// 21 テクノストレス

「本当に、ありがとうございました――――ユウさん」


 できるだけはっきりと、気持ちが伝わるよう声を張りつつお辞儀する。すると、つむじを向けた正面から少し驚いたような声が返ってくる。


「やれやれ、参ったな。さっきの素晴らしい激戦を素直に称賛しに来たっていうのに、先にそんな風に言われたら、まるでチップを渡したボクの手柄みたいじゃないか」


「え、あ、いえ!そんなつもりは……!って、ユウさんのおかげってのを否定してるわけじゃなくて、そのっ!」


「冗談だよ。相変わらず面白いね、キミは」


 わたわたと否定と肯定を繰り返す僕に、ユウさんは可笑しそうに肩をすくめながら言った。


「そこの白いふわふわクンが、キミの新しい相棒か……。うん、近くで見てもやはり素晴らしいArtsアーツだ。対戦で見せた高い運動能力といい、判断力といい、ポテンシャルだけ見れば公式ランキングのハイランクArtsアーツにも届くかもしれないね」


 僕の胸に抱えられたユニを、顔を近づけてまじまじと眺めながら、ユウさんは感心したように頷いた。

 相棒への純粋な称賛に思わず気持ちを緩めていると、そういえば、と後回しにしていた数々の疑問が連鎖的に脳内に浮かんできて、僕はユニの鼻先で指を遊ばせる碧眼の青年へと疑問の一つ目を投げかけた。


「その、ユニの事でユウさんに聞きたいことが沢山あるんです……!こいつ、初めてコンバートした時から飛び跳ねたり、自然な動物っぽい仕草で寝たりあくびしたりしてて……でも、初期型のチップにそんな動きがプリセットされてるわけないし……!そもそもユニの知性はすごく高いのに、僕はこいつを描いた時のことをおぼろげにしか思い出せなくて……」


 ここ一週間の間に溜まった疑問を雑然と吐き出していると、ユウさんは全て理解したような含み笑いを浮かべて僕の言葉を遮った。


「ああ、キミの聞きたいことはわかってるよ。順を追って話そう。ゆっくりお茶でもしながら、ね」


 そう言ってユウさんは、左手首のNinephニンフからスタイラスを引き抜き目の前で二、三度操作してから元に戻すと、僕を体育館内に設置されたレストスペースへと案内してくれた。レストスペースと言っても、実際は喫茶店のような作りで、ストラグルの対戦真っ最中とあってスペース内の客の入りはまばらだった。


 パーテーションで区切られたボックス席の一つにテーブルを挟んで座ると、何も注文していないのにアイスコーヒーとアップルサイダーが注がれた二つのグラスが運ばれてくる。先ほどユウさんがオンライン注文をしていたらしく、僕はおずおずとアップルサイダーを一口すすってから、ユウさんが口を開くのを待った。


「まず、キミに一言謝っておかないとね」


 アイスコーヒーのグラスから口を離し、ユウさんは落ち着いた口調で話し始めた。


「キミが、過去のトラウマが原因で心に深い傷を負っていることを知りながら、ボクは最初期型アーキタイプチップ……『プライマリーチップ』をキミに渡した。知っているかもしれないが、プライマリーチップには創作に込めるべき情動以外の自意識や思考をシャットアウトする『心核補正』の機能がない。一歩間違えれば、キミの心の傷をさらに広げてしまう可能性があったことを知りながら、ボクはあえてキミにチップを渡したんだ。キミならきっと、チップの特性を活かして素晴らしいArtsを描けると信じて、ね」


「チップの……特性?」


 聞き返す僕に、白金髪の青年はソファ席の背もたれに身体を預け、小さく息を吐いてから頷く。


「うん。プライマリーチップには、心核補正がついていない。逆に言えば、それは深く閉ざされた心の奥の情動を表に引き出して、キミという人格を含めた心全部をArtsアーツに反映させることができるっていう事なんだ。それがプライマリーチップの特性。現行のチップと違って、脳のより広い範囲を深く読み取ることになるから、Artsアーツのラーニングも当然強く深くなる。キミのArtsアーツにプリセットされていない動作が備わっていたのは、プライマリーチップがキミの記憶を読み取ってArtsアーツのラーニングを拡張していたからだね」


