// 20 胎動と再会

「良い対戦でしたね、ユウ」


 割れんばかりの歓声が響く体育館の二階観客席の一角で、滑らかな品のある声が興味深そうに発せられた。


「プライマリーチップを使用したとはいえ、たった一週間であれだけの対応力を発揮するArtsアーツを描くなんて、すごいですね」


 声の主の少女は続けて、対戦を終えてスタンドスペースを降りる少年デザイナーを称賛しながら、隣に立つ白金髪の青年に視線を移した。

 青年は背後の壁に寄りかかりながらどこか満足そうな笑みを口元に浮かべ、退場する少年と相棒の白い幼獣型Artsアーツを見ていた。


「チップは、ただのきっかけに過ぎないさ。"男子、三日会わざれば括目かつもくして見よ"、って言葉があってね。知っているかい、eveイヴ


 青年の柔らかなテノールが、少女の言葉に応答する。少女は、少しだけ考えるように首を傾げてから答える。


「いいえ、ユウ。まだ、知らない言葉です。ネットに接続して調べても?」


「いや、教えるよ。ネットへの安易な接続は良くない。キミにも、世間的にもね」


 勝利した少年デザイナーが会場の外に出るのを見届けてから、青年は隣に立つ銀髪の少女へと視線を移し、微笑みながら答えた。


「男は三日も会わなければ、大きく能力を向上させて別人のように変わるから、注意深く見よ、っていう意味の言葉さ。この言葉の本質は、人はきっかけさえあれば短時間で劇的に変化できるということ。特にデザイナーっていう人種は、一瞬の閃きと感情によって大きく作風が変わったりするものだからね。彼のような有望なデザイナーには、一週間もあれば十分以上さ」


 青年の言葉を丁寧に咀嚼するように、少女はこくこくと小さく頷いて青年のブルーの瞳を見返した。


「なるほどー、です。では、ユウは彼の大きな成長を見越してプライマリーチップを?」


 少女の問いに、青年はふふっと小さく笑みを零す。


「先週会った時の彼は、自分の内に創作への強い感情を抱えつつも、それを発揮するきっかけを掴めずに苦しんでいた。だから、僕は彼にきっかけをあげたのさ。あれだけのArtsアーツを描けるデザイナーをみすみす引退させてしまうのは、ストラグル全体の損失だからね。さっきの対戦を観るに、その判断は間違いじゃなかったみたいで安心したよ。プライマリーチップは貴重だしね」


 小さく肩をすくめながら、青年は「それに――――」と続ける。


「彼はまだ、本来の力を発揮できていないと思うよ」


 言った青年の深いブルーの瞳が、ここではないずっと遠くを見るように光を強めた。

 色は違うが、よく似た目を持つ銀髪の少女は、青年の言葉の意味を考えるように小首を傾げたが、すぐに青年が左腕のNinephニンフからスタイラスを抜いて、目の前の宙に何度か滑らせてから一つのファイルを投げて寄越してきたので、少女は処理途中の思考を中断し寄越されたファイルに意識を移した。


「これは?」


「ちょっと調べたいことがあるんだ。頼まれてくれないかい、eveイヴ


 言われるまま、少女は青年から渡されたファイルを開き、その中身を確認する。


「どこかのサイトのチャットログ、のようですね。これが何か?」


「うん。そこに書き込んだデザイナーの情報が欲しい。かなり古いログだけど、キミならサイトからコメント主のIPアドレスを辿って情報をリストアップできるだろう」


 青年の提案に少し意表を突かれつつも、少女はすぐに上品な、しかしやや意地悪な笑みを口元に浮かべて答えた。


「良いのですか?先ほどはネットに接続するのは良くないと仰っていましたのに」


 青年は少女の言葉に小さく苦笑すると、右手のスタイラスをNinephニンフの外装についたホルダーに差しながら言った。


「安易には、ね。ネット上には、キミが触れるべきではない情報がたくさん転がっているし、そこにキミが興味本位でアクセスすることは、キミだけでなくアトリエ中の全デザイナーとArtsアーツにとってリスクになる。"その時"が来るまでは、本当に必要な場合以外、僕の許可した範囲以上のネットには接続しないでほしい」


 青年の口調は相変わらず柔らかだったが、声色だけはかすかに重みが増していたようだった。


「つまり、『これ』は"本当に大切な場合"に該当する、ということですね?」


「そういうこと。頼まれてくれるかい?」


 確認されるまでもなく、ファイルを渡された時点で、少女の中で返す答えは決まっていた。

 ざわめきに戻っていた体育館に、再び熱い歓声が上がる。次の対戦が始まるのだ。


 青年の、少し申し訳なさそうな笑みに小さく笑い返し、少女は上品な艶のある声で一言、答えた。


「もちろんです、ユウ」



**********




 こんな気分、ずっと忘れていた気がする。


 対戦が終わって会場の外に出たというのに、未だばくばくと跳ねるように鼓動する心臓を旨の内に感じながら、僕はじわじわと込み上げてくる勝利の実感を心の中で噛みしめた。

 思えば5年前――――あらぬトレパク行為の嫌疑をかけられて以来、創作に対して純粋に楽しいと思えたのは初めてかもしれない。


 あの事件以来、僕はずっと心の中で自分と自分の作品に対して疑問符を抱き続け、創作を楽しむという行為を無意識に否定してきた。見ず知らずの人を――――たとえ何も身に覚えのない不可抗力であったとしても――――自らの創作行為によって追い込み、自殺にまで至らせてしまった自分が、どうして何事もなかったかのような顔で創作を続けていられよう。誰かの楽しみを、絵を描く喜びを永遠に奪ってしまったかもしれない自分に、創作を楽しむ資格なんてあるのか……?

