどに小さく呟いた。

 その声は、いつもの跳ねる鈴のような快活なものではなく、泣き続けてからからに乾いてしまった掠れ声だった。


「一人で舞い上がってたの……一回戦目を危なげなく突破して、あと二回勝てればツバサと当たるって、浮ついてた。ツバサとはしばらく対戦してなかったし、ツバサの『レイヴン』を倒すのもずっと私の目標だったから……あたしの最高傑作の『イゼル』を使って、ツバサとグランドマッチで戦えるチャンスがやっと来たんだって……」


 絞り出すように発した語尾が、わずかに震える。

 膝の上に置かれた華奢な手が、痛みに耐えるようにぎゅっと握られた。


「二回戦目も順調に勝って……同じように勝ち進んだツバサと、レストスペースで話してたら……突然アイツ――――ジャバウォックが話しかけてきたの」


 ユーリの口からジャバウォックの名が出、脳裏にあの悪辣で挑発的な笑みが否応なく浮かび上がる。

 ユーリ本人も同じだったようで、膝の上で握った小さな拳に力がこもる。


「次の相手だからよろしくって、にこにこ笑いながらあたしに握手を求めてきて……あたし、素直に差し出された手を握ろうとした……。そしたら、ツバサがジャバウォックの腕を掴んで止めたの。どういうつもりだ、ってツバサがジャバウォックの手のひらを返したら、握手しようとした手のひらに小さい画鋲みたいなのが貼り付けてあって……」


「が、画鋲!?」


 突然の物騒なワードに、思わず声をあげてしまう。


「あたし、びっくりして固まっちゃって……ツバサがその場でジャバウォックを問い詰めたの。そしたらアイツ、さっきまで人がよさそうな顔して笑ってたのを急にへらへらした態度に変えて、手のひらの針のこと白状した……。針は医療用のマイクロニードルで、先端に強い局部麻酔が塗ってあったって……あたし、危うくその針を利き手に刺されるところだった……」


 言いながら、ユーリの小さな肩がぶるりと震えた。

 僕も同じように、背筋に走る強烈な悪寒に背筋を震わせた。


 なんという、恐ろしいことを……!


 今日初めて会ったばかりの対戦相手の利き手に、意図的に局部麻酔を打とうとするなど常軌を逸している。もしそのまま刺されていれば対戦中に手が麻痺し、スタイラスを持つどころではない。オブジェクトを描くどころかインターフェースの操作すらできず、デザイナーの特権であるArtsアーツのサポート能力は大幅に削がれてしまう。


 おそらくそれが目的ではあるんだろうが、マナー違反や嫌がらせとかいうレベルをはるかに超えている。それは、もはや立派な犯罪じゃないか。


 絶句する僕に、ユーリは続けた。


「それを聞いて、ツバサはすごく怒ったわ……ジャバウォックに掴みかかって、殴りかかろうとした……。でも、周りには他のデザイナーもいたし、騒ぎを起こしたら失格になるぞってジャバウォックが脅してきて、ツバサはジャバウォックを離した。それから、アイツはあたしとツバサに妙なことを言い残してどこかに行っちゃって……その場はそれで終わったわ」


「妙な事……って……?」


 僕の問いかけに、ユーリは唇を苦々しそうに噛みながらぽつりと答えた。


「"お気に入りのArtsアーツ、壊れないといいな"……――――」


「……!」


 Artsアーツが、壊れないといい……?


 またも発せられた物騒な言葉に、腕がぷつぷつと粟立つ。

 確か、ついさっきのジャバウォックとのやり取りでも、奴はそんなような事を言っていなかったか?


 ユーリの新たな相棒・イゼルを、自分が破損させた証拠がどこにあるのか――――と。


「その言葉の意味は、その時はわからなくて……結局、そのままジャバウォックとの対戦が始まって……。さっきの針の事のせいか、嫌な予感がした……でも、これを勝てばツバサとの対戦だって、自分に言い聞かせて全力で攻めたわ……。序盤は、あたしのイゼルの方が押してたの。ジャバウォックのArtsアーツは気味の悪いデザインの人型で、得体は知れないけどスピードもないし、攻撃もほとんどしてこなくて一方的に受けるばかりだった……。けど――――途中から、アイツのArtsアーツが急に強くなって、猛反撃してきたの」


「急に、強く?それって、相手の特殊能力スキルの効果……ってこと?」


 足元のコンクリートに向けられているユーリの黒い瞳へと問いかけると、悩むような数秒の間ののち、ユーリは自信なさげに答えた。


「わからないの……対戦中に相手のArtsアーツ特殊能力スキルを発動したら、視界のUIに表示されるはずなのに……ジャバウォックのArtsアーツが瞬間移動じみた速度で動いて、広範囲のレーザー攻撃や、伸びる触手で攻撃してきても、あたしのNinephニンフには一切特殊能力スキル名は表示されなかった……。システム上ではアイツ、特殊能力スキルなんて使わずに戦ってたのよ……」


 言いながら、自分でもわけが分からないというようにユーリは右手で額を押さえる。

 特殊能力スキルが表示されない、ということは、基本的には特殊能力スキルを発動していない状況以外にはありえない。互いのデザイナーが様々な効果を持つオブジェクトを描いて対戦に介入できるというストラグルのシステム上、目の前の事象がデザイナーによって引き起こされたのか、それともArtsアーツ自身に備えられた特殊能力スキルの力なのかが判別できなければ、対戦が激化した場合お互いのデザイナーですらフィールドで何が起きているのか把握できなくなってしまうからだ。