「ラーニングの拡張……じゃあ、ユニの知性や運動能力は……」


「いや。それは純粋に、キミの情動の強さによるものだよ。プライマリーチップはあくまで情動を読み取る範囲が広いだけで、心に秘めた想いの強さにまでは影響しない。キミのArtsアーツが高いポテンシャルを秘めているのは、キミの心の奥にそれだけの想いが閉じ込められていたって事さ」


 いつもの柔らかな微笑を口元に浮かべ否定するユウさんに、僕は内心でほっと胸を撫で下ろした。

 記憶が朧げとはいえ、自ら描いた相棒の力が単なるチップの性能によるものだったとすれば、今日の一勝も、さらには大会に参加したことすら途端に意味を失ってしまう。

 自分の力と想いを込めたArtsアーツで戦い、勝利することでデザイナーとしての自分を証明する――――そのために僕は大会に参加したのだ。チップの性能でArtsアーツが強くなっても、それは僕の力ではないし、なんの証明にもなりはしない。


「橋の上でキミの話を聞いた時、思ったんだ。キミは創作に対してとても強い気持ちを持っているのに、過去のトラウマによってそれを胸の内に押し込めてしまっている。意識的に克服しようとしても、無意識下でブレーキを踏んでしまうほどにね。だからボクは、補正のかかっていないプライマリーチップをキミに渡そうと思ったんだ。きっかけさえあれば、きっとこの少年はすごいArtsアーツを描くだろう、って確信があったから――――すまなかった、試すような真似をして」


 神妙な表情で謝罪するユウさんに、僕は慌てて言葉を探った。


「いや!僕も心核補正の事は知ってて描いたので、ユウさんが謝ることは全然ないっていうか……!ユウさんが嫌がらせや皮肉でチップをくれたわけじゃないのは、なんとなくわかってましたし……」


 語尾をごにょごにょと濁したのをアップルサイダーをすすってごまかすと、テーブルの向こうのユウさんが再びにこりと笑みを浮かべて、小さく肩をすくめた。


「そう言ってもらえると助かるよ。ともあれ、キミはボクの期待通り、素晴らしいArtsアーツを描いて公式大会の一勝をもぎ取った。橋の上で、僕はキミに『今夜の出会いには意味があったんだと証明してくれ』と、そう言ったね。それを見事に証明してくれて、僕は嬉しいよ」


「あ、ありがとうございます……!」


 自分と相棒へ贈られる純粋な賛辞の言葉に、僕は嬉しいやら照れるやらで気の利いたセリフも思いつかず、ただ一言そう返した。

 そういえば、こんな気持ちも久しぶりだ。誰かの期待に、自分の作品で応えられた時の胸が熱くなるような高揚感。毎日心をすり減らしながら、ただ『動く』『勝てる』ことばかりを考えてArtsアーツを描き続けていた日々の中では決して味わえなかった感覚。5年前のあの日から、ずっと忘れていた、表現することの本当の喜び。


 胸の奥に陽だまりのような温かさが生まれるのを感じていると、思考がふと、別の疑問へと流れる。


「そういえば僕、ユニを描いた時の記憶がすごくおぼろげっていうか、あんまり思い出せなくて……夜中、描きながら寝落ちってのはよくやるんですけど、朝起きたらユニはもう描きあがってる状態で……。もしかしてそれも、チップと何か関係があるんでしょうか……?」