 そんな強迫観念じみた気持ちを自問しながら、僕はこれまでの5年間、答えを探すように絵を、Artsアーツを描き続けた。


 正直、その気持ちが完全に晴れたわけではない。今も心のずっと奥底では、やり場のない自責の念が黒い重油のように重苦しく渦巻いている。

 目を閉じれば、今はもうすっかり見なくなったイラスト交流SNSの掲示板と、自殺したイラストレーターのニュースが流れるテレビ画面が鮮明に浮かび上がる。


 けれど、今は。

 今だけは、その中にほんの少しだけ、白く温かい光が見えるようだった。


 ずっと握りしめていた手には、まだスタイラスペンの感触が残っている。背中を走る緊張感の余韻も、胸を高鳴らせる興奮の残滓も、まだこの身体に確かに感じられる。

 何より、レフェリーAIに自分と相棒の名を呼ばれた時の、これまでの自分の足掻きが報われたような多幸感が、まだ全身を包んでいるようだった。


 初めての、公式戦での勝利。大会常連のデザイナー達からしたらただの通過点でしかない予選の、たった一勝かもしれないが、僕にとってはその一勝がとても大きな意味を持つ。

 自分というデザイナーの存在証明。親友との約束。過去との因縁――――。

 それらを乗り越えるために、この5年間もがき続けた結実が今日の一勝なのだ。


 ここからだ。なりたい自分になるための一筆を、ここから始めるんだ。


 心の奥で呟いた決意を確かめるように、僕は胸に当てた右手をぎゅっと強く握った。


「ミュンッ!」


 突然、対戦から装着したままになっていたヘッドセットから電子っぽいエフェクトのかかった聞き覚えのある鳴き声が発せられ、僕は自然と閉じていた目を開けて足元を見やった。

 両足の間から丸っこい頭部をひょこりと出して、上目で僕の方を見上げる二つの瞳。先刻の対戦で会場にいた人間を(僕も含めて)何度も驚かせた電子の相棒が、真っ白な被毛エフェクトを僕の足にすりつけて、急かすようにこちらを見ていた。


「あははっ、ごめんごめん。ここじゃ落ち着かないよな。どこか座れるところに行こうか、ユニ」


 レスポンスが返ってきて安心したのか、ユニはそれ以上すりすり攻撃を続行することなく僕の足元にちょこんと座った。

 次の組の対戦がすでに始まっているので会場外の通路の人通りは多くないが、ユニはどちらかというと静かな場所を好む傾向があるようで、会場の熱狂が分厚い壁を隔ててなお聞こえてくるこの場所は落ち着かないのだろう。

 僕の方も、別会場にいるユーリやツバサに一勝目の報告をしたいし、ゆっくり腰を落ち着けられる場所はあったっけと、視界の隅に投影されたフロアマップを確認しようとした、その時。


「予選一勝目、おめでとうススムクン」


 聞き覚えのある高めのテノールが、後ろから僕の名を呼んだ。

 はっとして振り返ると、一週間前に合ったばかりなのにもうずいぶん長いこと姿を見ていないような気がする、白金髪の美青年が柔らかな笑顔を浮かべて歩いて来ていた。


王生いくるみさん!」


 僕はつい声を張りながら、謎めいた青年デザイナーの元へと走り寄った。


王生いくるみさんもこの会場だったんですね!またお会いしたいと思ってたんです!」


「苗字はよしてくれよ。ユウでいい。お疲れ様、ススムクン」


 困ったような笑みを浮かべて、彼の長く色白の右腕が僕の肩をポンと叩いた。


 彼、ユウと一週間前に出会っていなければ、僕は今日の対戦に勝利するどころか、デザイナーを続けてすらいなかったかもしれない。

 一週間前、自らストラグルの引退を賭けて挑んだゲーセンの小規模大会で目も当てられないほどに惨敗し、ヤケになった僕は愚かにも橋の上からNinephニンフを投げ捨てようとした。そこにふらりと現れ、僕の愚行を止めてくれたのが彼、王生いくるみユウだった。

 意識の隙間に入り込むような、不思議な雰囲気を持つ白銀髪の青年に、僕は初対面にもかかわらず自らの過去の傷を洗いざらい語った。敗北で自暴自棄になっていたのも手伝って、半分は泣き言のようになっていた話を彼は黙って聞いてくれ、そして聞き終わるや、もう市場には出回っていない非常に貴重な最初期のアーキタイプ・チップを驚く僕の手に握らせ、何事もなかったかのように立ち去った。

 そうして譲り受けた初期型チップは、今は僕の相棒・ユニの人工知能を宿して左腕のNinephニンフ内部に格納されている。このチップと、橋の上での出会いがなければ僕はデザイナーのままではいられなかっただろうし、相棒であるユニを描くこともできなかった。今日の勝利だって、突き詰めていけば彼のおかげだ。


 だから――――


「もう一度会えたら……ちゃんとお礼を言いたいと思ってたんです。あの日、ユウさんに背中を押してもらわなかったら今の僕はない……。こいつと――――ユニと会えて、今日の対戦で勝てたのはユウさんのおかげだから……」


 言いながら、僕はNinephニンフからスタイラスを引き抜いて足元のユニをホールドし、ひょいと持ち上げて胸の前で抱きかかえた。

 彼の、無限に続く蒼穹を丸く切り抜いたような深いブルーの瞳に視線を合わせ、一拍置いてから、僕は抱えたユニと共に深々と頭を下げた。

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