// 23 無力

 自動運転オートタクシーを拾ってユーリたちの予選会場である隣区の大型ゲームセンターへ向かう間も、ヘッドセット越しに聴こえたユーリの悲鳴じみた涙声がいつまでも残響のように耳にこびりついていた。


 ユーリの尋常ならざる声にすぐさま市民体育館を飛び出した僕は、何度もヘッドセットのマイクに話しかけながらタクシーを探して走り回った。

 しかし、『ツバサが死ぬ』という不吉な言葉を残したのを最後に、ユーリからの通話は途切れてしまった。苦手な運動で肺が痛くなるのも無視して、僕は走りながら何度もユーリのNinephニンフへと通話を試みたが、いくら呼びかけても応答はなく、簡素なコール音が繰り返されるのみだった。


 それが余計に僕を混乱させた。着信自体はしているはずなので、Ninephニンフの故障や充電切れではないのだろう。腕時計のように手首に装着して携帯するというNinephニンフの性質上、一昔前のスマートフォンのように落としてしまったというのも考えにくい。

 取り外して使うスタイラスペンはたまに置き忘れるなどして無くすこともあるが、スタイラスはあくまで描画ツールとして便利だから使用しているだけで、ブラウジングや通話の操作自体はNinephニンフ本体の赤外線センサーを利用した指先のタッチ操作で可能なはずだ。


 僕がユーリの着信に気付いた時のように、Ninephニンフの通知UIユーザー・インターフェースは視覚・聴覚・触覚に同時に呼びかける。着信メロディと本体のバイブレーション、そして視界に投影されるARの通知ウィンドウ。過剰とも言えるこの着信演出に気付かないことなど、Ninephニンフを完全に取り外している以外にはありえない。


 やっと捕まえたタクシーに転がり込んだ後、メールも試してみるが同じく返信はなし。

 結局、僕は何一つ状況を飲みこめないまま、心臓を掴まれるような不安感と焦燥に駆られながら目的地に着くのを待つしかなかった。


「ユーリ……ツバサ……!」


 あんなに取り乱したユーリの声を聴いたのは、いつぶりだろうか。一週間前の、ツバサとの口論を仲裁しようとした際もあれほど切迫した声色ではなかった。


 ツバサが――――死ぬかもしれない。


 なぜ?


 交通事故にでも巻き込まれたのか?それとも、階段や客席から落下した?


 まさか、ストラグル中に何かあったのか……!?

 ふと浮かんだ可能性を、僕は脳内ですかさず否定した。


 ストラグルはあくまでNinephニンフというドローイング・デバイスを使ったe-スポーツだ。野球やアイスホッケーのように大きな器具を振り回すわけでもなければ、アメフトやボクシングのようにデザイナーが直接ぶつかり合うわけでも、殴り合うわけでもない。

 戦うのはあくまで仮想世界の相棒、お互いのArtsアーツだ。デザイナーができるのはせいぜいArtsアーツをサポートし、指示を出し、オブジェクトを描いて手助けするくらいで、直接怪我を――――ましてや、命の危機に陥るような事態には絶対にならないはず――――――



 ――――いや。


 つい十数分前、僕はNinephニンフと旧式アーキタイプチップがデザイナーに及ぼす影響について、ユウさんから聞いたばかりだ。

 記憶の混乱、脳の疲労、心核補正の未搭載によるPTSDの危険性。


 もし……もしツバサがプライマリーチップを入手していて、その危険性を知らずに使用したとしたら?

あるいは、今は僕の左手首のデバイスの中に格納してある、この得体の知れないチップにまだ僕の知らない危険が潜んでいたとしたら?


 可能性が全くないとは言い切れない。ツバサは既にアトリエ界隈でも有名なハイランク・デザイナーだし、実家もそれなりに裕福だ。高額なプライマリーチップを人脈と経済力で入手すること自体は不可能じゃないはず。

 常に最新鋭の高性能チップを愛用するツバサがわざわざ最古のチップを使用したがる理由があるかどうかは不明だが、現時点において、ストラグルで命の危険があるとすればその線しか思いつかない。


 悪いイメージが、次々と頭の中に生まれては消える。額や首筋には汗の珠が浮き、心臓は早鐘のように激しく鼓動しているが、しかし全身は凍えるように冷たかった。


「せめて……Ninephニンフが繋がりさえすれば……」


 泣き言のようにそう零しながら、左腕に巻かれたNinephニンフへと視線を動かした、その時。


 ピコンッ。


 左腕のNinephニンフ本体が振動し、軽快なジングルと共に視界の正面に小さな半透明のウィンドウが開いた。

 ウィンドウ中央には、≪メールを受信しました≫の文字。


 そして差出人欄には――――――――≪ツバサ≫の名前。


「……ッ!」


 僕はツバサの名前を確認するや、ほとんど反射的に閃くような速さで右手を動かし、メールの通知ウィンドウを開く。ふわりと浮き上がるように表示されたメールの本文は、しかし日本語ではなかった。


 というか、意味のある文章にはとても見えない、奇天烈な数字とアルファベットの羅列だった。


 白いウィンドウにたった一行だけ表示された、その意味不明な一文を凝視しながら、僕はたっぷり十秒以上もその文章の意味を考えた。

 何かのサイトのURL?しかし、文の頭には『http』などのプロトコルが書かれていない。

 では、何かの暗号だろうか?アナグラムか、それとも僕やユーリにしかわからない解き方があるのか。


 そもそも、ツバサは無事なのか?意味は不明だが、メールを送ってきたということは少なくともNinephニンフの操作ができる程度には動けるということだろうか?しかし、ならなぜもっとわかりやすい文章を送ってこないんだ……!?