 遠慮がちに尋ねると、ユウさんはコーヒーをもう一口飲んでから答えた。


「察しがいいね。プライマリーチップは、一応製品として認可されていたとはいえ、現行のチップに比べると色々と不完全な部分があってね。キミが指摘した軽度の記憶の混乱もその一つ。プライマリーチップを使用してArtsアーツを描いている間……つまりNinephニンフを介してチップと生体脳が相互接続している時、生体脳はある種のトリップ状態に入る。これは、心核補正が備わっていない副作用と言えるかな。チップが脳をスキャニングする過程で、チップ内のAIアーキタイプとデザイナーの意識が強く作用し合い、創作に対する集中力が一時的に深まる。スポーツの世界では極限の集中状態の事を"ゾーン"なんて呼んだりするけど、それと似た状態を引き起こすって事だね。キミもそれなりに長く絵を描いてきたなら、手が勝手に動いて描きたい線が思うように描ける、とても集中している瞬間って経験しているだろう?あれがずっと続く感じさ。けれど、本来は数分しか続けられないような超集中状態を、数時間も続ければ脳は当然疲労してしまう。結果、脳のテクノストレスによる一時的な記憶の混乱が引き起こされるってわけさ」


「テクノストレス……集中による、脳の疲労……」


 難解な話を整理するように言葉を反芻しながら、僕は一週間前に暗い自室でユニを描き始めた時のことを思い出していた。

 妙に頭が重く、ぼうっとする意識の中で心拍だけがやけに早く聞こえ、その鼓動が耳元できんきん響くあの感じ。

 単に寝起きだったのと、遅くまで机に向かっていたゆえの疲労感だと思っていたが、実際は遥かに深刻な状態だったということか。


 平然と語られた話の内容の恐ろしさに、背筋がひしと寒くなる。


「それって……危険はないんですか?話だけ聞いたらすごく怖いっていうか……」


「今のところ、脳の酷使によって後遺症が残ったり死んだりってケースは報告されていない。それに大体は、軽度の脱力感や疲労感だけで済むはずなんだ。短時間とはいえ、記憶障害を起こすほど集中状態を持続できたキミの方が驚異的だ。ボクもそんなデザイナーは数人しか知らないよ」


「そんなの、全然嬉しくないですけど……」


 未だ背中を這いまわる怖気をアップルサイダーで飲み下しつつ、僕は続けるユウさんの話に意識を戻した。


「まぁとはいえ、描くたびに脳に負担がかかるのは安全面からも、信用面からも問題があるからね。そうじゃなくたって心核補正が未搭載という問題を抱えていたプライマリーチップは、すぐに自主回収されて幻のチップになったってワケ。後に出たチップには多くのセーフティが追加され、今のように安心して使える製品となったのさ」


 語り終えたユウさんは再びコーヒーのグラスを持ち上げ、ノンシュガーの黒い液体を一口啜った。

 なんだかアーキタイプ・チップの歴史にまで流れてしまった話を脳内で修正し、僕は話の中で新たに浮かんだ疑問を口にした。


「あの……ユウさんって、なんでそんなにNinephニンフとかチップについて詳しいんですか……?初めて会った時だって、エンライト社のCEOの学生時代まで知ってたし……」


 僕の質問に、ユウさんは一瞬だけ考えるように視線を彷徨わせてから答えた。


「殆ど雑誌や専門誌の受け売りだよ。ちょっと詳しい友達がいて、よくこんな話をするんだ」


「そ、そうなんですか……」


 彫刻のように整った相貌でそうにこやかに答えられては、人見知り気味な僕ではそれ以上追及することはできない。

 正直、ここまでの会話の内容だけでもユウさんがただのNinephニンフマニアだとは思えないほど詳細なものだったが、だからといってその正体については、デザイナーであること以外はてんで見当がつかない。

 一週間前に一度会っただけの仲なのだから当然と言えば当然なのだが、目の前の白金髪の青年は、職業や肩書きとは別の、何か隠された顔があるのではないか?


 ユウさん――――あなたは、一体――――――――


 返す言葉もないまま、生まれてしまった微妙な間を誤魔化すようにアップルサイダーをちびちび飲んでいると、ユウさんがおもむろに左手首からスタイラスを引き抜き、目の前で操作し始めた。

 流れるようなペン捌きをしばし黙って眺めていると、テーブルの上に半透明のウィンドウが表示される。ウィンドウの内側に映し出されていたのは、白い四足獣と赤い牛型獣人が荒れた平野の真ん中で睨みあう様子を真横から撮った映像だった。


「あっ、これって……!」

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