 デザイナーとArtsアーツの数だけ無数に存在する特殊能力スキルは、その効果が見た目には分かりにくいものも多々ある。

 僕の相棒であるユニの特殊能力スキル――――本当の効果かどうかはともかく――――のように、オブジェクト装備によるステータスの微増などは僕もユニのパラメータを確認するまで気付かなかったし、ユーリのArtsアーツであるイゼルは特殊能力スキル『エレメントシューター:光』の効果で光属性の矢を生成し、デフォルト装備の多弦弓で射るという戦闘スタイルを主としているが、それを知らなければ光の矢を生成するまでが特殊能力スキルなのか、《多弦弓で射る》部分も含めて特殊能力スキルなのか判別することは難しいだろう。


 ゆえに、特殊能力スキル発動時には必ずお互いの視界インターフェースに特殊能力スキル名が表示されるし、公式ランキングに登録されている上位ランカーのArtsアーツに至っては、下位ランカーの研究・対策を促進するために特殊能力スキルの詳細情報がクラウド・データベース上で開示されるようになる。


 ――――はず、なのだが。


「そのジャバウォックのArtsアーツは……ユーリから見て、触手とかレーザーを通常の攻撃として使って来そうな見た目だった……?」


 頭を抱えて俯くユーリに、そっと尋ねる。

 すると、ユーリは黒い髪を静かに揺らしながら首を横に振った。


「ううん……。アイツのArtsアーツは気味悪い、幽霊みたいなデザインのファンタジー系の人型だった。見た目は骨とか棘のモチーフのドレスを纏った、趣味悪い洋人形ドールって感じで……レーザーとか触手より、闇系の魔法攻撃かシステム干渉系の特殊能力スキルを使いそうな感じだった……」


「幽霊みたいな……人型……」


 ユーリの言葉を無意識に反芻しながら、頭の中でその姿を思い浮かべる。

 ダークファンタジー的な、邪悪な装飾のついたロングドレスを身に纏う生気の抜けた人形。そのイメージが、悪辣な笑みを浮かべて立つジャバウォックの姿と重なる。


 Artsアーツは、描くデザイナーの精神性が色濃く反映される。デザイナー本人が、そのArtsアーツを描くことを楽しいと感じていなければ、Artsアーツのリソースとなる情動をNinephニンフが読み取れず、ユニを描く前の僕のように知性を持たないただの3Dモデルを生み出すことになってしまう。

 ArtsアーツArtsアーツとして生まれるには、デザイナーの作品に対する強い想いが必要不可欠なのだ。


 イゼルに対するユーリの想いの強さは、一番近くで見ていた僕がよく知っている。Artsアーツでもアナログの絵画でも、人一倍自分の創作物に愛着を持つユーリだからこそ、イゼルはあれほど美しく気高い姿に仕上がったのだ。


 そして、そんなユーリとイゼルを圧倒するほどの力を秘めているというジャバウォックのArtsアーツは、それを上回るほど並々ならぬ情動を込めて描かれたということになる。初対面の対戦相手に麻酔針を刺そうとするほどの尋常でない悪意を秘めたあの青年が、謎のドール型Artsアーツにいかなる感情を込めたのかはわからないが、実際にユーリとイゼルを正面から打ち破っている事実がある以上、その想いの強さとデザイナーとしての腕を疑うことは出来ない。


 けれど――――どうしても心の奥底では、ユーリがイゼルに込めた想いと、ジャバウォックが自身のArtsアーツに込めた想いが同種のものであると、認めたくない気持ちがあった。


 ユーリがイゼルにそうしていたように、ジャバウォックもArtsアーツに愛情を注いで描き上げたというなら、なぜ対戦相手を意図的に傷つけ、弱体化させようなどと画策するのか。Artsアーツに注いだ愛情が偽りでないのなら、同じ想いをもつ対戦相手とそのArtsアーツにだって、敬意を持って接することができるはずなのに――――。


「結局、あたしはジャバウォックのArtsアーツの猛攻撃に対応しきれなくて、イゼルのHPを削りきられて負けちゃった……。本当に、あっという間の出来事で何が起きたのか全然理解できなかった……。気付いたらイゼルは全身穴だらけで、四肢も欠損してて……視界に敗北演出のリザルトが表示されてたわ……」


 悔しそうに唇を噛むユーリの横顔に、せめて励ましの言葉をかけるべく口を開こうとすると、黒髪の幼馴染は先ほどよりもさらにトーンの落ちた声で言葉を重ねた。


「でも、負けは負けだからね……悔しかったけど、ちゃんと結果を受け入れて、今日はもうツバサとススムの対戦を応援しようって気持ちを切り替えようとしたの。でも、レストスペースに戻ったら……出てきたばかりジャバウォックとツバサが言い争ってて、あたし……ツバサが失格になっちゃうのが嫌だったから慌てて止めに入った。けど、ツバサの他にも4人くらいのデザイナーがジャバウォックに怒ってる感じで……なんか変だなって思ったの。そしたらツバサがあたしに気付いて、血相変えて『イゼルのデータを確認しろ』って言ってきたの……。その時すごく嫌な予感がして、一瞬怖くてディレクトリを開きたくなかった……。でも、ツバサがすごく深刻そうな顔してたから、あたし、イゼルをMR化して投影しようとしたの。そしたら―――――」


 そこで一度言葉を切り、ユーリは再び血が出そうなほど強く唇を噛んだ。それでも耐えかねたのか、ずっと下瞼に溜まり震えていた雫がついに溢れ、白い頬に真っ直ぐな線を描きながら滑り落ちた。

 そして、透明な粒が小さな顎の先からぽたりと落ちると、ユーリは震えた声で小さく、続く言葉を吐き出した。



「――――見たこともないエラーが表示されて……目の前に対戦直後と同じ、穴だらけで倒れたまま動かないイゼルが投影されたの……!」

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