 ぐるぐると思考を高速回転させながら、表示された数字とアルファベットを何度も読み直す。しかし、いくら睨んだところで決定的な解読法は思いつかなかった。

 なにせたった一行の短い文字の羅列だ。他になんのメッセージも説明も書かれてはいないのだから、これでは解読しようにも情報が少なすぎる。何かの操作ミスで全く意味のない文がたまたま僕のアドレスに送られてきたんじゃないかと思うほどだ。


 だが、ツバサはそんなことはしない奴だ。自由人で行動力があって、でも少しの隙もないくらい、なんだって完璧にこなす秀才だ。誤送信なんて、ましてや意味のない怪文章なんて送る奴じゃない。

 決着をつけると誓った親友ライバルの、屈託のない笑顔を思い浮かべながら、僕は視界に浮かぶ謎の文章の意味を懸命に考えた。


 しかし、そこでタクシーが停まり、後部座席のドアがぱっと開いた。その向こうには巨大な四角い建物が鎮座し、歩道は多くの人でごった返している。ツバサからの謎のメールの意味を考えている間に、目的地である隣区の大型ゲームセンターに到着してしまったようだ。


 メールのウィンドウを押しのけて視界正面に現れたタクシーの決済画面を手早く操作して、すぐさまタクシーを飛び出す。とにかく、今は一刻も早くユーリたちと合流するんだ。


 自宅のある地区からさほど離れていないこともあり、会場であるゲーセンには何度かユーリやツバサと一緒に来たことがあって、入口の位置は覚えている。

 僕は人ごみをかき分けながら、最短距離で記憶している正面入り口へと走った。


 背中や肩にぶつかるたびに小さく謝りながら、ごった返す人の間をすり抜けると、やっと入り口が見えてくる。

 だが次の瞬間、僕はそこで目に飛び込んできた光景に、唖然として足を止めた。


 入口に、こんなにも人が集まっていた理由がわかった。


 ゲーセンの、大きな正面入り口の前に一台の救急車が停まっており、救急隊員たちが今まさに施設の中から運ばれてきたストレッチャーを車内に運び込もうとしていた所だった。

 それを取り囲むようにして、少なく見積もっても150人以上の野次馬が不安や戸惑い、好奇の表情でその様子を見守っている。


 その中央で――――救急隊員と共にストレッチャーに縋り付いて、その上に横たわる少年へと懸命に語りかけるユーリの姿を視界に捉えた時、あれほど荒れていた呼吸が、故障したように一気に浅くなるのを僕は感じた。


「ユーリッ!」


 親友の少女の名を叫びながら、僕の身体はほとんど自動的に救急車を囲む人垣から飛び出し、今まさに車内へと運ばれようとしているストレッチャーの元へと駆け出していた。

 衝突するような勢いでストレッチャーへとたどり着き、その上に横たわる人物を確認する。


「……ッ!」


 目の前で仰向けに横たわるもう一人の親友の、その変わり果てた姿を目の当たりにするや、僕は絶句した。

 いつも健康的に日に焼けていた肌は血の気を失って土気色になり、逆に顔は鼻と目から流れるぞっとするほどの量の鮮血で赤黒く塗れていた。

 一瞬、頭から血を流しているのかとも思ったが、どうやら鼻と目から出血している以外に目立つ外傷はないように見えた。着ている服や手足にも一目でわかる傷はないようなので、交通事故や怪我の類ではないようだ。


 止まりそうになる思考の片隅で妙に冷静にそんなことを確認しつつ、僕は眠るように横たわる親友へと無我夢中で叫んだ。


「ツバサッ!おい!何があったんだよ!?ツバサッ!!」


 走り通しで乾ききった喉から、かすれた声で何度もツバサの名を呼ぶ。応じる声はない。それでも、こうして親友の名を呼び続ければ、何事もなかったかのようにぱっと目を開けて、いつもの理知的でどこかいたずらっぽい笑みを浮かべてくれるんじゃないかと、思わずにはいられなかった。

 全身の温度が失われ、それらが全て目に集まったかのように熱い液体が両目から零れ落ちた。視界がブラーをかけたように滲み、親友の凄惨な姿をぼやけさせる。


 そこで、ストレッチャーを運んでいた救急隊員の男性の一人が、ストレッチャーに縋り付く僕に離れるように促した。本当はこのまま傍についていたい衝動を抑えて力なく手を放すと、反対側でユーリも同じようにストレッチャーの手すりを手放した。

 途端、ツバサを乗せたストレッチャーは素早く救急車の車内へと運び込まれ、バックドアが重苦しい音を立てて閉じられる。そして、救急隊員たちとツバサを乗せて発進した救急車は、ゲームセンターの入り口前から公道へと足早に消えていった。


 その様子を呆然と眺めながら、僕とユーリはまばらに解散しつつある人垣の中心で、ただ役立たずのようにくずおれていた。


 隣で、ユーリのすすり泣く声が痛ましく聞こえてくる。


 無力。

 そんな言葉が頭に浮かんで、思考を占領した。


 視界が色彩を失う。人々のざわめきも、ゲームセンターから漏れてくる喧騒も、フェードアウトするように遠くなる。



 無感覚が全身を包もうとするなかで、大切な親友二人に何もできなかった自分の無力さを、僕はただ、噛みしめる事しかできなかった。

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